上 下
7 / 30

第7話 スモーキークォーツの慈愛6

しおりを挟む


「短い間でしたが、お世話になりました」
「こっちこそ、うちに来てくれてありがとう。お疲れ様」

 店長は朗らかに笑ってそう言った後、

「……エイベル君の姿が見えないね。やっぱり、手放すことにしたのかい?」

 と、残念そうな顔で聞いてきたので、アルバータは簡潔に事情を説明した。話を聞いた店長は痛ましい顔になって。

「それはつらかっただろう。いや、今もつらいだろうね。でも、前を向いて進まなきゃならないよ」
「はい……」

 アルバータは「では、失礼します」と店長に頭を下げて、その場を後にした。人々が行き交う街路を一人で歩きながら、アルバータは思う。
 元気を出せ。前を向け。
 そうしなければならないことは分かっている。けれど、頭では分かっていても、心はそう簡単に割り切れない。
 沈んだ気分のまま、集合住宅(アパート)の部屋に戻ったアルバータは、歩き疲れたので寝台に腰かけようとした。すると、枕元に置いてある熊のぬいぐるみが視界に入って、つい手に取る。

『ねえ、アルバータ、これ可愛くない? 買って~』

 王都に来てからエイベルが初めてねだってきた熊のぬいぐるみ。エイベルは心が女だと言うだけあって、可愛い物好きだった。おかげでアルバータの部屋は、可愛い系の物があちこちに置いてある。アルバータ自身はシンプルな物が好きだというのに。

(そろそろ、エイベルの遺品を整理しないと、ね……)

 この国では、遺品はすべて処分するのが一般的だ。故人の聖石は手放すというのも、その慣習の一環である。
 ……遺品整理をしたら、少しは気持ちの切り替えができるかもしれない。どうせ、他にやることもないのだから、遺品整理をしよう。
 そう思い、アルバータはエイベルの遺品を片付け始めた。けれど、遺品の一つ一つに思い出があって、その思い出に浸ってしまいなかなか進まない。

(これは……エイベルのお気に入りだったわね……あの雑貨店で買ったんだっけ)

 栗の形をしたクッションを、アルバータはそっと撫でてから箱に片付ける。
 黙々と作業をしていると、気付けば夕方になっていた。窓から差し込む夕日が部屋の中を赤く染めている。

(一通り終わったわね。あとは……ここの本棚、か)

 まあ、エイベルは本をあまり読まなかったから、大した量はないだろう。

(ええと、エイベルの本は……これね)

 一冊の本を本棚から抜き取った時。

「あら?」

 本棚の奥に小さな箱が置かれていた。アルバータは本をエイベルの遺品でいっぱいになった箱に片付けて、その箱を手に取る。

(中を開けてもいいものかしら……)

 遺品はすべて処分するのだから、中身を確認する必要はない。けれど、少しでもエイベルの物を見ておきたくて、アルバータは箱に手をかけた。
 ――が。

(開かない……鍵がかかっている。ん? 鍵……?)

 そういえば、とアルバータはポケットから、あの聖石細工師から受け取った小さな鍵を取り出した。試しに鍵穴に差し込んで回してみると、カチャッと音がした。
 そうして箱を開けると、中には小さく折りたたまれた紙が入っていて、アルバータは破れないように丁寧に紙を開く。
 すると、

『あんた、勝手にひとの物を覗き見るんじゃないわよ』

 一行目にエイベルの字でそう書かれてあった。あんた、というのはもちろん、アルバータのことだろう。確かにエイベルの言う通りだと思いつつも、アルバータは文章に目を通す。

『まあ、許してあげるけど。それよりもこの手紙を見つけたってことは、あたしは消滅したのでしょうね。どうせなら、あんたを守って死んだのなら本望だけど』

 そう前置きがあって、あとは長々とこれまでの出来事に関して書き綴られていた。アルバータが生まれた時は難産ではらはらしていたこと、アルバータが子供の頃、いつもエイベルの後ろをとことことついてきていたのが内心では嬉しく思っていたこと、アルバータが大人になって恋愛をするようになったのはいいが、男を見る目がなさすぎると現在進行形で嘆いていること。
 そして最後にこう結ばれていた。

『あんたは絶対幸せになれる。諦めずにいい男を探しなさい。――あたしの大事なアルバータへ』

 あたしの『大事』なアルバータ。
 その言葉を見た時、アルバータの目からつっと涙が滑り落ちていた。エイベルが消滅した日にあれだけ泣いたのに、まだ涙は枯れていなかったようだ。

(エイベル――)

 消滅したことに対する恨み言などは一切書かれていない。書いてあるのはアルバータに関することばかり。
 どれだけ、エイベルに大切に思われていたのか、今になって知る。

(ごめん…っ……ごめんね、エイベル……!)

