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第三章 盟約と契約

23 亡国の術

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 リアドレスの話だけで断定はできないが、確かにロクの言う通り。現に俺も「呪いのようだ」と言おうとしていた。
 臨月の女ばかりを悪夢と傷で苦しめる病など聞いた事がない。魔術だとしたら一体どうやって、という疑問が拭えない。本来無いはずの物を好きに出したり消したりなど、手品であるまいし魔術で出来るはずがない。痕跡を見ればはっきりするだろうが、これはあまりに出鱈目だ。そうなると可能性として濃厚になるのは、やはりロクの言う【呪い】ということになる。
 だが何故妊婦ばかりに出る。狙いは何だ。女…赤子か?

「さっきから無礼だぞ。大体お前は何者だっ!」
「グレビアの犬は相変わらず良く吠える」
「俺を犬呼ばわりするなっ。なんなんだ、ここの奴等は」
「なかなか躾がいがありそうな子犬だ」
「やめないか、アルガレル。ナルジェ、頼む、ロク殿を……」

 面倒はまだ続いていたらしい。決して関わりたくはない。……関わりたくはないが、目を開けるべきか、開けないべきか……。
 その時、トン、と横からウルドが俺の肘の辺りを指で突いた。
 驚いて思わず目を開けた。そうだ、忘れていた。ウルドの事がある。

「ロク、今はダメだ。リアドレス、ロクが呪いと言ったのは勿論冗談じゃない。俺も同意見だ。己の理解の及ばぬモノが出てくると途端に認めようとしなくなるのは、人族特有の悪い癖だ。知らぬモノが出てきたら先ずは己の無知を知れ。相手の言葉を軽んじるのはその後だ」

 残念そうに口を閉じたロクが獲物を前に舌なめずりしている。なんの知識もないくせにウルドに傀儡紋を刻んだ事。それをアウラリアに持ち込んだ事。その上俺に難癖をつけた事。アルガレルのした何もかもが、ロクは最初から気に入らなかったのだろう。もしかすると、……多分匂いも。
 片眉を上げ再度視線で制すると、ものすごく残念そうに肩を竦めたロクが椅子に深く凭れて特大の溜息を吐いた。

「だがそんな事を言っても俺達の言葉で納得はしないだろうな。ふむ、……そうだな、ハイエルフの下へ連れて行ってもいい。だが会えるかどうかは保証できない」
「ぜひお願いしたい。だが会えないかもしれないとは、どういう事だ」
「率直に言おう。ハイエルフはお前達のことをよく思っていない。嫌っていると言っても過言ではない。まあ、正確には人族全般のことだがな。だからハイエルフの里に行っても先ず歓迎はされない。下手をしたら辿り着けない可能性さえある。望まぬ者から彼等はいつも道を奪う。そうなれば何時間も森を彷徨った挙げ句、無駄足といこともあり得る。それでも行くか?」
「ああ、勿論だ。我々には他に方法が無いんだ。とても助かる。ありがとう、ナルジェ。よろしく頼む」

 真摯な顔で再度頭を下げた皇帝に倣い、セドリックとシリスタも頭を下げる。少し置いて渋々頭を下げた第二皇子を見て、ロクがつまらなそうにフンッと鼻を鳴らした。

「いいだろう。明日ハイエルフの里まで案内しよう。だがただではない。対価を貰うぞ、リアドレス」
「勿論だ。用意はある。希望を言ってくれ」

 爽やかなリアドレスの笑顔を前に、これから言わねばならない事を思うと少々気が咎めるが、本を正せばあちらの落ち度。これは本来なら、対価どころか代償を取らねばならない案件だと割り切るしかない。
……どうにもこの男が相手だと甘くなるな。
 内心で苦笑いを浮かべつつ、それでも率直に切り出した。

「対価はウルドだ。ウルドを第二皇子の護衛騎士から解放しろ。今後は俺が雇う」

 俺の言葉に、リアドレスの目が驚愕に見開かれた。表情を取り繕うことは最早出来なかったらしい。二度、三度と自分を落ち着かせるように深く息を付くと、絞り出すように言葉を吐き出した。

「ナルジェ、それは、…一体……」
「貴様っふざけるな!ウルドを、帝国の騎士を又も愚弄する気かっ!」

 リアドレスの声で我に返ったアルガレルがすぐさま噛みついた。

「愚弄する気は更々ない。これは契約だ。互いの納得のいく対価が出せなければ成立しない。俺はハイエルフ、そちらはウルド。同意するなら契約成立。同意しないなら契約不成立。それだけだ」
「卑怯だぞ。そんな不当な要求があるかっ。国の大事にかこつけて自分の気に入った騎士を寄こせなど卑劣にも程がある!!」
「落ち着け、アルガレル」
「ですが父上、この者は昨夜もウルドを!」
「ナルジェ、そなたの希望は分かった。だがウルドは現在帝国の騎士だ。いくら国の為とは言え、物を渡すように人を簡単にやり取りは出来ない。一方的に命じるのではなく、本人の希望も確認した上で答えたい。ウルドと話をさせてくれ」
「勿論だ。こちらは既に本人の了承も取っているが、そちらも気のすむまで話すといい」

