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王都に来ました!【過去】リーリア11歳

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 私が、『私』を抱いて歩き始めてから、どのくらいが経ったのだろう?

 途中から傷が開いて、もうずっと血が流れて止まらない。何だか頭がぼんやりして、視界までぼやけてきた。
 でも、ここで倒れる訳には行かない。
 腕に力を入れて『私』を抱えなおすと、何かが聞こえた気がした。

「――ト王子、―――――か?」
「レナート王子、どちらにいらっしゃいますかーーー?」

 レナート王子を呼ぶ声に目を凝らす。霞む視界のずっと先で、いくつもの明かりが見えた。あれだけの数なら味方と判断して、私はありったけの声を上げる。

「ここです! ここにいます!」

 私の声が届いたようで、明かりがこちらに向かってくる。
 人影が近づくと、制服を着た騎士たちだと分かる。人数も思った以上に多く、大事になっていそうだった。

「レナート王子!! その血は?」

 駆け寄った騎士の階級章を見る。分隊長だからダメ。『私』を預けるのには、権力が足りない。
 小さく頭を振って、私は別の人物を求めて、取り囲む騎士たちの間を進む。

「レナート王子?」
「その血は、どうしたんです?」
「その令嬢は?」

 話しかける騎士たちを、次々と判断していく。
 中隊長、駄目。小隊長、駄目、大隊長……権力ありだけど、この人は信用できない。お父様が、流されやすいと言ってた。
 伸ばされた手を、私は『私』を抱き寄せる事で拒否する。

「レナート王子!」

 低く張りのある声を見ると、栗色の髪を撫で付けた壮年の騎士が真っ直ぐ駆けよってくる。
 側までくると壮年の騎士は素早く一礼して、稲穂色の瞳で私を見つめる。

「一体何があったのですか。抱えてらっしゃるのは、ディルーカ伯爵令嬢ですね?」

 この人は……多分、お父様が褒めていた人だ。公平で実直だと言っていた。『旧国派』でお父様が手放しで褒める人は珍しい。
 騎士の徽章で間違いなく彼である事を確認して、『私』を預けられる人を見つけた事に胸を撫で下ろす。

「はい。大事だから『私』を任せられる人を選んでいました」

 私の言葉に一瞬怪訝な顔をして、騎士が胸のなかにいる『私』に手を伸ばす。

「私にディルーカ伯爵令嬢を預けて頂いても宜しいですか? 怪我をされていて、ご負担かとお見受けします」

 本当に、私はもう立っているのがやっとだ。

「お願いします」

 そう言って頷くと、整った顔立ちを壮年の騎士が綻ばせる。
 あの子の笑顔は見た事ないけど、笑った顔は年齢より若く見えてあの子の面影があった。 

 ゆっくりと『私』を預けながら、必要な事を壮年の騎士にだけに聞こえる声で伝える。

「『私』たちは、外苑で襲われました。襲った者の姿は見ていません。ディルーカ伯爵令嬢は、今日の件での大事な証人です。治療をして必ず回復させて下さい」
「襲われたのですか? 我々は、行方が知れないと聞いていたのですが?」

 壮年の騎士が眉を顰めて尋ねる。
 襲われた事を騎士が知らないのなら、外苑は今どうなっているのだろうか。無数に落ちた矢は、どうしたのか。どうやって、私がいない事を知ったのか。レナート王子の従者のシストはどうしたのか。
 たくさんの湧き上がる疑問に首を振る。

「今は私も何が起きたのか分かりません。誰を信じていいのかすら分からない。だけど、私は貴方を信じるに足る人だと思っています」

 まっすぐ稲穂色の瞳を見つめて告げると、迷いのない力強い眼差しが返ってくる。
 お父様の言葉通り、この人は信頼できるかもしれない。

「ご期待に背く真似は致しません。まず、証人とおっしゃるディルーカ伯爵令嬢も、レナート王子が置かれた状況を知っていらっしゃるのですね?」

 そっちの『私』にあれこれ聞かれるのは、極力避けたい。
 レナート王子の立場を最大限利用しつつ、私は『私』を守る事にする。

「詳しくは私が話すまで待ってください。彼女は怖い思いをしています。誰に襲われたのかが分からない以上、私以外を疑うでしょう。私の許可なく尋問する事を禁じます」
「わかりました。今、他に望まれる事は?」

