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暴力脱走 陽一
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テレビのニュース番組を観ながら、西村陽一は自宅でコーヒーを飲んでいた。時刻は午後三時であり、外からは学校帰りらしい子供の声が、微かに聞こえてくる。
今、特に気になっているニュースがあるわけではない。これは陽一の習慣だった。仮に、自分の仕事に何らかの影響を与えかねないような事件が起きた場合、計画を出来るだけ早く変更しなくてはならないからだ。場合によっては、計画の中止も視野に入れて動く。
しかし今、仕事と呼べるようなものはない。強いて言うなら、数日後に殺人犯かもしれない小林綾人という名の少年と会うくらいだ。実につまらない仕事である。
陽一はスマホを取りだし、綾人の画像を眺めて見る。実物はまるで違う、と夏目正義は言っていたが……大した相手ではなさそうだ。
ただひとつ、気になることがあった。綾人の瞳は暗い。自分の気持ちを押し殺し、機械のように生きてきたのではないか……そんな印象を受ける。かつての自分とは真逆だ。
ふと、昔の自分を思い出していた。
数年前の陽一は、綾人とは違っていた。ひたすら世の中を憎み、部屋の中に閉じこもっていたのだ。学校にも行かず、仕事にも就かず、暗い部屋の中で世の中の全てを呪っていた。
一方の綾人は、中学を卒業すると同時に印刷工場に就職する。毎日きちんと通っていたそうだ。夏目の話によると、成績は上位であったにもかかわらず進学はしなかった。その理由は、母に負担をかけたくないから……だというのだ。
自分とは、まるきり正反対の孝行息子である。そんな少年が、果たして殺人を犯すだろうか。それも、実の母親とその若い彼氏を──
気がつくと、自分が初めて人を殺した時のことを思い出していた。鼻と耳にピアスを付けたチンピラに殴られ、蹴られ、陽一は地面に倒れた。思わず、体をくの字に曲げる。だが、暴力の嵐は過ぎ去ったわけではなかったのだ。
「死ねやあぁ!」
喚きながら、チンピラは落ちていた角材を拾い、振り上げる。その目には、明らかな殺意があった。
その時、陽一は悟った。殺らなければ、殺られる。同時に、隠し持っていたナイフを抜いた。立ち上がると同時に、チンピラの体を突き刺していた──
もしあの時、チンピラに遭わなかったら?
あの時に、ナイフを持っていなかったら?
俺は、奴を殺さずに済んだ。
だが、陽一は頭を振る。過ぎ去ったことに対し、ああしていれば……こうしていたら……などと考えるのは、時間の無駄だ。
それよりも、考えるべきは綾人少年のことである。綾人にも、自分と同じく魔の瞬間が訪れたのかもしれない。一日の出来事の全てが、綾人にとって不利に働くような。そんな時に、引き金となる決定的な何かが起きてしまった。だとしたら、二人を殺したとしても不思議ではない。犯罪のスパイラルにハマる瞬間……その時、個人のモラルや意思などは、あまりにも無力なのだ。
そう、陽一にはわかっている。いざとなった時には、人は自らの意思すらコントロール出来ない。誰もが犯罪者となる可能性はあるのだ。もっとも、ほとんどの人間はそれを知らない。犯罪者が自分とは違う人種であると思い、ニュースなどで報道される犯罪者を口汚く罵る。そして自分が悪を憎む善人であることを確認し、安心するのだ。自分がそちら側に行くかもしれないことなど、欠片ほども考えない。
そんな事を考えていた時、携帯電話が震え出した。成宮亮からだ。陽一は電話を手にする。
「どうした?」
(あ、陽一さん……今大丈夫ですか?)
「大丈夫だよ。どうしたんだ?」
(ちょっと気になることがありましてね。桑原徳馬って知ってます?)
「桑原……知らないな。そいつがどうしたんだ?」
(実はですね、その桑原の子分の佐藤浩司ってチンピラがあちこちに電話かけて、フキまくってるらしいですよ。なんかデカい仕事をしてるとか)
「どうせ、チンピラの与太話だろう」
(まあ、俺もそう思うんですが……桑原の奴、真幌市をウロウロしてるみたいなんですよ。与汰話はともかく、桑原はおっかないらしいですからね。真幌で派手な動きは慎んだ方がいいですよ)
「亮、すまないが、その桑原について詳しく教えてくれないか?」
桑原徳馬、四十歳。五年前までは銀星会の幹部をしていたが、破門された後は清田興業という会社を立ち上げ、そこの社長に収まっている。ただし、その実体はヤクザであるらしいが。極めて冷酷な性格で、かつ有能な男という噂だ。銀星会という看板を失ったにもかかわらず、未だに他のヤクザから一目置かれる存在であるらしい。部下からの人望もある。現に銀星会を去った桑原に付いて行き、銀星会を抜けた者もいたくらいだという。
陽一は、今聞いた情報について考えてみた。桑原という男は、この真幌市で何をする気なのだろう。聞けば、有能な男らしいが……。
その時、頭に閃くものがあった。
そういえば五年前、俺は銀星会の仕切るカジノの売上金を奪ったんだよ。
ひょっとしたら、桑原はあの仕事のせいで破門になったのか?
