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二章
公の儀 キャロル10歳
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ノエル・アングラード、その名前を初めて使った日からあっという間に時間は過ぎた。やらなくてはならないことがあまりにも多く、無我夢中で今日という日を迎える。
「緊張しないで、ノエル。貴方ならきっと立派にできますから」
お城に向かう馬車の中で、母上がそっと私の手を握ってくれる。今日からはもうお父様、お母様とは呼ばない。母上、父上だ。この国で10歳になり公になるということは、子供にとって大きな変化だ。小さな籠の中で親しいものに囲まれて育っていたのが、いきなり広い世界に投げ出されて様々な思惑にさらされることになる。アングラード家のように有力な貴族はとくに善意より悪意にさらされる機会は多い。
「ノエルなら上手くこなせるから、力を抜いて気楽にいきなさい」
父上が軽い調子でそう言う。何をいうのか、私がこんなに緊張しているのは父上のせいだ。跡をとると決めてから、直接父上から教育を受ける機会が増えた。その中で、生々しい文官のやり取りと対処方をさんざん聞かされたのだ。思わず口を尖らせる。
「まずは、貴族としての登録ですよね」
舞踏会は夕暮れからだけど、公になる子とその家族は、葉中の刻、前世での三時にはお城に入ることになっている。事前に貴族としての登録と、公の儀として国王との謁見があるからだ。
「そうね。最初は登録からよ。その後、一緒に公になる子と顔を合わせる機会もあるから、お友達ができるといいわね」
母上がおっとりそう微笑んでくれる。父上から貴族付き合いの嫌な話をたくさん聞いたけど、やっぱり同年代の子とお友達になれるのは楽しみだ。私の場合、女の子である事を隠しての付き合いになるから色々大変そうではあるけど。
「友達付き合いはいいぞ。友人は大事だ! 友達はいると色々便利だし」
父上には人間関係についてそれ以上、喋らないでほしい。友達に対して便利って、間違ってると思う。今日、出会う子たちは14歳になったら学園も一緒に入学することになる。私は、苦楽を共にして助け合える良き友人になりたい。
馬車がスピードを落とす。お城にそろそろ着くのだろう。まだ、閉じられたカーテンは、帰りには開くことができる。帰りには見られるであろう初めての街並みに思いをはせる。この国で一番の発展した王都は一体どのような街なのだろう?どんなふうに人が生活しているのか? わたしが改善に取り組んでいるワンデリアとの差もどの程度なのか気になる。
馬車が止まる。外で、クレイが門番に家名と来訪の理由を告げる。
「アングラード家、公の儀のため入門!」
力強い声の後に門が開く音がして、馬車が再び動き出す。なんだか急に胸がどきどきしてきた。本邸の使用人の前に出るのとは全く違う。ノエル・アングラードとして、国王、この国、出会うすべての人を私は欺く。望んだことだけど、見知らぬ騎士の声に、今までいた狭い世界でないことをはっきり自覚する。握りしめた私の両手の拳の左手に母上の手が、右手に父上の手が重った。
「この先になにがあっても母は絶対にノエルの味方です」
「何かあったら父も全力でなんとかしてやる。やりたいようにしろ」
不安があっという間に消えていく。もう大丈夫。私はノエルとしての自信を取り戻す。私は強くないから、迷ったり後ろを向きそうになることがあるだろう。でも振り返ったら、誰かがきっと今みたいに私の背中をそっと押してくれる。
「旦那様、奥様、ノエル様。到着いたしました」
扉の向こうでジルの声が聞こえた。いきます、私の言葉に父上と母上が微笑んだ。
馬車を出て、広がる光景に私は目を丸くする。目の前にあるのは本当のお城。白い壁に点在する青い屋根がとても美しい。前世で見たポストカードの海外のお城を思い起こさせる。いつか旅してみたいとおもっていた憧れのお城。結局、旅することは叶わなかったけど、それを思い起こさせるお城が目の前にある。しかも、もっと広い!
