さらば真友よ

板倉恭司

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小学生日記(1)

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「アキ、そろそろカッパが来るぞ。用意はいいか?」

 カトケンこと加藤健一カトウ ケンイチに言われ、アキこと野口明彦はニヤリと笑う。

「おう、バッチリだぜ。任せてくれ」

 答えた直後、明彦はすぐさま準備に取りかかった。ゴミ箱の上にあがり、さらに塀のへりに飛びつく。そこから、一気に上によじ登る。塀は高く、二メートル以上はある。普通の小学生では、登ることなど出来ないだろう。運動神経のいい明彦ならではの芸当である。
 高い塀の上で、明彦は座り込んだ。姿勢を安定させ、口にくわえていたロープを両手に握り、慎重に引っ張り上げていく。すると、ロープの端に結びつけられていたバケツが、少しずつ上がっていった。バケツには蓋がされており、中に入っているものは見えない。
 やがて、重いバケツを塀の上に載せた。これで準備は完了だ。あとは、ターゲットを待つだけである。明彦は体を縮めた。己の気配を消し、じっと待ち受ける。
 やがて、ひとりの男が角を曲がってきた。ジャージ姿で、髪は肩までの長さだ。もっとも、頭のてっぺんは円形にハゲている。有り体に言うなら、カッパのような髪型だ。顔は無精髭が目立っており、体は大きく腹がぽっこり出ている。何か嫌なことでもあったのか、機嫌悪そうな表情を浮かべ、こちらに歩いてきていた。塀の上に潜む明彦には、全く気づいていないらしい。
 男が、明彦の前を通り過ぎようとした時だった。突然、彼の前に奇妙な少年が現れる。当時、人気があった覆面レスラー・獣王ライガンのマスクを被っており、顔は見えない。
 マスク姿の少年は、男の足元に何かを投げつけた。途端に、弾けるような音が連続的に響き渡る。火花も散り、破片が飛んだ。
 そう、投げられたものは爆竹だったのだ──

「このクソガキがぁ! 何しやがるんだ!」

 一瞬は怯んだものの、男はすぐさま反撃しようと手を振り上げる。その瞬間、明彦も動く。上から、バケツの中身をぶちまけた。
 ヘドロのごとき泥水が、男の頭上から降り注ぐ。辺りに、強烈な悪臭が漂う──

「う、うわあ!? 何じゃこりゃあ!?」

 完全に不意を突かれ、男は叫んだ。しかし、明彦はもう男のことなど見ていない。塀の上を素早く移動し、その場から走り去る。マスク姿の少年も、既に消えていた。



 そこから数百メートル離れたところに、プレハブの建物があった。かなり大きなもので、小さな体育館ほどはあるだろうか。外壁はボロボロで穴が空いており、様々な種類の染みが付着している。耳をすませば、あちこちから虫や小動物の動くカサカサという音が聞こえていた。
 ここは、かつて飼料を保管する倉庫だった。しかし親会社が倒産し、取り壊すことも出来ないまま建物のみが残されている。周囲には鉄条網が張られており、立入禁止の立て札が設置されている。また敷地内には、背の高い雑草が大量に生えていた。そのため、中がどうなっているか外からは見えない状態だ。
 そんな廃墟と化した倉庫の中に、三人の少年が入り込んでいた。

「ざまあみろってんだ。あのカッパオヤジが、調子に乗りやがって。それにしても、あの面は笑えたな」

 言ったのは明彦だ。小学生にもかかわらず、どこか大人びた雰囲気を漂わせている。学校でも、クールな物腰で女子人気は高い。
 もっとも、今は子供らしさを隠そうともしていない。駄菓子の『ごっちゃんイカ』を食べながら、あぐらをかいている。その顔には、得意げな表情が浮かんでいた。

「にしてもよう、ありゃあハンパなく臭かったな。俺にもかかりそうになったぞ。あれがかかったら、マジで毒々モンスターみたいなのに変身するかもしれねえぞ」

 ぼやいたのは健一である。こちらは明彦とは真逆のタイプで、冬でも半袖シャツに半ズボンというスタイルである。髪は坊主で、ヤンチャそうな顔立ちだ。彼の横には、脱ぎ捨てられた獣王ライガンのマスクが置かれていた。

「悪い悪い。なんたってヘドリアン川からすくってきたからな。あれはマジで大変だったよ」

 明彦が、楽しそうに答えた。
 ヘドリアン川とは、彼らの通う小学校の近くを流れている川だ。言うまでもなく、正式な名前ではない。恐ろしいことに、付近に建てられていた工場は、その川に汚水を大量に垂れ流していたのだ。時には、トラックに積まれた産業廃棄物を、夜中にごっそり捨てていく業者までいるらしい。そのため、得体の知れない何かが底に大量に溜まっており、とんでもない悪臭を発生させていた。
 さらに怖いことに、その川の付近からは図鑑にも載っていない変な虫や五本足の蛙や双頭の蛇が見つかることもあった。水の汚染の影響によるものだろう。

