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第19話 アウグネストの『運命の番』6
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広大な後宮の敷地内に、男官が事務作業をする小さな建物――通称『彩塔』がある。その一室で、リュイは書類整理をしていた。
書類に書かれてあるのは、後宮に勤める者たちの経歴や特技などだ。
(メルニも問題なし、と)
五十数名分の書類の確認作業を次々と捌いていると、強い魔力の持ち主が近付いてくるのを感じた。といっても、アウグネストほどずば抜けた強さではない。そしてこんな時間に彩塔に足を運ぶ者といったら、心当たりは一人しかいなかった。
一応は不審者でないため、リュイは構わずに作業を続ける。すると、ほどなくして部屋の扉が許可なく開き、感知していた魔力の主が顔を出した。
「まーだ仕事してんの? リュイちゃん」
馴れ馴れしくそう声をかけてきたのは、リュイと同い年の若い宮廷医だ。宮廷医は傍までやってきて、背後から書類を覗き込む。
「何これ。リュイちゃんなら、いちいち書類作らなくても記憶できるでしょ」
「……これは、ネヴァリストニア宰相に提出するものです」
肩に乗せられた宮廷医の手を冷たく払いのける。まったく、馴れ馴れしい。
リュイに拒絶されても宮廷医に気にした様子はなく、すぐ後ろの壁に寄りかかった。
「ふーん。もう十五年以上前のことなのにねぇ。未だに甥のことを心配しているわけだ」
「その件を抜きにしても、後宮に不審者が混じっていたら大問題でしょう」
「ま、確かに」
宮廷医はくわえていた煙草を口から離し、「ふーっ」と息を吐いた。煙草の煙と独特のにおいが周囲を漂う。もちろん、傍にいたリュイの鼻腔にも直撃し、リュイは眉をひそめた。――ひとの職場で煙草をふかすな。
「で、あとどのくらいで終わるの? その仕事」
「それを聞いてどうするんです」
聞き返したものの、返ってくる言葉は予想がつく。
予想通り、宮廷医はにこっと笑って。
「終わったらイイコトしよ?」
「即刻、出ていけ」
「ひどっ」
口ではそう言うが、宮廷医は楽しげだ。可笑しそうに笑みを噛み殺している。神経が図太いとはまさにこの男のようなことを言うんだろう。
「イイコトっていえば。陛下は新しい王婿殿下とどうなの」
「特に問題はない。陛下もエリューゲン殿下のことを気に入られている」
「廃宮を護衛騎士団と自力で建て直した方だっけ。なかなか面白い王婿殿下だよねえ。……でも、そっか。気に入られているのか。ふーん」
宮廷医は窓の外を見ながら、意味ありげに呟く。
リュイは片眉を上げた。作業する手を止め、後ろを振り向く。
「おい。余計なことは――」
すべてを言い終わる前に、口を塞がられた。……煙草の香りが、する。
リュイにキスをした宮廷医は、しばらくその口内を堪能してから、口を離した。
「心配しなくても、俺の一番はリュイちゃんだよ」
「……誰もそんなことは気にしていない」
睨み上げても、宮廷医はどこ吹く風だ。まったく、忌々しい。
「そう。なら、別にいいよね? 他に手を出しても。……次もまた、俺に譲ってくれるのかなぁ。『あいつ』」
口端を持ち上げる宮廷医。
平和な後宮に一波乱起こりそうだと、リュイは頭を痛めた。
◆◆◆
ぴいぴいと鳥のさえずりが聞こえる。
いくつもの甲高い鳴き声が耳に入って、俺はゆっくりと目を覚ました。
「ん……」
「起きたか、エリューゲン。おはよう」
――ん!?