「お父様、お母様! 中ってどのくらい見学できますか?」
「ふふっ、父上、母上でしょ? 今日は謁見の間、文官棟である東棟と本棟の硝子の間に行くことになるわ」
「どうしよう。すごい楽しみです」
なんだか緊張より観光気分だ。きっと私以外の子も興奮してると思う。今まで散々狭い世界にいて、急にこのお城の衝撃は大きい。まずい。同じ気持ちの子と仲良くなったら確実に探検に出てしまいそうだ。
「ノエル、責任はとるってさっき言ったけど、無謀なことは勘弁してくれよ。ジルしっかり見張っとけ」
父上がすごく不安そうな顔でこちらをみている。私のことを不安にした罰があたったんだ。大いに不安な気持ちでいて下さい。
クレイの先導で城内を歩く。絢爛な入口のホールを抜けて、花の溢れる中庭を行く。アングラード本邸も美しい作りだが、落ち着いた静の美しさだ。城は反対に彩色溢れる動の美しさで、見ているだけでため息が漏れる。
「ノエルお坊ちゃま、これから行く東の文官棟はこの国の政務を担う場所です。レオナール様がお勤めの場所でもありますので、文官たちから色々な意味で注目を浴びます。ご注意ください」
クレイが忠告してくれる。お父様に聞いていた通りなら、人間関係が面倒な世界なんだと思う。でも、父上の職場に行くってやっぱり楽しみだ。狸、狸って言ってしまっているけど、文官の中でも父上は飛びぬけて優秀だときいている。どんな風に務めているかはぜひ見てみたい。きっと父上は素敵だと思う。言ってあげないけど。
前方からきた右胸に階位章をつけた文官がお父様をみて、ぎょっとした顔をする。慌てて道を譲ってからは、目を合わせないように下を向かれてしまった。
「父上。今の方怯えていません?」
「気のせいだよ」
今日もお父様の笑顔は一点の曇りもない。私は今の文官の態度は、たまたま! 運悪く、たまたま! お父様と相性が悪い人だったのだと思うことにした。
文官棟に入ってすぐに、民事院がある。民事院は籍の管理や籍に伴う手続きの全てをを行っているところだ。クレイがノックすると中から文官がドアを開ける。また、お父様を見て一瞬ぎょっとしたのは見なかったことにしよう。公の儀のために登録に来たことを告げると中に通された。
民事院の待機室には先客が三組ほどいた。男の子連れが二組、女の子連れが一組だ。それぞれの両親がこちらを一瞥して首だけで挨拶をする。
「母上、きちんとご挨拶はしないのですか?」
私は母上の腕を引いて、耳元でこっそりと尋ねた。貴族は挨拶を重んじる。本来このような挨拶はあまり見られない。
「登録が終わっておりませんから、子供が公になっていない状態です。お互いに決まりを守るために見て見ぬ振りをするのがこの場の慣習なのですよ」
色々面倒な慣習が多そうだなと思いながら、私たちも席に着く。斜め前の女の子が気になるのか、こちらを振り向いた。嬉しくなって思わず笑いかけると、慌てて顔を背けられてしまった。大丈夫ですよ、私は怖くありませんから!
「あーあ。ノエルはきっとお父さんの二つ名も継げるな」
お父上がぽそりとつぶやく。父上の二つ名っていったい何だろう? 尋ねようとしたところ、アングラードの家名が呼ばれる。まだ、他の三組は待っている。訝しんで父をみたら、苦笑いしながら頷いて爵位を示す飾りひもを指さした。どうやら今待っている三組よりも、アングラード侯爵家の方が爵位が高いために優先されたらしい。なんだか後ろめたい気持ちで、他の三組の前を通り過ぎる。女の子はどこか夢見るようにこちらを見つめ、男の子の一人は俯いて唇を噛む、もう一人は挑戦的に睨みつけて父親に頭を抑え込まれていた。なんだか、お友達ができるか心配になってきた。
「これは、アングラード侯爵!ご令息の公の儀のお祝いを申し上げます」
中に入ると、年配の文官がこちらに笑顔で近づいて立礼する。父もその言葉に笑顔で立礼を返す。年配の文官の階級は左胸に星三つだから民事院長だと判断する。ちなみに国政管理室副室長の父も星三つだ。文官最高峰の国政管理室は副室長でも各院の院長クラスに相当する。
「では、公の儀に望まれる前の貴族登録を済ませてしまいましょう。ご令息お名前を」
「はい! ノエル・アングラードです」
民事院長が貴族籍を登録する用紙に名前を書いていく。ご両親は?とさらに尋ねられて、父上と母上の名前を答える。爵位の確認、両親と同じ住まいであるか確認して、最後に針の付いた道具で指先に血をにじませて血判をおした。
