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岩手は遠野の河童退治
河童を喰らう
しおりを挟む振り返ると恵麗奈の足元に河童が倒れている。尻子玉で肥大していた筋肉質の身体は、見る影もない程にシワシワになっていた。
「河童は頭の皿が弱点とは聞いていたけど、割れたらこんな萎びたほうれん草みたいになるなんて」
あんなに分かりやすい弱点をむき出しにしているなんて生き物としてどうなのか。そう思った美憂だったが、そのおかげで助かったのも事実だ。
そんなことを考えていると膝が笑うように震え始め、立っていられなくなった美憂は落ち葉の上に尻餅を着く。
その震えは生き残れた安心からか、それとも胸の内に押し留めていた恐怖心からか。どちらなのかは分からないが、とにかく緊張の糸が切れたようにドッと疲れが押し寄せてきた。
その姿を見た恵麗奈が手を差し出す。そして手を掴んだ美憂をひょいと起こした。立ち上がりお尻をパンパンと叩く美憂から、湿った落ち葉がハラハラと落ちる。
「お疲れ様。倒したあれはなんですの? いきなり降ってきてびっくりしましたわ」
「それは帰りにゆっくり話すよ。それよりもほら、早く食べなきゃじゃない?」
二人がパートナーになった日の夜、御空から届いたメールに書いてあったのだが、恵麗奈の呪いの刻限を伸ばすために食べる妖怪は新鮮なほどいいようだ。
倒した瞬間から妖怪の体内にある呪いが減っていくのが原因だが、それが恵麗奈が退魔衆に入った理由の一つらしい。倒されてから時間が経った妖怪の死体を買うより、自分で倒してすぐに食べるために。
「それでは申し訳ないですが、少し席を外していただいてよろしいですか? その、さすがに食べてる所を見られるのは少し抵抗が」
「え、やだよ」
「どうしてですの!?」
「これから先、毎回席を外してたら危険な時もあるよ。それなら最初から目の前で食べるのに慣れておいた方がいいと思う。それに食事って人とした方が美味しいじゃん」
「うっ。分かりました。それではいただきますわ」
そういったものの恵麗奈は逡巡したように視線を彷徨わせる。そんな恵麗奈を見かねた美憂はフードからナイフを取り出すと、河童の腕に突き立てて肉を切り取った。そのまま恵麗奈に向けて突き出す。
「はい。あーん」
「そんな幼子のような。自分で食べられますわ」
「いいからいいから。時間ないでしょ? 恵麗奈が妖怪を食べるのは生きるためだよ。見ても引いたりしないから遠慮なくどうぞ」
美憂は花も恥じらう女子高生にして虫を食べた女なのだ。厳密には虫を食べたのは高校を辞めてからなのだが、とにかく鮮度が命というのなら早く食べて貰いたい。
「でも」
「もう! ぐずぐずしない!」
「むぐっ!?」
それでもなお悩んでいる様子に、痺れを切らした美憂が恵麗奈の口に河童の肉を突っ込んだ。目を白黒とさせる恵麗奈だったが、次第にその瞳がトロンとしてきて恍惚の表情で咀嚼している。
(なんかえっちだな)
そんな感想が浮かぶほどに恵麗奈の表情は色っぽい。無理矢理突っ込んだせいか口の端から垂れた血は、恵麗奈の白い首筋を伝って鎖骨に流れた。
血が白いドレスに着く直前。恵麗奈の綺麗な小指が掬い上げて、紅を引くように下唇に薄く引く。そしてそれを小さく出した舌で舐めると、ふるりと身体を小さく震わせた。
余韻に浸るように自らの身体をかき抱いた恵麗奈は、大きな瞳を潤ませながら満足そうなため息を吐く。
「どうだった?」
「とっても美味でした。ああどうして。こんな干からびたような死体なのに、とってもジューシーで。流れた血はとびきりの甘露ですのよ。どんな美食すら霞んでしまうような。魂を満たす味と言えばいいのかしら。極上の味ですわ」
ごくり。美憂の喉が鳴った。お嬢様として数々の美食を味わってきたであろう恵麗奈にして、極上と言わしめた河童の味。
「私も少し食べてみようかな」
「美憂はやめときなさい」
