さらば真友よ

板倉恭司

文字の大きさ
上 下
12 / 18

高校生活

しおりを挟む
 明彦は、どうにか高校に進学する。
 入ったのは、都内でも最低ランクの学校である。周りの生徒は、どうしようもないバカばかりだった。どこそこの中学では最強だっただの、喧嘩では負けたことがないだの、五人をひとりでブッ飛ばしただのと、クラスの中で聞かれもしないことをベラベラと吹聴していた。もちろん、みな口ばかりの連中である。
 そんな中、明彦は校内ではおとなしくしていた。制服は普通のものだし、髪を染めたりカバンを潰したりといったこともしない。そんなことをする必要がなかったのだ。


 当時、高校生の間では……校内で暴れる奴はバカだ、という風潮が広まっていた。実際、中途半端な者ほど校内で堂々とバカをやる。自分は悪いんだぞ、と周囲にアピールするためだ。挙げ句、一年生の時点で退学させられる者までいる。
 本当に危険な連中は、校内ではおとなしくしている。だが授業が終わり、町に一歩出ると変わる。すぐにオシャレな私服に着替え、繁華街に出ていく。仲間たちと共に、夜更けまでたむろするのだ。
 これは、数世代前の少年たちの間で流行した「チーマー」の流れをくんでいる。チーマーは、いわゆる昭和の「ツッパリ」や暴走族というスタイルをバカにしていた。リーゼントやパンチパーマから、長髪にピアスという格好に変わってきたのもチーマーからである。
 また高校単位でつるむのではなく、所属しているチームの仲間たちとつるむ。したがって、他の高校との横の繋がりを重視していた。同じ学校の者がやられたと聞いても動かないが、同じチームの者がやられたと聞いたら、皆が報復に動く。あるいは、都内に特有の不良文化なのかもしれない。
 明彦が高校生になった頃には、チーマーという存在自体は廃れていた。だが、そのスタイルは大きな影響を及ぼしている。町にも、そうした少年たちがたむろしていた。彼らにとって、校内の友人の数よりも、町で知り合いがどれだけいるが……そちらの方を重視していたのだ。
 町にたむろする少年たちの間で、明彦は有名人であった。どこそこのチンピラをぶっ飛ばしたとか、田舎の暴走族をひとりで潰したとか、そんな噂が広まっていく。いつのまにか明彦は、同年代の少年たちの間で伝説となりつつあった。
 もっとも、本人はそんなことは関係ない。明彦は、単純に悪夢から逃れるために暴れていたのである。彼は、あちこちで喧嘩に明け暮れた。不意打ちを食らわせて叩きのめし、戦況が悪いと見るや躊躇ためらうことなく逃げる。
 タバコやドラッグで不健康な不良少年と違い、明彦は運動神経に優れており足も早い。闘うにしろ逃げるにしろ、誰も歯が立たなかった。
 しかし、そんな生活は長く続かない。不良と呼ばれた少年の誰もが、いつかは天井に当たる。自分のやっていたことなど、しょせん子供の遊びだったことを思い知らされることになるのだ。
 ほとんどの場合、それは警察の手でもたらされる。警察という名の国家権力に直面した時、少年たちは本物の暴力の怖さを知る。逮捕され、たったひとりで刑事たちから取り調べを受けた時……初めて己の無力さに気づかされるのた。
 だが、時には別の者が天井の役割を果たすこともある。



 それは、突然の出来事だった。
 ある日、明彦は夜の町をひとり歩いていた。時間は十時を過ぎており、人気ひとけもない。
 いきなり車が走ってきた。歩いている明彦のすぐ横で止まる。同時に、ふたりの男が降りてきた。
 明彦は異変を感じ、すぐに動こうとした。が、遅かった。革のジャンパーを着た男が、ピタッと右隣に密着している。
 脇腹に、何か尖った物が当たっていた。刃物であることは間違いない。
 直後、もうひとりが左隣に来た。両サイドを、完全に押さえられ身動きが取れない。
 革ジャンの男が、左腕を明彦の肩を回してきた。直後、顔を近づける。

