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第四章 始まりの地アウラリア

33 侵入者

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 俺とロクのグレビア同行という形で話し合いは決着し、アウラリアには明朝戻ると決めた。今夜は里に宿泊することになり皆が部屋に案内される中、セバを引き止めロクとウルドと共に部屋に残った。
 渋い顔をしたセバが口を開く前に、俺の方から話を切り出す。

「セバ、これが何かわかるか?」

 視線でウルドを示すと、セバの瞳が細められ眉間の皺が一掃深くなった。発した声は一段低かった。

「ナルジェ様、これは……」
「分るか、傀儡紋だ。ウルドはさっき紹介したグレビアの第二皇子の護衛騎士としてアウラリアに随行してきた」

 ウルドが傀儡紋を刻まれた経緯やアウラリアに来てからの出来事を話すと、セバは痛まし気な目をウルドに向けた。

「ではグレビアで起こっている怪異も無関係ではないとお考えですか」
「ああ、そう思っている。一国を揺るがすような呪術が使われている場所で、禁忌の魔術まで使われた。しかもその後ろに神の影まである。無関係だと言うには無理がある。出来るだけ早く傀儡紋を刻んだ理由を突き止め、俺の手で術者を思惑ごと潰したい。ロベルバは国ごと砂に埋めろと乗り気だったが、そんなことをしてもウルドの魂は解放されない。十二氏族を呼ぶのは最後の手段だ」
「それでグレビアへの同行を願われたのですね」
「そうだ。それにな、もし傀儡紋を使われたら、些か厄介なことになる」
「おお、そうだぞセバ。なんとウルドは蜥蜴だ」
「蜥蜴?」
「蜥蜴ではない、竜人だ」
「竜人っ!ではそれを知った上で傀儡紋を?」
「いや、それは無いな。竜人だと気付いたのはロクだ。ウルドは幼少期から人族に紛れ生きて来て、本人に自覚もなく知らなった。術者に竜人についての知識があったとしても、気付いてはいないだろう。まだ覚醒もしていないから、如何なる者も判別することは不可能だ」
「覚醒していない竜人をロク殿はどうやって判別したのです。なにか特別な方法でもあるのですか」
「特別と言えば、まあ確かに特別だが……」
「セバ、匂いだ匂い。種族特有の匂いがあるだろう。ナルジェは花の匂い、ハイエルフは兎の匂い、ウルドは蜥蜴の匂いがする。覚醒前でまだ弱いがな」

 セバとウルドが嫌そうに顔を顰める中、得意気に持論を展開するロクに同意する者は一人もいない。
 嬉々として匂いについて講義するロクを放置し、ウルドに上衣を脱ぐよう促す。現れた半身に這う黒紋を見て、顔を顰めたセバの唇が音を出さずに何事か呟いた。

「セバ、ウルドの傀儡紋を解析して欲しい。邪魔が入らず調べられるのは里だけだ」

 頷いたセバがウルドの左手を取り目を閉じる。そのまま暫く静止した後、今度は右手を取った。

「今から魔力を流す。多少の不快感があるだろうが、そのまま動かず耐えてくれ」

 ウルドの頷きを確認し、もう一度セバが目を閉じた。直後、ウルドの顔が不快そうに歪んだ。先程と同じく静止したセバが、目を開けるまでは暫しの時間を有した。

「魔術の痕跡は傀儡紋のみです。術そのものは荒く貧弱ですが、綻びはないため無傷での解術はいくらナルジェ様でも難しいかと」
「綻びはないか……」
「ナルジェ、解術とはどういうことだ。傀儡紋を消す方法はないのだろう?」

 ウルドの双月の瞳が俺に問う。
 魔術とは自分の魔力を編み上げ作った縄で力を制御して行なうものだ。魔力量そのものだけでなく、縄を編み上げる技術がそのまま魔術師の技量となる。幾ら魔力量が多くてもこの技術が低いと縄が切れたり解けたりして魔力は制御出来ない。結果、魔力が暴走したり術が形を成す前に霧散したりする。逆に魔力量が少なくても技術さえ高ければ、魔力を有効に使いより高度で強固な術が使えるようになる。
 解術とは、この縄を解いたり切ったりすることで、術そのもの作用を消し去ることを言う。掛けた本人であれば解術は容易だが、本人以外が行なう場合は大抵力技となる。
 ウルドには傀儡紋を消す方法はないと言ったが、厳密には違う。傀儡紋も魔術である以上、解術自体は可能だ。だが傀儡紋の縄は、肉体だけでなく魂にまで深く喰いこむことで来世をも縛る。それをより強い力で引き剝がし断ち切れば、繊細な魂が修復不可能な損傷を受ける可能性が高い。傀儡紋から解放されても、存在そのものが消えてしまうことになりかねない。

「ああ、消す方法はない。だが術に綻びがあればそこから力技で引き剥がすことは可能だ。俺としてはそこに期待していたのだが、今回は無理なようだ」
「綻びなど無くても無理矢理剥がせないのか。痛みや傷など耐えればいいだろう」
「ただの痛みならそれでもいいだろうが、傀儡紋の場合は傷を負うのは魂だ。生きる屍にはなりたくないだろう、ウルド。別の方法を探そう」

 ウルドは竜人だ。掛けられただけで傀儡に落ちると言われる痛みに凝りもせず、何度も命令に抗う強さがある。術者の技量が低く縄に綻びがあれば、あるいは力技で解術しても無傷で生還できるのではとほんの僅かに期待していたが、綻びが無いのであれば危険は冒せない。

