ノスタルジックな男たち

三川かつみ

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第一章

一つ目の願い事

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(1)
 「困りましたねぇ、ご主人様。ワタクシ、せっかく出て参りましたのに。・・・本当に願い事が一つもないんですか?」
アラビアの民族衣装に身を包んだランプの精は途方に暮れながら溜息をついた。その前で魔法のランプを抱えながら身を固くしている高齢の白髪の男はすまなそうに頭を下げた。
「すみませんね。どうも。」
「ご主人様。では御用もないのに、何故ランプをこすったんです?」
「・・・シャレで。」
「シャレ?」ランプの精が食い気味に返した。
「いや、まさか本当に魔法のランプだなんて思わないじゃないですか?普通。」
男は苦笑した。
「そんな。・・・そもそも、なんでご主人様が魔法のランプを持っていらしたんです?」
「女房が私と結婚する前に東京の骨董品店で買ったものでね、さっき物置を整理していたら出てきたんですよ。久しぶりにお目にかかった。で、つい、“出でよ。ランプの精。”なんて言いながらふざけてこすったら。・・・いや、ホント驚きました。」
「成程。どうやらどなたも知らなかった様ですね。これが魔法のランプであることを。」そう呟いて魔法の精は下を向いた。それからハッとしたように言った。
「ん?東京?ほう。ここは日本ですか。前に呼ばれた時はアメリカにおりましたが。」
そう言うと魔法の精は改めて室内を眺めた。かなり年季の入った、さほど広くもない木造のログハウスで暖炉がある。木製のテーブルに椅子が二脚と後は食器棚がある程度だ。
「ここは東京ですか?」
「いえ。北海道という日本でも一番北で、さらにそのだいぶ北の端です。」
「北海道?」窓の外を見るとだだっ広い荒野が広がっており周りに建物らしきものが見当たらない。
「で、そのお買い上げ頂いた奥様はどちらに?」
「二年前に病気で亡くなりまして。子どももいないので一人暮らしです。」
「そうですか。それはお気の毒様。人間は死にますからね。」そう言って魔法の精は同情した素振りを見せた。
「さて、話を最初に戻しますけど、ご主人様。ワタクシ、三つ願い事を言ってくれないと困るんですよ。なんとかして頂けませんか?」
「そう言われてもねぇ。・・・」
「こう言ってしまってはなんですが、ご主人様。今迄の経験上言わせて頂きますと、普通、皆様大喜びされますよ。“人生、大逆転だ!”なんて仰って。」
「そういうものですかね?」
「そういうものですよ。で、もって男だったら大概の願い事は、美女に囲まれて大金持ちになって美味い物食べる。そんな感じです。これでもう願い事三つ。しごく簡単です。・・・もっとも前回はベースボールとやらで打率、打点、本塁打のタイトルを取って三冠王になりたいという訳の分からない願い事を叶えましたがね。」
「誰だろう?」
「それはナイショです。それよりもどうです。先ほどの三つ?」
「いや~、私、もう六十五歳ですよ。この歳になるとそういう欲は無くなりますよ。」
「左様ですか。では、こうしましょう。まず一つ目の願いは二十歳に戻る。その後、美女、美食又は金銀財宝。これなら如何です?」
