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第一章 黒紋の男

1 予感

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 ユセリナ大陸の東端に、一風変わった街がある。
 その街の名は【アウラリア】。呼名であるアウラリアとは、月神アウラリアの御名からきている。
 古い歴史の書物に始まりの地として書き記されているこの地が、神の確かな恩恵を受けているのは周知の事実。
 だが、守護者であるはずの月神アルラリアが既にこの地にいない事を知る者は、限られている。今では御伽噺と化した【アウラリアの悪夢】と呼ばれた出来事の後、神は去り、この地は百年の喪に服した。
 たった百年。されど百年。
 変わり果てたこの地を再び蘇らせ今の姿にしたのは帰らぬ神ではなく、この地に残り生きることを選んだ者達であった。


 都市アウラリアは、月神アウラリアの名の下に平等を謳い、【来るもの拒まず】を理念に掲げる世界有数の交易都市でもある。
 理念に相応しく、取り扱う商品は実に様々。
 手作りのぬいぐるみから希少な鉱石、鍋に武器に猛毒、正規の市場では絶対お目にかかれない訳ありの一品まで、アウラリアで買えぬものは無いと言われる程の品揃え。
 それを目当てに、押し寄せる人々も実に様々である。
 種族、身分、性別問わずありとあらゆる思惑を両手に抱えた者達が、連日賑やかに衛門に集い、この街へ吸い込まれるように消えていく。
 
 帰らぬ神を見限り、独自の法と新たな契約でこの地を縛り守ると決めた者がいることなど、訪れる者達は誰も知らない。
 ましてや手土産よろしく持ち込まれる厄介事を、手ぐすね引いて心待ちにする者までいるなど、一体誰が思うだろうか……。



*****

「お前が父上の情婦か」

 開放的な吹き抜けのフロアに大きく響いた声は、明らかな嘲笑を纏っていた。
 絶え間なく駆け抜けていた風がぴたりと止み、続いてざわりと動いた周囲の空気が穏やかな時間の終わりと不穏な午後の始まりを告げた。

 アウラリアの最奥に居を構える楼閣、通称鳥籠。
 純白で縁取られたその荘厳な一階フロアに置かれた豪奢なソファの上では、今しがた不穏な言葉を発したばかりの青年が満足げな顔で寛いでいた。
 投げ出された長い手足が纏うのは一目で高価と分かる上質な衣装。艶やかな明るい金髪に縁取られた端正な顔を彩るのは、高位の者特有の高慢さがたっぷりとのった笑みだった。
 周囲を囲むようにフロアに散開しているのは屈強な体躯の男達で、揃いの装備と整えられた身なりからいずれもグレビア帝国の騎士であることが伺えた。
 つまりは、ソファで踏ん反り返るこの青年が、国の騎士に守られるべき身分であることを示していた。
 有難くない訪問者に眩暈を感じた直後、カツカツと鳴った靴音に俺の意識は引き戻された。向けた視線の先、逃さないとばかりに足早に詰め寄って来たのは見知った顔だった。
 セドリック・オスト・バノフィーヤ。グレビア帝国皇帝リアドレスの側近を勤める男で、数年前までは頻繁に顔を会わせていた相手である。以前と変わらぬ、いや更に洗練された優雅な仕草で会釈を披露した後もったいぶった口調で述べた再会の口上は、中々に含みのあるものだった。

「ようやくお会いできました、ナルジェーダ殿。私のことは憶えておいでですか。グレビア帝国皇帝リアドレスが側近、セドリックです。あなたが何も告げず王城を去ってから今日まで、陛下は常にあなたの身を案じておられました。便りに返事さえ頂けない程お加減が悪いのかと大層心配しておりましたが、こうして見る限り、全くと言っていい程お変わりないご様子。杞憂だったとわかり、私も安堵致しました」

 穏やかな微笑を浮かべた顔の中心で、瞬きもせずこちらを見つめるセドリックの水色の目は何年経っても変わらず微塵も笑っていなかった。
 初めて会った時から、俺のことを敬愛する主にたかる強欲な虫だとでも思ったのか、笑顔を貼り付けた仮面の下、隠しきれない嫌悪が見え隠れしていた。
 できればこちらも関わりたくはなかったが、残念ながら当の皇帝本人が度々俺との橋渡し役を言いつけるものだから、結果、幾度となく顔を合わせるはめになったのは些か苦い記憶だ。
 そんな男が引き連れて来たのが、件の青年である。であれば、先程の発言にあった「父上」とやらが誰を指すのかは言わずもがな。
 セドリックの肩越しにちらりと見遣ったソファの上、瑠璃色の瞳がまっすぐこちらを見つめていた。

……成る程。確かに面影がある。
だが、それがどうした。

 仮に目の前の相手が知り合いの息子だとして、初見の相手を父親の情婦と呼ばわる大層躾の行届いたガキに応えてやる義理などない。ましてや俺を嫌う側近に振りまく程の愛想も持ち合わせていない。
 
「要件は?」

 わざわざ出した皇帝の名には微塵も触れず要件のみを聞いたのが不快だったのか、セドリックが僅かに眉根を寄せ物言いたげにこちらを見たが、無言で真っすぐ見返す俺に諦めたように目を閉じ下を向き、小さく息を吐き出した。
 次の瞬間、上げた顔には先程までの作り物の笑みは消えていた。

「今回、私は帝国の…」
「おい、二度同じことを言わせるな。お前が父上の情婦かと聞いている」

 生真面目な顔で切り出したセドリックの言葉を遮って、再びフロアに響いた男の声。
 先程の嘲るような気配は成りを潜め、若干の苛立ちを含んでいる。どうやら機嫌を損ねたらしい。

……面倒だ。これだから躾のなっていない血統書付きは。

 出先であるなら迷わず逃げの一択しかない二人組だが、棲み処に押しかけられては逃げることも叶わない。
 今後の展開が早くも見えた気がして思わず舌打ちが出る。
 直後、待ってましたとばかりに強い風が吹き込んだ。俺の髪をぶわりと巻き上げなぶった風が、肩に手を掛けくるくる踊る。姿はないのにくすりと耳に届いた小さな笑い声。

……ああ、か。

 昼飯を喰い損ねたうえに訪れた特大の面倒事の予感。おまけにやっかいな観客までいるときた。俺の周りでいつまでも不自然に渦を巻き続ける風に、不機嫌を通り越し軽い殺意が湧く。

 本当に、どいつもこいつも面倒だ。


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