さらば真友よ

板倉恭司

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最悪の再会

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「三番、調べだ」

 留置係の声には、あからさまな敵意があった。こちらを見る目には、殺意に近いものすら感じられる。手錠をかける時も、腰縄を巻く時も、昨日を上回る乱暴な扱いだ。
 もっとも、明彦にはどうでもいいことだった。今さら、こんな連中の御機嫌を取る必要などない。明日には釈放されるのだ。このしょうもない嫌がらせが、今のこいつらに出来る精一杯の攻撃である。はっきり言って、何のダメージもない。
 明彦は、余裕の表情で警察署内を歩いていく。いつものように、取り調べ室へと入って行った。とりあえずは、昨日も話した高山なる刑事と仲良くしておく。上手くいけば、組織の手駒として使えるかもしれない。



 室内には、高山が待っていた。昨日と同じく、よれよれのスーツ姿だ。こちらを見る目は鋭いが、明彦は余裕の表情で視線を受け止める。
 
「おはよう。何だか、嬉しくて仕方ないって顔してるな」

 高山の表情は、昨日と変わらない。相変わらず、猟犬のごとき顔つきだ。今になって気づいたが、眉間のあたりに傷痕がある。恐らく、過去に犯人との大立ち回りがあったのだろう。
 そんなベテラン刑事に、明彦はヘラヘラした態度で口を開いた。

「やっと出られますからね、嬉しくないわけないでしょう。それにしても、今日も敗戦処理ですか。ご苦労さまなことですね」

 言いながら、深々と頭を下げる。慇懃無礼、という言葉そのものの動きだ。
 しかし、高山に気分を害した様子はない。

「そうなんだよ。悪いな、こんなもんに付き合わせてよ。ま、あと一日だから我慢してくれや」

「いえいえ、こちらこそありがたいですよ。高山さんとのお話は面白いですからね。留置場で寝てるよりは、よっぽど有意義な過ごし方が出来ます」

 お世辞ではあるが、半分は本音だ。ひとり独房にいても、ただただ退屈なだけである。ならば、この刑事とバカ話でもしていた方がマシだ。

「そう言ってもらえると、こっちも助かるよ。ところで、お前にひとつ頼みがあるんだ」

「何ですか? 僕に出来ることならしますよ」

「実はな、ひとり見込みのある若いのがいる。まだ制服警官なんだがな、いずれは刑事になる。だから、今のうちに取り調べの経験を積ませたいんだよ」

「ひょっとして、その若いのに僕を取り調べさせる気ですか?」

「ああ。出来れば、お前みたいなプロからの指導が欲しいんだよ。取り調べのコツって奴を、教えてやってくれ」

 どういうことだろう? 一瞬、困惑した。まさかとは思うが、この期に及んで何か仕掛けてくる気なのだろうか。ひょっとしたら、何か秘策があるのかもしれない。
 だが、すぐに思い直す。どうせ、こいつらに打てる手はないのだ。いざとなれば、日村の違法捜査を盾にすればいいだけの話である。
 ならば、その有望な若手とやらに指導してやるのも面白い。

「構いませんよ。その若いのを呼んでください」

「そうか。じゃあ、今から呼んでくる」

 やがて、室内にひとりの男が入って来る。警官の制服を着ているが、ガッチリした体格であるのは制服の上からでも見て取れる。年齢は、自分と同じくらいか少し下だろう。目つきは鋭く、厳つい顔つきだ。しかし、どこか素直な部分も感じさせた。耳は潰れており、柔道かレスリングをみっちりやってきたことを物語っていた。
 高山は立ち上がり、椅子に座るよう促す。警官は無言で頷き、椅子に座った。硬い表情だ。明彦とは、目を合わせようともしない。
 そんな若い警官と、明彦は向き合った。

