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第8話 アズライトの忠節1
しおりを挟むひとには何かしら取り柄があるものだという。けれど、カミラは昔から姉には何をやっても敵わなかった。
器量、勉学、運動、習い事。すべてにおいて姉を上回ることはできず、いつしかカミラは努力することをやめていた。
最初は敵わないことが悔しかった。何か一つでも姉を追い越したい、そんな思いでがむしゃらに何事も頑張っていた。
それが――無駄な努力だと理解したのは、何歳の頃だったろう。
なんでもそつなくこなす姉に対して、平凡な……いや、それ以下かもしれないカミラ。そんな二人を、しかし両親は比べることもなく分け隔てなく育ててくれた。それはきっと恵まれていることだろう。けれど、カミラの虚無感を満たすものではなかった。
姉には一生敵わない。ずっとそう思っていた。しかし、幸運とはいつ舞い込んでくるか分からないものだ。
「カミラ、僕と結婚してくれないかい?」
思いがけない、彼からのプロポーズ。
一瞬何を言われたか分からなかったが、理解すると舞い上がらないわけがなかった。
「本当に!? 私と結婚してくれるの!?」
「はは、僕が訊いているんだけど」
「もちろん、あなたと結婚するわ! 嬉しい……ありがとう!」
彼と交際して半年。出会いは王宮舞踏会で、お互いに優秀な兄姉を持つと肩身が狭いよねなんて話で意気投合して、彼から結婚前提に付き合ってくれないかと告白された。
カミラも穏やかな彼に惹かれていたし、何よりこんな自分を選んでくれたことが嬉しかったので了承し、付き合いを深めて今に至る。
プロポーズしてもらえたのは純粋に嬉しかった。そして、同時に思う。
(お姉様より先に結婚できる……)
ようやく。ようやくだ。姉の先へ行けるものができた。
それは生まれて初めてのことで、優越感というものだろうか。やっと勝てた、なんてことを思ってしまう。
そんなカミラの心情を知ってか知らずか、彼は穏やかに笑った。
「こちらこそ、ありがとう。じゃあ、まずはカミラのご両親に挨拶しに行かなければならないね。その次に僕の家へ行く。それでいいかい?」
「ええ。明後日なら両親とも家にいるから、その日にしましょうか」
「分かった。ああ、緊張するなあ」
「あなたなら大丈夫よ。家柄も同じ男爵家だし、反対はされないと思うわ」
「なら、いいんだけど」
それからは明後日の段取りについて話し、空が夕暮れに染まる頃に彼と別れた。彼の姿が街の喧騒の中へ消えてから、カミラも喫茶店のテラス席から立ち上がる。そして、カミラの後ろのテラス席に座っている青年に声をかけた。
「ブレット、聞いていた?」
「はい。大変おめでたい話でございます」
恭しく答える青年は、カミラの執事であるブレットだ。今年二十歳になるカミラと同い年で、十年前からカミラに仕えてくれている。
「ふふ、本当に嬉しい。これで私も幸せになれるのね」
うきうきとして言うカミラにブレットは目を瞬かせて。
「今は幸せではないのですか?」
「……そういうわけではないけれど。だって、結婚よ? 女の子の憧れでしょう」
「恐れながら、女の子と言うのは、もうおやめになった方がよろしいかと」
「う、うるさいわね。言葉のあやよ」
いちいち口うるさい奴だ、まったく。
内心うんざりしつつも、カミラはさりげなくブレットの前に置かれているティーカップの中を覗き見た。すると、中身は空っぽだ。
(よし、飲んでいるわね)
これは彼とのデートの間、ずっと待機させているのは申し訳ないので一服しろということで、いつものようにカミラが注文したミルクティーである。
初めの頃は一口も口をつけなかった。というのも、使用人が主人といる時に一服などできないからということだった。
しかし、カミラが「その主人が一服しろと言っているのだから、遠慮なく一服しなさい」ときつく言ったところ、少しずつ飲むようになり、最近では飲み干すようになった。まあ、真面目なブレットのことだから、周囲の警戒は怠ってはいないだろうけれども。
ともかく、今回もミルクティーを飲み干していることにカミラは満足し、身を翻した。
「さあ、帰りましょう。早くお父様とお母様に話さなくては」
「明後日、でしたか。上手くいくといいですね」
ブレットは言いながら、席を立つ。
「ミルクティー、ごちそうさまでした。おいしかったです」
「ここのミルクティーはおいしいものね。ここの従業員を召し抱えたいくらいだわ」
「おや。私の給仕では満足していただけませんか」
眉尻を下げてみせるブレットにカミラは慌てて言った。
「そ、そういう意味じゃないわよ。あなたが淹れてくれる紅茶だって十分おいしいわ。言葉のあやよ、あや」
「お嬢様は言葉のあやが些か多いですよ。発言には気を付けるように」