「おめでとうございます。これにて登録は完了いたします。どうかマールブランシュ王国の貴族の一人として国を支えることにお努めください」
院長のその言葉で登録は締めくくられた。思いのほかあっさり済んでしまったことに拍子抜けする。父上が、昔はあの針に毒が仕込まれたりしたんだよ、と笑顔で囁いた。私は心の底から安堵した。
次は公の儀。国王様にお目通りすることになる。これは、公になる子が揃って一堂に会する事になるので、全員が揃うまで控えの間で待つ。貴族登録の済んだ者ばかりなので、軽食を取りながらの待ち時間はちょっとした社交の場だ。
貴族院を出て控えの間までは、母上の提案で少し大回りすることになった。私が先ほどお城の中に興味深々なのを汲んでくれたのだ。
様々な研究をおこなっている北の研究棟、こちらは内部は華美な装飾がほとんどない。全体的に空気が重い。元は他の棟と同じ美しい作りだったが、研究で度々内壁を破損するらしい。今では装飾は諦めて、いつの間にか国境の城塞のような堅牢な石造りの棟になっている。変わり者が多いけど面白いよ、と父上が笑った。
続いては西の騎士棟。こちらは近づくと騎士たちの威勢のよい掛け声が聞こえてくる。心なしか母上がそわそわしている。すれ違う騎士たちが、私を見ると一様におめでとう、と声を掛けてくれるのが嬉しい。時間があれば訓練室などの見学もできるそうだ。今日は残念だけどお預け。私よりも母上が、がっかりしている。
本棟にもどる中庭で私は空を仰ぎ見る。もしかしたら、あの子がいるかもしれないと思ったから。いつかまた遊ぶと約束した。でも、もう守れない約束。私は目を見開く、王族の住まいになるその場所のテラスにあの日よりずっと大きくなった彼がいた。目が合うと微笑んでこちらにひらりと手を振る。思わず振り返しそうになって留まる。私はキャロルではないから。父上の袖を急いで引いて、その場で膝をついて礼をとる。私に続くように全員が礼をして顔を上げた時にはもう、アレックス王子の姿はなかった。
「今のはアレックス王子だな。ノエルと同い年だから学園でも一緒になるだろうから、よく覚えておくといいよ」
私は頷いて中庭を後にした。控室に入ると、私たちの姿を認めてざわりと囁きが重なった。有力貴族のアングラード侯爵家が注目されるの想定内。私の方は予想以上に多い子供の数の方に驚く。
「父上、随分多いですね。20人以上はいますよね?」
「公の儀は、辺境の領からも子供と家族が集まるからね。王都や近郊の者は半分以下だろうな」
「全員、ダンスや剣の披露をするんですか?」
「公の儀が終わればすぐに男爵家、子爵家の順で始めることになる。この辺りは日が落ちる前に終わってしまうから多くの人に見てもらえない。その後、日が落ちて舞踏会の参加者が集まりだしたら伯爵家、侯爵家の番だ。ノエルは多分最後の方になるから大注目されるね! 頑張ってね」
父上がにやりと笑う。どうしてこう余計なことばかり言うのかな。お母様はすごく目をきらきらさせて拳を握りしめて私に期待の眼差しを向けている。私、母上の為に頑張りますね。
「レオナール!」
一人の男性が声を上げて歩み寄る。父上と親しい人物のようだ。は軍服姿に爵位を示す飾り紐は我が家と同じ候爵の青。階級章は左胸で武官の証。お父様と同じ星三つだから団長だ。この年齢ならかなり優秀な人になる。
「やあ! エドガー、ヴァセラン侯爵家も今日とは奇遇だな!」
ヴァセランの名に私ははじかれるように周囲を見回す。ヴァセラン侯爵の跡を追うようにこちらに歩み寄る少年。紺色の髪に水色の瞳にヴァセランの姓。私の心にしっかりと刻み込まれている。「キミエト」の攻略対象者だ。
「ノエル。私の親友のエドガー・ヴァセラン侯爵だ。第1騎士団団長を務める有能な男だぞ」
「はじめまして。ノエル・アングラードです。以後、お見知りおきください」
「よろしく、ノエル。私の息子も紹介しよう! クロード」
胸がすごくどきどきする。アレックス王子に会うかもしれないことは予想してたから心の準備をしっかりしていた。でも、それ以外の攻略対象に会うことは私の頭の中からすっかり抜け落ちていたのだ。不意打ち。もう、頭の中がお祭り状態。憧れてたアイドルに偶然出会って、いきなり紹介される。そんな状況、私にどうしろと?!
