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第29話 宮廷医ユヴァルーシュ9
しおりを挟む――ちゃぽん。
池で泳ぐ魚が大きく跳ねて、水面が揺れる。波紋が広がっていく水面には、黄色いミモザの花弁があちこちに浮かんでいる。
そんな美しい池の前で、俺とユヴァルーシュは距離を置いて横並びに立っていた。その斜め後方にはリュイさんも控えている。
「私の過去について、誰かしらにお聞きになりましたでしょう」
「……放種から種宿になった経緯でしたらアウグネスト陛下から。元王婿たちが揃って後宮を去っていったお話でしたら、リュイさんから聞きましたけど」
こいつは、今度は何を企んでいるんだろう。腹を割って話したいって、俺の方には話があるにしても、こいつからはなんの話があるんだ。
「なるほど、全部ですか。ですが、元王婿たちに関しては、私は何もしておりませんよ。彼らが勝手に私に惚れただけです。もちろん、肉体的な不貞も犯しておりません」
あくまで自分は悪くないってほざくか。
俺は冷ややかな目でユヴァルーシュを見上げた。
「だけど、あなたは意図的に惚れられるように立ち回っていたはずだ。違いますか」
「どうしてそう思われるのです」
「新しい王婿の私に無礼にも不倫の誘いをした男が、元王婿たちに何もちょっかいをかけていないなんて信じられるわけがないでしょう」
「エリューゲン殿下をお誘いしたのは、エリューゲン殿下が魅力的だからですよ」
にこっと笑って言うけど。俺の目は、冷ややかなままだ。
「嘘つけ。あんたが俺を見る目は、恋なんてしていない。恋愛対象としてすら見てねーよ」
これまでそれなりに告白されてきた俺だ。相手はみんな誠実なオークたちだったからこそ、本気で好意を寄せられている時の目は肌で分かる。
それに――アウグネスト陛下だって同じ。熱を帯びた、それでいて優しい眼差しで俺を見るから。その点、お前の薄っぺらい愛想笑いからは、俺を大切に想っているようには伝わってこないんだよ。
「それなのになんでこんなことをしているのか、ってあれからずっと考えていた。思いついた答えは単純明快、あんたは王位継承権を失わされたことを未だに根に持っている。だから、アウグネスト陛下から何もかも奪おうとしているんだろ」
沈黙が下りた。
――ちゃぽん。
また、池の魚が大きく飛び跳ねる。水しぶきが陽光を反射してきらきらと輝く。
ユヴァルーシュの反応を待つと、ユヴァルーシュは可笑しそうに笑った。
「ふっ、くっくっく。大したご慧眼だ。――その通りですよ。あいつは俺から何もかも奪ったんだから、俺だってあいつから何もかも奪っていいでしょう」
「そんなのただの逆恨みだ。アウグネスト陛下がわざとあんたから王位継承権を失わせたわけじゃない」
「それは詭弁というものです。俺の王位継承権を奪われた、それが変えようのない事実だ。あいつだけがのうのうと幸せを掴むなんて、許せるはずがない」
平行線、か。そう簡単に説得できるとは思っていなかったけど、これがこのひとの本心なんだな。単に性格が悪いとは言えないところが……難しい話でもあるが。
「あんたがどう思おうと、俺はあんたにはなびかない。アウグネスト陛下から俺を奪おうとしたって、俺があんたのものになることはない」
「確かにあなたを奪うのは骨が折れそうだ。でも。アウグネストの方はどうなんでしょうね」
俺は眉をひそめた。
「……どういう意味だ」
「アウグネストの方は、あなたを手放さずにいられるんでしょうか、という意味です。あいつはね、これまでずっと、俺が欲しいと言えば、俺になんでも譲ってくれた。昨日お見せしたあのおもちゃの山は、全部アウグネストが俺に譲ってくれたものですから」
「!」
マジかよ。あれだけのおもちゃを、アウグネスト陛下から奪ったのか。
たかがおもちゃ、されどおもちゃ。きっと、アウグネスト陛下は大切にしていたおもちゃたちだったろうに。この野郎……!
