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序章

お父様へのお願い キャロル8歳

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「おかえりなさいませ、お父様」

 私は階段の踊り場からお父様を精一杯、冷ややかに見下ろす。

「ただいま、私の天使!」

 お父様は優男風の人懐っこい笑顔全開で、腕を広げて近づいてくる。それに捕まらないために更に2階へ駆け上がる。

「お父様がこないだのお返事をちゃんと下さるまで、私は絶対近くに行きません!」

「そんな悲しいことを天使に言われてしまったら、お父様は明日からお仕事が頑張れないよ」

 悲しそうにお父様が眉を下げる。かつて社交界で美男子と誉の高かったお父様は30半ばなのに困り顔がとても可愛い。でも、騙されてはだめ! お父様は相当の狸なのです。
 私がお父様に3つのお願いをしたのが3か月前。何度も催促しているのに一向にお返事がもらえない。毎度毎度、うまく躱される。私に甘いお父様ならすぐ叶えてもらえると思っていたので予定外だ。

 「だったら、お願いのお返事を下さればいいのです! 
 家庭教師を見つけて下さること。剣の先生を見つけて下さること。ワンデリアにあるアングラード領地についての現状を調べていただくこと。
 どうして、この3つのお願いにこんなに時間がかかるのですか?! 」

「ん~。お父様も善処しているのだけど、なかなか難しいのだよ。ごめんね、キャロル」

 言葉は謝ってますが、絶対悪いなんて思っていない笑顔に8歳に23歳を足した私はごまかされない。

「嘘です。未来の宰相と言われるお父様が、この程度のことに3か月もお返事いただけないなんて私はがっかりです! お父様、嫌い!」

 お父様は打たれ強い。お仕事でいろんな方の陳情を聞くから身についたのか、元々の性格なのか、ほかに理由があるのか、とても打たれ強い。この程度の言葉、蚊に刺されたぐらいだ。
現に笑顔でじりじりと私に近づいてくる。一目散に廊下を駆け抜け、部屋に飛び込み鍵をかける。

「答えを持って来て下さるまで、お父様とは仲良くしません!」

 お父様が寂しそうにお部屋のドアを叩くけど、無視する。心が痛まないわけではないけど、我慢。
 私も必死だ。この3か月は自分なりに本を読み、マナーや立ち振る舞い、体力づくりにいそしんだ。
 おかげで、書庫の本はほぼ読み切ることができた。マナー、立ち振る舞いはお母様、使用人たちに絶賛されるれレベルに達した。体力だって庭をマリーゼより長くぐるぐる走っていられる。ついでに柔軟だってばっちりだ。
 一人で屋敷の中で向上できることが、もう限界にきている。

「どうなさったの?」

 扉の向こうでお母様の柔らかい声が聞こえた。私とお父様の騒ぎが聞こえてしまったようだ。
 お父様が、もごもごと口ごもる。お願いついて、お母様には話していない。お勉強や振る舞いはともかく、剣のことや、ワンデリアのことはあまりいい顔をされないと思ったからだ。お父様もどうやらお母様には、私からお願いをされたを話していないようだ。

「キャロル。何があったの?お父様は要領が得ないし。出てきてお母様にお話してちょうだい」

 どうしよう? お母様にお話しすることで改善が望めるか、それとも道を断たれるか。
 私はゆっくりとドアを開けると、お母様に飛びついた。

「お母様。お父様がひどいのです!私と大切な秘密のお約束をしているのに、ちっとも守ってくれないのです」

 ちょっとずるいけど泣きまねをしてお母様に縋りつく。お母様が優しく頭を撫でてくれる。お母様に秘密にしつつ、お父様にプレッシャーをかける作戦だ。

「まぁ、レオナール。キャロルはこう言っているけど、本当なの?」

 お父様はお母様にとても弱い。社交界でシラリリスの君と呼ばれた美しいお母様。シラリリスは白百合によく似た花で、凛とした佇まいと、清純な儚さがある。そんな美しいお母様に、お父様が一目惚れして大恋愛の末に結ばれたそうだ。今も、美しいお母様をとても愛しているのが日頃の様子からよくわかる。

「うん。まぁ。ちょっと事情がね」

「二人とも何をお約束したのです?私ができることがあるなら……」

「秘密です!」

「秘密だ!」

 お父様と私は声をそろえる。お互いお母様には内緒のようだ。

「お母様。大丈夫です。とても簡単なお約束事なのです。お母様にこれ以上心配をかけないように、お父様はきっともうすぐ叶えて下さるはずです。キャロルは信じます」

 私はとびっきりと思われるような笑顔をお母様にむけて宣言する。お父様を追い込む。

「わかりました。レオナールは、ちゃんと約束は守ってあげて下さいね。キャロルも、お父様に無理を言い過ぎてはいけませんよ」

 お母様の笑顔に私とお父様は頷きあう。これで、お父様のお尻に火が付いたはず。

それから、3日が過ぎる。お父様からのお返事は一向にない。毎日笑顔で帰宅して、私を膝に乗せてにこにこしている。なのに、返事はもらえていない。狸お父様に対して改めて対応が必要そうだ。
 ノックの音がして、マリーゼが声をかける。

「お嬢様。モーリス・ピロイエ伯爵がおみえになりました」

 おじい様がとは、秘密の遊び場で会って以来だった。

「キャロル!」

 ドアからおじい様が飛び込んできて、私を抱きしめる。頬ずりはちょっとご遠慮したい。

「おじいさま。お久しぶりです」

「あぁ。こないだは本当にすまなかった。儂が付いていながら怪我をさせてしまって。もう、大丈夫なのかい?傷が残ってしまって、おじい様はどうしたらいい?」

 おじい様は軽いパニック状態だ。私が倒れてしまって数日お見舞いに毎日駆けつけてくれていた。けれど、目を覚ます前日に仕事でどこか遠い領地に長期間向かうことになってしまったと聞いている。
 おじい様は、戦備前準備部隊の隊長を務めている。騎士団の部隊の一つで戦いに備えて平時からあらゆる品物を管理する独立した部隊になる。今回も備蓄に適した品の情報があり、遠方まで調べに行ったそうだ。
 お手紙を差し上げて元気だとご報告はしていたけど、会うまでずっと心配だったのだろう。

