さらば真友よ

板倉恭司

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中学生時代

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 明彦は、中学生になった。
 一般的に、人は中学生あたりから思春期の特徴が強く出る。生活も、それまでとは大きく変化する。また体の成長に伴い、様々なことを思い悩んだりもするものだ。世の中に対する反抗の気持ちが出て来るのも、この頃である。
 しかし、明彦には当てはまらなかった。小学生にして人間の解体という地獄を見た彼は、生活の変化も肉体の成長も、大した意味はない。むしろ、明彦を悩ませていたのは過去の忌まわしき記憶であった。
 ふとした時、蘇る映像。ふたりの男が、ひとりの人間の体を手際よく解体していく。様々な道具を用い、時には軽口を交えつつ、彼らは作業をこなしていた。何のためらいもなく肉を裂き、関節部分で骨を切り離し、内臓を取り出す。作業の最中、ずっとグチャグチャという音も聞こえていた。
 見る見るうちに、人体は幾つものパーツに分かれていく。彼らは雑談を交えながら、それらを袋に詰めていった。スーパーで、肉を買物袋に入れるかのような雰囲気であった。
 恐ろしい光景である。事実、見ている間に何度も吐いた。にもかかわらず、目を離すことが出来なかった。解体されていく人体を、取り憑かれたように凝視していたのである。
 人間は、死ぬとただの物体になってしまう……その事実を目の当たりにし、明彦は何もかもが嫌になっていた。生きることすら、無意味に思える。
 いつか、自分も死ぬ。その時は、ただの物体になってしまう──
 明彦の生活態度は、無気力そのものであった。勉強にもスポーツにも、一切のやる気を見せない。テストを白紙で出すことは日常茶飯事である。教師たちも、もはや諦めきっており相手にすらしていない。また、教室内では透明人間のごとき存在であった。友達などいないし、欲しくもない。誰とも喋らず、何者ともかかわろうとしなかった。
 一方、夜になるとしばしば悪夢にうなされる。夜中に飛び起きることも珍しくない。慢性的な寝不足のため、休み時間は常に眠っていた。こんな状態では、学校生活に希望を持てるはずもない。鬱々とした日々を過ごしていた。
 ところが、ある日の出来事をきっかけに状況は一変する。



 全ての授業が終わり、明彦は虚ろな目で教室をぼーっと眺めていた。他の生徒たちは、楽しそうに喋りながら教室を出ていく。当然ながら、明彦に話しかける者はいない。
 やがて、教室には誰もいなくなった。明彦はのろのろと立ち上がり、帰る仕度を始める。無人になるのを待っていたわけではない。単純に、帰るのが面倒くさかったのだ。今の明彦は、何をするにも時間がかかる。寒い日の朝に布団から出る時のように、動き出すまでは様々な段階を経る必要があったのだ。
 そんな彼が、廊下に出た時だった。妙な場面に出くわしてしまう。
 ふたりの生徒が、何やら揉めているのだ。

「お前、何言ってんだよコラ。俺の言うことが、聞こえねえのか?」

 低い声で凄みながら、小柄な生徒の腹にボディーブローを入れているのは鹿島カシマだ。入学式の時、リーゼントの髪型と改造した制服姿で現れ一躍有名になった男である。当時は、まだ昭和のヤンキー文化が色濃く残っており、どこの学校にも必ず数人はいた。
 もっとも、明彦は鹿島など気にも留めていなかった。自身の悩みが余りに大きすぎ、同学年のヤンキー生徒を気にするような余裕はなかったのである。
 その鹿島が、廊下で見知らぬ誰かの腹を殴っていた。だが、明彦には関係のないことである。バカな奴だ、としか思えない。冷たい目で一瞥し、すぐに立ち去ろうとした。
 だが、背中を向けたとたんに肩を掴まれる。

「待てコラ、今なんつった? 言ってみろや」

 目の前には、鹿島の顔がある。どうやら、バカな奴だ、という思いがそのまま口から出ていたらしい。
 だが、どうでもよかった。こんな男、相手にする気にはなれない。

「知らねえよ」

 面倒くさそうに答えた。その態度が、鹿島をさらに怒らせたらしい。

「んだと!? てめえ殺すぞ!」

 喚きながら、明彦の襟首を掴んだ。しかし、直後に表情が変わる。異変を感じたのだ。
 そう、目の男は豹変していた──

「今、殺すと言ったのか」

 静かな口調で、明彦は言った。さっきまで死んだ魚のような目をしていたが、完全に変わっている。

「ああン?」

 言い返した鹿島だったが、さっきまでとは顔つきが変わっていた。明彦の様子が、目の前でどんどん変わっていくのだ。目立たず無気力だったはずの男の目に、奇妙な光が宿っている。