「野口明彦くんだよね。ちょっと来てもらえるかな」

 アクション映画なら、華麗なる動きでふたりを倒すのだろう。だが、脇腹に刃物を押し当てられた状態の明彦には、何の打つ手もない。肌に直接当たる刃物の感触は、拳銃を向けられるより怖いものだった。
 言われるがまま、車に乗り込むしかなかった。



「兄ちゃん、お前ちょっと調子に乗りすぎだよ。あのな、俺たちもナメられるわけにはいかねえんだよ。もうさ、ガキの喧嘩じゃ済まないとこに来ちまった」

 目の前では、中年男が淡々とした口調で語っている。
 明彦はというと、マンションの一室にある部屋の床に正座させられていた。さほど広くはなく、一見すると中小企業の事務所のようである。
 周囲には、三人の男がいる。ひとりはスキンヘッドの大柄な若者、もうひとりはトレーナーを着た細身の若者だ。
 そして明彦の目の前にいるのは、ブランド物のスーツを着た中年男である。肌は白く、病的な雰囲気を漂わせている。背はさほど高くない上に痩せているが、その目には冷ややかな殺意が浮かんでいた。この男がリーダー格なのだろう。
 もっとも、明彦にそんなことを考えている余裕などない。どうやら、この男たちの関係者をぶちのめしてしまったらしい。
 もちろん心当たりはある。ありすぎるくらいだ。一日に一度は人を殴っていた。人を殴らないと、眠ることが出来ないのだ。
 そのツケを、こんな形で払わされるとは──
 
「わかるよな。俺たちは、ヤクザなんだよ。お前らみたいなガキの喧嘩に、いちいち首突っ込みたくねえんだ。でもな、ウチの人間に手を出されたら、話は別だ。堅気のガキにナメられて、黙ってるわけにはいかねえんだわ。あんまり調子こいてっと、マジ埋めちまうよ」

 中年男は、ニヤリと笑う。その時、突然スキンヘッドが怒鳴った。

「ゴラァ! てめえ聞いてんのか! 兄貴が話してんだろうがよ!」

 言ったかと思うと、明彦を睨みつける。今にも殴りかかってきそうな雰囲気だ。
 すると、中年男が彼の肩を叩く。

「まあまあ、相手はガキだ。そんなに怖がらせるな。見ろ、今にも泣きそうな顔してんだろ。ビビリ過ぎて、クソでも漏らしたらどうすんだよ。後の掃除が面倒だろうが」

 そう言って、ゲラゲラ笑った。
 中年男の言うことは、まんざら外れてもいなかった。明彦は、完全に怯えていたのだ。喧嘩なら負けなしだったのに、抵抗すら出来ないまま拉致され、ここに来てしまった。
 今の状況は、あの時を思い出させる。幼い日に見た悪夢。生まれて初めて、死を意識した日。
 あの悪夢から逃れるため、ひたすら暴れてきた。これまで何人もの不良を叩きのめし、あの頃より確実に強くなった。自分は無敵だとさえ思っていた。
 だが、無敵などではない。本物の裏社会の住人を前にして、何も出来ない自分がいる。
 あの頃と、何も変わっていない──



 その時、事務所の扉が開く音がした。

「何してんの?」

 軽い口調だった。また、新手が来たのだろうか。明彦は、恐る恐る顔を上げる。
 入って来たのは、ヤクザらしからぬ風貌の男だった。身長はさほど大きくない。百六十センチ台だろうか。紺色のスーツ姿で、腹はかなり出ている。長めの黒髪と、異様な肌の白さが印象的だ。

「あっ、チンさん……いやね、こいつ調子こいてあっちこっちでハネ回ってたんですよ。挙げ句、ウチの売人までヤッちまいましてね。ちょっとこれから、シメるとこなんですよ」