 時間が勝負なのは分かっているけど、頭がぼんやりして考えがまとまらない。とにかく、思いついた事だけを伝える。

「外苑を調べて下さい。でも、デュリオ王子の事は伏せて下さい。あとレナート王子……いえ、私の従者シストに聞き取りを。それから、きちんとした部屋へ……ディルーカ伯爵令嬢を移して大事に扱って欲しです。これは命令であると同時に、個人的な願いです。誰に何を言われても、必ず貴方が守って下さると信じています」

 少し支離滅裂になってた私の言葉を、壮年の騎士は受け止めてはっきり返事を返してくれる。

「騎士団長アレッシオ・グレゴーリ、必ずレナート様の願いを守るとお約束いたします」

 ジュリアのお父様に『私』を預けると、体から力が抜けて視界が大きくぐらりと揺れる。
 レナート王子の名を叫ぶ声が幾つも聞こえたけど、返事は出来なかった。限界を迎えた私は意識を手放してしまったからだ。



 体が重い。瞼が開かない
 私、何をしてるんだろう。どうして、ここにいるのだろう。



 ふわりと温かい風が、中庭から春の香りを運ぶ。
 中庭に面した通路を、私は案内の騎士様の後に続いて進む。騎士様は歩く速度を落としてくれているけれど、十一歳の私にはこれでもまだ早い。
 慣れないドレスの裾を蹴るように蹴るようにと、心の中で繰り返して必死に進む。

 王都にきてもう二十日が経つ。大国セラフィン王国のお城は、絵本の挿絵みたいで本当に素敵だと思う。
 でも、何もかもが素敵な訳じゃない!!

 くすくすと耳障りな笑い声と一緒に、今日も『田舎者』『こざる』とご夫人達が呟く声が耳に入る。『田舎者』『こざる』が、短い髪に日焼けした私への悪口なのはもう知ってる。

 声のした方に顔を向けると、華やかな扇を上げて夫人が私から顔を隠す。
 腹が立つったらない! 堂々と言えないなら、悪口なんて言わなきゃいいのに。

 私の故郷アルトゥリアは、高い崖に囲まれた山あいの村が三つだけの領。畑を作って狩りをする自給自足の暮らしで、存在の薄さから一時は地図からも存在が消えていた。
 とても小さな領では、身分に関係なく人は笑い合って良く働く。子供は働く為に髪を短くして、遊んで働いた証の日焼けは褒められる。
 そんな故郷とお城では、色々な事が全然違う。子供の私だってちゃんと分ってる。

 でも、どうして悪口を言われなくてはいけないの?
 ここはここ、あちらはあちら。それぞれのやり方があって、何が悪いの?

 顔を隠した夫人に精一杯冷たい眼差しを向けて、私は思いっきり胸を張る。
 『田舎者』で何が悪い? 『こざる』で何が悪い? 
 誰が何と言おうと、これまでの私を私は誇れる!

 続く笑い声やひそひそ声の中で、私は顔をしっかりと上げて堂々と歩く。
 何か文句ありますか? と悪口を言う人に啖呵を切りたくなるけど、子供なりに大人げないと思うから堪える。
 図書塔がある西棟に入れば、人が減るからそれまでの辛抱だ。

 西棟の古めかしい木戸を抜けて、静けさに包まれると思わず安堵の息を漏らす。

「お疲れさま。毎日、小さいのに大変だね」

 頭上から小さな声で、案内の騎士様が私を労ってくれる。騎士の人は仕事以外のお喋りは駄目なのだけど、最近は優しく声を掛けてくれる人が何人かいる。

「ありがとうございます! 髪は伸びるし、日焼けも消えます。時間が経つと、人って変わるんですよ。近い将来、私が一番の令嬢になって見返してやります。見ててください!」

 悪口には腹が立つ。だけど、ここで暮らすなら、合わせなくてはいけない事も分かってる。
 今後は髪だって伸ばすし、もう日焼けだって気を付ける。少しずつマナーも覚えて、長いドレスもきこなす。
 これまでの事に色々言う人を、これからの私で見返してやる!それが、今の私の目標だ。

「はははっ。強いなぁ。さすがリエト様のお嬢さんだね。期待しているよ!」

 騎士様の言葉に大きく頷いて、薄暗く重厚感のある通路を再び歩き始める。
 図書塔がある西棟は、本や資料が多過ぎて改築ができないらしい。城の中で一番古いからキラキラしてないけど、古い香りと落ち着いた雰囲気がとても安らぐ。
 
