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第二章 とある男の物語

18 眠れぬ夜

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「さっきからそこで何をしている。寝るぞ。ほら、早く」

 ポンポンと寝台を叩く俺を前に固まったように立ちすくんだまま、ウルドが動かない。
 湯浴みを終え、二人で寝室に入ったのは十分以上前。俺が寝台に上がってからも既に数分経過していた。巨大な寝台は俺が例え真ん中に寝転んでも大柄なウルドが横に寝る余裕は十分あるが、それでもわざと端に避け寝支度を整えた。
 が、一行にこちらに来る気配がない。
 ドア付近に立ったまま硬い表情で微動だにしない目つきの鋭い大男が、結婚初夜を迎えた生娘の花嫁に見えてくるから不思議だ。吹き出すのをどうにか堪えながら言ったのが、冒頭の言葉。
 俺のポンポンにいい加減観念したのか、表情と同じ硬いウルドの声した。
 
「……夜伽か」
「……ウルド、お前夜伽の相手を殺す気か」

 ウルドの眉間の皺が一掃深くなる。敵陣に突っ込む前の戦士のような顔で何を言っているのやら……。

「どういう意味だ」
「そのままの意味だ。寝台にいる俺を前にそんな顔をしたのはお前が初めてだ。失礼にも程がある。一体何をする気だ。まさかとは思うが、それがお前のしたい時の顔か」
「それは……」
「ふふっ、安心しろ。拒むすべを持たぬ者に奉仕を命じるような悪趣味は俺にはない。そういうことは普通、両者同意のもとでするものだ。だからしたくなった時、お前が俺を口説け」
「……お前、男が好きなのか」
「いいや、男も女も好きじゃない。俺が好きだと思った相手のことだけが、好きなんだ。お前はどうだ」
「……誰も、好きじゃない」
「そうか。似たようなものだな。その内お前がいいと思う相手が現れる。だからほら、今日はもう寝るぞ。疲れただろう。早く来い」

 再びポンポンと叩いた場所に、ウルドは黙って潜り込んで来た。


*****

 身体も繋げず閨を共にしたのは、子供の時以来だった。
 隣で眠る男の穏やかな寝息が、規則正しく零れて消えてゆく。口ではあんな事を言っていたが、正直建前だと思っていた。布団に入った俺に向き直り覆い被さって来た時は、やっぱりなと思った。
 残念が半分、何故か安堵が半分。そんな自分に戸惑っている内に、額に温かな唇が触れた。すぐに離れた唇が小さく開き、「おやすみ」の言葉を最後に背を向け見えなくなった時、全てが残念に変わった。さっきとは全く違う残念。離れたモノを惜しいと思う残念だった。
 それから、ずっと眠れないまま……。
 寝返りを打った男が再びこちらに向き直り、身体を覆うシーツの下、共有する空間が動き肌の温もりを伝えてくる。夜目の利く俺には月光の中、男の瞼を覆う長い睫毛が震える様子さえ昼間のように良く見えた。すっと通った細い鼻梁も、ほんの僅かに開いた柔らかな唇も、そこに覗く白い歯も。
 男の持つひとつひとつを数えるように眺め、月光に輝く髪の間から覗く形の良い耳まで辿ったところで、はたと気付いた。
 自分が、この男に今見惚れていたことに。

「ナルジェ」

 唇から小さな声が零れる。
 今日は呼ぶことのなかった、この男の名。誰よりも美しい瞳をしているくせに、俺の瞳を美しいと、月のようだと言った男。
 小さく名を呼んだだけで、身体の奥に明らかに湧き上がった何かに戸惑い、振り払うように寝返りを打ち背を向けた。きつく目を閉じたが、今見た男の寝顔ばかりが浮かび、落ち着かない。
 今日俺達の間には、人に言えないような疚しいことなど何もなかった。風呂で汚れを落として飯を食い、俺の過去を見て三人で茶を飲んで、最後は寝床に入ってお休みと言った。そして男は本当に寝てしまった。したのは夜伽どころか子供だましの額への口付けひとつ。
 なのに「おやすみ」と言って男が唇を押し付けた額が、まるで火を灯したようにひどく熱を持ちいつまでも俺を苛んだ。身の危険を感じてもいないのに気持ちが高ぶって眠れないなど、生れて初めてのことだった。
 この男に会ってから、余りに多くの初めてが起こりすぎる。
 己の背の向こうが気になって気になって、仕方なくもう一度素知らぬ振りで寝返りを打って男に向き直る。月光に浮かんだ額に一筋かかる白銀の髪がなければ、男の顔がもう少し良く見えるのに……。
 「ナルジェ」
 明日はこの名を、男に向けて呼べるだろうか。

 俺にとってそれは、溜息の零れる程に長く切ない、初めての夜だった……。


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