 手紙を抱き締めるようにして、アルバータはしばらく静かに泣いた。




 それから数日後。
 アルバータは喫茶店のテラス席に座っていた。髪はこれまで通りに綺麗に整えられ、その顔には化粧が施されている。

「やあ、お待たせ。早いね」

 ほどなくしてやって来たのは、彼だ。アルバータが好き……だった人。
 にこやかに笑う彼に、アルバータもまた柔らかく笑い返した。

「あなたに早く会いたくて」
「嬉しいなあ。それにまたお金を貸してくれるって? 助かるよ」
「いいのよ。あなたの夢のためだもの」
「本当にありがとう」

 彼はアルバータの向かい側の席に座った。すると、アルバータの前に置かれている水に気付いて、不思議そうな顔をした。

「水でいいのかい? 何か奢ろうか?」
「いえ、いいわ。この水は、――こうするためだから!」
「うわっ!?」

 アルバータはグラスに入った水を、彼の顔面にぶっかけた。突然のことに、彼は目を白黒させている。

「な、何をするんだ、アルバータ」
「ふん。この程度で済ませてもらえるのだから感謝してほしいわね。あんたに貢がされたお金は高い授業料だったと思って諦めるわ。その代わり、二度と私の前に現れないで」

 アルバータは冷ややかな目でそう告げ、席を立った。颯爽と立ち去っていくアルバータを、彼は「ま、待ってくれ」と呼び止めたが、アルバータは無視した。

(ふぅ、すっきりした。……これでいいのよね、エイベル)

 さわさわと吹く春風が、アルバータの頬を優しく撫でていく。
 ――ええ。それでいいのよ。
 そんなエイベルの声が聞こえた気がした。


 ◇◇◇

「わたし、大きくなったらエイベルのおよめさんになりたい!」
「あら。嬉しいことを言ってくれるじゃない」

 エイベルは屈み込んで、幼いアルバータの頭をそっと撫でた。

「なら、いい女になることね」
「いいおんな……?」
「そう。凛として、自分の足で歩いて行けるような、強い女に。そうなったら、相手にしてあげてもいいわよ」
「うーん、よくわからないや」
「ふふ、今のあんたにはまだ難しい話だったわね――」


 ◇◇◇

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛しのお姉様(悪役令嬢)を守る為、ぽっちゃり双子は暗躍する

清澄 セイ
ファンタジー
エトワナ公爵家に生を受けたぽっちゃり双子のケイティベルとルシフォードは、八つ歳の離れた姉・リリアンナのことが大嫌い、というよりも怖くて仕方がなかった。悪役令嬢と言われ、両親からも周囲からも愛情をもらえず、彼女は常にひとりぼっち。溢れんばかりの愛情に包まれて育った双子とは、天と地の差があった。 たった十歳でその生を終えることとなった二人は、死の直前リリアンナが自分達を助けようと命を投げ出した瞬間を目にする。 神の気まぐれにより時を逆行した二人は、今度は姉を好きになり協力して三人で生き残ろうと決意する。 悪役令嬢で嫌われ者のリリアンナを人気者にすべく、愛らしいぽっちゃりボディを武器に、二人で力を合わせて暗躍するのだった。

美味しい料理で村を再建!アリシャ宿屋はじめます

今野綾
ファンタジー
住んでいた村が襲われ家族も住む場所も失ったアリシャ。助けてくれた村に住むことに決めた。 アリシャはいつの間にか宿っていた力に次第に気づいて…… 表紙 チルヲさん 出てくる料理は架空のものです 造語もあります11/9 参考にしている本 中世ヨーロッパの農村の生活 中世ヨーロッパを生きる 中世ヨーロッパの都市の生活 中世ヨーロッパの暮らし 中世ヨーロッパのレシピ wikipediaなど

老女召喚〜聖女はまさかの80歳?!〜城を追い出されちゃったけど、何か若返ってるし、元気に異世界で生き抜きます!〜

二階堂吉乃
ファンタジー
 瘴気に脅かされる王国があった。それを祓うことが出来るのは異世界人の乙女だけ。王国の幹部は伝説の『聖女召喚』の儀を行う。だが現れたのは1人の老婆だった。「召喚は失敗だ!」聖女を娶るつもりだった王子は激怒した。そこら辺の平民だと思われた老女は金貨1枚を与えられると、城から追い出されてしまう。実はこの老婆こそが召喚された女性だった。  白石きよ子・80歳。寝ていた布団の中から異世界に連れてこられてしまった。始めは「ドッキリじゃないかしら」と疑っていた。頼れる知り合いも家族もいない。持病の関節痛と高血圧の薬もない。しかし生来の逞しさで異世界で生き抜いていく。  後日、召喚が成功していたと分かる。王や重臣たちは慌てて老女の行方を探し始めるが、一向に見つからない。それもそのはず、きよ子はどんどん若返っていた。行方不明の老聖女を探す副団長は、黒髪黒目の不思議な美女と出会うが…。  人の名前が何故か映画スターの名になっちゃう天然系若返り聖女の冒険。全14話。

