ツミビトタチノアシタ

板倉恭司

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甦る野良犬 春樹

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 真幌駅近くの裏通りに建てられている、古びた四階建てのマンション。
 その四階の角部屋に、上田春樹はいた。目の前には、手錠で繋がれた少年がいる。彫りの深い端正な顔立ちの、どこか異国情緒が漂う雰囲気……だが、この少年は、警察に追われている連続殺人鬼であったのだ。



 昨日、桑原徳馬とその部下により、春樹は無理やりこの部屋に連れ込まれたのだ。
 桑原は言った。

「お前、さっき銀星会の名前を出してたな。組長さんにスカウトされた、とも言ってたな。どうせ、あちこちで銀星会の名前を使って悪さしてたんだろうが。本当なら、銀星会にとっとと引き渡してやりてえところだが……んなことしても、こっちは大して得しねえ。それよりも、俺の仕事を手伝え。そうしたら見逃してやる」

 桑原の言う仕事とは、ひとりの少年を部屋に監禁し見張ることだった。見た目は、某アイドル事務所にでも所属していそうな顔立ちだ。背はさほど高くないし、体つきもしなやかな筋肉質ではあるが、威圧感を与えるようなものではない。
 だが、桑原はこう言い放った。

「こいつは化け物だ。油断してるとられるぞ」

 桑原の説明によれば……この少年の名前はルイスだ。名字はなく、戸籍すらないのだという。ルイスという名前にしたところで、偽名かもしれないとも言った。
 確実にわかっていることは、ただひとつ。この少年は、世間を騒がせている連続殺人事件の犯人である……ということだけだ。

「確実にわかっているのは……このガキは三人殺してる。殺した後に、手首をぶった切る変態だよ。だが、それだけじゃねえらしい。他にも、かなりの数を殺してるはずだ。警察も、ずっと前から捜していた。だがな、捕まえられなかった」

 このルイスに戸籍がない理由は……バカな日本人が、出稼ぎに来た外国人の女に産ませた子供だからである。しかも、産まれてすぐに捨てられたのだ。本来なら、子供の誕生に伴うであろう様々な手続きを全て省かれ、父と母に見捨てられ、陽の射さない場所に放置されていた。普通の幼児なら、すぐに息絶えていたであろう。
 だが、この少年は生き延びた。やがて、地下の世界に蠢く怪物として成長した。

「まあ、そんな都市伝説みてえな生い立ちなんだよ。どこまで本当なのか、俺は知らねえし興味もねえ。肝心なのは、こいつは高く売れるってことだ。警察、あるいは裏の人間……どちらがより高く買ってくれるか、はっきりするまでは、この部屋に置いておくつもりだ。そこで、お前はガキを見張るのを手伝え。それと、絶対に傷は付けるな」

 そこまで言うと、桑原はいったん言葉を止めた。
 だが次の瞬間、その表情が変わる。七三に分けた髪と眼鏡、そして安物のスーツ姿。一見すると、うだつの上がらない中年サラリーマン以外の何者でもない。にもかかわらず、異様な凄みを醸し出している。
 春樹は、ようやく理解した。桑原は本物だ。ヤクザという枠すら越えた、本物の怪物なのだ。こんな恐ろしい男は見たことがない。

「お前、あるいはこのガキ、どちらかでも逃げたりしたら、生まれてきてゴメンなさいって思うことになるぜ。俺はしつこいぞ。どこに逃げようが、必ず見つけ出す。覚えとくんだな」

 その後、桑原は二人の子分とともに部屋を出て行った。ご丁寧にも、春樹の有り金や免許証、それにスマホなどを全て奪い取った後に。



 春樹は改めて、目の前の少年を見つめる。殺人鬼という話だが……確かに、目は虚ろで顔に表情がない。もともとの端正な顔立ちと相まって、まるでマネキンのようだ。両手首に手錠を掛けられ、両足首にも手錠を掛けられた状態で壁に背中をもたれさせ、床に座り込んでいる。さっきからその体勢のまま、じっとテレビの画面を見つめていた。
 一方の春樹は、呆然と殺人鬼を見ていることしか出来なかった。あまりにも急すぎる状況の変化に、頭も体もまだ対応できていないのだ。
 だが、それはまだ序の口であった。

「お前、桑原さんの前でフカシまくったのかよ! バカじゃねえのか?」

 声と同時に、いきなり後頭部を小突かれた。振り返ると、そこにはジャージ姿の若い男がいる。いかにも気の強く頭が悪そうで、しかも喧嘩早そうな顔つきだ。春樹は一瞬、ムッとした表情を見せた。
 だが、それはまずい選択だった。

「てめえ何だよ、その面はよう! やんのかオラ!? どうなんだよ!?」

 罵声と同時に、春樹は襟首を掴まれ立たされた。その時、彼の顔に浮かんだもの……それは怯えの感情だった。
 春樹は今までの人生において、自分より弱いとわかっている者にしか、暴力を振るったことがない。目の前の男は、自分に対し明確な攻撃の意思を見せている。しかも自分より五、六歳は若く喧嘩慣れしていそうである。
 まともにやり合ったら、勝ち目はない。

「何とか言えや! ええ! おっさんよお!」

 男は春樹を睨み付けながら、なおも罵声を浴びせてきた。春樹にはわかっている。ここで引いてしまったら、上下関係が生まれる。今後、この年下の男にあごで使われることになるのだ。絶対に引いてはならない局面のはずだった。
 だが、彼の口から出たのは情けない言葉だった。

「す、すみませんでした……」



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