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第26話 宮廷医ユヴァルーシュ6
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「ふ…っ……、くっくっく」
エリューゲンから怒りの鉄拳制裁を受けたユヴァルーシュだが、堪えきれない笑い声をもらしながら床に座り込んだ。
なんだあの王婿。せいぜいおとなしく震えて助けを待つだけかと思っていたのに、自力でこの場から逃げて出してしまった。おまけに捨てセリフまで吐いていく始末。
――面白い。
「リュイちゃん。そこにいるんでしょ?」
他に誰もいない仕事場でぽつりと呟くと、エリューゲンが飛び出していった開けっ放しの扉から、無言でリュイが姿を現した。その表情は、雪男らしく氷のように冷たいものだ。
「何もかもあなたの思い通りにはいきませんよ」
「俺はそこまで傲慢じゃないけど。でもまぁ、予想の上は行かれたかも」
ユヴァルーシュは床に転がった鬼の手使い人形を拾い、手にはめて人形の口をぱくぱくとさせる。これがついさっき、エリューゲンの首筋に押し当てていたものだ。
そうでなければ、とっくに密かに控えていたリュイが間に入っていたことだろう。
「あちこち痛いよー。頭突きされて、腹を蹴られて、顔も殴られた。あんまりだ」
「ひとはそれを自業自得と言います」
リュイは冷たく言い放ちつつも、仕事場に足を踏み入れてユヴァルーシュの怪我の具合を確かめた。額や腹部、頬のそれぞれが赤くなってはいるものの、骨が折れている様子はない。放っておいても全く問題ないだろう。
「これに懲りたら引っ込むことですね。ひとの恋路を邪魔する者は馬に蹴られますよ」
まとわりつく鬱陶しい手使い人形を剥ぎ取る。ユヴァルーシュは「分かってないなぁ」と口端を持ち上げた。
「ガードは固い方が崩すのが楽しいんだよ」
「………」
まったく、懲りていない。この男は、ろくな死に方をしないだろう。
それは……リュイも同じではあるが。
「ま、それはともかく」
ぐるん、と視界が回転した。目に映るのは、天井に備え付けられた照明だ。ユヴァルーシュがリュイを床に押し倒したのだ。
「慰めて?」
上にのしかかってきたユヴァルーシュの一本の細い角が、視界に入る。それは額の中央部ではなく、左寄りに生えていて、まるで左右対称にもう一本の角が生えていたかのようだ。
……そう。実際、ユヴァルーシュの額には、かつて二本の角が生えていた。失われた片方の角が、ユヴァルーシュが『同二性愛』になった原因だ。
それらの情報は、又聞きであるけれども。
◆◆◆
ああっ、腹が立つ!
あの無礼なオーガめ、本当にアウグネスト陛下の異父兄なのかよ!
ユヴァルーシュの仕事場を飛び出して、死に物狂いで紫晶宮まで走る俺。予想に反して、ユヴァルーシュが追いかけてくる気配はない。よ、よかった。
もうすぐ紫晶宮――というところで。
「エリューゲン?」
アウグネスト陛下と鉢合わせた。これから紫晶宮にくるところなんだろうけど、今日は早いな。まだ夕方なのに。
とはいえ、アウグネスト陛下の顔を見て、俺は心の底からほっとするのを感じた。
「アウグネスト陛下……今からお帰りですか」
「ああ。今日は早く政務を切り上げてきたんだ。その、昨夜の埋め合わせにエリューゲンともっとじっくり話をしようと思って」
あ、昨夜、早々に部屋に戻ったことを気にしていたっぽい。
別に俺は気にしていなかったけど、でも今ここで顔を見られて本当に安心した。怒りのパワーで動けていたけど、心の奥底ではユヴァルーシュに恐怖感を覚えていたみたいだ。
「エリューゲンは? 一人でどうしたんだ」
「え、あ……ちょ、ちょっと息抜きに散歩をしていたところで」
ユヴァルーシュに襲われそうになっていたなんて、咄嗟には言えなかった。だって、自分の異父兄が自分の夫に手を出そうとしたなんて知ったら、二重の意味でショックを受けるんじゃないかと思って。
それに俺もまだ混乱していて、冷静な判断ができているとも思えない。アウグネスト陛下に真実を打ち明けるにしても、もう少し落ち着いてからの方がいい。
そう結論付けて、俺はそこからアウグネスト陛下と並んで紫晶宮への道を歩く。
「……あの、アウグネスト陛下」
「ん? なんだ」
「その……ユヴァルーシュさんのことについて、もう少しお話を聞きたいんですが」
別にあいつへの理解を深めるためではもちろんない。ただ、あいつについて知らなすぎるから、情報収集しようと思っただけだ。
それなのに……どうしてかな。アウグネスト陛下の表情が一瞬、なんだか不安そうなものになったのを俺は見逃さなかった。
なんでそんな顔をするんだ。アウグネスト陛下。
「異父兄上、のことか。そんなに気になるのか?」
「えっと、今日も紫晶宮にいらして下さったんですけど、『同二性愛』だと伺いまして。聞き慣れない言葉なので、興味があるといいますか……」
アウグネスト陛下は、驚いた顔をした。
「異父兄上から聞いたのか」
「は、はい。そのような性指向の方がいるとは知りませんでした。ええと、やっぱり子供の頃からなんでしょうか?」
「………」
なぜか、押し黙ってしまうアウグネスト陛下。
え、なんだよ。もしかして、深入りしすぎた質問だったか?
辛抱強く返答を待っていると、やがてアウグネスト陛下は口を開いた。
「異父兄上はな、――元々は放種だったんだ」
「え……」
ほ、放種だった? 放種から種宿に変異したってこと? そんなことってあるのか?
「オーガは放種だと角が二本、種宿は角を一本持つのが一般的なんだが……異父兄上は、幼少期に角を一本折ってしまい、摘出手術をしたら……種宿になってしまったんだ。その結果、心は放種で、体は種宿となり、『同二性愛』者になった」
「角が折れることなんてあるんですか」
「子供の頃の角は比較的柔らかいから、ありえないことではない。現に、折れてしまったわけだから。だから……本来であれば、異父兄上がガーネリア国王になるはずだった」
そう語るアウグネスト陛下の横顔には陰りがあって暗い。ただ単にユヴァルーシュの不運を嘆いている、という雰囲気じゃない。
これは、もしかして――。
「俺のせいなんだ。幼少期にワイバーンから転落した俺を庇って異父兄上は角を折り、国王への未来が閉ざされた」
アウグネスト陛下はぽつりともう一度こぼした。
「……そう。俺が異父兄上から明るい未来を奪ったんだ」
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