 ウルドに向き直ったリアドレスが、探るような鋭い視線でウルドを射貫いた。

「ウルド、今聞いていた通りだ。お前の希望が聞きたい。帝国の騎士を辞め、お前はナルジェと共に……ナルジェに、雇われる事を希望しているのか?」
「……ああ、その通りだ」
「これからずっとここに、アウラリアにいる気なのか?帝国の騎士に戻ることは出来なくなるが、それも理解しているか?」
「騎士に戻る気はない」
「……そうか。本人が了承しているとはいえ、国の事情に巻き込んだのだ。離職に際し、十分な報酬を出そう。それでいいか」
「リアドレス、悪いがそれだけでは不十分だ。ウルドは第二皇子の護衛騎士だ。今後一切ウルドに関わらないと、主として命令しないと魔法契約で第二皇子には誓ってもらう」
「魔法契約で?なぜだ、ナルジェ。本人が希望し国が認めているのだから退職の手続きを踏めば問題ないはずだ。なぜそこまでする必要がある」
「念の為だ」
「……何が、念のためだ。どうせ俺への当てつけだろう!娼婦と言われたことがそれ程気にいらなかったか」
「そういうことではないが、そう思いたいなら思っておけばいい。だが魔法契約は結んで貰うぞ。それは絶対だ」
「俺は認めないぞ。何が雇うだ。そんなに男が欲しければ男娼を雇え」
「アルガレル、いい加減にしろ!ウルドは了承している。魔法契約の内容はこちらでも確認させて貰うが、帝国に不利益になる内容が無ければ問題ない。諦めろ」
「父上に何と言われようと嫌です。ウルドは渡しません。俺は魔法契約など絶対に結ばない!」
「アレガレル。これは父ではなく皇帝としての命令だ。勝手は許さん」
「それ程あの男がいいのですか。あんな男娼に現を抜かし望み通りに帝国の騎士を下げ渡すなど、国の恥だと分からないのですかっ!」
「殿下、この様な場で陛下を愚弄するのはお止め下さい」
「セドリック、お前が諫めるべきは父上だっ。分かっているだろう。父上はあの男のせいで、ただの愚か者に成り下がったぞ!」

 いい加減、もう我慢の限界だった。

「やかましいから黙れ。ただの愚か者はお前の方だ、アルガレル」

 にっこり笑って告げてやると、一同虚を衝かれた顔で俺に注目した。

「これがこちらの温情だとも気付かず、見当違いな理由で拒否するなど間抜けにも程がある。そもそも人を罵る暇があったら自分がウルドにしたことを良く考えてみろ。何が騎士を愚弄だ。人の命を愚弄した事にも気付かず手前勝手な正義感を振りかざし人をなじるなど、既に愚かを通り越しているぞ。この上お前一人の我儘でグレビアを沈める気か。国に身を捧げるリアドレスが憐れだな」
「……ナルジェ、命を愚弄とはどういうことだ?グレビアが沈むとは?」
「リアドレス、俺はこれでもお前に随分配慮したんだ……」

……やはりこうなったか。出来ればここで、穏便にウルドだけでも解放しておきたかった。そうすれば余計な者を、余計な事に巻き込まずにすんだのに……。

「リアドレス、ウルドの顔を見ろ。お前の子犬が忠誠の誓約紋という名目で刻んだあの黒紋。あれはな、傀儡紋だ」
「傀儡紋とは一体何だ、ナルジェ?」
「傀儡紋とは隷属系の魔術で禁忌とされる奴隷紋のことだよ」
「禁忌の奴隷紋だとっ。アルガレル、どういうことだ」
「奴隷紋?…いや、そんなはずはありません。ザンマラは俺にそんなこと一言も……。ただ、俺への忠誠を魔法契約で形にすべきだと……そんな……魔術師は、嘘は付けないはず」
「あぁ、成る程。それで鵜呑みにしたか。確かに魔術師は嘘を付かない。だが人族の魔術師は一癖も二癖もあるぞ。都合のいい真実の一部だけを切り取って、さも全てのように差し出すのは奴等の常套手段だ。お前は魔術師に謀られたんだ」
「そんなっ……奴隷紋だなんて……俺は、そんなつもりは……」
「リアドレス、お前の息子は他人の言葉を鵜呑みにし、愚かにも己の騎士に奴隷紋で忠誠を押し付けた。亡国の術と言われた禁忌の術を用いてな」
「亡国の術だとっ!!まさかっ、これが……」
「残念だが、そのまさかだ」

 隣に腰掛けたロクが徐に手を伸ばし、テーブルに置かれた焼き菓子を三つまとめて掴むと同時に口に放り込んだ。

「相変わらずここの焼き菓子は最高だな。ほら、ウルド。お前も遠慮せず食え」

 緊迫した空気の中、隣の大男の呑気な声だけがする。だからこそ余計にそこだけ別世界の様で、異様だった。
 アルガレルの吐く荒い息と、口いっぱい頬張った菓子をロクがもきゅもきゅと噛み締める場違いな音だけが、沈黙の落ちた部屋の中にいつまでも響き続けていた。


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