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第一章 黒紋の男

6 傀儡紋

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 部屋に入ると油断なく辺りを伺って退路を確認しだしたウルドに苦笑が漏れる。

「初めて訪れる他人の部屋が落ち付かないのは当然だ。一度全て見て回るといい。今は俺とお前の二人だけのはずだから、もし他に誰かいたら遠慮なく叩きのめしてくれ」

 頷き一つ、音も立てずに隣の部屋に消えて行った男は、先程穏やかな表情で景観に見入っていた者と同じとは思えない鋭い気配を纏っていた。
 騎士だから、で納得するには些か雰囲気が物騒すぎる。あれではまるでならず者上がりの傭兵だ。
 俺のことを知らないとはいえ、仮にも帝国の依頼を正式に受けるような身。身元はそれなりに保証されたと言えよう。おまけに魔法契約まで結んで合法的に借り受けた騎士を、今更どうこうするはずもない。そもそも明らかに自分より弱い男を相手に逃げ道を確認するなど……。
 仕切られた空間に余程嫌な思い出でもあるのだろうか。
 程なく戻ったウルドは険しい顔のまま俺の前を横切り、今度は部屋の反対側にある湯殿に続くドアに消えていった。パタンパタンと扉が開いては閉じる音が微かに聞こえてくる。
……まさか、全部開けてるのか。
 あの様子なら、排水溝の蓋まで外して覗いていそうだ。
 戦場にいる軍人でもあるまいに、追い詰められた獣の様な顔で排水溝を覗く大柄の男の姿を想像してクツクツ笑っていると、気が済んだらしいウルドがようやく戻ってきた。「問題ない」とぶっきらぼうに告げたウルドから、さっきまでの鋭さは嘘のように消えていた。
 安心できたようで良かった。だが残念ながら、こちらはまだだ。
 今度は確認する番だ。

「問題ないなら次はこちらの用事を済ませよう。早速で悪いが、服を脱いでくれないか」

 動きを止めて目を眇めたウルドの気配が再び尖ったが、すぐに霧散した。続けてふぅと一度だけ勢いよく息を吐いた後、何も言わずガチャガチャと賑やかな音をさせ装備を外しにかかった。全ての装備を下に置いた後、続けて次々と着ているものを脱いでいく様子に躊躇いは見えない。羞恥も呆れもなく、取り決められた作業を淡々とこなすように全ての衣類を脱ぎ終えると、下穿きひとつになって無表情でこちらに向き直った。

「悪いな、全部だ」

 笑顔で容赦なく告げた言葉には流石に眉間の皺を深くして口元をぴくりとひくつかせたが、当然見なかったことにした。
……俺もお前と同じく、どうせ見るなら排水溝の蓋まで外す性分でな。
 またしても躊躇いなく応じたウルドの手によって晒された肉体は、強靭と呼ぶにふさわしい見事なまでに鍛え上げられたものだった。それが見せかけだけでなく実戦に根差したものであると、うっすらと細く残る幾つかの傷跡が証明していた。日に焼けていると思った肌色は地のようで、服に隠れた胸部や下肢まで途切れることなく美しい小麦色が続いている。
 幾ら焼いても痛みを伴い赤くなるばかりで、一向に生っちろいままの貧弱な俺の肌とはえらい違いだ。少々羨ましく思いながらぐるりと一周眺めて、惚れ惚れするような肉体美を堪能する。
 見る限りは、美しい身体だ。
 正面に戻り、その全容を確認する。滑らかな小麦色の肌が続く左半身と禍々しい黒紋が大きく張り付いた右半身。右目の周囲から始まる紋様は、蟀谷こめかみを伝い耳を囲むように首へ降り、そのまま右肩、右腕、右胸から脇腹に渡り、体側に沿って足の甲まで続いていた。
 仮に全て失えば、到底生きてなどいられない程の広範囲。けれど肝心な場所は綺麗に外してあって、即死もできそうにない。
 施された魔術の刻印に術者の意図が見え隠れするようで気分が悪い。
 強い執着か単なる力の誇示か、将又はたまた相手を嬲って喜ぶ異常者なのか。いずれにせよ、この紋の大きさに苦痛を与えるということ以外さして意味などないと知っている身としては、やはりすこぶる不愉快だ。
 裸体の男を前に、腕を組んで難しい顔で思案を始めた俺に揶揄うようなウルドの声が掛かった。

「替えるか」

 なんのことかと思わずキョトンとする俺に、苦笑いするウルド。

「脱いだ後に好みじゃないと言われるのは些か気に入らんが、決めるのはそっちだ」

……ああ、身体のことか。
 真っ裸に剥いた男を前に渋い顔をしていればそう誤解するのも無理はない。悪いことをしたな。
 俺も苦笑で答えながら、滑らかな小麦色の肌に手を伸ばした。

「いや、誰とも替えはしない。今夜はお前と共に過ごす。大丈夫だ、ウルドの顔も身体も全て好みだぞ。ただちょっと、考え事をしていただけだ」

 指先で滑らかな肌に触れ、ゆっくりと気配を探る。何もないのを確認し、ひたりと掌を左胸に充てる。ゆっくりと細く魔力の触手を伸ばすが、やはり何も
 ふと視線を感じ見上げると、驚いたウルドの顔が目に入った。
……ほう、今ので気付いたか。
 俄かに険しくなった表情に、明らかな警戒の色が浮かぶ。

「なんだ今の。あんた、さては魔術師か」

 自分より弱いと認識していた相手が、力ではどうこう出来ない特大の隠し玉を持っていると知ったのだ。当然の反応だろう。

「俺としては全く違うと言いたいが、人に言わせれば似たようなものらしい。だがそう警戒するな。ここに来る前魔法契約で誓ったのを見ただろう。防御以外で俺がお前を害することは出来ない。少々確認をしたいだけだ」

 一度離した掌を、今度は右胸に持っていく。指先だけでゆっくり黒い紋様をなぞると、ぴくりと動いたウルドの他にもうひとつ、目当ての相手がいるのが分かった。それと分かる程の魔力を塊で流してやると、己とは別の魔力の流れに苛立ったのか、肌の下でモゾリと蠢くが存在を主張する気配がした。

……ああ、やはりこれは【傀儡紋】。

 思わず閉じた瞼の下に見えたのは、鎌首をもたげてこちらを牽制する、だった。


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