「本当に元気になりましたわ。おじい様、この間は素敵なプレゼントをありがとうございます。とても楽しかったのです」

 黒縁眼鏡の中で目がぴったりと閉じてしまう笑顔を浮かべる。おじい様の一番の笑顔だ。
 マリーゼにお茶の用意をするよう告げて、おじい様に席をすすめる。

「そういえば、おじい様。私あの丘で子狸さんと遊んで連れ帰ってしまったのです。ジルに丘に連れ帰って下さるようにお願いしたのです」

 金の髪に紺碧の瞳の少年を思い出す。私の初めてのお友達だ。別れ際に心配を残してしまって申し訳なく思う。私が倒れてしまって、送り届けることはできただろうか。

「ああ、キャロルが倒れた時に叫んでいたね。ジルにはちゃんと約束を果たさせたから安心おし」

「良かった。ジルはどうしていますか?」

 ジルのお役目は私を守ること。私の不注意による怪我でも責任を問われる恐れがあった。

「キャロルはジルが罰せられるのは嫌じゃろ?」

「はい。あれは私の不注意なのです」

「ジルへの処分は、儂と遠方の仕事に同行し、同じようなミスが二度おきないように説教されて、もう一度鍛えなおされること」

 おじい様が悪戯っぽく笑う。その罰は実質的なおとがめなしに値する。

「おじい様、大好きです!」

 おじい様は本当に私が喜ぶことをよく知ってる。
 男の子とジル、二人と過ごした三か月前のことがとても懐かしい。あの日があって今の私がある。

「これをキャロルに。ジルから預かってきた」

 小さな包みを受け取る。開くと白い石を大輪の花に模して彫刻した手のひらに乗るジュエリーケースが出てきた。

「ワンデリアの石を加工したものか。今回の道中で購入したと言っておったが」

「ワンデリア……。おじい様はワンデリアに滞在したのですか?」

 思いがけない形でワンデリアの名を聞く。

「いや、今回は移動の際に端を通過しただけじゃ。何もない土地ゆえ、用がない限りは滞在の機会はない」

 やはり魔物がでるワンデリアは用がなければ、人はあえて立ち寄らない。豊かな土地では決してないのであろう。

「こんなにきれいな品があるのに、何もない土地なのですか?」

「白い石はワンデリアではよくとれるものじゃ。砕いて庭石として流通しているのは知っていたが、そのように加工されているのは儂も初めて見る」

 まじまじとジュエリーケースを見る。丁寧に繊細な加工がしてあってとてもきれいだ。売っていたら女の人は絶対に気に入ると思う。
 これはワンデリアで作られたものなのか、どこで購入したものなのか。ジルなら詳しく知っているはずだ。
 そうだ! ジルに剣を教えてもらうことはできないだろうか? 穏やかで優しく物腰も上品でお父様もお母様もジルだったら私の先生としても許してくれる。私もジルにまた会うことができる。

「おじいさま! お願いがあるのです!!」

「こないだのお詫びじゃ、なんでも聞くぞ」

「私、剣を習いたいのです。ジ……」

「ソレーヌに習えばよいではないか」

「え、お母様……?」

 思いがけない名前が飛び出す。

「うむ、ソレーヌは剣が使えるぞ。我がピロイエ家は人気のない戦備前準備隊だが隊長をずっと務めている武官の家柄。ソレーヌはそこらの男よりよっぽど強いぞ」

 社交界のシラリリスの君。儚げな銀の髪とオリーブの瞳で評判の美女。それがお母様のイメージだった。物腰もとても優美で女性らしくていつも穏やかに微笑んでいる。剣を扱う姿なんて全く想像がつかない。

「お母様が剣なんて想像がつきません!」

「そうか? 」

「そうです! 社交界のシラリリスの君です! それが剣を持ってなんてイメージが違いすぎます」

 おじい様が複雑な顔をされる。ちょっと迷った後に口を開く。

「社交界のシラリリスの君。確かにソレーヌが美しいからついた名なのだが、もう一つ裏話がある。絶対に倒れない女。……あとはお父様にでもきいてみるといい」

 おじい様が失敗しいたような顔をしている。お母様の昔のお話はあとでお父様にゆっくり、ゆっくり伺うことにする。

「それにしても、キャロルが剣か……。可愛いじゃろうな。
 ソレーヌは最初は剣が重くて持つこともできなくてのぅ。よちよち歩きで、そこらにある枝を兄たちを真似して振り回しておった。小さい木の剣をつくってやったら、お父様大好きと抱きついてなぁ。
 ちょっと大きくなれば、兄たちに普通の剣では勝てぬと、自分用に細身の二本の剣を作ると言いだして。こっそり儂が仕立ててやったら、またお父様大好きといって……」

 おじい様が嬉しそうな顔で昔のお母様の思い出話を語る。よちよち歩きから木の枝を振り回すお母様。伯父様たちに勝つためにわざわざ剣を作るお母様。私の中のお母様のイメージが音を立てて崩れていく。

「あの、お母様の道具はまだありますか?私は道具も持っておりませんの。頂きたいのです。」

「まだ儂の屋敷にのこっておるから、あとで届けさせよう。扱いがなれて最初の剣を作る時はおじい様が仕立ててあげるからな、任せておけ!」
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