「今、殺すって言ったんだよな?」

 冷めた表情で、明彦は繰り返した。
 言われた鹿島はというと、完全に怯んでいた。足は小刻みに震え、顔は歪んでいる。目の前にいる男は、明らかにおかしい。先ほどまでとは真逆である。今では、全身から危険な空気を発しているのだ。鹿島の勘が、この男は危険だと告げていた。
 だが、鹿島は己の勘を無視した。ここで引いたら、他の生徒からもナメられることになる。何せ、野口明彦という男は勉強もスポーツもまるでダメ。寝癖だらけの頭でギリギリの時間に登校し、いつも寝てばかりいるのだ。一年生の中でも、格好の悪さはトップクラス。最下層にいるといっていい生徒である。
 こんな奴にビビって引いたとあっては、自分は大きな顔をして歩けない……その思いから、鹿島は必死で言い返した。

「だ、だったら何だよ!?」

「殺してみろ」

 それは、呟くような言葉だ。鹿島は、聞き取ることが出来なかった。

「はあ?」

 もう一度、聞き返す。途端、鹿島の顔面に硬いものが炸裂する。明彦は、頭突きを食らわしたのだ。額の骨は硬い。まともに食らえば、拳の一撃より効き目がある。
 鹿島は手を離し、よろよろと後ずさる。次の瞬間、鼻血が垂れていた。だが、その程度で終わらせるつもりはない。

「殺してみろよ!」

 喚きながら、明彦はリーゼントの髪を掴んだ。もう一発、頭突きを食らわす。力任せに振り回し、さらに殴りつける。鹿島の方は、突然の事態に完全に呑まれてしまっていた。反撃はおろか、防ぐことすら出来ない。
 そんな鹿島を、明彦は殴り続けた──

「オラどうした! 殺してみろって言ってんだろうが!」

 喚きながら殴り、蹴り倒す。今の明彦は、完全に昔の記憶に支配されていた。目の前で、笑いながら死体を解体していた男たち。自分は殺されるかもしれないという恐怖に怯えながらも、目を離すことが出来なかった。あれを見ながら、何度吐いたことだろう。何度、あの悪夢にうなされたことだろう。
 人は死ぬと、物体になってしまう。ただの肉の塊でしかないのだ。殺されれば、どんな人間も肉の塊になってしまう。
 その事実を、目の前にいるバカはわかっていない。にもかかわらず、気楽に殺すなどと口にしているのだ。その言葉の重大さも知らずに……。
 なら、わからせてやる。殺されるかもしれないという恐怖がどんなものか、こいつにきっちり教えてやる──

「殺してみろって言ってんだろうが! このクソ野郎が! 殺せないなら、俺がてめえを殺してやる!」

 憑かれたような表情で喚きちらし、なおも蹴りまくる。鹿島の顔面は血まみれになり、泣きながら許しを乞うことしか出来ない。
 明彦は、さほど大きな体格ではない。しかし、もともとの運動神経は優れており腕力も強い。小学生の頃は、喧嘩をやらせたら敵なしだった。加えて、今は狂気と紙一重の凶暴さに支配されている。それまで心の中で鬱屈していた何かが、彼の体を突き動かしているのだ。もはや、手がつけられない強さを発揮していた。
 やがて、明彦の動きは止まった。その場に座り込み、荒い息を吐く。こんなに動いたのは、久しぶりだ。妙に気分がいい。思わず笑みがこぼれていた。
 鹿島はというと、両手で顔を覆い、呻きながら床に倒れていた。大量の流血でシャツが真っ赤に染まり、上着のボタンのほとんどが取れている。リーゼントはぐしゃぐしゃで、見るも無残な有様であった。
 普段は、改造された制服を着てポケットに手を突っ込み、我が物顔で廊下を歩いている……鹿島は、そんな男だった。一年生の中でも、一番のワルだと自称していたことも明彦は知っている。
 だが、今の姿は惨めでしかない。暴力の嵐は去ったのに、まだ両手で顔を覆い震えている。時おり、嗚咽も聞こえた。幼い子供のように泣きじゃくっているようだ。
 そんな両者を、じっと見つめている者がいた。鹿島に腹を殴られていた小柄な生徒である。名前も知らないし、興味もない。じろりと睨みつけると、ペコッと頭を下げて逃げていった。
 再び鹿島に視線を移す。彼は、未だに起き上がることが出来ないようだった。体のダメージもさることながら、精神の方にもかなりのダメージを負ったのだろう。今まで、一年生の中では誰も逆らえない存在だった。ところが、学校でも目立たない部類の生徒にあっさり負けてしまったのだ。明日から、どの面下げて登校してくるのだろうか。
 そんなことを思いながら、鹿島を眺めているうちに、ある事実に気づいた。
 明彦は、あれを完全に忘れていたのだ。何をしていても、心の片隅に引っ掛かっていた記憶。あの血生臭い思い出が、完全に頭から消し飛んでいた。
 それだけではない。その夜、久しぶりに熟睡できたのだ。普段なら、あの夢を見て飛び起きる。しかし、今夜はそれがなかった。
 明彦は悟った。暴力を振るえば、その日はぐっすり眠ることが出来る。



