ツミビトタチノアシタ

板倉恭司

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ヒミツ 綾人

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 午前十時になった。
 小林綾人は僅かな金をポケットに入れ、フラフラと外に出ていく。いつもの習慣で、午前七時には目が覚めていた。しかし……工場を辞めてしまった今、何もすることがない。暇で暇で仕方なかった。この時間帯、テレビはつまらない番組しか放送していない。娯楽の類いは、これまで何も経験してこなかった。パソコンはおろか、携帯ゲーム機すら持っていない。綾人は暇な時間、何をすればいいのかわからなかったのだ。
 仕方なく、近所の公園まで歩いていった。目に付いたベンチに腰かける。公園は緑に覆われており、敷地も広い。真ん中には巨大な池があった。池を挟んだ向こう側には、砂場やブランコなどの遊具が設置されている場所がある。しかし、この時間帯は幼児やその母親たちによって占拠されていた。もし、そこに綾人のような男が紛れこんだら……警察に通報される可能性もあるのだ。
 ふと立ち上がり、何の気なしに池を眺めてみる。水は濁っており、どのくらいの深さなのかはよくわからない。ただ、広さはかなりのものだ。池の周りを一周するのに、歩きだと十分近くかかるだろうか。また、綾人の立っている場所から水面までは、二メートルほどの高低差がある。一応、柵はあるものの……乗り越えようと思えば、小学生でも乗り越えられるものだ。
 その時、入水という言葉が綾人の頭に浮かんだ。続く言葉は自殺である。かつて、入水自殺した小説家がいたのを思い出す。

 この池で、俺は入水自殺するのか?

 綾人はあまりの馬鹿馬鹿しさに、思わず笑ってしまった。何という下らない人生だろう。十七年間生きてきたというのに、暇潰しの手段すら知らない。二人の人間を殺し、挙げ句の果てに入水自殺とは、なんと惨めな結末だろうか。
 そんなことを考えていた時だった。

「おなかすいた」

 どこからともなく聞こえてきた、とぼけた声。
 綾人は困惑した。何者が、そんなことを言っているのだろうか。
 しかし、すぐに思い直した。今の自分に、友だちはいない。さらに言うなら、この時間帯に公園をうろついているような知り合いもいない。となると、この言葉は自分に向けられたものではないはずだ。

「おなかすいた」

 またしても、同じ言葉が聞こえた。今度は、さらに近い位置からだ。自分の背後だろうか。綾人は、ゆっくりと振り返って見る。
 そこに立っていたのは少年だった。金色の髪と白い肌、そして彫りの深い端正な顔立ちは異国の血が混じっていることを物語っていた。身長はさほど高くはないが、筋肉質のしなやかな体つきであることはシャツの上からでも見てとれる。恐らく……いや、間違いなく綾人よりも年下だろう。どこか浮世離れした物憂げな表情で、綾人を真っ直ぐ見つめている。
 綾人の困惑は、さらに大きくなった。自分は、こんな少年など見たこともない。おなかすいた、などと言われる筋合いはないのだ。この少年は、知人である誰かと自分を間違えているのではないか。
 いや、ひょっとしたら頭がおかしいのか?

「おなかすいたって言ってるんだけど」

 三度、同じ言葉を繰り返す少年。その瞳は、じっと綾人を見つめている。

「わかった。そこのコンビニで食べ物買って来る。だから、ベンチで座って待ってて……おとなしくしてるんだよ」 

 気がつくと、こんな言葉が出ていた。すると、少年は頷く。

「うんわかった」

 この時、綾人の内面で何が起きていたのか。
 それは本人ですら、よくわからなかった。普段なら、こんな得体の知れない少年とは関わらないようにしていたはずだ。綾人は社交的ではないし、好奇心旺盛なタイプでもない。少年のことは警察に任せ、そのまま帰ったことだろう。
 だが、今の綾人はそうしなかった。近くのコンビニへと駆けこみ、おにぎりや菓子パンやジュースといった類いの物を買い集め、ふたたびベンチへと向かったのだ。
 強いて理由を言うなら、今の綾人には、することがそれくらいしか無かったからかもしれない。



 だが、その後の少年の行動は、綾人をさらに混乱させた。
 少年はおにぎりを受け取ると、いきなり海苔ごとビニールを剥ぎ取った。中身だけを、むしゃむしゃ食べ始める。綾人は呆れた表情で、少年の行動を見守っていた。彼は今まで、コンビニのおにぎりを食べたことがないらしい。
 あっという間におにぎりを食べ終えると、お茶のペットボトルを手に取る。蓋を外し、ごくごく飲んだ。

「君、名前は?」

 綾人が尋ねると、少年はこちらを向いた。

「ルイス」

「ルイス? ルイスか……ねえルイス、人から物を貰ったら、ありがとうって言うんだよ」

 気がつくと、綾人の口からそんな言葉が出ていた。少年のあまりの常識の無さに、呆れていたからなのかもしれない。言った後、自分でも戸惑っていた。
 しかし、少年の反応は意外なものだった。

「うんそうだよね。ありがとう」

 ルイスはそう言うと、立ち上がり頭を下げる。綾人は自分で言っておきながら、あまりの素直な態度に面食らっていた。この少年は、いったい何者なのだろうか?
 だが、ルイスは綾人をじっと見た。また口を開く。

「いえいえどういたしましてって言うんだよ」

「えっ?」

「いえいえどういたしましてって言うんだよ。テレビで観たよ」

 なおも言葉を繰り返す。綾人は苦笑した。こんな非常識な少年から、礼儀を説かれるとは。

「そうだよね。いえいえ、どういたしまして」

 そう答えると、ルイスは微笑んだ。純粋な喜び、そして綾人への親愛の情が感じられる笑顔だ。そんな笑顔を向けられたのは、初めてかもしれない。
 綾人はビニールから、もうひとつのおにぎりを取り出した。丁寧にビニールを外していく。海苔を外さないように、包装しているビニールだけを剥がした。ルイスは、その手順を興味深そうに見ている。 
「ルイス、こうやって食べるんだ。美味しいよ。はい」

「うん。ありがとう」

「いえいえ、どういたしまして」



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