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後章

初めての『奇跡』を!

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 水を生み出す魔術を発動すれば、器である魔石から水が溢れてくる。『奇跡』が魔術である事は秘密だから、その光景は見られる訳には行かない。魔石は残っている泉の中に投げ入れるのが良いだろう。

 かつては泉の縁だった場所に立って、抉ったかのように勾配が激しい泉だった大地を見下ろす。
 自分で言うのも何だけど、私はじゃじゃ馬である。このくらいなら自分の足で下りて行くなんて簡単だ。でも、ドレスをたくし上げて降りていくのは、聖女の振る舞いとしてはどうなのだろうか。

 迷った末に、誰かに頼むのが正解と判断して後ろを振り返る。楽しそうな顔で儀式を待っていたライモンドと目が合った。
 ライモンドならいいかもしれない。情は厚いらしいから断る事しないだろうし、一応は専任の護衛だから信頼は置ける。何よりも、急な斜面で滑って転んでも頑丈そうだ。
 
「ライモンド。一つ、お手伝いをお願いしても宜しいですか?」

 表情を引き締めたライモンドが、恭しい態度で私の前に跪く。
 国王陛下に向けるのと同じ最上の一礼に、周囲の空気が厳粛なものに変わった。

「私が作ってきたお守りの様な品です。『奇跡』を祈る前に、泉に捧げたいと思っています。水のある場所まで下りて、中心に近い場所に落として頂けませんか?」
「畏まりました。聖女様の代わりに、泉に捧げる役目。このライモンドが果させて頂きます」

 白いスカーフに包んだ魔石を差し出すと、ライモンドが両手で宝物を扱う様に押し頂く。羨望の色を含んだ溜息が、幾つか周囲の騎士から落ちる。

 颯爽と魔石を捧げ持って、危なげもなくライモンドが斜面を下っていく。優雅さすら感じる動作で泉に辿り着くと、私に一礼した後に泉にも丁寧な一礼する。

 深く考えなかった人選だけど、ライモンドにして大当たりだったと思う。
 ライモンドの軽い言動は、素直で高揚しやすい性格によるものだ。私に役目を任された今は、護衛騎士のお使いではなく、『聖女』の使者になり切ってくれている。

 ライモンドが魔石を持った腕を伸ばして、白いスカーフにくるんだ魔石を泉に落とす。静寂の中に、水が受け止めた音が響いた。静かな波紋の中心で、白いスカーフにくるまれた魔石が泉の底へと沈んでいく。
 これで、魔石が誰かに見られる事はない。

 『聖女』の使者として神妙な顔で戻ったライモンドが、役目を終えた事を跪いて報告する。

「『聖女』リーリア様、お預かりした品を泉の深くに捧げてまいりました。心より『奇跡』の成功をお祈りしております」
「有難うございます、ライモンド。捧げものは、きっと『奇跡』の一助になるでしょう」

 ライモンドが胸を張って下がるのを見届けて、泉に向かって祈る様に手を組む。
 送りの術は、着替えた時に二の腕に書いてある。後は魔力を流して魔術を発動すればいいだけだ。

 息を整えて体の中で動く魔力を確かめる。いつも通りしているのに、今日は安定しない。騎士たちの視線と初めて『奇跡』を偽る事に、やはり緊張している所為だろう。
 仕方ないから『魔術』を習いたての子供みたいに、指先に力を入れて抜くのを繰り返して安定させていく。何度か繰り返すうちに送りの術に安定した魔力が流せる状態になった。
 故郷の収穫のお祭りに使う言葉を、私の祈りの言葉として口にする。

「天と地と私達に今日がある事に感謝いたします。慎み深く生きる我らに、安寧を。愛しいこの地に豊穣を。『水よ溢れて、泉を満たし続けて』下さい」

 言葉を受けて、魔術が発動する。
 水面が僅かに波打って、気づいた数名の騎士が息をのむ音が重なった。それに促される様に、全ての騎士の目が水面を見る。
 瞬く間に波紋が大きくなっていく。そして、柔らかな波が渇いた土を飲み込み、水面の緩やかな上昇が始まった。