「緊張しないで、ノエル。貴方ならきっと立派にできますから」
お城に向かう馬車の中で、母上がそっと私の手を握ってくれる。今日からはもうお父様、お母様とは呼ばない。母上、父上だ。この国で10歳になり公になるということは、子供にとって大きな変化だ。小さな籠の中で親しいものに囲まれて育っていたのが、いきなり広い世界に投げ出されて様々な思惑にさらされることになる。アングラード家のように有力な貴族はとくに善意より悪意にさらされる機会は多い。
「ノエルなら上手くこなせるから、力を抜いて気楽にいきなさい」
父上が軽い調子でそう言う。何をいうのか、私がこんなに緊張しているのは父上のせいだ。跡をとると決めてから、直接父上から教育を受ける機会が増えた。その中で、生々しい文官のやり取りと対処方をさんざん聞かされたのだ。思わず口を尖らせる。
「まずは、貴族としての登録ですよね」
舞踏会は夕暮れからだけど、公になる子とその家族は、葉中の刻、前世での三時にはお城に入ることになっている。事前に貴族としての登録と、公の儀として国王との謁見があるからだ。
「そうね。最初は登録からよ。その後、一緒に公になる子と顔を合わせる機会もあるから、お友達ができるといいわね」
母上がおっとりそう微笑んでくれる。父上から貴族付き合いの嫌な話をたくさん聞いたけど、やっぱり同年代の子とお友達になれるのは楽しみだ。私の場合、女の子である事を隠しての付き合いになるから色々大変そうではあるけど。
「友達付き合いはいいぞ。友人は大事だ! 友達はいると色々便利だし」
父上には人間関係についてそれ以上、喋らないでほしい。友達に対して便利って、間違ってると思う。今日、出会う子たちは14歳になったら学園も一緒に入学することになる。私は、苦楽を共にして助け合える良き友人になりたい。
馬車がスピードを落とす。お城にそろそろ着くのだろう。まだ、閉じられたカーテンは、帰りには開くことができる。帰りには見られるであろう初めての街並みに思いをはせる。この国で一番の発展した王都は一体どのような街なのだろう?どんなふうに人が生活しているのか? わたしが改善に取り組んでいるワンデリアとの差もどの程度なのか気になる。
馬車が止まる。外で、クレイが門番に家名と来訪の理由を告げる。
「アングラード家、公の儀のため入門!」
力強い声の後に門が開く音がして、馬車が再び動き出す。なんだか急に胸がどきどきしてきた。本邸の使用人の前に出るのとは全く違う。ノエル・アングラードとして、国王、この国、出会うすべての人を私は欺く。望んだことだけど、見知らぬ騎士の声に、今までいた狭い世界でないことをはっきり自覚する。握りしめた私の両手の拳の左手に母上の手が、右手に父上の手が重った。
「この先になにがあっても母は絶対にノエルの味方です」
「何かあったら父も全力でなんとかしてやる。やりたいようにしろ」
不安があっという間に消えていく。もう大丈夫。私はノエルとしての自信を取り戻す。私は強くないから、迷ったり後ろを向きそうになることがあるだろう。でも振り返ったら、誰かがきっと今みたいに私の背中をそっと押してくれる。
「旦那様、奥様、ノエル様。到着いたしました」
扉の向こうでジルの声が聞こえた。いきます、私の言葉に父上と母上が微笑んだ。
馬車を出て、広がる光景に私は目を丸くする。目の前にあるのは本当のお城。白い壁に点在する青い屋根がとても美しい。前世で見たポストカードの海外のお城を思い起こさせる。いつか旅してみたいとおもっていた憧れのお城。結局、旅することは叶わなかったけど、それを思い起こさせるお城が目の前にある。しかも、もっと広い!
