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俺に明日なんかない 陽一
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朝の九時。
シャッターの閉まっているパチンコ屋の裏口から、二人の男が出てきた。
ひとりはスーツ姿の中年男で、大きめの革製のカバンを肩からぶら下げている。もうひとりは若く、店の制服らしきワイシャツとベストを着ていた。
二人は何やら言葉を交わしながら、朝の繁華街を歩く。駅までは歩いて五百メートルほどの距離だ。人通りはない。この辺りは飲み屋街であり、朝から昼にかけての時間はひっそりと静まりかえっている。
二人は、路地裏へと入って行った。そこは彼らが日常的に使っている道であり、目的地への近道でもある。基本的に、人はいない場所のはずだった。
その時、動き出した者がいた。薄汚れた作業服を着てヘルメットを被り、作業用のマスクとゴーグルを着けている。脇道に潜み、息を潜め座り込んでいたのだ。
直後、後ろから二人に襲いかかる──
二人はアスファルトの上に投げ飛ばされ、苦悶の呻き声をあげる。あまりに突然の出来事に、体も頭も反応が出来ない。反撃はおろか通報も出来ず、ただただ苦痛に顔を歪めて呆然としている。
一方、作業服を着た者の動きには、迷いも躊躇もなかった。スーツ姿の男が肩からぶら下げていたカバンを奪い取る。
恐ろしい速さで、走り去って行った。
襲撃者は、巨大な工事現場の中に入って行った。周りは様々な業者や職人、果ては学生風アルバイトがうろうろしている。作業服にヘルメットの男が入り込んでも、咎める者はいない。襲撃者は奥に進む。
詰め所に入ると、彼は身に付けている物を脱いだ。作業服の下から現れたのは、Tシャツとジーパンを着ている若い男だ。身長はさほど高くないが、体はしなやかな筋肉に覆われていた。顔つきにはまだ幼さが残っているが、押さえきれない野性をも感じさせる。
男は奪い取った皮のカバンを、用意しておいたリュックに入れる。ヘルメットとマスクはそのまま放置し、作業服はゴミ袋に入れて現場のゴミ捨て場に放り投げた。
一連の動作を数秒で終えると、何食わぬ顔で歩き出す。平然とした表情で、そのまま工事現場を後にした。
しばらく歩き、携帯電話を取り出す。
「よう、俺だよ俺……バカ、陽一だよ……しばらくは、この番号を使うから……ああ、よろしく……上手くいったよ……そうだな……じゃあ、また電話する……いや、メールは止めとけ。証拠は残したくない……わかった。じゃあな」
携帯電話をポケットにしまうと、西村陽一は周囲を見る。このあたりは、人通りが多い。工事現場からはだいぶ離れたが、それでも重機の音が聞こえてくる。それに混じり、パトカーのサイレンの音も聞こえてきた。陽一は、駅に向かう人混みに紛れ歩き出す。
すると今度は、前方から自転車に乗った警察官が走って来るのが見えた。表情を堅くしながらも、陽一はあえて歩き続ける。警察官の方に真っ直ぐ進んで行った。背中のリュックには、推定一千万近い金が入っている。万が一、職務質問されて調べられたら誤魔化しようがない。一巻の終わりだ。
だが、警察官は陽一を無視した。先ほど二人が倒れていた路地裏の方向に、自転車を走らせていく。
これで、勝ちは確定した。
とあるパチンコ屋で、店員二人が朝の九時に前日の売上金を銀行に預けに行く。
陽一がその情報を知ったのは、半年前のことだった。
以来、陽一は朝の九時から開店の十時までの約一時間……毎日のようにパチンコ屋に張り付き、動きを見張っていた。店員の動きや行動パターン、さらには店員たちのシフトまでも頭に叩きこみ、綿密な計画を立てた。
そして今日、計画を実行に移したのだ。襲撃の時に現行犯逮捕されなければ、九割方こちらの勝ち……陽一は、そう読んでいた。この状況なら、警察が真っ先に疑うのはパチンコ屋の関係者だ。しかし、彼はあの店とは何の関係もない。路上に防犯カメラは仕掛けられてはいるものの、その僅かな映像から陽一に辿り着くのは不可能だ。指紋は残していないはずだし、元より陽一は逮捕されたことなどない。逮捕された経験のない者の指紋は、警察のデータベースに存在しないのである。
したがって、その場からの逃走に成功してしまえば、陽一が容疑者となる理由はない。完全に警察の捜査の対象外なのだ。
さらに言うなら……警察としても、この程度の事件に人員と労力を割いたりはしない。パチンコ屋の方も、強盗に遭うことはあらかじめ想定済みである。売上金を奪われた場合、保険金が下りるシステムになっているのだ。
計画を立て、現場を何度も下見し、そして本番に臨んだ。結果、陽一は計画を成功させた。完全犯罪、などと呼べるほど大層なものではないかもしれない。それでも一千万近い金が手に入ったのは確かである。
あとは、しばらくの間おとなしく過ごすだけだ。大金が入ったからと言って、豪遊したり生活スタイルを変えたりするのは愚か者である。裏稼業の人間は、なおさら目立たぬよう気を付けていなくてはならない。