 図書塔の手前の通路で、騎士様が足を止める。その背中から顔を出すと、私と同じ年ぐらいの女の子が歩いてくるのが見えた。

 三人の使用人を従えた少女は、大きな稲穂色の瞳に縦巻きの豊かな栗色の髪をしていて、絵本に出てくるお姫様みたいに可愛い。思わず胸がきゅんとなる。

「すごく可愛い……誰ですか?」
 
 目を輝かせて尋ねた私の言葉に、苦笑いを零して騎士様が通路の端に移動する。身分によって道を譲るのだけど、女の子は使用人を三人も連れているし、凄く偉い人の子供なのだろう。
 私も騎士様に習って壁際へと移動する。
 
「彼女は、ジュリア・グレゴーリ公爵令嬢だよ。二大公爵の一つ、グレゴーリ公爵の末娘だ。会うのが初めてなら、挨拶しておいた方が良いと思う。だけど、どんな反応が返ってきても気にしちゃ駄目だよ」

 後半の含みのある言葉は、私の耳に届いていなかった。
 王都で初めての同じ年頃の女の子に会えた事が嬉しくて、心がわくわくでいっぱいだったからだ。

 騎士様が左手を剣のない右腰に当てて、僅かに頭を下げる騎士の立礼をとる。
 少女が近くまで来ると、愛らしい眼差しでちらりと私を見た。私よりも少し背が低くて、近くで見るともっともっと可愛い。

 限られた環境で目が合った時は、名乗っても良いというマナーを思い出して、私はドレスの端を摘まんで少し足を引いて軽く膝を折る。

「はじめまして。リーリア・ディルーカと申します。父は伯爵を賜るリエト・ディルーカです。王都には二十日前に参りました」

 練習してあった口上を淀みなく言えてほっとした私の頭上に、呆れたような小さなため息が落ちる。それから、鈴のなるような可愛い声が、通り過ぎざまに吐き捨てる。

「旧国の方に名乗る名前はありませんの。不愉快ですから、二度とわたくしに話しかけないで」

 呆然と顔を上げて、ジュリアと騎士様が名を教えてくれた少女の後ろ姿を見送る。
 『旧国』って何? はっきりと拒否された衝撃よりも、耳慣れない言葉への疑問の方が心に大きく残る。

 もやもやとした気持ちを抱えて、図書棟の資料室の一つに辿つく。案内の騎士様にお礼を言ったら、元気を出してねと言って頭を撫でてくれた。
 もやもやがしくしくになりそうな気分で、資料室のドアを開ける。

 この図書塔の一室は、一週間前からお父様が私の為に借りてくれている。
 お父様は朝から晩まで忙しくて、私と顔を合わせる暇もない。だから、こうして朝お城にきて勉強し、お昼をお父様と過ごして帰れる様にしてくれた。
 お母様を亡くて寂しい私を思ってなのだけど、中庭の通路のようにお城には色々大変な事もある。

 室内に入ると、手にした本を閉じてナディル先生が私を迎える。

「ごきげんよう。リーリア」

 金色の髪を後ろで纏めたナディル先生は、私よりもずっと年上だけどお父様よりはずっと年下。動作が美しく、男の人なのに美人という言葉が似合う。
 二百年ぐらい昔に王家と縁があった地方貴族の三男で、新人の騎士や官吏に儀礼やマナーを教えて生活しているという。
 今はお父様と契約して、私の先生だ。

「ごきげんよう。ナディル先生」

 きちんとドレスの端を摘まんで、ゆっくり膝を落とす。一番丁寧な挨拶をすると、椅子から立ったナディル先生が丁寧な一礼を返す。大きな手に私の小さな手をとって、唇を落とす真似事までしてくれるのだけど、何度されてもこの挨拶は凄く恥ずかしい。

「礼は身に付いてきたようですね。大変綺麗な挨拶でした。さぁ、今日は何のお勉強をしましょうか? 地理を学びますか? 算学に挑戦してみますか?」

 椅子までエスコートしてナディル先生が尋ねる。私はその言葉に首を振る。
 今日は教えてもらいたい事が、ついさっき出来た。

「『旧国』って何ですか?」

 春の空色の瞳を瞬いて、ナディル先生が少し迷う素振りを見せる。

「困りましたね。その言葉は、色々学んでからと思っていたのですが……」

 令嬢らしくないから嫌いと言われたなら、ある意味納得できた。でも、『旧国』の人だから嫌いでは、何が何だか分からない。
 分からないままでは、私はジュリアと一生お友達にはなれない。
 諦めずにじっと先生を見つめると、降参と言うように両手を上げてナディル先生が苦笑いを浮かべる。 

