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第11話 レジーナとチェルシー3
しおりを挟むレジーナが二階の部屋に戻ると、部屋の前にはアルヴィンが立っていた。アルヴィンはレジーナの腕にある氷枕と氷嚢に気付くと、「お、持って来てくれたか」と表情を和らげる。
レジーナからチェルシーが風邪を引いたのだと聞いた後、どうやら二階に来てずっと廊下で待っていたらしい。チェルシーのことを心配してのことだろう。
「アルヴィン君、部屋に入ったら? チェルシーさんの様子を見に来たんでしょ?」
「男子が女子の部屋に入るのは基本的に禁止されている。軍医は別だが」
そういえば、初めて営所を案内してくれた時も、この部屋には決して入らなかったことをレジーナは思い出す。そうか、入ってはいけないからだったのか。
「でも兄妹なんだし、ちょっとくらい……」
「規律は規律だ。お前が戻って来たことだし、俺も食堂へ行く。チェルシーには、ゆっくり休め、無理はするなと伝えておいてくれ」
そう言って、アルヴィンは立ち去って行った。その背中を見送ってから、レジーナは部屋に入って、寝台に伏せているチェルシーに声をかける。
「チェルシーさん、氷枕と氷嚢を持ってきました。ここに置いておくので使って下さい。それからさっき、アルヴィン君が様子を見に来たんですけど、ゆっくり休め、無理はするなとのことですよ」
「お兄様が……来てくれたの」
「はい。チェルシーさんのことを心配してましたよ」
優しく言うと、チェルシーはしばし押し黙って。
「……ふん。あんたは腹の底ではいい気味だと思っているんでしょ」
「え?」
「汚水を頭から被った挙げ句、お兄様にもダグラス隊長にもクリフ副隊長にも怒られて、謹慎処分。その上、風邪を引くとか……さぞバカな女だって思っているんでしょうね」
「ええっ、そんなことありませんよ!」
どうしてそういう発想になるのだ、とレジーナは呆気に取られた。別にいい気味だなんて思っていないし、バカにしてもいない。レジーナだって、純粋に心配している。
「なんでそう思うんですか」
「なんでって……だって、あんた私のこと嫌いでしょう」
「え……」
レジーナはさらに呆気に取られた。そんな風に思われていたのか。レジーナに対して風当たりがきつかったという自覚はあるようだ。
さて、なんと返したものか。レジーナは考えた末、優しげに笑った。
「……そんなことありませんよ? 私はチェルシーさんと仲良くなりたいと思ってます」
「白々しい嘘ね」
「嘘じゃありません。誰かを嫌いになるのには理由が必要かもしれませんけど、仲良くなりたいと思う心に理由なんていらないでしょう?」
「……変な奴」
私を嫌いになる理由なら十分あると思うけど、とチェルシーはぼそりと言ったが、それはレジーナの耳には届かなかった。
「じゃあ、私は食堂に行って朝ご飯を食べてくるので」
こちらに背を向けたままのチェルシーにそう声をかけ、レジーナもまた食堂へ行く。すると、すでにクリフの姿はなく、ダグラスやニールとノアがテーブル席に座って朝食を食べていた。
アルヴィンも食堂の端に座って朝食を食べていたが、レジーナはチェルシーと同じ八虹隊であるダグラス達の下へ朝食を持って行った。
「おはようございます、皆さん。ここ、座っていいですか?」
ダメだとは言わないだろうとは思いつつ訊ねると、ダグラスが「いいよん」と許可してくれたので、レジーナはダグラスの向かい側の席へと腰を下ろす。
隣のニールはパンをかじりながら、レジーナを見た。
「おはよう。そういや、チェルシーが熱を出したって?」
「あ、はい。氷枕と氷嚢を渡したので、今頃冷やして寝てると思います」
レジーナの言葉に、斜め向かいに座っているノアは「ふーん」と相槌こそ素っ気ないものの、気遣わしげな顔をして言った。
「お見舞いに行きたいところだけど、僕達は女子部屋に入れないからなあ」
「そう心配するな。クーちゃんが軍医に診てもらえるようにさっき頼みに行ったんだし」