「まあいいや。とにかく、マッちゃんの仇は討ったんだからな。あのカッパも、当分はおとなしくしてっだろうよ。俺たちの勝ちだ」

 健一の言葉に、横にいた少年が頷いた。

「うん。勝ったね。アキもカトケンも、俺のためにありがとう」

 このマッちゃんこと中田正和ナカタ マサカズは、体の大きな食いしん坊である。性格はおっとりしており、引っ込み思案でおとなしい。かつては同じクラスの者たちからイジメを受けていたが、明彦や健一と遊ぶようになってからは、イジメられることもなくなった。このふたりを敵に回そうというバカは、同級生にはいない。
 今回の件も、正和が発端である。あのカッパオヤジと呼ばれていた男は、近所でも有名な鼻つまみ者だった。とにかく口うるさく、他人の子供でも平気で怒鳴りつける。時には殴ることもある。また、夜中に酒を飲んで酔っ払った挙げ句に道路で爆睡し、警官を呼ばれることもしばしばだった。
 一週間ほど前のこと、正和とそのカッパオヤジが道でぶつかった。両方ともに、前をよく見ていなかったのが原因である。普通なら「気をつけろよ」の一言で終わるはずだ。
 ところが、カッパオヤジは機嫌が悪かったらしい。一方的に怒鳴った挙げ句、襟首を掴みグーで何回も殴ったのだ。理不尽な話だが、相手が大人では泣き寝入りするしかない。正和は鼻血を流し、泣きながら帰る羽目になった。
 もっとも、明彦と健一はおとなしく引っ込んでいるタイプではない。話を聞いて怒りに震え、すぐさま計画を立てる。

「あのカッパめ、ふざけやがって。マッちゃん、俺たちが仇を討ってやるよ」

「ああ、俺たちに任せろ。あいつに吠え面かかしてやんよ」

 かくて、カッパオヤジは汚染水を被る羽目になったのだ。あの公害の象徴のごときヘドリアン川の水を浴びたのでは、どんな作用があるだろうか。髪の毛が残らず抜けてしまうかもしれない。

「でもよう、あれで終わりじゃつまんなくねえか。次は、あいつの家ん中にウンコ爆弾でも放り込んでやろうか。笑えるぜ」

 健一が、マスクをいじくりながら提案する。ウンコ爆弾とは、犬の糞に爆竹を刺したものであり、この三人の最終兵器だ。ただしタイミングを間違うと、手元で爆発し恐ろしい事態を巻き起こすこともある。
 そのウンコ爆弾を、室内に投げ入れる……肉体的にも精神的にも、強烈なダメージを負うのは間違いない。だが、明彦は首を横に振った。

「いや、それはヤバい。家の中にウンコ爆弾までやると、さすがに警察が動く。やめとこう」

 横にいる正和も、すまなさそうな感じで同意する。

「そうだよ。もしカトケンが警察に捕まったら、俺はどうすりゃいいんだよ。やめようよ」

 ふたりに諭されては、さすがの健一も引かざるを得ない。

「チッ、わかったよ。お前らがそう言うなら、仕方ねえ。今回はこれくらいにしといてやるか」

 不満そうな顔で答え、そばにある『ボビースターラーメン』の袋に手を伸ばす。中に手を突っ込み、ポリポリ食べた。
 その時、明彦が呟く。

「マッちゃん、それ好きだねえ」

 明彦の言う「それ」とは、正和が飲んでいるもののことだ。この少年は、サイダーに牛乳を混ぜた「サイにゅう」が異様に好きだった。倉庫にも、わざわざサイダーと牛乳を持ち込み、混ぜて飲んでいるのだ。サイ乳という名も、正和が付けたものである。

「うん、好きだよ。美味いんだけどなあ」

 正和は、少し残念そうな表情で答える。前に、美味しいから飲んでみて……と、サイ乳をふたりにもすすめてきた。明彦と健一も、強くすすめられて一応は飲んでみた。思ったより不味くはなかったが、極上の美味……というわけでもない。少なくとも、わざわざサイダーと牛乳を用意してまで飲むものではない気がした。

「本当に変わってんなあ、マッちゃんは」

 苦笑する健一だったが、その目には優しさが溢れていた。
 この三人の関係も、微妙なバランスで成り立っていた。イケメンで女の子からの人気があり、冷静で頭がキレる明彦。いかつい見た目で腕力もあり、ケンカっぱやいがお人よしなところもある健一。穏やかな性格で、いつもニコニコしている天然の正和。
 明彦と健一が、お互いを認めているのは間違いない。だが、正和に対しても一目置いている部分があった。何せ、正和は映画やアニメや特撮に異常に詳しい。しかも、特撮ヒーローものに出てくる怪獣や怪人の名前を全て暗記していた。その一点だけで、筋金入りの悪ガキだったふたりから認められていたのである。しかも、絵も上手い。しょっちゅうノートに絵を描いており、将来は漫画家になりたい……と夢を語っていたこともあったくらいだ。
 現在、小学五年生の三人。教師たちからは、三バカトリオなどと呼ばれていたが、同時に全校生徒たちからは恐れられている存在だった。この三人を敵に回すと、何を仕掛けて来るかわからない。六年生ですら、彼らとはかかわらないようにしていたのである。
 この倉庫は、そんな三人の秘密基地だ。初めに明彦が目を付け、基地にしようと持ちかけた。続いて行動力のある健一が侵入し安全かどうか確かめ、正和が中にいろんな物を持ち込んだ。今では、この倉庫跡は彼らだけの小さな世界である。
 三人の楽しい時間は、いつまでも続く……当時は、そう信じていた。






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