「どうも、はじめまして。野口明彦です。危うく冤罪の被害者になりそうになった者です」

 ふざけた挨拶をして、ヘラヘラ笑って見せた。しかし、相手は目を逸らしたままだ。その体は、微かに震えていた。ひょっとして、初の取り調べで緊張しているのだろうか。

「緊張しないで、何でも聞いてくださいよ」

 声をかけると、制服警官はようやくこちらを向いた。明彦に、しっかりと目線を合わせてくる。不思議な男だった。こちらを見る目から、様々な感情が感じ取れる。喜怒哀楽が全て入り混じった、複雑な感情だ。
 明彦は、想わず戸惑った。この男は、いったい何を考えているのだろう。高山はなぜ、この男に取り調べを担当させたのか。
 少しの間を置き、男は低い声で言った──

「俺の名は、加藤健一だ。まさか、忘れちまったのか」

 一瞬、何が起きているのかわからなかった。加藤健一……なぜ、この警官からその名前が出る?
 数秒後、ようやく事態を把握する。目の前にいる制服警官は、小学校の同級生だったカトケンこと加藤健一だったのだ。確かに、その顔には昔の面影が残っている。
 まさか、こんな所で再会するとは──

「カトケン、なのか……」

 思わず呟いていた。それ以上、言葉が出てこない。
 一方、健一は何とも言えない表情を浮かべていた。込み上げてくる様々な感情を必死で押さえ込んでいる……そんな顔つきで口を開く。

「久しぶりだな、野口……いや、アキ」

 その声は震えていた。アキ、と呼ばれたのは何年ぶりだろう。このカトケン以外、自分をそう呼ぶ者はいなかった。
 あまりの懐かしさに、思わず涙が出そうになった。もし、高山がいなければ泣きだしていたかもしれない。唇を噛み締め、どうにか堪える。
 何も言えずにいる明彦に向かい、健一はひとり語り続けた。

「マッちゃんな、あれから外出できなくなったんだよ。一度も登校しないまま、小学校を卒業した」

 マッちゃん。
 その名前も、久ぶりに聞いた。もはや、遠い記憶となっていた同級生・中田正和の顔が脳裏に浮かぶ。ふたりといる時は、いつも楽しそうに笑っていた。
 このふたりのことは、思い出したことはない。だが、忘れたこともなかった。このふたりは、今も友達同士らしい。嬉しい気がする。しかし、悲しいような気もする。
 不思議な気分の明彦に向かい、健一は一方的に語る。彼の体の震えは、いつのまにか収まっていた。

「その後、俺とマッちゃんは同じ中学校に入った。でも、マッちゃんが登校したのは二日だけだ。二日目に、学校ん中で吐いちまったんだよ。後は、ずっと休んでた。一度も登校しないまま卒業だよ。俺は、毎日あいつの家に寄ってたけどな」

 話を聞いていて、明彦は胸が潰れそうな思いに襲われた。
 正和は、大きな体に似合わず妙に繊細な部分があった。その繊細さは、描く絵にも表れていた。体つきに似合わぬ緻密な絵を描いていたのを思い出す。また優しく、自分が損しても人が喜ぶ顔を見てニコニコしているような少年だった。
 そんな性格のため、学校での生活は損ばかりしていた。見ていて歯がゆくなったのを、今も覚えている。
 そんな正和を、あの事件が変えてしまったのか。
 明彦は、思わず下を向く。だが健一は、明彦の顔を真っすぐ見つめていた。視線を外すことなく喋り続ける。

「マッちゃんはな、ずっと苦しんでた。あれから肉が食えなくなって、ガリガリに痩せちまったんだよ。俺は、毎日マッちゃんちに通った。通って、いろんな話をしたよ。たまに言ってたんだぜ、アキは今ごろ何やってんのかな……って。お前に連絡したかったんだよ。なのに、連絡もしないで消えちまいやがって。バカ野郎が」