気付いたら、なんとアウグネスト陛下の肩に寄りかかっているじゃないか。驚いた俺は、飛び上がるように慌てて体を離した。
「す、すみませんっ」
徹夜するつもりが、いつの間にか眠ってしまっていた。やってしまった。
失態を犯した俺だけど、アウグネスト陛下が気にしている様子はない。優しげな表情だ。
「気にしなくていい。シェフィのことなら俺がちゃんと様子見していたから。いつものことではあるが、寝顔が可愛かったよ」
「!」
えっ、えっ、えっ。ど、どんな寝顔だったんだ。まさか、よだれとか垂らしていないだろうな、俺。
「え、えーっと……シェフィはどうでしたか」
「一度も夜鳴きをしていない。驚いた。今まで何をやっても効果がなかったのに……一体、どんな香水を作ったんだ?」
「それでしたら。――シェフィの体臭を多少濃くしたにおいを使いました」
シェフィの夜鳴き。それを俺は、不安による一種のパニック発作と解釈した。
ひとでいう過呼吸に近い感じ。過呼吸は、袋を使って自分の息を吸い込むことで対処することが一般的なように、眠っているシェフィにシェフィ自身の体臭を嗅がせることで精神安定を促したらいいんじゃないかって考えたんだ。
「さらに森の匂いも掛け合わせて調香し、さらなる精神安定作用と安眠作用を追加したものが私の作った香水です」
「……なぜ森の匂いを? 狼男は、擬人形態で街を作って暮らす集合体もあるのに」
「シェフィは普段、中途半端な半獣人形態です。擬人形態で暮らす集合体に身を置いていたら普通に擬人形態になれるはずですから、獣形態で森を生きる集合体にいたのだろうと思いまして」
ガーネリアには多種多様な種族がいるわけだけど、一種族みんなが一ヶ所に集中して暮らしているわけじゃない。たとえば、俺が育ったのはオークの村だけど、他の地方にもオークの村、オークの里、など違うオークの集合体が存在する。
狼男もそう。擬人形態で街を営んで暮らす集合体もあれば、獣形態で森の中を生きる集合体もあるんだ。シェフィは後者の環境で育ってきたと俺は踏んだ。だから、森の匂いを掛け合わせて調香したわけだ。
俺の説明を聞いたアウグネスト陛下は、「ほう」と感心したように顎に手を当てる。
「なるほど。確かにその通りだ。だから森の匂いの香水を使ったことはあったが……シェフィ自身の体臭か。それは試したことがなかったな」
だが、とアウグネスト陛下は不思議そうな顔で俺を見下ろした。
「よくシェフィの体臭なんて調香できたな。材料もどういったものを使ったんだ」
「私は一度覚えたにおいは、大概再現できますので。材料に関しては、職人秘密です」
ま、とにかく。俺の読み通りにシェフィの夜鳴きがなくなってよかったよ。まだ一晩しか様子見していないわけだから、たまたまの可能性も否定できないけど……でも多分、俺が調香した香水の成果で間違いないだろうと思う。
「これからは、シェフィが眠ったあとにこの香水を抱き枕に吹きかけてあげて下さい。潜在意識の不安感は、宮廷医がおっしゃるように成長とともに落ち着いていくでしょう」
「ありがとう。そうだな、しばらく使わせてもらう」
アウグネスト陛下に香水を手渡す。
と、その時だ。シェフィの自室の扉が内側からゆっくりと開いた。中から現れたのは、もちろんシェフィだ。特注だという狼の抱き枕を抱っこしたまま。
「あ! アウグネスト、おはよう!」
アウグネスト陛下の姿を見て、ぱっと顔を輝かせるシェフィ。が、同時にアウグネスト陛下の隣にいる俺の姿にも気付いて首を傾げた。
「……あれ、エリューゲンはなんでいるの?」
不思議そうな声音から、別に喧嘩を売っているわけではなく、ただ純粋に疑問に思っていることが伝わってくる。とはいえ、まったく。ひとの苦労も心配心も知らずに。
「碧晶宮が素敵だから、一泊したんだよ。そういうお前は、ぐっすり眠れたのか?」
「うん。なんかいつもより熟睡できた気がする。気分もすっきり」
「そりゃあよかったな」
シェフィの夜鳴きの件は、これで一件落着だ。
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