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二章

休息と一年 キャロル11歳

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 私はベットの上をごろごろと転がって久しぶりの休息を満喫する。少しずつ手足が伸びて、11歳の私は去年着た服はもう着られない。この公になってからの一年は、とにかく忙しく人に会う毎日で、こうやってゆっくり自分のしてきたことを思い返す暇すらなかった。

「……ジル、大変です! 私お会いした人を何人か思い出せません!」

「当然です。沢山の人にお会いしているのですから、全員覚えるのは不可能かと思いますよ」

 秋の舞踏会の後、最初は王都にいるアングラード家の親類に会いに行った。父上、母上とおじい様、おばあ様の関係が完全に修復されたわけではないので、微妙な空気が漂う。どちらかに味方するのはなく、力関係がはっきりするのを見極めようと嫌な感じだった。それでも、直系の跡取りである私の存在には、一様に安堵して歓迎をしてくれた。古い家系であるアングラードは親族もそれに関わるものも多い。直系が絶えて領地が半分になれば、どれ程の打撃になるかは計り知れない。どっちつかず実利主義と彼らを皮肉りながらも、父上が当主としてぎりぎりの選択肢を見出すことになった理由を理解する。この国はたった一人の跡取りの存在価値が大きすぎる。私にかかる責任の厳しさを痛感させられた。

「アングラードの親族には父上も随分怒ってましたね。仕方ないと思いつつ私もちょっと嫌でした」

「ええ。私も危うくノエル様をあの場から連れ去りたくなりました」

 次に会いに行ったのはピロイエ伯爵家の面々だ。こちらはとても楽しかった。皆優しくて気さくな方たちばかりであっという間に打ち解けた。母上の一番上のお兄様には生まれたての赤ちゃんがいて、私は従弟だからとこっそり見せてもらえた。赤ちゃんは男の子。その事に安堵する。小さい手に指をのせると、精一杯握りしめる姿が本当に可愛いくて、私はとても切なくなった。挨拶回りが終わったら、また遊びに行かせてもらう約束をした。

「伯父様の赤ちゃん可愛いかったですね。いつか、わ……いえ、また会いたいです」

「……そうですね、いつか、きっとですね」

 親戚めぐりが一段落ついた頃には、冬の公の儀の舞踏会はとっくに終わって、春の舞踏会の話が出始めていた。同じ年の子は全て公になったので、アレックス王子から挨拶めぐりはまだ落ち着かないのか、と手紙が届いた。丁重にとても、とても、とても忙しいことを伝えると、カミュ様からお勉強会はもう少し後にしましょう、とお返事が来た。
 その頃から父上の仕事の関係者や、母上の社交派閥の方たちの挨拶が増えた。毎日本邸の応接室でお客様の対応に追われる。窓から見える花は蕾から葉に変わり、春の公の儀の舞踏会も不参加のまま過ぎてしまった。

「あの時は一番人に会うのが大変でした。うちにいらっしゃるお客様ばかりで、外に出られないから気持ちも塞ぎました。カミュ様がアレックス王子にとりなしてくれなかったら、私頭がいっぱいで倒れたと思います」

「ノエル様がちょっとお痩せになってしまって、マリーゼが随分心配しておりました。私は何度も休ませてさしあげて、とマリーゼに胸ぐらをつかまれて大変でしたね」

 最後は王都外の領地めぐり。これは、良い経験になった。初めて王都以外の街をめぐって、知らないことにたくさん触れることができた。その分、長く王都に不在だったので、夏の公の儀は帰ったら終わっていた。

「おばあ様と、おじい様には今年も会えませんでした。まだ、父上母上と喧嘩中なのでしょうか?」

「バルバラ様からはお便りが定期的に届いているのですから良い兆候です。旦那様もバルバラ様の用意したデザインの礼服を着たノエル様の肖像画を、お送りしておりましたよ。これからゆっくり雪解けが訪れるでしょう」

 そして11歳の誕生日が過ぎて、秋の舞踏会の話が出始める頃、今のようにベットにごろごろ転げながらジルと談笑する休みの日がとれるぐらいになった。一年かかった貴族の挨拶回りは漸く終わりを告げたのだ。お行儀が悪いがベットの上からジルと話をしていると部屋がノックされた。父上の従者のクレイが大きな荷物をもって訪れる。

「ノエル様、大きな芋虫がベットにいるかと思いました」

「芋虫は失礼です。これはこれで可愛いと私は思いますよ」

「可愛くないとは言っていません。ただ芋虫と言っただけでございます。レオナール様よりワンデリアで作られたヴァセラン侯爵のアクセサリーを預かってまいりました」

 私は慌てて身を起こす。蝶になりましたね、といってクレイが笑うので、諦めた様にジルが肩をすくめた。
 リーリア夫人のアクセサリー一式とクロードの剣の鞘ができたとので、朝一番で職人たちを労うために父上がワンデリアに向かってくれいた。ヴァセラン侯爵家もクロードの挨拶周りが忙しくて、デザインを詰める時間が取れず、正式な注文が決まるまで半年の時間を要した。私の予定よりも遅くなったが、初めての注文書が届いた時は母上と二人で飛び上がって喜んだ。