「これが『奇跡』……。我々の泉が元に戻っていく……」

 喜びを噛み締めるような村長の呟きが落ちると、騎士たちが雄たけびを挙げた。
 驚いて身体が跳ねたけど、まだ魔力を途切れさせる訳にはいかない。

 処刑の時に書いた『魔術』は、古来の遠隔『魔術』。一度魔力を流し発動すれば、水が一定量溢れる単調なものだった。水源を作るなら、溢れさせたうえに維持も必要だ。
 だから、今回は故郷のアルトゥリアで改良された『魔術』を使用している。
 アルトゥリアは厳しい土地で、他国との交流もない。自給自足で生きるために生活の為の『魔術』は、改良が重ねられてきた。
 水源の『魔術』は、二つの『魔術』が掛かっていて、魔力を流す間は水が増し続け、止めた所で器が壊れるまで水量が維持がされ続ける。

 興奮する声を後ろに聞きながら、送りの術式に魔力を込め続ける。
 どのくらいまで水があればいいだろうか。
 渇いた土の半分まで押し上がった水位を見つめる。指先が少しだけ冷たくなってきていた。

 亡き母が家の井戸にこの『魔術』を一人で使うのは見てきたけど、実は一人で水源を作るのは初めてだ。井戸と泉の大きさの違いによる魔力消費は、勿論予測していた。でも、想像よりも、ずっと消費が激しい。

 一瞬背中がぞくりとして、怖いという感覚が湧き上がる。
 
 本当は並々と泉を満たしてあげたかったけれど、これ以上は無理をしない方がいい。魔力を失う危険性は子供の時から、散々と言われ続けてきた。
 小さく息を吐いて、魔力を止める。水が溢れるのが止まり、『魔術』は維持に切り替わる。

 揺れが静かになった水面と届かなかった縁までの距離は、私の魔力の足りなさと見通しの甘さだ。申し訳なさを胸に抱えて村長を振り返る。
 
「半分以上は回復しましたが、全てと言う訳にはいかなかった様です。『奇跡』の力が及ばず、申し訳ありません……」

 謝罪の言葉を口にすると、弾かれる様に村長が土に膝をついて私を見あげる。満面の笑顔に皺が一層深くなり、眦に浮かんだ涙を日に焼けた指で拭う。

「何をおっしゃいます。力及ばずなどという事はありません。枯れた泉がこれほど回復するなんて、我々にとっては十分な『奇跡』です」
「十分なんですね……。良かった……」

 胸を撫で下ろすと、アランが剣を抜いて天を刺すように突き上げた。

「『聖女』リーリアの『奇跡』を讃えよ」

 騎士たちが一斉に剣を抜いて勝鬨をあげる。大地を揺るがすような声に、空を刺した剣の向うで丘の鳥たちが一斉に飛び立つ。
 
 勇ましい勝鬨に村長も立ち上がって、声を合わせる。ジュリアを始めとした騎士たちの誇らしげな顔を見ていたら、成功の実感が込み上げてきた。

 両手で肩を抱くように自分を抱きしめる。

 上手く言ったんだ。
 私、贋物だけど『聖女』の役目が果たせたんだ。
 偽りだけど『奇跡』が誰かの役に立てたんだ。
 嬉しい。すごく嬉しい。

 充足感と安堵に気持ちが浮き立って、頬が自然と緩んでいく。『聖女』があまりにやけてはいけないと、両手で頬を抑えるけれど感情が抑えられなくて中々顔が戻らない。
 少し恥ずかしい気持ちで勝鬨を上げ続ける騎士を見ると、ライモンドと目が合った。

「リーリア様も、共に勝鬨をあげましょう! 貴方の『聖女』としての、初めての『奇跡』ですよ!」

 ふわふわと夢の中にいるような心地で、言葉に促されて片手を突き上げる。一番大きな勝鬨が上がって、たくさんの満足気な笑顔が私に向けられた。

 成功の余韻に浸りながら、来た道を皆で引き返す。村の広場に戻ると、村人たちが不安げな顔で結果を待っていた。
 笑顔の私たちを見て、察した何人かが胸を撫で下ろすと同時に村長が結果を告げる。

「村の仲間たちよ! 『聖女』リーリア様が『奇跡』を成功された。泉は大きく満たされたぞ!」

 今度は村人たちが歓声を上げる。その歓声の中で村長が、泉での出来事を朗々と語り始めた。

「リーリア様の神々しい姿を、私は生涯忘れる事はないだろう。縁に立って泉を見下ろされた顔は凛々しく、祈る姿は清らで美しく。『奇跡』の瞬間は、光輝き女神が降り立ったかのようであった」

