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第二章 とある男の物語

13 無邪気な子供

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 開かれた扉の向こう。今まで見たこともない上等な部屋の中央の、これ又上等なソファに、足を組んで踏ん反り返る若い男が一人。
 誰もが物言わぬ中、どうするべきかと思案していると、入室を促したと言うには強すぎる力で後ろから背中を小突かれた。明らかに悪意ある行為に溜息を飲み込み、押される形で部屋の中に歩を進める。
 ゆっくりと歩きながらソファの男に目を向けると、男も俺を無言で見返してきた。子供が玩具でも眺めるような喜色の浮かんだその瞳の色は、瑠璃の色。近づく程に、男の口角がゆっくりと上がっていくことに嫌な予感が沸々と湧いてくる。
 念のため十分な距離を空け立ち止まった。既視感のある瑠璃の瞳の男に礼を取るべきかと逡巡したのはほんの僅かな時間だったのに、意地悪く次の機会を狙っていた後ろの奴にはそれで十分だったらしい。
 声も掛けず、膝裏に蹴りが入った。気配を察し自ら膝を折ることで直撃を逃れたが、思わず小さな舌打ちが出るほどにはムカついた。
 仕方なく、そのまま両膝を付き頭を垂れる。

「許す。顔を上げて立て。……近くで見ると、思ったより大きな」

 声を発したのはソファの若い男で、少し前に見た皇帝に面差しがよく似ていた。瑠璃色の瞳と年恰好から判断するに、俺をここに呼びつけた第二皇子というのはどうやらこの男で間違いなさそうだ。
 大会終了後、自室に戻る間もなく攫うように連れてこられた俺は、未だ汗と埃と血に塗れていた。そんな俺を前に、今や完全に口角が上がり誰から見ても笑顔といえる程ご機嫌な様子の男に、先程から感じている嫌な予感が一気に膨れ上がる。いくら高位の者とはいえ、大会直後の優勝者に型通りの祝いの言葉一つ掛けず眺め回すだけなど、普通でない。
 を、俺はよく知っている。闘技場に立つ者が対戦相手に向けるソレ。賭けの対象の剣闘奴隷を値踏みするソレ。見えない壁の向こうにいるあらゆる人が、こちら側を眺めるソレ。
 相手が自分と同じ、血の通った人なのだと認識できていない者特有の目だ。

 武を何より尊ぶこのグレビア帝国では、剣闘技大会での上位成績者には相応の敬意が払われる。例え剣闘奴隷の身分だとしても、強さを示しさえすれば、敬意は漏れなく付いてくる。
 この国において強さとは剣であり盾であり、時に己を守る身分や正義にさえ成り得るのだ。
 過去幾度となく大会で優勝し、その恩恵に与かってきた身であるからこそ、ある種妄信的に力を求めるこの国の思想の齎す恐ろしさを知っている。
 今目の前にいるこの男は、剣闘技大会の優勝者を単純な興味から呼び出したにしては、些か機嫌が良すぎる。
 この場に案内してきた後ろの騎士の悪意ある行動も不可解だ。いくらこの騎士が奴隷を嫌う血統主義だとしても、先程からの態度はあまりにも目に余る。奴隷という身分に対する嫌悪というより、向けられる視線も悪意もまるで恨みでも買っているかのように真っすぐ俺個人に向いている。
 本能が警報を鳴らす。
 丸腰で白刃を向けられた時でさえ感じたことのない焦燥がじわりじわりと足から登ってくるような不快感に、握りしめた拳に自然力が入る。

 どきりとする程すぐそばで、値踏みを終えた男の声がした。

「喜べ。お前を王宮に召し上げてやろう。俺付きの護衛騎士にしてやる。たとえ褒章で解放されても元は奴隷。いかに強かろうと王族の専属近衛騎士など普通はなれないが、お前は特別だ。これ程の強さ、放っておくには流石に惜しい。父上もきっと承諾するだろう」

 俺にとっては何より望まぬ事を、まるで子供の様に声を弾ませ告げた男に呆気に取られる。思わず見返したその目には、身勝手に人を囲い込むことに対する疚しさなど微塵も見えない。誇らしげに語った王族としての自分の判断が、相手にとっても本気で名誉であると信じる真っ直ぐさのみがあった。
 大事に大事に守られて、手を懸け育てられた子供の様な素直さに、腹立たしさと嫌悪が湧く。
 目に付いた他人の大事なものを欲しいと平気で毟り取ろうとする無邪気な子供は、時に恐ろしい程残酷になるものだ。


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