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第四章 始まりの地アウラリア

29 始まりの森

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 アウラリアの朝は早い。各地へ帰っていく商隊や観光客、その護衛など、早出の客目当ての屋台や店舗が早朝から店を開け、最後の追い込みとばかりに威勢のよい声を上げ客の購買意欲を煽る。
 今日も広場には既に客が集まり始め、人々の騒めきが徐々に大きくなりつつあった。
 その喧騒を尻目に未だ惰眠を貪ろうと足掻く者が、微睡の中で揺れていた。

……だめだ、……猛烈に眠い。

 いつものように目を開けようと思うのに、身体が全く言うことを利かない。おまけに背中に温かい物まで張り付いている。

……あぁ、眠い。おまけに気持ちいい。今日は随分温かくて……ん、温かい?

 そこで一気に覚醒した。ぱちりと開いた目に飛び込んできたのは、頭の下から伸びる小麦色の逞しい腕だった。
 一瞬状況が飲み込めず、身体が硬直する。すると耳のすぐ後ろで「起きたのか」と低く掠れた声がした。ゆっくりと振り返ると、すぐ側に俺を見つめる双月があった。

「……ウルド」
「どうした」
「あぁ、いや、……驚いただけだ」

 徐々に回りだす頭の中で、昨日の出来事が早送りの映像を眺めるように蘇る。どうりで身体がきつい筈だと納得したところでふと気になり、ウルドに問いかけた。

「お前、眠くはないか?」
「平気だ。なぜだ」
「……何故……今、何故と言ったか。何故眠くないか、むしろ俺が聞きたい。あんなに何度もする奴があるか。俺はお前のせいで死ぬほど眠いぞ」
「ああ、成程」
「何が成程だ。ハイエルフの里になど歩いて行ける気がしない。背負って貰わねば無理だ」
「分かった。大丈夫だ、お前一人背負う位容易い」

 皮肉のつもりで言ったことを容易に承諾した男に軽くイラっとしたが、のんびりしている時間もない。仕方なく諦めて温かい天国にさよならを告げ、身体を起こす。

「昨日の事、怒ってるのか?」

 心なしかしゅんとした声で掛けられた言葉に、完全なる八つ当たりで返してやった。

「昨日のことは別にいい。だが俺が今これ程眠くて辛いのに、その元凶がピンピンしているのはどうにも腹立たしい。ウルド、今日一日、お前は俺の荷物持ちだ」


*****

 出発の時間は、僅かに予定を押した。予め伝えてあった少人数の認識に双方で差異があり、待ち合わせ場所に集まった面子で一悶着あったせいだ。
 グレビア側が示した人数は護衛を含め十人。それでも厳選したと言う主張は常であれば納得だが、今回は向かう場所が場所だけに、簡単に頷くわけにもいかなかった。
 本来であれば余所者一人連れるだけでも大事なのだからニ人に絞れと言うと、第二皇子であるアルガレルとセドリックが頑なに自分が同行すると言って譲らなかった。それでは流石に護衛として役不足だと自分の同行を主張する騎士団長のシリスタも参戦し、一向に話が纏まらない。
 最終的に俺が折れ、五人で決着した。どうせ最初から歓迎などされないのだ。この際二人も五人も同じこと。俺の投げやりな考えを正確に読み取ったロクが、肩を竦めて笑っていた。
 グレビア側はリアドレス、アルガレル、セドリック、シリスタという昨日のメンバーに加え、優男風の金髪の騎士、ジョエルが新たに加わった。それとなくジョエルについてウルドに訊ねると、「良く喋る奴」という返事が返って来た。
 対するこちらはロクとウルドに加え、鳥籠の護衛隊長であるミトシュが加わった。
 このミトシュという男、些か変わり者であるが、俺への忠誠心と実力は折り紙付き。だが今回のメンバーに選んだのには特別な理由があった。公言していないが、ミトシュはハイエルフと狼獣人のハーフだ。両親共に既に他界しているが、六才の時から十二年間、ハイエルフの里で育っている。
 始まりの森は俺にとって安全な領域であるが、余所者にとってはそうとも言い切れない。土地勘がある上に腕が立つという点で、最適な人選と言える。
 ミトシュは母親からは森の美神と謳われるハイエルフの儚げで麗しい造形を、そして父親からは色味とサイズ感を、見事なまでにぱっきりと分けて受け継いだ。
 離れて見ると赤銅色の見事な長髪を持つ美女と見まごう外見であるため、色めきだった男共が喜び勇んで駆け寄り、途中で正体不明の違和感を感じる。スタイルがいいため遠目では分からないが、近づけば近づく程、圧迫感が増す。サイズが大きすぎるのだ。
 諦めない往生際の悪い男が最終的に対峙することになるのは、二百センチを優に超えた巨躯を誇る美貌。野太い声で「俺になんの用だ」と凄まれてやっと男だと知ることになる。