「お父様、お母様! 中ってどのくらい見学できますか?」
「ふふっ、父上、母上でしょ? 今日は謁見の間、文官棟である東棟と本棟の硝子の間に行くことになるわ」
「どうしよう。すごい楽しみです」
なんだか緊張より観光気分だ。きっと私以外の子も興奮してると思う。今まで散々狭い世界にいて、急にこのお城の衝撃は大きい。まずい。同じ気持ちの子と仲良くなったら確実に探検に出てしまいそうだ。
「ノエル、責任はとるってさっき言ったけど、無謀なことは勘弁してくれよ。ジルしっかり見張っとけ」
父上がすごく不安そうな顔でこちらをみている。私のことを不安にした罰があたったんだ。大いに不安な気持ちでいて下さい。
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前方からきた右胸に階位章をつけた文官がお父様をみて、ぎょっとした顔をする。慌てて道を譲ってからは、目を合わせないように下を向かれてしまった。
「父上。今の方怯えていません?」
「気のせいだよ」
今日もお父様の笑顔は一点の曇りもない。私は今の文官の態度は、たまたま! 運悪く、たまたま! お父様と相性が悪い人だったのだと思うことにした。
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民事院の待機室には先客が三組ほどいた。男の子連れが二組、女の子連れが一組だ。それぞれの両親がこちらを一瞥して首だけで挨拶をする。
「母上、きちんとご挨拶はしないのですか?」
私は母上の腕を引いて、耳元でこっそりと尋ねた。貴族は挨拶を重んじる。本来このような挨拶はあまり見られない。
「登録が終わっておりませんから、子供が公になっていない状態です。お互いに決まりを守るために見て見ぬ振りをするのがこの場の慣習なのですよ」
色々面倒な慣習が多そうだなと思いながら、私たちも席に着く。斜め前の女の子が気になるのか、こちらを振り向いた。嬉しくなって思わず笑いかけると、慌てて顔を背けられてしまった。大丈夫ですよ、私は怖くありませんから!
「あーあ。ノエルはきっとお父さんの二つ名も継げるな」
お父上がぽそりとつぶやく。父上の二つ名っていったい何だろう? 尋ねようとしたところ、アングラードの家名が呼ばれる。まだ、他の三組は待っている。訝しんで父をみたら、苦笑いしながら頷いて爵位を示す飾りひもを指さした。どうやら今待っている三組よりも、アングラード侯爵家の方が爵位が高いために優先されたらしい。なんだか後ろめたい気持ちで、他の三組の前を通り過ぎる。女の子はどこか夢見るようにこちらを見つめ、男の子の一人は俯いて唇を噛む、もう一人は挑戦的に睨みつけて父親に頭を抑え込まれていた。なんだか、お友達ができるか心配になってきた。
「これは、アングラード侯爵!ご令息の公の儀のお祝いを申し上げます」
中に入ると、年配の文官がこちらに笑顔で近づいて立礼する。父もその言葉に笑顔で立礼を返す。年配の文官の階級は左胸に星三つだから民事院長だと判断する。ちなみに国政管理室副室長の父も星三つだ。文官最高峰の国政管理室は副室長でも各院の院長クラスに相当する。
「では、公の儀に望まれる前の貴族登録を済ませてしまいましょう。ご令息お名前を」
「はい! ノエル・アングラードです」
民事院長が貴族籍を登録する用紙に名前を書いていく。ご両親は?とさらに尋ねられて、父上と母上の名前を答える。爵位の確認、両親と同じ住まいであるか確認して、最後に針の付いた道具で指先に血をにじませて血判をおした。
「おめでとうございます。これにて登録は完了いたします。どうかマールブランシュ王国の貴族の一人として国を支えることにお努めください」
院長のその言葉で登録は締めくくられた。思いのほかあっさり済んでしまったことに拍子抜けする。父上が、昔はあの針に毒が仕込まれたりしたんだよ、と笑顔で囁いた。私は心の底から安堵した。