そうか、それでクリフの姿が見えないのか。
納得するレジーナに対し、ニールは眉根を寄せる。
「ダグラス隊長ってわりとドライだよな」
「隊長っていうのは何事にも動じないようにするものなの。ほら、さっさと食べる。出勤時間になるよ」
ニールとノアは素直に「「はーい」」と応え、朝食を食べる手を再開した。レジーナもなるべく早く朝食を食べながらも、ダグラスに訊ねる。
「あの、ダグラス隊長。私、少し遅れてもいいですか?」
「ん? 何かあった?」
「ええと――」
レジーナが理由を話すと、ダグラスは優しく笑って「そういうことならいいよ」と了承してくれた。そんなわけでレジーナは朝食を食べた後、出勤するダグラス達と一旦別れて、食堂のキッチンを借りとある物を作る。そしてそれを二階の部屋へと運んだ。
「チェルシーさん、起きてます?」
「……起きているけど」
チェルシーは氷枕の上に仰向けになって、額には氷嚢を乗せている。レジーナが用意した物をきちんと使ってくれているようだ。
「食欲ないかもしれませんけど、よかったらこれを食べて下さい。ここに置いておくので」
レジーナは手に持っていた麦粥を、スプーンとともに文机の上に置いた。寝ているチェルシーにはなんなのか分かるまいが、食べて下さいという言葉から食べ物だとは伝わったのだろう。チェルシーは片眉を上げた。
「何、まさかあんたが作ったの?」
「はい。麦粥です。食堂のキッチンを借りて作りました。お口に合うか分かりませんが……」
「………」
「お兄ちゃんが軍医さんに診てもらえるように頼みに行ったそうなので、じきに軍医さんが来ると思います。多分風邪だとは思いますけど……早く元気になって下さいね」
レジーナはにこっと笑いかけてから、「じゃあ、私も仕事に行くので」と部屋を出て行く。
部屋に一人残されたチェルシーは、黙って麦粥を見つめていた……。
精霊騎士団本部の八虹隊事務室へ急いで向かったレジーナだったが、ダグラスの言葉に眉尻を下げた。
「え……仕事がない?」
「うん。クーちゃん以外の精霊のトリミングとかシャンプーは、産休に入ったトリマーが休みに入る前にやってくれたから、やることないんだよね~。だから、アルヴィン殿下から暇の潰し方でも聞いて自由にしていいよ。あ、ただし敷地内からは勝手に出ないこと。チェルシーと同じく軍律違反になるからね」
「……分かりました」
レジーナはダグラスの前から事務室の端まで移動する。そこには壁に寄りかかったアルヴィンがいて――数日間はレジーナの傍について仕事を教えてやってほしいとクリフが頼んだためらしい――、レジーナは困り顔でアルヴィンを見上げた。仕事がないなんてペットサロンで働いていた時には考えられなかったことである。
「アルヴィン君、仕事がない時ってどうすればいいの?」
「俺や他の隊の専属トリマーは、事務室でトリミングに関する本を読んで時間を潰す。あるいは所属する隊の隊員やその精霊と親交を深める、といったところか」
「……それでお給料をもらうの? なんか、申し訳ない気がするんだけど」
「慣れろとしか言いようがないな。仕事がないものはないんだから仕方ないだろう」
それはその通りだが、精霊騎士はもちろんのこと、専属トリマーの給料も税金から賄われるという話なので、なんだか罪悪感を抱く。
とはいえ、ない仕事をすることはできないのだから、ニールやノアと親交を深めようかなあ、とレジーナが考えている時だった。黙々と事務作業をしていたクリフが、ふと思い出したように言う。
「レジーナ。軍医のセレスト先生が九時過ぎにチェルシーを診察しに行くそうなので、仕事がないのなら付き添ってあげてもらえませんか?」
「え、うん。いいけど」
九時まではあと十分。精霊騎士団本部を出て営所の部屋へ向かえば、ちょうど九時頃になるだろう。というわけで、レジーナはアルヴィンとともに再び営所に戻ることにした。「「失礼します」」と事務室を二人で出て、並んで廊下を歩く。
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