それに、自分が本当に求めているものは……金ではない。
シャッターの閉まっているパチンコ屋の裏口から、二人の男が出てきた。
ひとりはスーツ姿の中年男で、大きめの革製のカバンを肩からぶら下げている。もうひとりは若く、店の制服らしきワイシャツとベストを着ていた。
二人は何やら言葉を交わしながら、朝の繁華街を歩く。駅までは歩いて五百メートルほどの距離だ。人通りはない。この辺りは飲み屋街であり、朝から昼にかけての時間はひっそりと静まりかえっている。
二人は、路地裏へと入って行った。そこは彼らが日常的に使っている道であり、目的地への近道でもある。基本的に、人はいない場所のはずだった。
その時、動き出した者がいた。薄汚れた作業服を着てヘルメットを被り、作業用のマスクとゴーグルを着けている。脇道に潜み、息を潜め座り込んでいたのだ。
直後、後ろから二人に襲いかかる──
二人はアスファルトの上に投げ飛ばされ、苦悶の呻き声をあげる。あまりに突然の出来事に、体も頭も反応が出来ない。反撃はおろか通報も出来ず、ただただ苦痛に顔を歪めて呆然としている。
一方、作業服を着た者の動きには、迷いも躊躇もなかった。スーツ姿の男が肩からぶら下げていたカバンを奪い取る。
恐ろしい速さで、走り去って行った。
襲撃者は、巨大な工事現場の中に入って行った。周りは様々な業者や職人、果ては学生風アルバイトがうろうろしている。作業服にヘルメットの男が入り込んでも、咎める者はいない。襲撃者は奥に進む。
詰め所に入ると、彼は身に付けている物を脱いだ。作業服の下から現れたのは、Tシャツとジーパンを着ている若い男だ。身長はさほど高くないが、体はしなやかな筋肉に覆われていた。顔つきにはまだ幼さが残っているが、押さえきれない野性をも感じさせる。
男は奪い取った皮のカバンを、用意しておいたリュックに入れる。ヘルメットとマスクはそのまま放置し、作業服はゴミ袋に入れて現場のゴミ捨て場に放り投げた。
一連の動作を数秒で終えると、何食わぬ顔で歩き出す。平然とした表情で、そのまま工事現場を後にした。
しばらく歩き、携帯電話を取り出す。
「よう、俺だよ俺……バカ、陽一だよ……しばらくは、この番号を使うから……ああ、よろしく……上手くいったよ……そうだな……じゃあ、また電話する……いや、メールは止めとけ。証拠は残したくない……わかった。じゃあな」
携帯電話をポケットにしまうと、西村陽一は周囲を見る。このあたりは、人通りが多い。工事現場からはだいぶ離れたが、それでも重機の音が聞こえてくる。それに混じり、パトカーのサイレンの音も聞こえてきた。陽一は、駅に向かう人混みに紛れ歩き出す。
すると今度は、前方から自転車に乗った警察官が走って来るのが見えた。表情を堅くしながらも、陽一はあえて歩き続ける。警察官の方に真っ直ぐ進んで行った。背中のリュックには、推定一千万近い金が入っている。万が一、職務質問されて調べられたら誤魔化しようがない。一巻の終わりだ。
だが、警察官は陽一を無視した。先ほど二人が倒れていた路地裏の方向に、自転車を走らせていく。
これで、勝ちは確定した。
とあるパチンコ屋で、店員二人が朝の九時に前日の売上金を銀行に預けに行く。
陽一がその情報を知ったのは、半年前のことだった。
以来、陽一は朝の九時から開店の十時までの約一時間……毎日のようにパチンコ屋に張り付き、動きを見張っていた。店員の動きや行動パターン、さらには店員たちのシフトまでも頭に叩きこみ、綿密な計画を立てた。
そして今日、計画を実行に移したのだ。襲撃の時に現行犯逮捕されなければ、九割方こちらの勝ち……陽一は、そう読んでいた。この状況なら、警察が真っ先に疑うのはパチンコ屋の関係者だ。しかし、彼はあの店とは何の関係もない。路上に防犯カメラは仕掛けられてはいるものの、その僅かな映像から陽一に辿り着くのは不可能だ。指紋は残していないはずだし、元より陽一は逮捕されたことなどない。逮捕された経験のない者の指紋は、警察のデータベースに存在しないのである。
したがって、その場からの逃走に成功してしまえば、陽一が容疑者となる理由はない。完全に警察の捜査の対象外なのだ。
さらに言うなら……警察としても、この程度の事件に人員と労力を割いたりはしない。パチンコ屋の方も、強盗に遭うことはあらかじめ想定済みである。売上金を奪われた場合、保険金が下りるシステムになっているのだ。
計画を立て、現場を何度も下見し、そして本番に臨んだ。結果、陽一は計画を成功させた。完全犯罪、などと呼べるほど大層なものではないかもしれない。それでも一千万近い金が手に入ったのは確かである。
あとは、しばらくの間おとなしく過ごすだけだ。大金が入ったからと言って、豪遊したり生活スタイルを変えたりするのは愚か者である。裏稼業の人間は、なおさら目立たぬよう気を付けていなくてはならない。
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