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詐欺師は二度、因縁をつける 陽一
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売上金の強奪計画を成功させた翌日。
西村陽一は、昼過ぎに目覚めた。四畳半の風呂なしアパート、それが現在の彼の住まいだ。狭い上に、何かと不便なことも多い。だが、ありがたい点もある。他の部屋に、人が住んでいないことだ。
このアパートには、陽一の他には誰も住んでいない。あと半年ほどで、取り壊されることになっている。彼以外の住人は、既に引っ越していた。本来なら、陽一も立ち退いていなくてはならないのだ。しかし彼は、ここの大家とは個人的な付き合いがある。正確には、ここの大家の弱みを握っている男と陽一に繋がりがあるのだが……それはともかく、大家にはここでの生活を大目に見てもらっていた。
陽一は遅い朝食を食べた後、テレビのニュースをチェックした。自分の起こした事件は、ほんの数分のあいだ扱われていただけだ。路上のカメラの映像なども放送されたが、非常にぼやけたものだ。自分と監視カメラに映っている犯人を結びつけるのは、まず不可能だろう。ハリウッド映画のスパイものに登場するような高度な映像解析技術を用いれば話は別だが、この程度の事件でそんなものは使わないはずだ。
この件は成功した、そう解釈していいだろう……そんなことを思いながら、陽一は食事を終えた。今日は味付けの薄い鶏肉とブロッコリー、それに卵のサンドイッチと飲むヨーグルトだ。彼は、食事にはこだわりがない。戦うため、動くためだけに食べる……それが、食事の目的である。味など二の次だ。タバコも酒も、一切やらない。せいぜい、週に一度だけジャンクフードや駄菓子を食べるくらいのものである。
陽一の生活は、この食事と同じく、全てが味気ないものだった。華やかさなど欠片もない、日々の暮らし……常人から見れば、堪えられないものだろう。だが、陽一は全く苦にならない。今の彼にとって必要なもの、それは娯楽ではなかった。
念のため、他のニュース番組やネットニュースなどもチェックしてみた。しかし、自分の起こした事件の扱いは小さなものだ。まあ、それも当然の話だろう。一千万近い現金が奪われた……世間から見れば、そんなものは大した事件ではないのだ。
それよりも目についたのは……三ヶ月ほど前からあちこちで起きている、猟奇的な連続殺人事件に関する報道だった。犠牲者は三人。その全員が、何故か右手を切り取られていたのだ。手首のあたりから切断された右手は、拳の形で被害者の口の中に押し込められていた。ワイドショーのコメンテーターは口々に「背筋が寒くなりますね」「犯人は人間じゃない!」などと好き勝手なことを言うだけだったが。
このところ、陽一はパチンコ屋の売上金を強奪する計画の方に集中していたのだ。そのため、世間のニュースには疎くなっていた。こんな事件があることすら知らなかった。
まあいい。自分には関係ない話だ。しばらくはのんびりしていよう。服を着替え、手に大きなスポーツバッグを抱えて外に出た。
三十分後、陽一はトレーニングジムにいた。トレーニングマシンが至るところに並べられ、流行りの音楽がスピーカーから流れてきていた。時間はまだ昼間だが、それでもジムの中では十人を超える数の会員が体を動かしている。基本的には、ほとんどの者が友人同士で来ており、会話を楽しみながらマイペースでのんびりトレーニングをしていた。
そんな中、陽一はひとりでバーベルやダンベルの並べられた一角にいる。口を真一文字に結び、黙々とトレーニングに励んでいた。これから戦場に赴く戦士のような表情で、バーベルやダンベルを挙げる。彼の周辺だけは、独特の空気が流れていた。近寄りがたい、殺気にも似た空気だ。そのためか、インストラクターも彼にだけは話しかけて来ない。
陽一がこの世界に入るきっかけとなった男は、裏社会の住人であるにもかかわらず非常にストイックな生活をしていた。肉体の鍛練を欠かさず、酒もタバコもドラッグもやらない男だった。もっとも、そんな男ですら、仕事の最中に命を落としていた。それも、陽一の目の前で刺されて死んだのである。
そんな男を間近で見ていた陽一も、肉体の鍛練を欠かさない。暇な時はトレーニングをし、様々な情報を仕入れる。彼は、同年代の若者の好むであろう娯楽には、いっさい手を出さない。金も時間もあるにもかかわらず、そういったものには全く興味を示さなかった。
陽一にとっては、今の生活こそが最高の快楽だったのだ。肉体を鍛え抜き、様々な情報を集める。集めた情報を吟味し、さらに現場を何度も下見する。その後、計画を立てる。計画に合わせて念入りに準備をして、場合によっては微調整していき、最後は一瞬の勝負に賭ける。ほんの僅かな時間に、己の持てる能力の全てを発揮し生き延びる。
