悪魔と過ごした一週間

板倉恭司

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二日目(2)

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 僕は困惑していた。この男は、何を言っているのだろうか。向こうから近づいて来る、見知らぬ三人組。僕たちと、何の関係があるのだろう?
 そんな思いをよそに、三人組はどんどん近づいて来る。どうやら、この場所に用があるらしい。何やら大声で喋りながら、こちらに真っ直ぐ歩いて来る。僕たちふたりに向ける視線には、あからさまな敵意があった。
 思わず目を逸らす。彼らは、典型的なチンピラに見える。この時間帯にうろうろしているということは、僕と同じニートなのだろうか? いずれにしても、彼らの服装や態度、そして醸し出す雰囲気には見覚えがある。
 僕を、学校から追い出した奴らにそっくりだ。

「ねえ、この場所なんだけどさあ……今日は俺たちの貸し切りなんだよ。どいてくんないかなあ?」

 三人の中でも、ひときわ背の高く凶悪そうな面構えの男が、僕たちに向かい話しかけてきたのだ。どうしていいのかわからず、ペドロの方を見た。
 すると、ペドロは震えていた。あからさまな怯えきった表情で、口を開く。

「ワ、ワタシ……ヌホンゴ……ヨグワカラナイ……ボウリョクヨクナイ」

 その片言の日本語と、ペドロの意味不明な態度を見て、僕は凍りついていた。一方、三人組は顔を見合せる。次の瞬間、笑い出した。

「何だこいつ。超面白外人じゃん。ヌホンゴ、だってよ」

「なあ、こいつらも一緒に録らねえ?」

「ああ、それいいかも……心霊動画よりウケるかもしれねえな。面白外国人に、超激辛ラーメン食わせてみました、とかな」

 三人の会話を聞き、ようやく僕は理解した。彼らは、ここで動画を録るつもりなのだ。ニュースか何かで、真幌公園にて人が死んでいたことを知った。ならば心霊動画が録れるかもしれないと思い、ここにやって来た。あるいは、単純に悪ふざけをするためかもしれないが。
 ところが、彼らは今……もっと面白そうな玩具を見つけたのだ。
 面白外国人という玩具を。録れるかどうかわからない心霊動画よりも、確実に録れる面白外国人との絡みの方を彼らは選ぶだろう。
 だが、そんな事をしたら彼らはどうなるのか……僕が、そんなことを考えた時だった。

「なあ哲也くん、君にひとつ聞きたい。君の目には、この三人はどう映っているんだ?」

 不意に、ペドロが大きな声を出した。
 僕は唖然となり、何も答えられなかった。一方、三人組も会話を止めてペドロを見る。面白外国人であるはずの彼の口から出た日本語は、あまりにも流暢なものだった。先ほどの片言の言葉とは、まるで違うのだ。

「哲也くん、聞いているのかい? 君の目には、この三人はどう見えているのかと言ったんだがね」

 ペドロは、もう一度尋ねた。だが、僕は何も言えなかった……そんなことを、この場で言えるはずがない。
 三人組はというと、ひそひそと小声で話している。ようやく、ペドロの裡に潜む人間離れした何かを察知したのだ。ペドロを見る目にも、変化が生じている……不安と恐れの入り混じった目で、この悪魔のような男を見ていた。

「君が言わないなら、俺が代わりに言おう。君は、彼ら三人を見て脅威を感じた。少なくとも、厄介事を起こしそうな連中だと思ったはずだ」

 三人組を無視し、淡々と語り続けるペドロ。いつの間にか、僕の額には汗が滲んでいた。何も言えないまま、ペドロが好き勝手に喋るがままに任せていた。

「ところが、俺の目から見た三人の印象は、まるで違うんだよ。例えば、左端に突っ立っている彼は年齢十六歳、身長百七十センチ体重五十二キロ前後。無職で無就学、しかもひとりでは万引きさえ出来ない。普段は右利きだが、マスターベーションの時だけ左手を用いるという奇妙な癖がある」

 そう言いながら、ペドロは一番左にいる男を指差した。次いで、真ん中の背の高い男を指差す。

「この真ん中の彼は十七歳、身長百七十七センチ体重六十五キロ前後。キックボクシングのジムに通っていた。しかし、自分に男の裸を見て欲情する部分があることに気付き、ジムを辞めた。そして右端の彼は十六歳、身長百六十三センチ体重七十六キロから七十八キロ。体に脂肪が付きやすい体質だ。さらに、幼い少女に関する写真や映像を好んで集めている──」