「開けて見せてください! わぁ」

 クレイが置いていった箱の中から出てきたアクセサリー一式と剣の鞘の出来栄えは素晴らしい。リーリア夫人は美しい花とレースをモチーフにした一式で、クロードはドラゴンと蛇を足したようなリュウドラという架空の獣のデザインだ。どちらも、デザイン画を超える精密さで職人の技が光る品になっている。私は大満足で一人頷く。

「ワンデリアの職人たちも気合が入っておりましたからね」

 ジルが正式な注文書を届けた時、サミーはその場で泣き伏し、ヤニックが雄たけびをあげたそうだ。いつもと逆転する二人に慌ててマノンが宥めたり、慰めたりで大忙しだったらしい。
 腕はよいのに認められることのなかった二人の職人にとって、侯爵夫人より作品が認められて注文を受けることがどれ程の喜びだっただろうか。一緒にその瞬間を共有できなかったのがとても残念だ。
 以来、二人の様子が随分変わったそうだ。ヤニックは積極的に色々な事に関わるようになった。。サミーは依然と比べて余裕のある対応を見せる。私の代わりに頻繁にワンデリアに通ってくれるジルは、本当に努力して得た実りは人を成長させます、と嬉しそうに笑っていた。

「でも、これからもっとすごくなります!」

 私は自信をもって断言する。今年は母上も私の事で忙しく社交に出ることは少なかったのに、既にいくつか問い合わせも来ている。来年は通常通り参加する上に、リーリア様が新作一式を身に着けてくれる。若い世代の有力侯爵夫人の二人が愛用する新しい宝飾は必ず注目を浴びるはずだ。

「ノエル様、職人をそろそろ増やされてはいかがですか? あと、屑石という呼び名もここで改めた良いかもしれませんよ」

 職人の追加は私も迷っていた事柄だ。今はサミーとヤニックの二人ですべての作業をこなす為、一つの作品にかなりの時間がかかっている。大きな動きになりそうなのに、生産性が追いつかない。本当はマノンを職人に上げてあげたいけど、二人の技術に並ぶにはもう少し時間が必要そうだ。それに、ビーズの指導も中途半端になりかねない。思っていることを素直にジルに相談する。

「マノンの事は心配いりません。新しい職人を増やす提案はマノンから出たものです。彼女も自分の技量がわかるぐらいに成長しました」

「そうなんですか! みんな凄いですね。私もまだまだ頑張らなくてはいけませんね」

 私の頭にジルの手がのる。失礼します、と言ってそっと撫でてくれる。

「ノエル様は頑張ってます。これ以上、背伸びをしなくても十分な程です」

「……わかりました! それなら、ちゃんと褒めてください」

 私は両手を上げてアピールする。最近忙しくて、人に甘える機会がずっとなかった。そっと、抱き上げてくれるジルの膝に乗って襟元に顔をうずめる。大好きなお日様の匂い。頑張ってます。そう言って撫でてくれる手が温かくて気持ちが良い。子供の特権で、この場所を自分の場所にできるのはあとどれくらいだろうか。今はまだ許してもらえるから精一杯甘えていたい。

「石の名前ですが、キャロルはいかがですか? サミーがそう申しておりました」

 私を存分に甘やかしながらジルが提案する。ふわふわ気持ちが温かい。

「それならジルです。ジルが私にくれたアクセサリーケースが元なのです」

「自分の名前がつくのは、恥ずかしいですね。ご容赦くださいませ」

「私も嫌です。では、アネモネにします。私の……夢で見たお花の名前です。ジルのくれたジュエリーケースのお花によく似ていました……そうです!職人の方も思いつきました」

 飛び跳ねるように体を起こせば、なんだかジルが苦笑いを浮かべている。絶対、言ったばかりなのに仕事のしすぎだと思ってる顔だ。それでも、私は思いついたばかりのプランをジルに報告する。

「聞いてください、ジル!新しい職人はマノンに選んでもらいます。マノンが本当に成長しているなら、サミーとヤニックの仕事を誰よりも一番見ているはずです。マノンが今工房に一番必要だと思う人を入れてみるのはどうでしょう?」

「そうですね。マノンは情熱もあって人と話すこともよくできますから、適任かもしれません。では、旦那様に選考の手配を連絡いたします。ノエル様は今日は久しぶりの休息です。本当にたまには、お休みしてください。私はお茶を温かいものに入れ替えてまいります」

 私の背をぽんぽんと二度叩いて、ゆっくり膝から降ろす。暖かい感触を失って、私はベッドに倒れこむ。今日は言われた通りゆっくりと休息タイムだ。

 夕刻、久々の休息を味わった私の元に帰宅したお父様を経由して手紙が届く。封蝋の印は王冠を抱く女神で王家の紋だ。

「あぅ。来てしまいした……」

 王家からの呼び出しならば、中を見ずとも内容の想像がついた。お休みをとれたと思ったら、早速の呼び出しにため息がでる。きっと、私とクロードが挨拶回りを終えるのを、今か今かと待ち構えていたのであろう。封を開けば、七日後の昼前に来るようにと書かれている。