「俺があなたを欲しいと言ったら、あいつならまた俺に譲ってくれますよ」
「そんなわけないだろ!」
アウグネスト陛下は、俺のことを愛しているって言ってくれた。俺のことも、生まれてくる子供のことも、自分が守るって。
ふざけたこと言ってるんじゃねーぞ、この逆恨みオーガ!
「随分とあいつを信頼していらっしゃるようですが。でしたら、賭けますか。あいつがあなたを俺に譲るか、譲らないか。私が負けたら、潔く後宮を出て行きますよ」
「その言葉、本当だな?」
上等じゃないか。賭けに乗ってやるよ。
どうせ、俺が勝つし。
「では、あなたが負けたら。その時は、あなたが後宮を去って下さいね」
「分かった」
どう考えても、後宮を去ることになるのはお前だ。ユヴァルーシュ。
とっとと俺たちの前から消えやがれ。
そんなわけで、俺とユヴァルーシュの戦いの火蓋が落とされた。
賭けの内容は、シンプル。アウグネスト陛下の前で、ユヴァルーシュが俺に明日二人でお出かけしようと誘い、戸惑う俺はアウグネスト陛下に判断を仰ぐ。それだけ。
アウグネスト陛下がダメだといったら俺の勝ちだ。
これまで元王婿たち三人を取られていて、本人もきっと俺まで取られることを不安に思っているだろうから、許可なんてまず出さないだろ。
こんな勝負、余裕だと俺は思っていた。圧勝するだろうって。
でも、それは――大きな見誤りだった。アウグネスト陛下の性格を、俺はまだまだ把握できていなかった。
「アウグネスト陛下。おかえりなさいませ」
紫晶宮の広間にユヴァルーシュと二人でいる俺。正確には、テオやシェフィとリュイさんも廊下に控えてはいるけども。
「ああ、ただいま。……異父兄上もいらしていたんですね」
「ええ。お久しぶりです、陛下」
にこっと笑うユヴァルーシュに、アウグネスト陛下は……どことなく不安そうな表情だ。やっぱり、俺まで取られるかもしれないって不安なんだろうな。
「異父兄上はどのような御用で?」
「エリューゲン殿下に、明日二人でお出かけしないかとお誘いしているところでして。構いませんよね?」
「ダ、ダメですよね。アウグネスト陛下」
これだけ不安そうな雰囲気をしているんだ。ダメだって言うに決まって――
「異父兄上に付き合ってやってもらえないか、エリューゲン」
「え……?」
アウグネスト陛下の返答を、俺はすぐには理解できなかった。
ユヴァルーシュに付き合ってやってもらえないか? それってつまり、二人で一緒にデートしてもいいってこと、だよな?
……なんで? なんでだよ。俺のこと、愛しているって言ってくれたじゃん。明らかに俺に色目を使う男を相手に、なんで一緒に出かけてこいなんて言えるんだよ。
俺はぎゅっと唇を噛み締めた。
「ただ、二人きりだと危ないからハノスたちも連れて……」
「この意気地なし!」
反射的に俺はそう叫んでいた。
「なんで、一言ダメだって言えないんだよ!? 兄貴になんでもかんでも譲れば、それで本当の意味での罪滅ぼしになるとでも思ってるのか!?」
そんなの絶対に違う。なにもかも譲ることが、ユヴァルーシュの本当の幸せになるわけじゃない。もちろん、アウグネスト陛下にとっても。
今の二人は、どっちも全然幸せそうに見えないよ。
「お前みたいな意気地なしの子供なんて、誰が産むかよ!」
面食らっているアウグネスト陛下の顔を俺はろくに見ることなく、横を走り過ぎていく。そしてそのまま玄関から紫晶宮を飛び出した。
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