「ずるいよ恵麗奈。私も少しでいいから食べてみたい」
「独占したいから言った訳じゃありませんわ。普通の人が妖怪の肉を食べると想像を絶する不味さみたいですの。それだけではなくて、残穢の影響で体に不調を来たすんだとか」
「うう。せめて一口だけでも」
見た目からして美味しそうには思えないし、味も不味いと聞かされれば普通は手を出さないのだが、それでも美憂は往生際悪く手を出そうとしている。
「美味しいのが食べたいなら今晩打ち上げしましょう。美憂にはわたくしがご馳走しますわ」
「それは悪いよ」
「それを悪いと思うくらいなら河童を食べようとするのを悪いと思ってくださいませんこと? なら交換条件として今度美憂の手料理をご馳走してくださいな。食材はスーパーでお願いしますわ」
「分かった……。うう。妖怪が食べれれば食費が浮くと思ったのに。恵麗奈はそれ以上食べないの?」
「ええ。わたくしの呪いは一口食べれば十分ですの。後は牛頭鬼に食べさせますわ。牛頭鬼! 残りは好きにしてよろしくてよ!」
すると恵麗奈の手から白い煙が生み出されて河童を包み込む。その煙が晴れた後には河童の死体は跡形もなく消えていた。
「なんか便利だね。死体の隠滅がこんなに早く出来るなんて。色々悪用できそうだ」
「人聞きの悪いこと言わないでくださる? それと牛頭鬼から伝言ですわ。『美味かったぜ。これからも頼む』だそうです。ご馳走様くらい言えばよろしいのに」
「まぁ鬼らしいって感じはするかも。……あれ? 死体があった場所になにか残ってる」
跡形もなく消えたと思っていたが、死体があった場所に何かが落ちていた。不思議に思って持ち上げると、それは河童が腰にぶら下げていた麻袋だった。
中に何か入っているようでコロコロと転がるような感触がある。縛られた口を開けて中を見ると、そこには大小様々な玉が入っていた。
それは間違いなく河童が奪った尻子玉で、袋に入っている数が犠牲者の数だと思うと鳩尾にずしりとした重さを感じる。
とりあえず袋から出してあげようと袋から取り出して地面に置くと、魂達は蛍のような淡い光を灯した。
程なくしてそれは粒子となり、お礼なのか二人の周りを暫し漂うと、天の川のように空に昇っていった。
「成仏したのかな」
「きっとそうですわ。でも一人だけ助けられませんでした。わたくしがもっと早く動ければ、食べられずに助けられたのに」
二人はこれが初めての仕事だ。救えなかった命を割り切るには経験が無さすぎた。悔やむように俯き雫を垂らす恵麗奈に、同じく無言で空を見上げる美憂。
初めての依頼は苦い経験となろうとした、その時。
『そんなことはないよ! お姉ちゃん達は沢山の人を救ったんだから!』
幼い少女の声がどこからか聞こえてきた。声の主を探すと二人の足元に二つの尻子玉が残っている。そのうちの一つが明滅を繰り返していた。
「貴女は成仏しないの?」
『うん。お母ちゃんと二人でお父ちゃんを待ってるの。ずっとずっと長い間待ってるんだよ。でもまだ来てほしくはないんだけどね』
その言葉で美憂の脳裏に写真に写った幼い少女の姿が浮かび上がった。それは恵麗奈も同じなのだろう。驚いたように二人は顔を見合わせる。
「もしかして……。愛子ちゃん?」
『そだよ! お姉ちゃんはわたしを知ってるの?』
「うん。愛子ちゃんのお父さんも知ってるよ。一緒に会いに行こうか」
『ほんと!? やっと会えるんだ! 楽しみだなぁ』
何十年も前に命を奪われた愛子と久恵の魂が食べられずに残っていたこと。それは奇跡と呼んでいいのかもしれない。
あとは源三の魂が成仏していないかだけ。とはいっても確信はある。何十年も河童を追い続けた執念を持つ老人が、簡単に成仏などするはずがない。
やっと家族は再会できる。美憂は少女の魂とそれに寄り添う久恵の魂を拾い上げた。
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