「どうしても知りたいというお顔ですね。では、簡単にお話します。セラフィン王国は百五十年ほど前までは、小さな国だったという歴史は覚えていますか?」
「はい。平野は多いけれど水理が良くない国で、公路の中継地として商業に力を入れていたんですよね? それで、先々先々代……あれ?先々先々先々代?」

 どっちか忘れてしまったけど、凄く昔のセラフィン国王の時代の話だ。その遠い時代、セラフィン王国は他国との諍いで奇跡的な勝利を重ねた。結果、周辺の国の殆どがセラフィンにまとめ上げられて、今のように大陸の八割を領土とする大国になった。
 言いなおしを重ねながら、なんとか歴史の理解に合格点をもらう。

「まだまだ勉強が必要そうですが、いいでしょう。昔……、別々の国だった幾つもの国が、たった一国のセラフィン王国の領に名を変えました。この領に名を変えた別の国の総称が『旧国』です」

 資料室に壁に掲げられたセラフィンの地図に駆け寄る。大きな領がいくつも地図にはある。その一つ一つを指さして尋ねる。
 
「ナディル先生! 小さいけど、私の故郷アルトゥリアも『旧国』? 北のバルダート領も、昔は大きな国だったって聞いたから『旧国』? 南のリーヴァも王都から凄く遠いから『旧国』?」
「ええ。そうですね。他にこの辺りも『旧国』になります」

 王都を囲む領を次々とナディル先生が指さして、私は『旧国』の多さに驚く。
 
「大変! こんなにたくさんの場所が『旧国』なら、ジュリアには嫌いな人がいっぱい!」

 あっちこっちで噛みつくジュリアを想像して青くなる私の肩を、穏やかな笑顔を浮かべたナディル先生が宥めるように叩く。

「彼女の世界は王都だけです。王都には、今はまだ『旧国』は一握りしかいません。だから、心配する必要はありませんよ。それに、ジュリア様はグレゴーリ公爵家の子供ですから……大人になるまでに『旧国』について考え直す機会は色々あるでしょう」
「時間が解決してくれるって事?」

 私の問いに、小さく首を傾げたナディル先生の金色の髪が揺れる。

「どうでしょうか……残念ですが、『旧国』嫌いの人は少なくありません。彼らの全てが考えを変える事はないでしょう。ジュリア様も機会を得ても、どんな答えを選ぶかは分かりません」

 中庭で悪口を言う夫人たちの姿が思い浮かぶ。彼女たちも『旧国』嫌いなのだろうか。私が変わったら、仲良くなれるかもと思っていたけど『旧国』嫌いが原因なら大変そうだ。

「何がいけないんですか? どうしたら、『旧国』嫌いじゃなくなりますか?」

 ナディル先生の顔から笑顔が消えて、とても困った顔になる。
 大人のナディル先生は私にとって何でも知っていて答えをくれる人だ。だから、そんな顔をされると少し不安になってしまう。

「マナーや儀礼の説明は簡単ですが、こういった事はとても難しいですね」

 細く綺麗な指が、私の短い髪を優しく撫でる。

「難しいの?」
「ええ。とても難しいです。『旧国』が嫌いな人にも、嫌いな理由があります。理由は酷く理不尽な事もありますし、誰かにとって意味がある事もあります。嫌いを好きにする答えは、今はありません。ですから、リーリアもたくさんの時間を掛けて考えて下さい」

 答えがないのは、とっても残念だ。でも、先生は『今の』と言った。ならば、『いつか』見つかるって事だ。それを子供の私も一緒に見つけて良いのは、なんだかとってもわくわくする。

「わかりました。いつか、ジュリアと仲良くなれる様に頑張ります。その時まで嫌いって言われても、私は好きでいます。いつかでお友達になる機会が無くなっては困りますから!」

 両手をぐっと握りしめて、私は気合を入れる。
 眩しいものをみるように、ナディル先生が目を細める。何かが眩しいのかと後ろを振り返って窓の方をみたけど、春の光は眩しいほどは強くない。

 旧国の話の後は、いつも通りのお勉強時間が始まった。先生と向き合って長い時間を算学に費やす。算学には決まりがあって、答えは必ず出るという。覚えたら簡単らしいけど、今の私には凄く難しい。

 控えめなノックの音が資料室に響く。お昼にはお父様が来るけれど、まだその時間には少し早い。

 ドアを開けたナディル先生が優雅に最高の一礼をする。誰だろうと立ち上がって窺うと、先生の陰からとても綺麗な顔立ちの少年が姿を現した。


 
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