「てめえ! いい加減にしろや! デタラメ言ってっと殺すぞ!」

 語っている途中で、真ん中の背の高い男が吠えた。直後にずかずか近づいて来て、ペドロの襟首を掴んだ。力ずくで立たせようとする。だが、ペドロは平然としていた。涼しい顔で立ち上がり、彼の顔を見上げる。
 不思議な光景だった。ペドロの方が背が低いはずなのに、男の方が小さく見えるのだ──

「君は、何を怒っているんだ? 今どき、ゲイだからといって気にする必要はないだろう?」

「俺はゲイじゃねえ!」

「嘘を吐いても無駄だよ。俺にはわかる」

 ペドロがそう答えた直後、いきなり男がペドロを殴りつけた。左手で襟首を掴んだまま、右手でペドロの頬を殴ったのだ。
 だが聞こえたのは、ベチッという迫力の無い音だった。あの怪物は表情ひとつ変えず、平然としている。蚊に刺された程度にも感じていないらしい。逆に、殴った方の男が、驚愕の表情を浮かべて後ずさって行った。
 僕はといえば、その場に立ち尽くし、固唾を飲んで状況を見ていた。ひょっとしたら、ペドロは次の瞬間に三人組をみんな殺してしまうのではないだろうか、などと思いながら。
 しかし、ペドロは何もしなかった。再びベンチに座りこみ、三人組を見つめている。僕はほっとしたが、少しがっかりもした。

「俺はね、生まれつき頭蓋骨が人より厚く硬い。さらに、首の筋力が異常に強いんだ。おかげで、殴られても脳震盪を起こしにくい特異体質なんだよ。それ以前に、君のパンチが弱すぎるのも確かだがね。君に格闘技の才能はないな。キックボクシングをやめたのは、正解かもしれないね」

 そう言った後、ペドロは再び僕の方を向いた。

「わかったかい。同じものを見ていても……」

 言いかけたが、再び三人組の方を向いた。

「ああ、君ら三人にもう用は無い。さっさと家に帰るんだ。そして、もう少し建設的なことをするんだね。出来れば、本でも読んだ方がいい……あ、ドストエフスキーだけはやめておいた方がいいな。内容そのものは素晴らしいが、近頃では己の博識さを他人に評価してもらいたがる人間の道具に成り下がっている気がするよ。好きな作家はドストエフスキーですと言っておけば、大抵の人間は恐れ入る……そう思いこんでいる者はいるからね」

 だが、三人組はペドロの言葉をほとんど聞いていなかった。少しずつ後ずさり、向きを変える。
 次の瞬間、三人組は何事もなかったかのように立ち去って行った。わざとらしく大声で話しながら……だが僕には、ペドロと出会った事実をなかったことにしようとしているかのように見えた。

「本当につまらない連中だよ。ただ、これを見てもわかる通り、同じ三人の人間を見たはずなのに、君と俺との間にはこれだけ認識の差がある。ましてや、幽霊などという現代科学で説明できないものが相手では……どれだけの差があるのかわからない訳だよ」

 淡々と語るペドロり。先ほどの三人組のやり取りなど、彼にとって何の影響もないらしい。テーブルの上にほこりを発見したからゴミ箱に捨てた、その程度の感覚でしかないのだろう。
 僕の方は、遠ざかって行く三人組の後ろ姿を見つめた。彼らは、こんなことは大したことじゃない……とでも言いたげに、わざとらしく大声で話しながら歩いている。だが、どこか空々しかった。こんなことは、大したことじゃない……それを僕たちでなく、自分自身に言い聞かせようとしているかのように思えた。
 そうやって、自分で自分に言い聞かせていなければ、彼らの自我はどうにかなってしまうかもしれない。ペドロとの接触は、あの三人組にとってそこまでの衝撃だったのだ。

「ところで哲也くん……俺は今、君をがっかりさせてしまったみたいだね」

「え?」

 僕はドキリとした。確かに、僕は期待していた部分がある……彼ら三人をペドロが叩きのめす場面を見られるかもしれない、という期待を。
 ペドロは、僕の内面を見透かしていたのだ。

「哲也くん……君は、俺が彼らを全員、病院送りにすることを期待していた。そうだね?」

 ペドロの言葉に、僕は頷いた。

「は、はい」

「人には誰でも、そういう欲望がある。自分以外の他人が、酷い目に遭わされる場面を見たいんだよ。そうすることで、自分が幸せであることを改めて認識できる。安全であることが、どれだけ幸せであるか……君にも、覚えがあるだろう?」