それを聞いて男の顔が明るくなった。
「じゃあ時代も私の二十歳の頃、つまり四十五年前に戻るのですか?」
「いえ、ご主人様。流石にそれは無理でして。わたくしに時代を戻せる程の力はございません。それは大魔王クラスでないと。でもご主人様お一人を若返らす事はできます。」
「なんだ。それならけっこうです。今は時代が良くない。」
男は溜息をついた。
「でも若返れば美女とおつきあいもできますよ。なんなら大勢にして派手にハーレムにされたら如何でしょう?」
「それ、生身の人間でしょう?」
「勿論でございます。しかもご主人の言う事はなんでも聞きますから、どのようになさっても意のまま。」魔法の精が意味ありげに微笑した。
「でも、その子達をこれから長年、養っていく苦労を考えると気が重いですよ。色々わがままも言いそうだし面倒臭い。」
「・・・実に現実的ですな。そこまで考えるとは。では、金銀財宝は如何でしょう?」
「使う場所がない。」男はそう断じた。
「成程。」改めて窓の外の荒野を見て魔法の精も溜息をついた。
「では高級な食事はどうです?キャビアにフォアグラ、特選松坂牛!」
景気をつけるようにランプの精は声を張った。
「一回きりですか?」
「いえいえ。ご主人様。寿命がくるまで毎食、提供いたしましょう。」
「うーん。でも、すぐ飽きそうだな。やっぱり結構です。」
そう言われてランプの精はしゅんとなり、増々途方に暮れた。もう何も提案を思いつかなかった。
二人して黙り込み気まずい空気が流れた。(なんとかしなくては。)魔法の精が必死になって思考を巡らせていると、男が突然閃いた様に言った。
「そうだ!キャッチボールをしよう!願い事の一つとして、私とキャッチボールをしてくれませんか?」
「え?」ランプの精はキョトンとした。
「ご主人様。キャッチボールというのは何なのでございましょう?ワタクシ、どうも勉強不足なようで。・・・」
「野球、つまりさっき、あなたが言っていたベースボールの基本ですよ。キャッチボールは一人じゃできない。あなた右投げ?」
「まぁ、そうでしょうね。・・・」
魔法の精は投げる格好を、左右の腕を振って確かめてみた。
「丁度良かった。右投げ用のグローブが二つある。」
男が急に生き生きしだした。
「ちょっと待ってください。ご主人様。ワタクシ、やったことがございません。・・・」
ランプの精が困惑して言った。
「大丈夫。私が教えますよ。中学、高校と野球部だったんです。」
「はぁ。」正直言って迷惑だったが、これで一つ願いを叶えさせるなら良いかとランプの精も考え直した。
「ところでアナタ、名前なんて言うんです?名前が無いと話しづらい。」
「え?ワタクシに名前などというものはございませんが。」
「あれ?そう言えば確か“アラジン”じゃなかったっけ?おとぎ話で聞いた事がありますよ。」
「よく間違えられるのですが、それはご主人様だった人間の方でございます。」
「ふーん。でもこの際“アラジン”でいいね?」
「なんなりと。」ランプの精がやけくそ気味で答えた。
「そうだ。“アラジン”だと親しみわかないから“アラやん”にしよう!」
「アラやん?・・・」増々困惑した。
「で、俺の方は名字が“松山”なんで“まっちゃん”でけっこうです。昔からそう呼ばれてたんだ。」
「まっちゃん?・・・」ご主人様をそう呼んでいいものなのか、ランプの精は更に困惑した。