「魔力量も技術もそれほど高くない、中位に入れるかどうか判断が分かれる技量の魔術師のようですね。ただ、属性が無属性です」
「無属性か、些か厄介だな。魔族だろうか」
「魔族は変わり者が多い。相手にするのはちと面倒だぞ、ナルジェ」
「違うと思います。恐らく傀儡紋を施したのは人族でしょう。魔族で魔術を使う者は例外なく技術も高い。術はもっと緻密で強固になるはずです」
「もし魔族なら夢への関与と併せて相手は夢魔かと考えたが、これで完全に消えたな。事を為したのは人族で、その後ろに神か。神がどこまで関与する気なのかで厄介度が大きく変わるな」
「先程の話では明らかに神力とわかるのは夢への関与のみでした。かと言って夢から妙な影響を受けたという話はありませんでした。神そのものが夢渡りしたというより、神の力を借りて術者が夢に干渉したのではないでしょうか」
「確かに夢の中で女がしたことはどれも神の所業としては随分人間じみている。力の一部を貸しただけで神は事態そのものに関与する気は無いのかもしれん」
「力を貸したとなると、術者は神と契約をしている可能性がありますね」
「辺境に住む少数民族には産土神を信仰している者も多い。土地守りの神の力はそれ程強力ではないが、実に多彩だ。契約により力を借り受けている可能性が高いな。グレビアだけでなく、術者の郷里に赴くことになるかもな」
「幾らナルジェ様でもそれは危険です。相手が土地守りの神なら、術者の郷里は相手の縄張りです。信者が多く信仰心が強ければ、それだけ神の力も増すでしょう。それに術者は無属性の魔力持ち。複数の可能性も考えられます。念のため、同じく無属性の魔力持ちを同行させるべきです」
「無属性か……ゾフィでも連れていくか」
「鳥籠の支配人のゾフィセルですか。確かに彼なら相手が複数いても対応可能でしょう。適任ですな」

 魔術師としての力量が中程度だからといって、呪術師としての力量も中程度とは限らない。本業が呪術のほうで魔術が補助程度なら、実力は未知数だ。
 ウルドの傀儡紋解術、決して楽観視していたわけではないが一番の近道が断たれたことはやはり残念だ。これで長丁場決定だな。後は現地に行って臨機応変にやるしかない。

 里に訪れた本来の目的である傀儡紋の解析も終え、今後の方向もぼんやりではあるが決まった。前日からの無理が祟り疲れ切っていた俺は、セバに礼を言って部屋に下がった。夜はしつこくウルドを恨みがましい視線でひと睨みした後、早々に床に就いた。襲ってきた眠気は強烈で、三秒とかからず意識が途絶えた。
 だから何も気付かなかった。普段であれば騒々しいと感じる程の森の騒めきに……。

 里が眠りについた夜半過ぎ、けたたましい鐘の音が夜の静寂を破って鳴り響いた。

 すぐに飛び起き外に出ると、一足早かったロクが鼻をせわしなく引くつかせ、険しい顔で真っ暗な森を一心に見つめていた。俺とウルドに続き、グレビアの男達も次々と起きて来た。
 慌ただしく遠くを走り回る人影は見えるが、状況が分からない。確認に行くかと思ったところで身支度を整えたセバが走って来た。

「ナルジェ様、結界内に何かが侵入しました。今リーシャが詳細を確認に行っています。何かあっては危険です。どうぞ中にお入りください」
「臭いな、セバ。この匂いはガガリの毒の匂いだぞ」
「ガガリ?本当ですか、ロク殿」
「昼間襲われた者でもいたのか、セバ」
「そんな報告は入っていません。手を付けた獲物でも追って来たのでしょうか」
「混ざってるな。一匹じゃない、最低でも四、五匹はいるぞ」
「四、五匹っ!まさかガガリが群れているというのですか」
「嫌な感じだな、気を付けろ、セバ」
「わかりました。私はこのことを伝えに行きます。皆さんは早く中に」

 ガガリは虎によく似た姿を持つ大型の肉食獣であるが、外見に反して大人しく争いを好まない。繁殖期以外で群れることはなく、通常単体で暮らす。目が余り良くないため活動するのは主として昼間。木の上や物陰に潜み、近づいた獲物に飛び掛かって噛みつき傷を負わせたら一旦離れる。その際、噛み傷から毒を注入する。後は獲物が毒で弱るまでひたすら後を付け、倒れたところで捕食する。
 視力が悪い代わりに嗅覚が鋭く、自分が手を付けた獲物を執拗に追うため、獲物に夢中な個体が意図せず人と遭遇することはあるが、臆病なためすぐに逃げ出す。偶発的な事故以外で人に襲い掛かることも、人里に入る事も殆どない。それがこんな深夜に連れだって人里に入るなど、異様だ。

 セバが走り去っても、ロクは険しい顔で黒い森を凝視している。誰もが息を潜め、ロクに倣うように森に視線を向ける。確かに気にはなるがこのまま突っ立っていても仕方ない。グレビアの者達だけでも中に戻そうと振り返った俺の視界を、黒い影が横切る。
 大きく開いた口と黄色い目玉の向かう先、立っていたのはアルガレル。

 ほんの一瞬だけ、見開かれた大きな瑠璃の瞳と、視線が重なった気がした。


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