 そう、僕には覚えがあった。
 中学生の時、教室の中で僕は殴られたのだ。何度も、何度も殴られた。
 それは休み時間の出来事であり、周りには他の生徒が大勢いた。にもかかわらず、ただ見ているだけだった。
 彼らは、自分が安全な場所からショーを見ているような気分だったのだろう。だが、今のペドロの言葉は、もうひとつの真実を気づかせてくれた。
 彼らは、安全という名の幸福を改めて認識していたのだ……殴られる僕の姿を見ながら。

「俺は若い時、メキシコの刑務所に入っていたことがある。あそこは、本当に最悪だった。レイカーズ刑務所が、天国に思えるくらいだ。そこで、俺は所長のモレノの肩関節を外してやったんだ。奴は今も、右腕を上げようとすると痛みを感じるんじゃないかな……その度に、俺のことを思い出すのかもしれない」

 目を細め、しみじみとした表情で語るペドロ。昔を懐かしんでいるのだろうか。

「しかし、刑務所の中で看守および職員に手を出せば、ペナルティを受けることになっている。俺は炎天下の中、屋外に設置された箱に入れられたんだ。満足に手足を伸ばすことさえ出来ない、狭い箱にね。大抵の人間は、そんな環境には耐えられない。数日で音を上げるんだ。他の囚人たちはそれを見て、皆で嘲笑う。だが嘲笑いながらも、内心では自分でなくて安心している。あのシステムは実に効率的だ。他の囚人たちに、恐怖を植え付けると同時に気晴らしをも与えているのだから」

 ペドロは、昔の楽しい思い出を語るような表情を浮かべている。僕はふと、ペドロも箱の中に入れられて音を上げたのだろうか、と思った。だが、すぐにその考えを打ち消す。この男は、そんな状況で音を上げるようなマトモな神経は持ち合わせていない。

「どんなに綺麗事を言ったところで、人間の中には他人の不幸を喜ぶ気持ちがある。これは、善とか悪とかいう問題ではない。厳然たる事実なんだよ。他人の不幸は自分の幸福、その気持ちを否定しても始まらない。要は、自分の中の悪魔に気付き、それを認めること。それこそが、人生を楽に生きるコツだよ」

「悪魔……ですか」

 僕がおうむ返しに言うと、ペドロは頷いた。

「そうだ。誰の中にも悪魔は眠っている。俺はメキシコで、ギャングや警察やマフィア、果ては傭兵たちとも関わり合い、時には渡り合ってきた。さらに刑務所の中には、様々な犯罪者がいた。実に面白い男たちがいた……連中の中のひとりを無作為に選び、その悪行をインタビューするだけで、一冊の本が書けてしまえるだろうね。彼らは、いざとなったら自分の父親の両手両足を切断し、スープにして本人に食べさせることが出来るような人間ばかりだよ。だが、そんな彼らも、君と同じ人間なのさ」

 ペドロはいったん言葉を止めた。僕の顔をじっと見つめる。だが、何も言えなかった。僕のような一般人の知らない世界を、ペドロは語っていたのだから……。
 ややあって、ペドロは口を開いた。

「ギャングにしろマフィアにしろ、あるいは連続殺人鬼にしろ……皆、紛れもなく人間なのさ。ところが、大抵の人間たちはその事実を認めない。育った環境が悪いだの、時代の流れだの、社会の問題だの、そういった外的要因のせいにしたがる人もいる。しかしね、人間は簡単に悪魔になれるんだよ。君の中にも、悪魔は潜んでいる。さっきも言った通り、自分の中に存在する悪魔に気付き、認めること。それこそが充実した人生を送るためのコツさ」

「充実した人生、ですか……」

 呟くように言うと、ペドロは頷いた。

「そうさ。君にも充実した人生を送って欲しいものだ。さて、そろそろ歩くとしようか」

 そう言うと、ペドロはすっと立ち上がる。だが、その後の彼の行動はさらに無茶苦茶だった。

「おっと、その前に……哀れなる内田氏に黙祷を捧げるとしよう」

 その言葉と同時に、ペドロはベンチを見つめる。タバコとライターを取り出し、一本くわえて火をつけた。

「彼は、俺に出会うまでは生きていた。彼の世界の中では、神にも等しい存在としてね。ところが俺との出会いがきっかけで、その世界は消滅したんだよ……哲也くんもいずれ、その意味が理解できる」

 そこで、ペドロは言葉を止めた。ほとんど吸っていないタバコを、地面でもみ消す。
 直後、無言で歩き出した。僕は、慌ててその後を追った。

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