 誰の事がと耳を疑うような言葉に目を瞬く。カミッラ様の美しいドレスで補正が掛かっているとしても、美化され過ぎだ。
 訂正しようと言葉を探すうちに、更に話は華やかになっていく。

「『奇跡』の瞬間は、鳥肌が立った。一陣の風にリーリア様の夜に似た藍の髪が揺れると、まるで泉に夜明けが訪れたかのように空気が変わった。『聖女』の清らな存在が周囲を浄化したのだ」

 社交界で褒められた経験が少ないこともあって、あまりの大袈裟に褒められると眩暈を起こしそうになる。
 でも、これだけの称賛を得られたなら、この村では『魔女』の噂は十分に払拭されるだろう。村に訪れた人にも、話が伝われば少しずつだけど広まって汚名をきっと晴らしてくれる。
 上々の結果と思うべきだが、実物とかけ離れた内容はやはり恥ずかしい。

 訂正するべきか、今後の為に耐えるべきか。
 迷った末に、詐欺になっては困ると決断する。

「あの、褒めて頂くのは嬉しいですが、褒め過ぎです。突然の出来事に驚いて、大幅に美化されてます。もっと普通で……」
「いえいえ、褒め過ぎなどではありません。あぁ、大事な事を忘れていた。聞いてくれ、皆! リーリア様は、道を整えた事に気づいて下さったんだ。私の手を取って、感謝までして下さった。慈愛に満ち、そして優雅で美しく、素晴らしい『聖女』様と出会えた我々は本当に幸せ者だ」

 村長の興奮が、周囲を巻き込む。人々の私を見る眼差しが、村長と同じ心酔した眼差しに変わっていく。
 私の名を一人が誇らしげに叫び、村人たちが賞賛の声を続ける。

「『聖女リーリア』!」
「セラフィンに『奇跡』の乙女あり!」
「『奇跡』を与えし『聖女』リーリア!」
「リーリア・ディルーカ様 万歳!」

 二度目の大きすぎる賞賛にたじろぐ。
 騎士の勝鬨は真っ直ぐな言葉ではなかったし、成功の直後で私も少し浮かれていた。今は気持ちもずっと落ち着いているから、手放しの称賛はひたすら面映ゆい。

 助けを求めるように護衛の代表であるアランを見たら、苦笑いをして私の帰還を周囲に告げてくれた。
 名残惜し気な空気の中で、村長が別れの言葉を口にする。

「『聖女』リーリア様。この度は、本当に有難うございました。村は救われて、憂いはなくなりました」

 小さく声を上げて息をのむ。
 これで村が救われて、憂いがなくなる。それは間違いだ。
 今回の話は急な事で、事前に水不足の理由に詳細がなかった。雨が少ないなど一般的な理由があっての事と想像していたけれど、実際は原因不明の枯渇だった。