 その日から、明彦は第二の変化を遂げる。
 今まで無気力で寝てばかりいた少年が、翌日からは暴力の虜となっていた。当時は不良生徒が主人公の漫画が流行しており、校内はもちろんのこと、周辺の中学校にもそれらしき者をよく見かけた。明彦は、そんな連中を相手に喧嘩に明け暮れる日々を送る。
 一般的に、ほとんどの不良生徒は見かけ倒しなのだ。単純に、漫画などに登場するキャラの言動や行動を真似したいだけである。ひとりでは、何も出来ないタイプの人間が多い。
 彼らのやる喧嘩にしても、映画や漫画で描かれているものとは程遠い。みっともないペチペチという殴り合いから、不利な方が謝って終わる……その程度のものだ。
 しかし、明彦は違っていた。身体能力は高く、また異様なまでに凶暴である。しかも、他の生徒のように、不良に対する憧れもない。単純に、あの日の記憶を思い出さないためだけに暴れていたのだ。
 時が経つにつれ、明彦の凶暴はさらに増していく。喧嘩の仕方も、完全に常軌を逸したものとなっていった。
 どこそこ中学の誰々が強い、という噂を聞こうものなら、すぐに乗り込んでいき叩きのめす。それも、えげつないやり方を用いるのだ。
 狙ったターゲットが歩いている時、背後から不意討ちを食らわす。いきなり助走をつけた飛び蹴りを見舞い、倒れたところを蹴りまくる。動けなくなったところで、顔を近づけニヤリと笑う。

「調子こいてんじゃねえぞ。今度見かけたら殺すぞ」

 そんなセリフの直後、顔面への頭突きで駄目押しして、悠々と引き上げていくのだ。
 やがて、明彦の名前は地元にて知れ渡っていった。あいつはヤバい、かかわらないようにしておこう……不良たちは、そう判断した。
 もともと不良と呼ばれる者たちの大半は、喧嘩そのものに対するこだわりはない。学校内で大きな顔をして歩く、それだけが目的である。実際に、自分が強かろうが弱かろうが関係ないのだ。周囲の生徒たちが、自分を恐れてくれれば満足なのである。
 また、実際に喧嘩をするとなると……殴れば拳が痛いし、殴られれば顔が痛い。漫画に描かれているようにカッコよく勝つ喧嘩など、現実にはありえないのだ。したがって、喧嘩をせずに勝つやり方を考えるようになる。
 しかし、明彦は違っていた。



 明彦は、さらに凶暴さを増していったのだ。人を殴らないと、眠ることが出来ない。最初のうちは、ひとりをぶちのめせばOKだった。その夜は、ぐっすり眠ることが出来た。
 しかし、時が経つにつれ、ひとりをぶちのめすくらいでは眠れなくなっていく。以前のように、あの日の記憶に悩まされる日々が続いた。
 やがて、明彦はもうひとつの解決法を思いつく。
 もっと残酷になればいい。血生臭い場面を、もっともっと多く見ればいいのだ。そうすれば、必ず耐性が出来ていく。
 そうすれば、いつかはあの悪夢を忘れられるはず──

 明彦は、わざわざ遠出をしてまで喧嘩を繰り返した。いや、喧嘩というよりは襲撃といった方が正確だろう。不良たちの溜まり場を調べ、その場所に金属バット片手に乗り込み、不意を突いて襲いかかる。狂気と紙一重の凶暴さで、全員を病院送りにしていった。死人が出なかったのが、不思議なくらいの暴れっぷりだった。
 だが、明彦はその程度で収まる男ではない。やることは、どんどんエスカレートしていく。高校に入る頃には、都内でも知られる存在となっていた。
 だが、彼はわかっていなかった。有名になれば、それに伴う問題が出てくる。この男は、やがて恐ろしい連中に目をつけられる。裏社会でも、最悪といっても過言ではない者たちと接触することとなってしまうのだ。
 同じ目をつけられるにしても、警察にマークされ逮捕されていた方が、まだマシだっただろう。
 




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