 中年男は、明彦を指差しながら答える。先ほどまでの態度とは、明らかに変わっていた。怯えているような雰囲気が漂っている。

「ふーん、そう。つまらないことしてるね」

 チンと呼ばれた男は、小馬鹿にしたような口調で言った。すると、スキンヘッドの表情が変わる。

「はあ? あんたらに関係ないでしょ。引っ込んでてくださいよ」

「ん? 何? いいのかな、僕にそんなこと言って……」

 そう言って、チンはくすりと笑う。
 直後、もうひとりが入って来た。こちらは百八十センチを優に超えており、肩幅は広く胸板は分厚い。プロレスラーのように、筋肉の上に脂肪が乗っている体つきである。髪は黒く、肌の色は東洋系のそれに近い。だが顔の造りは濃く、日本人ではなさそうだ。
 その大男は、チンの横にピタリと立つ。冷酷な目で、ヤクザたちを見回した。
 ヤクザたちは、小山のような体格に呑まれ、思わず後ずさる。よく、喧嘩に体の大きさは関係ない……などと言う者がいるが、実際に巨大な男と向き合うと強烈なプレッシャーを感じる。これは、生物としての本能的な部分だろう。
 小さい人間が大きい人間と闘って勝つには、まず初めにこのプレッシャーを克服しなくてはならないのだ。ヤクザたちは、このプレッシャーを体で味わい完全に萎縮していた。
 そんな中、チンは涼しい顔で口を開く。

「君らもヤクザでしょ。ヤクザだったら、こんな子供なんか相手にしないでさ。もうちょっと金稼ぐこと考えようよ。ただでさえ、法律の締め付け厳しくなっているんだからさ」

 言った後、くすくす笑った。だが、ヤクザたちは何も言い返せない。額に汗を滲ませながら、その場に立っている。
 すると、チンは前に進んだ。明彦の前に立ち、しゃがみ込む。

「君、大丈夫?」

 優しい声だった。明彦は顔を上げる。
 裏の世界の人間には見えなかった。どちらかと言えば、お笑い芸人にいそうなタイプである。だが、この男をヤクザたちは恐れている。

「立ちなよ。家まで送っていくよ」

 その言葉に、明彦は唖然となった。自分は助かるのか? 無傷で出られるのか?
 しかし、ヤクザも黙っていない。中年男が口を出す。 
 
「ちょっと待ってくださいよ。このガキは、うちの売人を病院送りにしちまったんです。このまま帰らせるわけにはいかないんですよ」

「まあまあ、んなこと言わないでさ。天下の銀星会が、こんなザコ以下の少年をこれ以上いたぶっても、何も得しないよ。この少年は、ちょっとイキった挙げ句に銀星会にシメられた……それで幕引き。それでいいんじゃないの」

 言った後、今度は明彦の方を向いた。

「君もさ、わかったでしょう。もう二度と、銀星会の人たちにケンカを売るようなことはしないよね?」

 いきなり話を振られた明彦だったが、必死でウンウン頷く。この人が助けてくれるかも、その思いから、恥も外聞もなく言われることに同意していたのだ。
 その反応を見て、チンはにっこり微笑んだ。直後、ヤクザたちの方を向く。

「ほら、こう言ってるし。今回は俺に免じて、許してあげてよ。こんな少年をこれ以上いたぶっても、何もならないでしょ。むしろ、銀星会の恥になるんじゃないかな」

 言うと同時に、大男が前に出る。ヤクザたちは目を逸らした。
 一方、チンは明彦の手を握る。柔らかい手だった。促されるまま、明彦は立ち上がる。
 すると、チンは名刺を差し出してきた。明彦のズボンのポケットにいれる。

