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第22話 宮廷医ユヴァルーシュ2
しおりを挟むそれから一時間ほど経ったら、みんな目を覚ました。
俺はひたすら平謝り。もう二度と同じことは繰り返さないと宣言した。心優しいみんなだから、仕事を辞めるだなんて言い出すひとは誰もいなかった。
とはいえ、筆頭男官であるリュイさんの行動と決断は早く――。
「以後、エリューゲン殿下が調香するお時間は、特例として自由時間とします。他の宮殿に退避するなり、城下町に避難するなり、身の安全を守って下さい」
みんな大喜びだった。みんなしてひどい……とちょっぴり傷心したけど、こんな事件を起こした俺の自業自得だよな。
ちなみに唯一この事件の難を逃れたテオが帰ってきたのは、夕方だった。郵便物の確認だけでこんなに帰りが遅くなるわけがないから、どう考えても逃げていたんだと思われる。
シェフィも直感的にそう思ったんだろう。「この裏切者ぉ!」と帰ってきたテオに罵声を浴びせていた。すぐにリュイさんから「やめなさい」と叱られていたけど。でも多分、みんなの心の叫びの代弁だったに違いない。
そんなこんなであっという間に夜になって、夕食前に広間で一息ついた。俺とテオはソファーで夕食が出来上がるのを待っているところ。シェフィはリュイさんにお風呂に入れてもらっているよ。
「え? 宮廷医のユヴァルーシュ様? そうだね、陛下のお身内だよ」
テオにユヴァルーシュさんのことを訊ねたら、あっさりとそう答えた。
そうか、やっぱりお身内なんだ。王婿教育の講義で一言教えてくれてもいいものを。
「従兄とか?」
「いや。腹違いの兄君、つまり異父兄だ」
「え!? お兄さん!?」
ちょっと予想外。アウグネスト陛下のお兄さんってことは、前の時代の王子だったひとなのか。俺に対してあまりにも自然に敬意を払ってくれていたから、そんなに身分が高かったひとだと思わなかったよ。
ガーネリア王国では王家にしろ、十二貴族にしろ、一般的に「放種」の子があとを継ぐ決まりになっている。「種宿」の子には継承権がないんだ。だから、第一王子だったんだろうユヴァルーシュさんも王位につけないというわけだ。
テオは小首を傾げた。
「おや。陛下からまだ聞いていなかったのかい」
「……なんでアウグネスト陛下?」
王婿教育はお前に与えられた仕事だろ。ユヴァルーシュさんのことだって、お前が俺に教えてくれるべきことなんじゃないのかよ。
そんな疑問が顔に出ていたんだろうけど、テオはけろりとしたものだ。
「ユヴァルーシュ様に関しては、陛下がご自分で話すとおっしゃっていたから。僕は何も職務怠慢で教えなかったわけじゃないよ」
「え、そうなのか?」
自分の異父兄のことは、自分の口から話したい……ってこと?
まぁ、気持ちは分からなくもない。他人から話されたら、もしかしたら虚偽の話とかいらぬ誤解を招いたりするかもしれないもんな。
でも……俺が後宮に入ってもう二ヶ月以上経つぞ。アウグネスト陛下と出逢ってからは、一ヶ月半近くだ。話す機会はいくらでもあったんじゃないのか? 謎だ。
「まぁ、そういうわけだから。ユヴァルーシュ様のことは陛下に聞いてくれ。僕からはこれ以上の情報は話せないよ」
「そうか。分かった」
今日の夜、アウグネスト陛下に聞いてみようかな。昼間に宮廷医のユヴァルーシュさんと会ったよーって感じに話したら、その流れでもっと詳しく話してくれるだろう。
アウグネスト陛下についてもっと知る、って決めたんだ。お身内のことだって知りたい。それが異父兄ならなおさらだ。
考えてみると、アウグネスト陛下ってどんな風に育ったんだろう。子供時代の話も聞いてみたいな。意外とやんちゃしていたとかだったら面白い。
つらつらと考えていたら、やがてアウグネスト陛下が帰ってきた。王城から急いで走ってきたのか、息を切らして。
「エリューゲン! 無事か!」
アウグネスト陛下が広間に駆け込んできてすぐ、テオは慌ててソファーから立ち上がって席を譲る。跪拝の礼は、アウグネスト陛下の意向で後宮ではしなくていいことになっている。
だから俺も、あの仰々しい跪拝の礼はとらず、ただアウグネスト陛下を出迎えた。
「アウグネスト陛下、おかえりなさいませ。ええと、なんのお話でしょう」
俺はこの通り、ぴんぴんとしているけど。特に体調を崩したなんてことはないぞ。
俺の目の前までやってきたアウグネスト陛下は、気遣わしげに眉尻を下げた。
「宮廷医から報告が上がってきた。みなが倒れたそうじゃないか」
「あ、そのことですか。申し訳ありません……私が調香したにおいのせいなんです。以後、気を付けます」
くだんの事件を耳にしたみたいだけど、なんで俺の心配をしているんだ? 倒れたのは、俺とテオとシェフィ以外のみんなの方なのに。
不思議に思っていると、アウグネスト陛下はなおも心配そうな顔で問う。
「エリューゲンとて原因のにおいの渦中にいたわけだろう。なんともないのか」
「え? 私は平気ですよ。耐性がありますから」
「そう、か……それならいい。よかった」
ほっと安堵の表情を浮かべるアウグネスト陛下。他のみんなの報告は上がっていても、無事な俺の健康状態なんていちいち届いていなかったんだろから……俺の身が心配だったのか。
考えてみると、心配してくれたのってアウグネスト陛下だけだ。他のみんな、宮廷医のユヴァルーシュさんでさえ、当たり前のように俺は平気だと思っていたみたいだからな。実際、そうなんだけど……でも、心配してもらえるのってちょっと嬉しいかも。
「ありがとうございます。ご心配をおかけしてすみません」
「無事ならそれでいい。エリューゲンに何かあったらとずっと気にかかっていただけだ」
「それで走って帰ってきて下さったんですね」
「当然だろう」
俺たちが向かい合って微笑み合っていると――。
「あ! アウグネスト! おかえり!」
お風呂から上がったらしいシェフィが、たたたっと駆け寄ってきた。それを追ってくるのはリュイさんだ。「まだ髪を乾かしていないでしょう!」と注意をして、シェフィの首根っこを引っ掴んで再び浴室に連れ戻していく。
俺とアウグネスト陛下はきょとんとしてから互いに顔を見合わせて、小さく笑った。
なんというか、基本的に紫晶宮は平和だよな。うん。
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