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第1話 八虹隊の隊員1
しおりを挟むレジーナは、一瞬何を言われたのか理解できなかった。数秒置いてようやく理解し、
「ク、クビですか……?」
と、掠れた声を絞り出す。
レジーナの前に立っている若い男性――ペットサロンの店長は、「ああ、そうだ」と怒りが混じった声で言う。
「うちはね、価格が安いからその代わりに作業の回転率を上げなきゃいけない。だから、仕上がりなんてほどほどでいいんだ。それなのに君ときたら、いちいち丁寧に時間をかけて仕上げて非効率なんだよ。って、何度も注意してきたはずだけど、聞き入れやしない」
「だ、だって、お客様が満足する仕上がりにすることが、私達トリマーの……」
「ああ、うるさい。いいからもう帰ってくれ。君は今日限りでクビだ!」
そう言って店長は事務室からさっさと立ち去って行った。バアン、と強く扉を閉めたことから相当頭にきているようだ。
一方のレジーナは突然の解雇通告に放心して、しばらくその場に立ったままだった。
(私……何か間違ってるの?)
客に満足してもらえるよう、連れて来られた犬や猫を一頭一頭大切に扱い、丁寧に作業し、綺麗に整えてあげる。それがトリマーという仕事なのではないのか。仕上がりなんてほどほどでいいってなんだ。
この二年間、頑張って勤めてきたつもりだが……本当につもりだったようだ。ここまで店長を怒らせていたとは思わなかった。
(……帰ろう)
この店とは方針が合わなかった。そう受け取るしかない。
次の仕事を見つけなきゃな、と思いながらレジーナは店を出て帰路についた。とぼとぼと三十分ほど歩いて着いた先は、無駄に広いだけの、一言で言ってしまえばボロい家だ。
アークライト元地方伯爵家。かつてアークライト地方を治める貴族だったのだが、農奴による下剋上の嵐で没落してしまい、今では貧乏貴族である。ゆえに一応、伯爵令嬢であるレジーナも働かなくては生活していけない。もっとも、それは別に構わないのだけれど。
「ただいま……」
「おう、おかえり。どうした、なんだか暗い顔をしているが」
玄関で出迎えた父は、気遣わしげな顔をしてレジーナを見下ろす。一応、伯爵である父もまた働いているが、今日はたまたま休日だ。
「うん……実は職場をクビになっちゃって」
「……そうか。今までお疲れさん」
父は労うようにぽんと、俯くレジーナの肩を叩いた。今は深く事情を聞いてこない優しさが心に染みる。なんだか泣いてしまいそうだ。
それから父はふと思い出したように、「あ、そうだ」と口を開いた。
「そういえば、クリフからお前宛てに手紙が届いていたぞ」
「え、お兄ちゃんから?」
十七歳のレジーナには六歳年上の兄クリフがいる。十年前に王都の騎士学校に進学し、今は精霊騎士団というところで精霊騎士として働いているらしい。何故、『らしい』という言葉になってしまうのかと言えば、クリフは十年前に王都に行って以来、一度もこの家に帰省せず――仕事が忙しいのだという――、時折手紙のやりとりを交わしているだけだからだ。
七歳までしかともに暮らしていないとはいえ、優しくて大好きな兄からの手紙。これは急いで中身を確認しなければ、とレジーナは沈んでいた気分も吹き飛んで、意気揚々と広間に向かう。すると、テーブルの上に一通の手紙が置かれていた。
(近況報告かな……?)
今度、そっちに帰省する、なんて書かれていたら嬉しいが。
レジーナは早速、封を切って綺麗に折りたたまれた手紙を開いた。すると、クリフらしい丁寧で達筆な字でこう書き綴られていた。
『レジーナへ
元気にしていますか? 私の方は変わりありません。相変わらずふざけた上司の下で辟易としながら働いています。
まあ、それはともかく。レジーナはトリマーの資格を持っていますよね? そこでお願いがあるのですが、私が配属されている隊の専属トリマーとして働きませんか?