 私の『奇跡』は『魔術』。『魔術』は永遠じゃない。
 器の魔石は、いずれ消耗して砕け散る。砕け散れば『魔術』は消えて、また水は枯渇する。
 
「憂いがなくなったと考えてはいけません。『奇跡』は、根本的な解決ではないんです。終わりを迎える事だってあります。新しい水源の確保を早急に目指すべきです」

 一年は魔石の器が持つと算段していたけれど、今の状態は予想よりもずっと悪い。もっと早く魔石が砕けてしまう可能性がある。

 安堵も束の間、未来を不安視する言葉に村人たちが騒めく。村長も不安げな眼差しで困り果てた様な顔になっていた。

「『奇跡』がなくなる事なんてあるのでしょうか? なくなってしまったら、もう助けて頂けないのですか?」
 
 再び『奇跡』を請う言葉に、村人たちが同調の声を上げる。

「『聖女』リーリア様、見捨てないで下さい」
「また、私達を助けて下さい」
「貴方の『奇跡』がなければ、村は終わりです」
「どうか、いつかまた『奇跡』を」

 縋るような眼差し、祈るような眼差し、期待するような眼差しが、私を見つめる。

 何を言えばいいのだろうか。何をすればいいのだろうか。何ができるだろうか。
 必死に考えを巡らせる。向けれた眼差しを裏切る事も、振り切る事も私にはできそうにない。

「見捨てるなんてしません……。再び泉が枯れたと連絡があれば、私は必ず駆けつけます。でも、――」

 言葉の途中なのに、小さな歓声が起きる。まだ話す事があって、そちらの方がずっと大事な事なのに、村人はもう安堵に胸を撫で下ろしてしまっていた。

 私の言葉が人を一喜一憂させる。
 目の前の戻った笑顔に今は嬉しさはない。甘い言葉で終わるわけにはいかない苦しさばかりが胸に広がる。
 ドレスの前で合わせた手を握って自分を鼓舞すると、水を差すであろう続きの言葉を口にする。

「聞いてください。皆さんの為に自分が出来る事を、私は厭うつもりはありません。ただ、『奇跡』が何時まで続くのか。私に何度起こせるのか。それは、分からないんです。皆さんが将来の不安から解放される為には、本当の地にある水源は、やはり求めるべきです」

 見捨てられないと言う安堵が今度は村長を支えたのか、私の言葉に真剣な顔でじっと考え込む。暫く押し黙った後に、溜息を落としてゆっくりと頭を振る。

「水源は望めるのなら、欲しいとは思います。しかし、ここはまともな水源のない土地だったと、代々の長から聞いています。あの泉があって、百年前に漸く村が拓かれたのです。簡単に他が見つかる事はないしょう。遠くから引くとなれば、その資金は恥ずかしながらございません」

 王妃の教育の中で、灌漑事業の資料は目を通した事がある。当然、村で賄えないものである事は承知している。

「大丈夫です。水利の技術は然るべき官吏が持っている筈です。現状を伝えて、対応を願い――」

 対応を願いましょうと、言いかけた言葉を飲み込む。
 水利は簡単な事業ではないし、求めている場所はいつだってある。この村の計画は、国の計画のどこに挟む事が出来るのか。現状を伝えて要望を私から上げる事は出来るけど、決めるのは私ではない。

 既に決定事項のように村人達が、明るい笑顔で笑い合う。
 
「『聖女』リーリア様が願い出て下さる。ならば心配いらないな」
「村に新しい水源が出来るなら安心だ」
「もう不安におびえる必要は本当にないんだな」

 もう取り戻せない言葉を、私の隣に進み出たライモンドが加速させる。

「リーリア様は、デュリオ第二王子の婚約者でもある! デュリオ王子は国の事を心から考える方で、その才はレナート第一王子にも優る! 『聖女』リーリアの願いに答え、この村の未来はデュリオ王子によって救われるであろう!」

 デュリオ王子の名が加わると、また村人の熱が加速したように感じた。
 私とデュリオ王子の名が交互に叫ばれる中、ライモンドが得意げに片目を瞑って囁く。

「いい援護だったでしょう? カミッラ正妃にデュリオ王子の宣伝を申し付けられていたと聞いてました。見事に今日の俺は、お役に立てましたよね!」

 悪気のないライモンドに促されて、馬車へと向かう。

 初めて『聖女』の立場。初めての『奇跡』の成功。初めての『誰かの期待』。
 歓声が遠ざかっても、耳の奥から彼らの声は離れる事はなく。自分の立場に向けられる思いと自分の立場が与える影響を、私は初めて理解した。 

 初日の宿は、最初の村から一刻半の場所にある中規模の街にあった。バルダートに向かう街道の途中で、貴族によく利用されている宿は上級貴族のみならず国王陛下が利用する事もあるという。
 食事と湯浴みを終え、明日の行程の打ち合わせを終えると、自分に用意された部屋に戻る。

「では、ジュリア。また明日、お願いしますね」

 部屋の前まで私を送ったジュリアに暇を告げる。暇を告げると言っても、私とジュリアの部屋は扉続きの隣室だ。

「はい、リーリア様。また、明日お迎えに上がりますわ」

 一礼して顔を上げたけど、踵を返すことなくジュリアが私を見つめる。

「どうしたんですか?  何かありましたか?」

 栗色の縦ロールを僅かに揺らして、ジュリアがそっと息を吐く。
 
「……今日の『奇跡』は、とても凄かったですわ。見ていて胸がドキドキしました。でも、少し心配になりましたの。行きの歓声にも、貴方は気負ってみえた。実際に側に言葉を交わせば、尚更に気負ってしまいませんか?」