次は公の儀。国王様にお目通りすることになる。これは、公になる子が揃って一堂に会する事になるので、全員が揃うまで控えの間で待つ。貴族登録の済んだ者ばかりなので、軽食を取りながらの待ち時間はちょっとした社交の場だ。
貴族院を出て控えの間までは、母上の提案で少し大回りすることになった。私が先ほどお城の中に興味深々なのを汲んでくれたのだ。
様々な研究をおこなっている北の研究棟、こちらは内部は華美な装飾がほとんどない。全体的に空気が重い。元は他の棟と同じ美しい作りだったが、研究で度々内壁を破損するらしい。今では装飾は諦めて、いつの間にか国境の城塞のような堅牢な石造りの棟になっている。変わり者が多いけど面白いよ、と父上が笑った。
続いては西の騎士棟。こちらは近づくと騎士たちの威勢のよい掛け声が聞こえてくる。心なしか母上がそわそわしている。すれ違う騎士たちが、私を見ると一様におめでとう、と声を掛けてくれるのが嬉しい。時間があれば訓練室などの見学もできるそうだ。今日は残念だけどお預け。私よりも母上が、がっかりしている。
本棟にもどる中庭で私は空を仰ぎ見る。もしかしたら、あの子がいるかもしれないと思ったから。いつかまた遊ぶと約束した。でも、もう守れない約束。私は目を見開く、王族の住まいになるその場所のテラスにあの日よりずっと大きくなった彼がいた。目が合うと微笑んでこちらにひらりと手を振る。思わず振り返しそうになって留まる。私はキャロルではないから。父上の袖を急いで引いて、その場で膝をついて礼をとる。私に続くように全員が礼をして顔を上げた時にはもう、アレックス王子の姿はなかった。
「今のはアレックス王子だな。ノエルと同い年だから学園でも一緒になるだろうから、よく覚えておくといいよ」
私は頷いて中庭を後にした。控室に入ると、私たちの姿を認めてざわりと囁きが重なった。有力貴族のアングラード侯爵家が注目されるの想定内。私の方は予想以上に多い子供の数の方に驚く。
「父上、随分多いですね。20人以上はいますよね?」
「公の儀は、辺境の領からも子供と家族が集まるからね。王都や近郊の者は半分以下だろうな」
「全員、ダンスや剣の披露をするんですか?」
「公の儀が終わればすぐに男爵家、子爵家の順で始めることになる。この辺りは日が落ちる前に終わってしまうから多くの人に見てもらえない。その後、日が落ちて舞踏会の参加者が集まりだしたら伯爵家、侯爵家の番だ。ノエルは多分最後の方になるから大注目されるね! 頑張ってね」
父上がにやりと笑う。どうしてこう余計なことばかり言うのかな。お母様はすごく目をきらきらさせて拳を握りしめて私に期待の眼差しを向けている。私、母上の為に頑張りますね。
「レオナール!」
一人の男性が声を上げて歩み寄る。父上と親しい人物のようだ。は軍服姿に爵位を示す飾り紐は我が家と同じ候爵の青。階級章は左胸で武官の証。お父様と同じ星三つだから団長だ。この年齢ならかなり優秀な人になる。
「やあ! エドガー、ヴァセラン侯爵家も今日とは奇遇だな!」
ヴァセランの名に私ははじかれるように周囲を見回す。ヴァセラン侯爵の跡を追うようにこちらに歩み寄る少年。紺色の髪に水色の瞳にヴァセランの姓。私の心にしっかりと刻み込まれている。「キミエト」の攻略対象者だ。
「ノエル。私の親友のエドガー・ヴァセラン侯爵だ。第1騎士団団長を務める有能な男だぞ」
「はじめまして。ノエル・アングラードです。以後、お見知りおきください」
「よろしく、ノエル。私の息子も紹介しよう! クロード」
胸がすごくどきどきする。アレックス王子に会うかもしれないことは予想してたから心の準備をしっかりしていた。でも、それ以外の攻略対象に会うことは私の頭の中からすっかり抜け落ちていたのだ。不意打ち。もう、頭の中がお祭り状態。憧れてたアイドルに偶然出会って、いきなり紹介される。そんな状況、私にどうしろと?!
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