今、特に気になっているニュースがあるわけではない。これは陽一の習慣だった。仮に、自分の仕事に何らかの影響を与えかねないような事件が起きた場合、計画を出来るだけ早く変更しなくてはならないからだ。場合によっては、計画の中止も視野に入れて動く。
しかし今、仕事と呼べるようなものはない。強いて言うなら、数日後に殺人犯かもしれない小林綾人という名の少年と会うくらいだ。実につまらない仕事である。
陽一はスマホを取りだし、綾人の画像を眺めて見る。実物はまるで違う、と夏目正義は言っていたが……大した相手ではなさそうだ。
ただひとつ、気になることがあった。綾人の瞳は暗い。自分の気持ちを押し殺し、機械のように生きてきたのではないか……そんな印象を受ける。かつての自分とは真逆だ。
ふと、昔の自分を思い出していた。
数年前の陽一は、綾人とは違っていた。ひたすら世の中を憎み、部屋の中に閉じこもっていたのだ。学校にも行かず、仕事にも就かず、暗い部屋の中で世の中の全てを呪っていた。
一方の綾人は、中学を卒業すると同時に印刷工場に就職する。毎日きちんと通っていたそうだ。夏目の話によると、成績は上位であったにもかかわらず進学はしなかった。その理由は、母に負担をかけたくないから……だというのだ。
自分とは、まるきり正反対の孝行息子である。そんな少年が、果たして殺人を犯すだろうか。それも、実の母親とその若い彼氏を──
気がつくと、自分が初めて人を殺した時のことを思い出していた。鼻と耳にピアスを付けたチンピラに殴られ、蹴られ、陽一は地面に倒れた。思わず、体をくの字に曲げる。だが、暴力の嵐は過ぎ去ったわけではなかったのだ。
「死ねやあぁ!」
喚きながら、チンピラは落ちていた角材を拾い、振り上げる。その目には、明らかな殺意があった。
その時、陽一は悟った。殺らなければ、殺られる。同時に、隠し持っていたナイフを抜いた。立ち上がると同時に、チンピラの体を突き刺していた──
もしあの時、チンピラに遭わなかったら?
あの時に、ナイフを持っていなかったら?
俺は、奴を殺さずに済んだ。
だが、陽一は頭を振る。過ぎ去ったことに対し、ああしていれば……こうしていたら……などと考えるのは、時間の無駄だ。
それよりも、考えるべきは綾人少年のことである。綾人にも、自分と同じく魔の瞬間が訪れたのかもしれない。一日の出来事の全てが、綾人にとって不利に働くような。そんな時に、引き金となる決定的な何かが起きてしまった。だとしたら、二人を殺したとしても不思議ではない。犯罪のスパイラルにハマる瞬間……その時、個人のモラルや意思などは、あまりにも無力なのだ。
そう、陽一にはわかっている。いざとなった時には、人は自らの意思すらコントロール出来ない。誰もが犯罪者となる可能性はあるのだ。もっとも、ほとんどの人間はそれを知らない。犯罪者が自分とは違う人種であると思い、ニュースなどで報道される犯罪者を口汚く罵る。そして自分が悪を憎む善人であることを確認し、安心するのだ。自分がそちら側に行くかもしれないことなど、欠片ほども考えない。
そんな事を考えていた時、携帯電話が震え出した。成宮亮からだ。陽一は電話を手にする。
「どうした?」
(あ、陽一さん……今大丈夫ですか?)
「大丈夫だよ。どうしたんだ?」
(ちょっと気になることがありましてね。桑原徳馬って知ってます?)
「桑原……知らないな。そいつがどうしたんだ?」
(実はですね、その桑原の子分の佐藤浩司ってチンピラがあちこちに電話かけて、フキまくってるらしいですよ。なんかデカい仕事をしてるとか)
「どうせ、チンピラの与太話だろう」
(まあ、俺もそう思うんですが……桑原の奴、真幌市をウロウロしてるみたいなんですよ。与汰話はともかく、桑原はおっかないらしいですからね。真幌で派手な動きは慎んだ方がいいですよ)
「亮、すまないが、その桑原について詳しく教えてくれないか?」
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陽一は、今聞いた情報について考えてみた。桑原という男は、この真幌市で何をする気なのだろう。聞けば、有能な男らしいが……。
その時、頭に閃くものがあった。
そういえば五年前、俺は銀星会の仕切るカジノの売上金を奪ったんだよ。
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