「俺の名前は、チン・シンザンだ。君の名前は?」

「あ、あの、野口明彦です」

「何かあったら、いつでも俺に連絡しな。とりあえず、これから飯でも食おうか」



 このチンは、頭のキレる男である。さらに、人を見る目も抜群だ。使える人間、有能な人間を見分ける能力には卓越したものがある。今回も、その能力が発揮された。一目で明彦の能力を見抜いたのだ。だからこそ、ヤクザたちから救い出した。
 まだ若い明彦は、自分を助けてくれたチンに絶大の信頼を寄せる。しかし、チンには別の顔もあった。裏の世界の住人からも、恐れられ忌み嫌われる一面がある。
 その別の顔を見てしまった時は、もう手遅れであった──

 





しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

戦憶の中の殺意

ブラックウォーター
ミステリー
 かつて戦争があった。モスカレル連邦と、キーロア共和国の国家間戦争。多くの人間が死に、生き残った者たちにも傷を残した  そして6年後。新たな流血が起きようとしている。私立芦川学園ミステリー研究会は、長野にあるロッジで合宿を行う。高森誠と幼なじみの北条七美を含む総勢6人。そこは倉木信宏という、元軍人が経営している。  倉木の戦友であるラバンスキーと山瀬は、6年前の戦争に絡んで訳ありの様子。  二日目の早朝。ラバンスキーと山瀬は射殺体で発見される。一見して撃ち合って死亡したようだが……。  その場にある理由から居合わせた警察官、沖田と速水とともに、誠は真実にたどり着くべく推理を開始する。

カフェ・シュガーパインの事件簿

山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。 個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。 だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

【完結】シリアルキラーの話です。基本、この国に入ってこない情報ですから、、、

つじんし
ミステリー
僕は因が見える。 因果関係や因果応報の因だ。 そう、因だけ... この力から逃れるために日本に来たが、やはりこの国の警察に目をつけられて金のために... いや、正直に言うとあの日本人の女に利用され、世界中のシリアルキラーを相手にすることになってしまった...

ファクト ~真実~

華ノ月
ミステリー
 主人公、水無月 奏(みなづき かなで)はひょんな事件から警察の特殊捜査官に任命される。  そして、同じ特殊捜査班である、透(とおる)、紅蓮(ぐれん)、槙(しん)、そして、室長の冴子(さえこ)と共に、事件の「真実」を暴き出す。  その事件がなぜ起こったのか?  本当の「悪」は誰なのか?  そして、その事件と別で最終章に繋がるある真実……。  こちらは全部で第七章で構成されています。第七章が最終章となりますので、どうぞ、最後までお読みいただけると嬉しいです!  よろしくお願いいたしますm(__)m

怪奇事件捜査File1首なしライダー編(科学)

揚惇命
ミステリー
これは、主人公の出雲美和が怪奇課として、都市伝説を基に巻き起こる奇妙な事件に対処する物語である。怪奇課とは、昨今の奇妙な事件に対処するために警察組織が新しく設立した怪奇事件特別捜査課のこと。巻き起こる事件の数々、それらは、果たして、怪異の仕業か?それとも誰かの作為的なものなのか?捜査を元に解決していく物語。 File1首なしライダー編は完結しました。 ※アルファポリス様では、科学的解決を展開します。ホラー解決をお読みになりたい方はカクヨム様で展開するので、そちらも合わせてお読み頂けると幸いです。捜査編終了から1週間後に解決編を展開する予定です。 ※小説家になろう様・カクヨム様でも掲載しています。

そして、天使は舞い降りた

空川億里
ミステリー
 舞台は東京都の北区。赤羽大学の女子寮で、不可解な事件が起きるのだが……。

彩霞堂

綾瀬 りょう
ミステリー
無くした記憶がたどり着く喫茶店「彩霞堂」。 記憶を無くした一人の少女がたどりつき、店主との会話で消し去りたかった記憶を思い出す。 以前ネットにも出していたことがある作品です。 高校時代に描いて、とても思い入れがあります!! 少しでも楽しんでいただけたら幸いです。 三部作予定なので、そこまで書ききれるよう、頑張りたいです!!!!

処理中です...