塀の内と外を隔てる境界線の綱渡り……それは陽一にとって究極のギャンブルであり、ゲームであり、そしてドラッグでもあったのだ。
西村陽一は、昼過ぎに目覚めた。四畳半の風呂なしアパート、それが現在の彼の住まいだ。狭い上に、何かと不便なことも多い。だが、ありがたい点もある。他の部屋に、人が住んでいないことだ。
このアパートには、陽一の他には誰も住んでいない。あと半年ほどで、取り壊されることになっている。彼以外の住人は、既に引っ越していた。本来なら、陽一も立ち退いていなくてはならないのだ。しかし彼は、ここの大家とは個人的な付き合いがある。正確には、ここの大家の弱みを握っている男と陽一に繋がりがあるのだが……それはともかく、大家にはここでの生活を大目に見てもらっていた。
陽一は遅い朝食を食べた後、テレビのニュースをチェックした。自分の起こした事件は、ほんの数分のあいだ扱われていただけだ。路上のカメラの映像なども放送されたが、非常にぼやけたものだ。自分と監視カメラに映っている犯人を結びつけるのは、まず不可能だろう。ハリウッド映画のスパイものに登場するような高度な映像解析技術を用いれば話は別だが、この程度の事件でそんなものは使わないはずだ。
この件は成功した、そう解釈していいだろう……そんなことを思いながら、陽一は食事を終えた。今日は味付けの薄い鶏肉とブロッコリー、それに卵のサンドイッチと飲むヨーグルトだ。彼は、食事にはこだわりがない。戦うため、動くためだけに食べる……それが、食事の目的である。味など二の次だ。タバコも酒も、一切やらない。せいぜい、週に一度だけジャンクフードや駄菓子を食べるくらいのものである。
陽一の生活は、この食事と同じく、全てが味気ないものだった。華やかさなど欠片もない、日々の暮らし……常人から見れば、堪えられないものだろう。だが、陽一は全く苦にならない。今の彼にとって必要なもの、それは娯楽ではなかった。
念のため、他のニュース番組やネットニュースなどもチェックしてみた。しかし、自分の起こした事件の扱いは小さなものだ。まあ、それも当然の話だろう。一千万近い現金が奪われた……世間から見れば、そんなものは大した事件ではないのだ。
それよりも目についたのは……三ヶ月ほど前からあちこちで起きている、猟奇的な連続殺人事件に関する報道だった。犠牲者は三人。その全員が、何故か右手を切り取られていたのだ。手首のあたりから切断された右手は、拳の形で被害者の口の中に押し込められていた。ワイドショーのコメンテーターは口々に「背筋が寒くなりますね」「犯人は人間じゃない!」などと好き勝手なことを言うだけだったが。
このところ、陽一はパチンコ屋の売上金を強奪する計画の方に集中していたのだ。そのため、世間のニュースには疎くなっていた。こんな事件があることすら知らなかった。
まあいい。自分には関係ない話だ。しばらくはのんびりしていよう。服を着替え、手に大きなスポーツバッグを抱えて外に出た。
三十分後、陽一はトレーニングジムにいた。トレーニングマシンが至るところに並べられ、流行りの音楽がスピーカーから流れてきていた。時間はまだ昼間だが、それでもジムの中では十人を超える数の会員が体を動かしている。基本的には、ほとんどの者が友人同士で来ており、会話を楽しみながらマイペースでのんびりトレーニングをしていた。
そんな中、陽一はひとりでバーベルやダンベルの並べられた一角にいる。口を真一文字に結び、黙々とトレーニングに励んでいた。これから戦場に赴く戦士のような表情で、バーベルやダンベルを挙げる。彼の周辺だけは、独特の空気が流れていた。近寄りがたい、殺気にも似た空気だ。そのためか、インストラクターも彼にだけは話しかけて来ない。
陽一がこの世界に入るきっかけとなった男は、裏社会の住人であるにもかかわらず非常にストイックな生活をしていた。肉体の鍛練を欠かさず、酒もタバコもドラッグもやらない男だった。もっとも、そんな男ですら、仕事の最中に命を落としていた。それも、陽一の目の前で刺されて死んだのである。
そんな男を間近で見ていた陽一も、肉体の鍛練を欠かさない。暇な時はトレーニングをし、様々な情報を仕入れる。彼は、同年代の若者の好むであろう娯楽には、いっさい手を出さない。金も時間もあるにもかかわらず、そういったものには全く興味を示さなかった。
陽一にとっては、今の生活こそが最高の快楽だったのだ。肉体を鍛え抜き、様々な情報を集める。集めた情報を吟味し、さらに現場を何度も下見する。その後、計画を立てる。計画に合わせて念入りに準備をして、場合によっては微調整していき、最後は一瞬の勝負に賭ける。ほんの僅かな時間に、己の持てる能力の全てを発揮し生き延びる。
塀の内と外を隔てる境界線の綱渡り……それは陽一にとって究極のギャンブルであり、ゲームであり、そしてドラッグでもあったのだ。
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