「父上、七日後にアレックス王子からお勉強会のお誘いを頂きました」

 父上が微妙な顔をする。一応、七日後はモーリスおじい様を呼んで、身内のみで昼食会の予定していた。さすがに王家の呼び出しを断ることはできないので、昼食会はお預けになる。

「うーん、残念だな。私からノエルに一年間のご褒美を用意した昼食会だったのに! ちょっと王様に陳情してみるか?」

 家族大好き父上なら本気でやりかねないので、全力で止める。勉強会とはいえ王家の呼び出し、家族行事と天秤にかけてはいけない。

「ヴァセラン侯爵に連絡してクロードと一緒に行けるようにしてください」

 公の儀の後、クロードと鞘のデザインの相談を兼ねて数回遊ぶことができた。剣の練習をしたり、追いかけっこをしたり、本を読んだり。居心地がいい信頼関係が築けていると思う。
 剣の練習として試合もしたけど、予想通りとても強かった。現在、二勝五敗大幅に負け越し中だ。クロードの剣戟は重いので、受け流すのが難しく躱すの一択になりがちだ。あの剣戟を受け止められたら少し勝率があがるのだけど未だ秘策なしである。

 父上の伝達魔法のツーガルが飛び去ると、しばらくしてヴァセラン侯爵の伝達魔法であるダーラが戻ってくる。ダーラは小さな鷹だ。小さいけども強そうな姿がヴァセラン侯爵家には良く似合う。そうして、当日はヴァセラン侯爵家の馬車でお迎えに来てくれることが決まった。
 クロードと会えるのはもちろん嬉しい。アレックス王子、カミュ様はほぼ一年ぶりの再会で緊張もあるけどやっぱり嬉しい。お勉強会の内容が特命捜索隊なのは、ものすごく嫌な予感しかしないけど。

 私は確認したいことを思い出してジルの袖を引く。部屋に戻るとアクセサリーケースから青い猫の置物を取り出した。王族控室での顛末はすでにジルには話してある。

「ジル、これ覚えてますか?」

「懐かしいですね。もう三年前になりますか」

「なんの宝石だかわかりますか?私はわからなかったんです」

 ジルにも石を見てもらう。アレックス王子の瞳の色と同じ青い宝石はよく見ると不思議な輝きがあって、調べた限りあてはまるものを私は見つけることができなかった。
 ジルがハンカチを手に乗せて差し出す。その上に猫を乗せると、丁寧に指紋をふき取った。

「一時期お預かりしていましたが、じっくりと見るの初めてです。確かに不思議な輝き方ですね」

 そう言って、左目の片眼鏡に触れてから宝石を明かりに照らす。ジルが片目眼鏡に触れるたびにレンズが淡く発光するので、魔法道具の一種のようだ。

「その片眼鏡は、こちらに来た時にはもうつけてましたよね。魔法道具ですか?片眼鏡がないほうがジルはかっこよく見えると思うのです」

「ありがとうございます、ノエル様。でも、片眼鏡をつけている方が私は落ち着きます。貴方の側にいるのなら少しでも違う自分でいたいんです。……それから、質問の頂いたこの片眼鏡は、以前宝石商にいた頃にお客様から頂いた魔法道具です。商人向けに作られているので色々便利ですよ」

「その話……」

 私が言いかけるのを遮るようにジルが、自分の片眼鏡をはずして私の目に当てる。ジルの手から魔力が供給されてレンズが淡く光ると、少しずつ宝石に焦点があって拡大されていく。

「ご自分で見てみる方がわかりやすいでしょう。なかなか面白いものが見えますよ」

 青い石の中で何かがゆらゆら揺れている。淡い光の粒? 違う何かの液体?

「中に入っているように見えます」

「ええ。外側の石は晶石の一種でしょう。多分、ラザリという石です。魔力を吸収する石で、魔法具にもよく使われるものですね。色合いから混じり気のない純度は最高級の品物です」

「これも魔術具なのですか? 中に入っているのは水?」

「私はこのような魔術具は見たことがありません。でも、ただの宝飾にしては不可能に近いほどに手が込み過ぎています。中の液体も、ノエル様のご指摘の通り時々淡い光の粒が光っていて見知らぬものです」

 私は首を傾げる。ただの宝飾とは思えないこの品は一体何なのか。カミュ様が宝石だけでも一度取り戻したいそう言っていた。それは、ただ高価なものだとか、誰かのものだという単純な理由だけではないのかもしれない。

「この猫を返せば特命終了とのことでしたが、お返しするなら確実にアレックス殿下に手渡す方法を考えらえた方がよろしいかもしれません」

 そう言うと、ジルは私から片眼鏡をはずして元のように自分に掛けなおす。魔法具は値の張る品物だ、お客様から頂いたというけれど簡単に従業員にプレゼントするようなものではない。宝石の中身が何であるかも気になったけど、それはアレックス王子とカミュ様から聞き出すべきことだ。
 いつか話してくれる約束をしたジルの過去の方が今はとても気になった。私がジルを眺めていても、ジルは素知らぬ顔で微笑み返す。まだまだ、お話を聞かせてくれるのは先のようだ。
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