 二人して屋外に出た。雄大な北海道の景色はとてつもなく広大で周りに何も遮るものがない。大きく広がった空は青く雲一つない。
「うーん。やはり外の世界はいいな。久しぶりに清々として良い気分だ。」
ランプの精、いや、アラやんは思い切り伸びをした。
「しっかし、本当に寂しい所だな。まわりに何もないのか。ご主人様は、どうしてこんな場所に住んでいるんだろう?」
魔法の精がそんな独り言を言っていると男、いや、まっちゃんがグローブなどの野球道具を持って後から来た。どれも古ぼけてかなり年季が入っている。まっちゃんはグローブを一つ、アラやんに手渡した。それから自分の左手にグローブをはめ、右拳を掌に打ち付けるとパシンといい音がした。すると何かのスイッチが入ったのだろうか?言葉遣いが変わった。
「さぁ、アラやん。やるぞ!最初は短い距離からな。」そう言うまっちゃんの顔は子どもの様に輝いていた。アラやんは只々、困惑した顔をしていた。

(2)
 「左手にグローブをはめて、そう、それでいい。俺がボールを投げるから、そのグローブでキャッチして右手で俺の胸辺りをめがけて軽く投げるんだ。」
そう言ってまっちゃんは緩いボールをアラやんに投げた。アラやんが上手くキャッチし、まっちゃんに投げる。
「そう、それでいい。これをずっと繰り返すんだ。続けよう。」
アラやんはホッとした。大したことはなかった。そして、これをひたすら繰り返した。
だが、そのうちに単調で飽きてきた。
「あの、ま、まっちゃん。」まだ、そう呼ぶのに抵抗があり、ぎこちない。
「なんだい。」
「こんなことして面白いのですか?」
「面白くない?」
「うーん。正直わかりません。」
「そう?」
「これ、どうしたら勝ちでどうしたら負けなんでしょう?」
「いやいや、これは野球の練習であってゲームではないから勝ち負けはないの。」
「だったら野球をしたらどうです?その方はゲームだから楽しいのではないかと思いますが。」
「野球は九人対九人でやるものだから二人じゃできないんだよ。」
そう言われてアラやんは訳が判らなくなった。だとしたら、今、すごく無意味な事をしていないだろうか?
 暫くしてまっちゃんが
「徐々に距離を遠くするよ。」と言って後ろに下がった。初めのうちは問題なかったが、ある程度離れるとボールを強く投げないと届かない。まっちゃんの投げるボールの速度が速くなりにつれ、まっちゃんはへっぴり腰になって身体が逃げた。
「もっと真正面で、捕らなきゃ。」
そう言ってまっちゃんが少し強めのボールを投げた。
「そうは言っても。・・・」アラやんは球に当たったら痛そうなので、ついつい身体は避けてグローブだけで捕る。
「球を怖がっちゃ駄目だ。」アラやんからの返球を受けてさらに球に力を込めた。
「ひー。」とうとう怖くなって、身体を避けて捕りそこねた。後ろにボールが弾んでいく。
「ほら、モタモタしない!捕りに行って。」
慌ててアラやんはボールを追いかける為に走った。そしてなんとか追いついたところで遠くからまっちゃんの声。
「はい。そこから遠投!」
必死にアラやんは腕を振ってまっちゃんにボールを返す。球は大きく逸れバウンドした。まっちゃんも移動しながらキャッチするとアラやんに遠投。
「うわぁ。」捕るのが怖くてまたアラやんは捕り損ねた。再びダッシュして球を追いかける。なんとか追いつくと、遠投しても届きっこないので、まっちゃんの指示を無視して出来る限り、元の位置まで走って戻ってから、ボールを投げた。
もう走るのはこりごり。意を決してアラやんはまっちゃんの強い球を逃げずに真正面から捕球した。
「そう!それでいいんだよ。アラやん!」
アラやんはホっとした。返球し再び強いボールが来ても、もう逃げなかっった。そして繰り返すうちに自然とキャッチボールが出来るようになった。

 「よーし、身体、温まったな。今からノックを打つからしっかり捕るんだぞ。捕ったらワンバンでこちらに投げてくれ。」
まっちゃんは置いてあったバットを握るとやはり側に置いていたバケツから軟球を取り出した。バケツにはこんもり軟球が入っている。
「え、なになに?」困惑するアラやんにお構いなく強烈なゴロをまっちゃんは打ち込んだ。
「ヒー。」これを捕るのだと判断したがあっけなくトンネルをした。
「もっと腰を落として!それ、もういっちょ!」
再び正面のゴロ。なんとか捕球するアラやん。
「ふー。入った。」
「急いでこちらに投げる!」
アラやんは慌ててワンバンで返球した。
「ヨシ。この調子で百本行くぞ!」
「ひゃく?」
その後、右に左にノックの雨をまっちゃんは浴びせ続けた。アラやんは左右に横っ飛びで捕り続けた。アラやんも相当疲れているがノックを打ち続けているまっちゃんも肩で息をしている。その内にまっちゃんはフト、ノックを止めた。
「ハアハア、ハアハア、アラやん。」
「ハアハア、ハアハア、何?・・・ハアハア。」
「俺たち、なんでこんな練習してるんだっけ?」
それを聞いてアラやんはワナワナと怒りで震えだし叫んだ。
「お前がそれ、言うかー‼」
グローブを地面に叩きつけた。始めて五十九本目のノックだった。

 二人ともバテて野原に仰向け大の字で寝そべった。共に息が切れていた。暫くすると落ち着きアラやんは改めておおきく広がる空の青さと白く流れる雲を見た。そよ風が気持ち良く感じられなんだか気分がスカッとしていた。
「アラやん。ありがとうな。」
まっちゃんが空を見ながら言った。
「いや。こっちこそ楽しかったよ。ありがとう。」アラやんも空を見ながら答えた。先ほど怒りに声を荒げたせいかアラやんもため口をきけるぐらいの間柄になっていた。
「これで一つ目の願い事は叶った。」まっちゃんがそう呟いたのを聞いてアラやんはホッとした。
「良かった。ならランプに戻るよ。ただ、」
「何?」
「いや。もう少しだけこのまま休ませてくれ。」アラやんはそう言って笑った。

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