姫軍師メイリーン戦記〜無実の罪を着せられた公女

水戸尚輝
ファンタジー
「お前を追放する!」無実の罪で断罪された公爵令嬢メイリーン。実は戦いに長けた彼女、「追放されるのは想定済み」と計画通りの反撃開始。慌てふためく追放する側の面々。用意周到すぎる主人公のファンタジー反逆記をお楽しみください。 【作品タイプ説明】 イライラ期間短く、スカッと早いタイプの短期作品です。主人公は先手必勝主義でバトルシーンは短めです。強い男性たちも出てきますが恋愛要素は薄めです。 【ご注意ください】 随時、(タイトル含め)手直ししていますので、作品の内容が(結構)変わることがあります。また、この作品は「小説家になろう」様「カクヨム」様でも掲載しています。最後まで閲覧ありがとうございますm(_ _)m

出来損ないと呼ばれた伯爵令嬢は出来損ないを望む

家具屋ふふみに
ファンタジー
 この世界には魔法が存在する。  そして生まれ持つ適性がある属性しか使えない。  その属性は主に6つ。  火・水・風・土・雷・そして……無。    クーリアは伯爵令嬢として生まれた。  貴族は生まれながらに魔力、そして属性の適性が多いとされている。  そんな中で、クーリアは無属性の適性しかなかった。    無属性しか扱えない者は『白』と呼ばれる。  その呼び名は貴族にとって屈辱でしかない。      だからクーリアは出来損ないと呼ばれた。    そして彼女はその通りの出来損ない……ではなかった。    これは彼女の本気を引き出したい彼女の周りの人達と、絶対に本気を出したくない彼女との攻防を描いた、そんな物語。  そしてクーリアは、自身に隠された秘密を知る……そんなお話。 設定揺らぎまくりで安定しないかもしれませんが、そういうものだと納得してくださいm(_ _)m ※←このマークがある話は大体一人称。

薬屋の少女と迷子の精霊〜私にだけ見える精霊は最強のパートナーです〜

蒼井美紗
ファンタジー
孤児院で代わり映えのない毎日を過ごしていたレイラの下に、突如飛び込んできたのが精霊であるフェリスだった。人間は精霊を見ることも話すこともできないのに、レイラには何故かフェリスのことが見え、二人はすぐに意気投合して仲良くなる。 レイラが働く薬屋の店主、ヴァレリアにもフェリスのことは秘密にしていたが、レイラの危機にフェリスが力を行使したことでその存在がバレてしまい…… 精霊が見えるという特殊能力を持った少女と、そんなレイラのことが大好きなちょっと訳あり迷子の精霊が送る、薬屋での異世界お仕事ファンタジーです。 ※小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

もふもふ精霊騎士団のトリマーになりました

深凪雪花
ファンタジー
 トリマーとして働く貧乏伯爵令嬢レジーナは、ある日仕事をクビになる。意気消沈して帰宅すると、しかし精霊騎士である兄のクリフから精霊騎士団の専属トリマーにならないかという誘いの手紙が届いていて、引き受けることに。  レジーナが配属されたのは、八つある隊のうちの八虹隊という五人が所属する隊。しかし、八虹隊というのは実はまだ精霊と契約を結べずにいる、いわゆる落ちこぼれ精霊騎士が集められた隊で……?  個性豊かな仲間に囲まれながら送る日常のお話。

毒を盛られて生死を彷徨い前世の記憶を取り戻しました。小説の悪役令嬢などやってられません。

克全
ファンタジー
公爵令嬢エマは、アバコーン王国の王太子チャーリーの婚約者だった。だがステュワート教団の孤児院で性技を仕込まれたイザベラに籠絡されていた。王太子達に無実の罪をなすりつけられエマは、修道院に送られた。王太子達は執拗で、本来なら侯爵一族とは認められない妾腹の叔父を操り、父親と母嫌を殺させ公爵家を乗っ取ってしまった。母の父親であるブラウン侯爵が最後まで護ろうとしてくれるも、王国とステュワート教団が協力し、イザベラが直接新種の空気感染する毒薬まで使った事で、毒殺されそうになった。だがこれをきっかけに、異世界で暴漢に腹を刺された女性、美咲の魂が憑依同居する事になった。その女性の話しでは、自分の住んでいる世界の話が、異世界では小説になって多くの人が知っているという。エマと美咲は協力して王国と教団に復讐する事にした。

処理中です...