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第7話 スモーキークォーツの慈愛6
しおりを挟む「短い間でしたが、お世話になりました」
「こっちこそ、うちに来てくれてありがとう。お疲れ様」
店長は朗らかに笑ってそう言った後、
「……エイベル君の姿が見えないね。やっぱり、手放すことにしたのかい?」
と、残念そうな顔で聞いてきたので、アルバータは簡潔に事情を説明した。話を聞いた店長は痛ましい顔になって。
「それはつらかっただろう。いや、今もつらいだろうね。でも、前を向いて進まなきゃならないよ」
「はい……」
アルバータは「では、失礼します」と店長に頭を下げて、その場を後にした。人々が行き交う街路を一人で歩きながら、アルバータは思う。
元気を出せ。前を向け。
そうしなければならないことは分かっている。けれど、頭では分かっていても、心はそう簡単に割り切れない。
沈んだ気分のまま、集合住宅(アパート)の部屋に戻ったアルバータは、歩き疲れたので寝台に腰かけようとした。すると、枕元に置いてある熊のぬいぐるみが視界に入って、つい手に取る。
『ねえ、アルバータ、これ可愛くない? 買って~』
王都に来てからエイベルが初めてねだってきた熊のぬいぐるみ。エイベルは心が女だと言うだけあって、可愛い物好きだった。おかげでアルバータの部屋は、可愛い系の物があちこちに置いてある。アルバータ自身はシンプルな物が好きだというのに。
(そろそろ、エイベルの遺品を整理しないと、ね……)
この国では、遺品はすべて処分するのが一般的だ。故人の聖石は手放すというのも、その慣習の一環である。
……遺品整理をしたら、少しは気持ちの切り替えができるかもしれない。どうせ、他にやることもないのだから、遺品整理をしよう。
そう思い、アルバータはエイベルの遺品を片付け始めた。けれど、遺品の一つ一つに思い出があって、その思い出に浸ってしまいなかなか進まない。
(これは……エイベルのお気に入りだったわね……あの雑貨店で買ったんだっけ)
栗の形をしたクッションを、アルバータはそっと撫でてから箱に片付ける。
黙々と作業をしていると、気付けば夕方になっていた。窓から差し込む夕日が部屋の中を赤く染めている。
(一通り終わったわね。あとは……ここの本棚、か)
まあ、エイベルは本をあまり読まなかったから、大した量はないだろう。
(ええと、エイベルの本は……これね)
一冊の本を本棚から抜き取った時。
「あら?」
本棚の奥に小さな箱が置かれていた。アルバータは本をエイベルの遺品でいっぱいになった箱に片付けて、その箱を手に取る。
(中を開けてもいいものかしら……)
遺品はすべて処分するのだから、中身を確認する必要はない。けれど、少しでもエイベルの物を見ておきたくて、アルバータは箱に手をかけた。
――が。
(開かない……鍵がかかっている。ん? 鍵……?)
そういえば、とアルバータはポケットから、あの聖石細工師から受け取った小さな鍵を取り出した。試しに鍵穴に差し込んで回してみると、カチャッと音がした。
そうして箱を開けると、中には小さく折りたたまれた紙が入っていて、アルバータは破れないように丁寧に紙を開く。
すると、
『あんた、勝手にひとの物を覗き見るんじゃないわよ』
一行目にエイベルの字でそう書かれてあった。あんた、というのはもちろん、アルバータのことだろう。確かにエイベルの言う通りだと思いつつも、アルバータは文章に目を通す。
『まあ、許してあげるけど。それよりもこの手紙を見つけたってことは、あたしは消滅したのでしょうね。どうせなら、あんたを守って死んだのなら本望だけど』
そう前置きがあって、あとは長々とこれまでの出来事に関して書き綴られていた。アルバータが生まれた時は難産ではらはらしていたこと、アルバータが子供の頃、いつもエイベルの後ろをとことことついてきていたのが内心では嬉しく思っていたこと、アルバータが大人になって恋愛をするようになったのはいいが、男を見る目がなさすぎると現在進行形で嘆いていること。
そして最後にこう結ばれていた。
『あんたは絶対幸せになれる。諦めずにいい男を探しなさい。――あたしの大事なアルバータへ』
あたしの『大事』なアルバータ。
その言葉を見た時、アルバータの目からつっと涙が滑り落ちていた。エイベルが消滅した日にあれだけ泣いたのに、まだ涙は枯れていなかったようだ。
(エイベル――)
消滅したことに対する恨み言などは一切書かれていない。書いてあるのはアルバータに関することばかり。
どれだけ、エイベルに大切に思われていたのか、今になって知る。
(ごめん…っ……ごめんね、エイベル……!)
手紙を抱き締めるようにして、アルバータはしばらく静かに泣いた。
それから数日後。
アルバータは喫茶店のテラス席に座っていた。髪はこれまで通りに綺麗に整えられ、その顔には化粧が施されている。
「やあ、お待たせ。早いね」
ほどなくしてやって来たのは、彼だ。アルバータが好き……だった人。
にこやかに笑う彼に、アルバータもまた柔らかく笑い返した。
「あなたに早く会いたくて」
「嬉しいなあ。それにまたお金を貸してくれるって? 助かるよ」
「いいのよ。あなたの夢のためだもの」
「本当にありがとう」
彼はアルバータの向かい側の席に座った。すると、アルバータの前に置かれている水に気付いて、不思議そうな顔をした。
「水でいいのかい? 何か奢ろうか?」
「いえ、いいわ。この水は、――こうするためだから!」
「うわっ!?」
アルバータはグラスに入った水を、彼の顔面にぶっかけた。突然のことに、彼は目を白黒させている。
「な、何をするんだ、アルバータ」
「ふん。この程度で済ませてもらえるのだから感謝してほしいわね。あんたに貢がされたお金は高い授業料だったと思って諦めるわ。その代わり、二度と私の前に現れないで」
アルバータは冷ややかな目でそう告げ、席を立った。颯爽と立ち去っていくアルバータを、彼は「ま、待ってくれ」と呼び止めたが、アルバータは無視した。
(ふぅ、すっきりした。……これでいいのよね、エイベル)
さわさわと吹く春風が、アルバータの頬を優しく撫でていく。
――ええ。それでいいのよ。
そんなエイベルの声が聞こえた気がした。
◇◇◇
「わたし、大きくなったらエイベルのおよめさんになりたい!」
「あら。嬉しいことを言ってくれるじゃない」
エイベルは屈み込んで、幼いアルバータの頭をそっと撫でた。
「なら、いい女になることね」
「いいおんな……?」
「そう。凛として、自分の足で歩いて行けるような、強い女に。そうなったら、相手にしてあげてもいいわよ」
「うーん、よくわからないや」
「ふふ、今のあんたにはまだ難しい話だったわね――」
◇◇◇
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