 その言葉に、顔が歪み声が出そうになる。だが、かろうじて堪えた。
 ふたりの中で、自分はまだ友達だった。会話の中に登場する存在だったのだ。
 それだけのことが、たまらなく嬉しい。
 無言を貫く明彦に、健一はなおも語り続ける。

「マッちゃんは、ウチん中に引きこもってた。中学から今まで、ずっとだ。でもな、あいつはあいつなりに努力してたんだよ。漫画家になるって夢を叶えるためにな。こないだも、新人賞に作品を応募してたんだ」

 聞いている明彦は、正和との会話を思い出していた。いつか、自分を主人公にした漫画を描いてくれ……と、冗談で言ったことがある。すると健一が、アキより先に俺を主人公にしろ、と口を挟んできたのだ。ふたりは言い合いになり、正和が困った顔をしていたのを覚えている。
 正和は、夢を忘れていなかったのだ……明彦は、思わず涙ぐみそうになった。
 だが、その涙は一瞬で吹き飛ぶ。直後、健一の口からとんでもないセリフが飛び出した──

「けどなあ、一昨日マッちゃんは死んじまった。部屋ん中で、首つって死んでたよ。何が原因かわかるか?」

 愕然となった。顔を上げ、健一の顔を凝視する。
 彼の顔は、真剣そのものだった。この話は、嘘でも冗談でもないのだ。
 正和は、死んでしまった──

「ネットにな、お前のことが出てたんだよ。事件の容疑者としてな。それが原因じゃないかと俺は思う」

 そう言った健一の体は、再び震え出していた。怒りによるものか、あるいは悲しみが原因か。その両方かもしれない。
 明彦は、いたたまれなくなり目を逸らす。自分がネットに晒されたことなど、どうでもよかった。正和の死の方がショックだった。これまで、大勢の人間の死を間近で見てきたはず。なのに、正和の死は受け止められない──
 声を震わせながら、健一は訴える。 

「お前のせいでマッちゃんが死んだ、とは言わない。だがな、責任がないとも言えないんだよ。俺たちふたりはな、マッちゃんの人生を変えちまった。いや、狂わせちまったんだよ……間接的にせよ、な」

 違う、と言いたかった。だが、言葉が出なかった。
 ふたりが、正和の人生を変えたのではない。間違いなく明彦のせいだ。あの日、お化け屋敷の探検に行こうなどと言わなければ、正和の人生は狂わなかったはずだ。ましてや、この年齢で死ぬこともなかった。
 全て、自分の責任だ。健一は悪くない。
 
 様々な思いが、明彦の中を駆け巡る。
 その時、健一が立ち上がった。彼の目には、涙が溢れている。その涙を隠そうともせず、口を開いた。

「アキ、お前の人生が変わっちまったのもわかる。仕方ないとも思う。ガキの時、あんなものを見ちまったんだからな。だが、ここまでにしてくれ。お前は、そんな奴じゃなかったはずだ。あの時のお前に戻るんだよ。これ以上、罪を重ねないでくれ」

 声を震わせ、健一は訴えた。喋っている間にも、涙が彼の頬を流れていった。
 直後、その場で土下座する──

「俺に出来ることなら、何でもする。だから、今すぐ自供してくれ! 頼むから、罪を償ってくれ!」

 叫ぶ健一を、明彦はパイプ椅子に座ったまま見下ろしていた。
 脳裏に、かつての記憶が蘇る。健一や正和と一緒に、あちこちで悪さを繰り返した日々。昨日のことのように思い出された。
 だが、あの日はもう戻らない。
 自分が変えてしまったのだ──

 ややあって、明彦は笑った。乾いた、嫌な笑顔だった。その笑顔を顔に貼り付けたまま、ぞんざいな態度で口を開く。

「わけのわからないことを言わないでくださいよ、お巡りさん。僕は、何も悪いことはしていませんから。土下座されても困りますよ。してもいないことを、自供なんて出来ません」