実はこれまでの専属トリマーが産休に入ってしまいまして、新しいトリマーを探しているのです。雇用期間は一年間だけとなりますが、精霊騎士団で働いたという経験はレジーナにとっても有益なものとなるのではないでしょうか。
では、色よい返事を待っています。
クリフ』
文章を目で追うレジーナの後ろから、ひょいと父が覗き込む。
「クリフは元気にしているか?」
「うん。元気にしてるって。それでね、私にお兄ちゃんの職場の専属トリマーになってくれないかって書いてある。一年間だけの雇用契約だけど」
「ほう。じゃあ、王都へ行くのか?」
「ちょうど、職を失ったところだしね。渡りに船ってやつだもん。乗るよ」
「そうか……お前までいなくなっては、寂しくなるなあ」
「一年間だけだって。この仕事が終わったら帰って来るよ」
心なしかしょんぼりとしている父にレジーナは明るく笑ってから、もう一度クリフからの手紙に目を通して王都へ思いを馳せた。
アークライト地方から出たことのないレジーナにとって、王都は未知の大都会。伯爵令嬢ゆえに王宮舞踏会の招待状は毎年届くが、貧乏なため参加したことがないので王都には行ったことがないのだ。
(お兄ちゃんに会うのも十年ぶりかあ……お兄ちゃん、私のこと分かるかな? っていうか、私もお兄ちゃんのことが分かるか怪しいけど)
クリフと最後に会ったのは、レジーナが七歳の時であり、その時のクリフもまだ十三歳だった。お互い子供だったので、成人してから顔を合わせるのは初めてだ。
これが兄妹らしく似ているのなら十年ぶりでも分かるかもしれないが、レジーナは平凡顔の父親似で緩く波打った赤毛をしているのに対し、クリフは美人だった亡き母親似で柔らかい栗色の髪をしている。共通点といったら、茶色の瞳をしていることくらいしかない。
互いに兄妹だと認識できるか不安であるが、善は急げ、だ。早速、手紙の返事を書こうとレジーナは「ちょっと、手紙を書いてくる」と父に告げて自室に行った。
――それから一ヶ月半後。
「うわあ、ここが王都かあ」
ガタン、ゴトン、と揺れる馬車の小窓からレジーナは外の景色を眺めて、感嘆の声を上げていた。というのも、王都というのは地元とはまるで次元の違う大都会だったのである。鋭角の屋根を乗せた煉瓦造りの高層住宅街、石畳で舗装された幅の広い道、小高い丘には立派な王城が見え、街中には巨大な時計塔がそびえ立っている。道は人々で賑わい、街の広さも地元に比べたら天と地ほどの差だ。
さすがは、華の王都ユベリアといったところか。
「お客さん、着きましたよ」
馬車がゆっくりと停止したかと思うと、御者はそう声をかけてきた。レジーナは慌てて荷物を持って馬車から降り、「ありがとうございました」と御者に頭を下げて去っていく馬車を見送った。ちなみに代金はクリフが前払いしてアークライト家に寄越した馬車に乗ってきたので、レジーナが負担する必要はない。
そうして精霊騎士団の敷地前を振り向くと、
「よう。来たか」
と、見知った顔の少年が立っていて、レジーナは目を瞬かせた。
「え、アルヴィン君?」
「他に誰に見える。話はお前の兄貴から聞いている。とりあえず、営所を案内してやるからついてこい」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
さっさと歩き出した少年――アルヴィンの後ろを、レジーナは慌てて追う。足早に歩くアルヴィンの隣に並びながら、その端正な顔立ちをした横顔を見上げた。
「どうしてアルヴィン君が出迎えに来たの? お兄ちゃんは?」
「お前の兄貴なら仕事中だ。あとでそっちにも案内する。まずは荷物を部屋に……って、ああ、気が利かなくて悪い。持ってやるよ」
アルヴィンは一旦足を止め、レジーナから荷物を預かった。大して重い物は入っていないが、それでも持ってくれるというのならありがたい。
レジーナはほわりと笑う。
「ありがとう、アルヴィン君」
「まあお前も一応、レディだからな」
「一応って何!?」
なんて失礼な。レジーナはもうれっきとした淑女だ。
頬を膨らませるレジーナにアルヴィンは素知らぬふりをし、「さあ、行くぞ」と再び歩き出す。その隣をレジーナも歩きながら、内心くすりと笑った。
(変わらないなあ、アルヴィン君)
アルヴィンとは、二年課程のトリマー養成機関で出会った同期だ。いつも仏頂面で不愛想だが、意外と面倒見がよく優しい。入学式で迷子になったところを助けてくれたり、授業で分からないことがあったら教えてくれたり、レジーナにとっては頼りになる存在だ。
そんな彼はトリマー養成機関を首席で卒業し、精霊騎士団の専属トリマーに就職したと聞いてはいたが……まさか、こんな形で再会することになるとは。
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