さっきの悲しそうな表情などなかったかのように、ブレットはしれっとした顔で言う。
カミラは頬を引き攣らせた。
「……ブレット。私をからかったわね?」
「さて。なんのことでしょう」
「まったく……生意気な執事だわ」
「その私を執事に任命したのはお嬢様です」
それはその通りだ。十年前、親に捨てられて街路に蹲っていたブレットを、カミラが執事として召し抱えた。といっても、当時は執事というより従者という方が正しかったが。
それからのブレットは父の執事から使用人としての教育を受け、礼儀作法や主人を守るための体術なども身に付けて、十年経った今では立派な執事である。
カミラなんかにはもったいないくらいの――と評そうとして、カミラはふと思う。
「そういえば、私が嫁いだらあなたもついてきてくれるの?」
口うるさい上に生意気な執事だが、十年も一緒にいたのだ。離れるのは寂しい。
そんな思いが顔に出ていたのか、ブレットは柔らかく微笑んだ。
「お嬢様がお望みでしたら。ただ、旦那様からの許可が必要ですが」
「なら、私からお父様に頼むわ。やっぱり、あなたが傍にいないと不安だもの」
「使用人冥利に尽きます。これからも精進しますので、どうかお嬢様も立派な淑女におなり下さい」
カミラはむっとした。
「何よ。今はまだ立派な淑女ではないってこと?」
「現状に満足することも大切ですが、何事も向上心を持たなければ、人は成長できないということですよ」
「………」
向上心。それは……カミラがとうの昔に捨てたものだ。
(だって頑張ったところで、どうせお姉様には敵わないのだから……)
努力なんて報われない。少なくともカミラはそうだ。だから。
(私は今のままでいい。頑張る必要なんてない)
そうして、カミラはブレットとともに屋敷に帰った。すると、二階から下りてきた姉が無邪気な笑顔で出迎えてくれた。ちなみにその肩には姉の眷属である小さな竜が乗っている。
「おかえりなさい、カミラちゃん。それにブレットも」
「ただいま戻りました」
「……ただいま、お姉様」
カミラは努めて穏やかな顔を作ったが、その心中にはさざ波が立っていた。いつからだろう。姉の顔を見るたびに何かどす黒い感情を抱くようになったのは。
昔はこうでなかった。美しく、なんでもそつなくこなす姉を素直に尊敬し、憧れ、慕い、姉と楽しく話せていた。それが今では表面的な付き合いしかできない。
そんなカミラの複雑な心情を姉は知るよしもなく、目をきらきらと輝かせて問う。
「カミラちゃん、デートはどうだった?」
「ええ、楽しかったわよ」
「よかったねえ。あーあ、私も恋人が欲しいなあ。羨ましい」
「……お姉様なら相手に困らないでしょう」
なにせ、社交界の華と呼ばれるほどの美貌の持ち主だ。性格も女性らしく、おっとりとしている。姉がその気になれば、いくらでも恋人は作れるだろう。
しかし、姉はどこか困ったように笑う。
「そんなことないよ。私に声をかけてくるのは、みーんな私の顔目当てだもの。思ってた性格と違う、なんて言われて振られたりするよ」
「それは……縁がなかっただけではないの。誰でも第一印象から入るものなのだし、だいたい顔だって自分の一部なわけでしょう。贅沢を言うものじゃないわ」
容姿で悩んでいる人が聞いたら、姉を張り倒しそうな悩みである。けれど、とも思う。悩みは悩みだ。姉にとっては深刻な話なのかもしれないと思い直し、カミラは付け加えた。
「まあでも、お姉様って確かに外見と中身にギャップがあるかもしれないわね。そのおっとりした性格に服装とかメイクを合わせてみたらどう?」
そう提案してみると、姉はほわりと笑った。
「ふふ、カミラちゃんって優しいよねえ」
「え……そ、そう?」
「うん。私の話にいつも真剣に耳を傾けてくれる。それに叱るだけじゃなくて、フォローしてくれたり、解決策まで考えてくれる。カミラちゃんのそういう所、好きだな。お前もそう思うよね?」
姉は肩に乗っている眷属に同意を求めながら、その頭をそっと撫でる。すると、眷属である子竜は応えるように「きゅう」と鳴いた。
仲睦まじい姿に、カミラはまた心にどす黒いものが沸き上がってくるのを感じる。
(眷属、か……)
これもまた、姉に敵わないことの一つである。カミラはいくつも聖石を持っているが、一体も眷属が現れたことがない。
姉より先に結婚できるという優越感がそうさせたのだろうか。久しぶりに姉に張り合う気持ちが出てきて、カミラは「失礼します、お姉様」と言って再び玄関の前に立った。
「ブレット、出かけるわよ」
「どちらへ?」
「聖石店。これまで行ったことのない店まで案内してちょうだい」
「かしこまりました」
ブレットは玄関の扉を開け、まずカミラを外へ通す。そしてその後に続いて外に出て、カミラの一歩先を歩くのだった。
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