 冷めた口調である。健一を見下ろす目には、一片の感情も浮かんでいない。人形のような目だった。
 すると健一は、凄まじい形相で立ち上がる。明彦を、真っすぐな目で睨みつけた。
 ややあって、その口からようやく声が出る。

「てめえは、人間をやめちまったのか?」

 絞り出すような声で言った健一に、明彦は冷ややかな表情を向ける。勝ち誇るかのように、クスリと笑った。

「あのう、ちょっと何言ってるかわからないですねえ」

 おどけた口調で言い、大げさな動きで両手をあげる。外国人がよくやる、ふざけたジェスチャーだ。
 その途端、健一は吠えた──

「てめえ! マッちゃんは首吊ったんだぞ! 何とも思わねえのか! 俺たちのせいで、マッちゃんは死んだんだ!」

 直後、明彦の襟首を掴み無理やり立ち上がらせる。だが、高山が割って入った。

「落ち着けバカ! んなことしても、何にもならねえんだよ!」

 怒鳴りながら、必死で健一を押し戻そうとする。だが、健一の怒りは収まらない。なおも、明彦に掴みかかろうとする。高山ですら止められない勢いだ。
 しかし、明彦は逃げなかった。そんな健一を、じっと見つめていた。
 この男は、警官になっても昔と変わっていない。それが、はっきりわかった。

「誰か来い! このバカを連れ出せ!」

 高山の声に、制服警官とスーツ姿の刑事が入ってきた。ふたりがかりで、健一を無理やり連れていく。
 その様子を、明彦は冷たい目で見ていた。やがて、高山を睨みつける。

「なるほど、これがあなたのやり口ですか。さすがですね」

 出来るだけ感情を抑えたつもりだった。しかし、言葉の奥には凄まじい怒気がある。事実、明彦は目の前の老刑事を殺してやりたかった。
 しかし、高山は平静な表情のままだ。

「やり口? 何のことだよ? 俺はただ、前途有望な若者に実地の経験を積ませてあげたかっただけさ」

 とぼけた口調だった。表情ひとつ変えず、明彦の殺意にも近い感情を受け止めている。
 今になって、ようやく悟った。この刑事は、本物のプロなのだ。これまで、数々の極悪人とやり合って来たのだろう。二十年以上のキャリアは、伊達ではないのだ。
 この件にしても、高山はまだ諦めていなかった。明彦にもっともダメージを与えられるであろう人間を、刺客として差し向けてきたのだ。事実、もう少しで落ちそうになっていた……。
 明彦は高山に対し、憎しみと同時に、尊敬の念にも近い思いを抱いた。しかし、そんな高山でも自分を捕まえることは出来ない。

「前途有望? どこがですか。警官が、取り調べでブチ切れて暴力振るったらおしまいでしょう。どこの誰か知りませんが、あれは警官に向いてないんじゃないですかね」

 言った途端、高山はじろりと睨んでくる。

「お前、それ本気で言ってるのか?」

「もちろん本気です。あんな奴、覚えてないですから」

 その言葉に、高山は何も言わなかった。ただ、じっと明彦を見つめる。彼の瞳には、憎しみと哀れみとが感じられた。
 ややあって、高山はゆっくりと口を開いた。 

「なるほどな。お前は、本当に人間をやめちまう気なんだな。まあ、それもいいだろう」

「何を言っているんですか。僕は、まっとうな人間です」

「そうか。じゃあ、釈放された後もまっとうに生きてくれ。昨日も言った通り、俺はもう何もかも嫌になっちまったよ」

 吐き捨てるような口調で、高山は言った。



 取り調べが終わり、明彦は独房に帰された。
 夕食を食べた後は、いつものように床に寝転んだ。虚ろな表情で、天井を見つめる。
 明日、自分は釈放される。ずっと待ち望んでいたことのはずだったが、心は沈んでいた。
 なぜ、こんなことになってしまったのだろうか。
 
 




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