「鳥籠の護衛隊長、ミトシュだ。始まりの森に詳しい。森に入ったら彼の指示に従え。どんなに小さな事でも、どんなに下らないと思うことでも全てだ」

 短い紹介を終えミトシュに目をやると、ミトシュもこちらを見ていた。いつも俺にだけ見せる溶けるようないい笑顔で美麗な顔を綻ばせた後、謎に深く何度も頷いていた……。


 ハイエルフの住まう里は、広大な始まりの森の奥にある。
 森に入る方法は通常二つ。西側にある宵闇の森を抜け入る方法と、南にあるアウラリア側から入る方法。安全ルートは勿論アウラリア側から入る方法だ。
 漸く纏まった九人という中々の大所帯で、アウラリアの外れ、始まりの森入口となるイカイ橋を目指した。

 橋を渡ると、街の喧騒はもう届かない。
 アクレア湖沿いに整備された白い石造りの遊歩道は、幅も広く平坦で子供でも歩きやすい。湖側は柵がないため、覗き込む勇気さえあれば、アクレア湖の深部に続く透明度の高い青の別世界が見える。
 森側は樹木が迫り出すように遊歩道に掛かっている。丁度今の時間帯は、朝の柔い光が木漏れ日となり降り注ぐ時。風が運んでくるのは深い森の香り。聴覚を開けば、いつもは寡黙な樹木の囁きと草花の小さなハミングが聞こえる。
 そのまま暫く遊歩道を歩くと、幾分開けた場所に出る。そこはアクレアの白と言われる魔素花の群生地で、満月の夜になれば満開の白が咲き乱れ、幻想的な情景を作り出す。
 始まりの森はいつの時も瑞々しい命に溢れ、美しい。

 舗装された遊歩道はここまで。ここから先に進むのは、目的を持って始まりの森を訪れる者達だけだ。踏みしめられただけの山道を二時間程歩くと、最後に小さな広場程の開けた場所に辿り着く。
 道らしい道が終わるその場所こそが、実は始まりの森の本当の始点である。
 広場から半径三時間弱の範囲であれば、比較的背の低い植物が多く、樹木が疎らな場所も点在する。方向を確認しながらの探索が可能であるため、周辺は採取目的の者達の恰好の狩場となっている。 
 だが明確な意図を持ち森の深部に向けて真っ直ぐ三時間半歩き続けると、辺りの雰囲気が目に見えて変わり、現れた大量の蔦が道を阻むように生い茂り身体に絡みつくようになる。躍起になって蔦を薙ぎ払い、漸く抜けたと安堵するのも束の間、巨大な樹木が見上げる空を覆い隠す。
 そこで慌てて磁石を確認してももう遅い。狂ったように回り続ける針が、道などとうに見失ったと教えてくれるだけ。
 後はもう、何時間歩いても同じこと。昼間でも満足に光が入らず薄暗い森の中、道を知らない者達はどこにも行き着けない。昼か夜かもわからず体力が限界に達するまで時を忘れて彷徨い続け、倒れ込んで意識を失うように眠りにつくことになる。
 だが本当に驚くのは目が覚めてから。自分がいるのが山道の終点にあった小広場の真ん中であると気付いた時だ。
 例えどう進もうと、この森に許された者以外は昼夜歩かされた上で必ず広場に戻される。先に進みたければ許された者を案内人とした上で、正しい手順を踏む必要があるのだ。
 今回の訪問も然り。
 俺とロクとミトシュだけなら、広場から二時間もあればその奥にあるハイエルフの里でお茶を飲んでいる。しかし今日はグレビア一行とウルドがいる。正しい手順を踏んで、正式に訪問の許可を得なければ後々面倒なことにもなりかねない。
 だから歩いた。ひたすら歩いた。俺の荷物と大量の土産を軽々と背負い隣を歩くウルドに恨みがましい視線を送りながら、重い身体に鞭打って歩く俺を笑うロクを小突きながら。

……だが、もういいだろう。そろそろ俺の体力も限界だ。

 嫌気が差した俺が立ち止まると、示し合わせたように先頭のミトシュも歩みを止めた。
 次の瞬間、ヒュッと何かが風を切り、バシュッ、バシュッ、バシュッと続けざまに三度音がした。先頭を歩くミトシュの靴の爪先、手前十センチ。地面には綺麗に等間隔で三本の矢が突き刺さっていた。

「おぉ、やっと出たか、山兎」

 響いたロクの声はいつも通り、実に呑気で場違いだった。


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