 ジュリアの指摘は正しい。村を出てからも、ずっと考えていた。

 デュリオ王子に願えば、あの村の灌漑事業はすぐに取り上げて貰えると思う。それが、カミッラ正妃の耳に入れば、私とデュリオ王子の美談として利用される事になって、灌漑事業は瞬く間になされる。
 でも、無理に何かを一つ捩じ込めば、何処かに皺寄せが必ず行く事になる。
 一つが早まれば、一つが遅れる。
 私の関わった人は喜ばせる事が出来るけど、私の知らない誰かが嘆く事になるかもしれない。

 だからといって、私に期待して縋る人を見放す事も出来ない。

「何とかしてあげたいけど、考えなしに動けば色々な所に影響が出てしまいます。期待に応えたいのに、私一人で出来る事じゃない。胸がもやもやしてしまいます」

 レナート王子との婚約が決まった時に、お父様には政に口を挟むべきではないと言われた。その意味が今になって分かる。
 今までは未来の王妃と呼ばれても期待を身に感じる事なんてなかった。教会派の中で私の言葉を大事にする人もいなかった。だから、私の言葉一つで誰かが一喜一憂する事も、国の単位で何かが動く事もなかった。
 
 デュリオ王子の婚約者になって、『聖女』と呼ばれた今、初めて期待を受ける事と応える事の難しさを知った。

 目を伏せて俯くと、ジュリアが自分の腰に下がった剣を軽く叩く。

「憧れの騎士になったのに、わたくしでも思い通りでない事がたくさんありますの。以前は、お兄様やお父様の愚痴が、騎士のくせにと腹立たしかった。でも、最近は同じ道を通ったと、心が軽くなりますのよ。リーリア様にも、思いを分かち合える方がいらっしゃいますわよね?」

 私の思いを分かち合えると人……。最初に浮かんだ苦し気な眼差しと、次に浮かんだ無理をした眼差し。
 あの二人がに比べたら、私なんてまだまだ何も分かっていない。分かち合うなんて、甘いにも程がある。

「ありがとう、ジュリア。でも、まだ始まったばかりですから、今は一人で向き合ってみます」
「分かりましたわ。でも、無理はなさらないで下さいませ。おやすみなさい、リーリア」

 ジュリアが柔らかな笑顔を浮かべて、ジャケットの裾を摘まんで令嬢としての礼をとる。

「おやすみなさい、ジュリア」

 閉じた扉を背に大きく息を吐くと、答えの出ない事を頭を振って振り払う。
 今はやれる事をやろう。そう決めて、両手をぐっと握りしめて気合を入れると、持ち込んだ鞄の一つから便箋とペンを取り出す。

 昨日、国王陛下から渡されたお父様の手紙には、私を心配する言葉と今の状況を詳しく伝えるようにという指示が書かれていた。
 レナート王子との入れ替わりは、流石に手紙で話すのは抵抗がある。だから、伝聞と言う形で伝える事にした。これが案外大変で、昨日の夜からしたためているのだけれど、まだ半分も書けていない。

 明日もそれなりに早いから、あまり遅くならない様に気を付けて、手紙の続きを書き始める。
 改めて文章に出来事をまとめると、忙しくて置き去りになっていた事が幾つかある事に気付かされる。

「私とレナート王子を襲った人は、誰だったんだろう?」
 
 レナート王子であった時に矢の捜索をグレゴーリ公爵に頼んだけれど、元に戻ってしまったからその後の経過は聞いていない。
 当事者である私に何の報告もないという事は、未だ進展なしという事なのだろうか。王都に戻ったら、ジュリアを通じて問い合わせてみてもいいかもしれない。

 処刑の前日までの出来事を書きだしているうちに、急に睡魔が襲ってきた。大きく伸びをして、道具を片付ける。
 
 お父様は暫く国王陛下の代わりにバルダートですべきことがあると言う。手紙はシャンデラに着いたら、騎士団に依頼して送ってもらうつもりだから焦る必要はない。

 ランプの明かりを消して、自分の部屋よりも少し硬いベッドに横たわる。カーテンの隙間から白い月明かりが漏れるのが見えた。

「思いを分かち合える人……。私は思いを分かち合ってあげられなかった」
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