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第10話 セオドアの出生の秘密5
しおりを挟むとあるものを持って執務室の前までやってきたエリスは、
「セオドアさん、エリスです。入ってもいいですか」
と、扉越しに声をかけた。しばし沈黙が落ちたが、「……入れ」と、返答がきたのでエリスは執務室へ足を踏み入れた。すると、セオドアは文机の椅子に座ったままで、こちらに背を向けている形だった。
何も言わないセオドアの傍に歩み寄って、手に持っているものを文机の上に置く。
「どうぞ。お腹が空いているでしょう。食べて下さい」
微笑みながらエリスが差し出したのは、夏に菜園で大量収穫したトウモロコシを使ったコーンポタージュだった。バーバラではなく、エリスが自分で作ったものだ。
けれど、セオドアは顔を伏せたまま、「すまないが、食べる気分じゃない」と拒否した。これは相当精神的に参っているようだ、とエリスは眉尻を下げる。
それでも、諭すように言った。
「食べないと頭が回りませんよ。いい考えが思いつくものも思いつきません」
「………」
一向にコーンポタージュに手を付ける気配のないセオドア。エリスは重い沈黙を破るように話の核心に触れた。
「税を納められない領民が出てきたようですね」
「……バートから聞いたのか」
「はい。それで何人か処罰した、と。……つらかったでしょう」
身を切るほど領民思いのセオドアだ。なにか理由あっての重税ならともかく、理不尽極まりない重税分を納められないからといって処罰せねばならなかったのは、さぞ悔しく苦しいことだったことは想像に難くない。
「……本当につらいのは領民だ」
ぽつり、とセオドアは呟いた。確かに領民だって度重なる重税で苦しんでいるのは間違いない。しかしだからといって、セオドアだって苦しんでいることには変わりない。
「セオドアさん。俺、セオドアさんの出生について聞かされた日からずっと考えていました。俺はセオドアさんをどう支えていったらいいんだろうって」
セオドアの政務について、エリスの身では軽々しく口を出すことはできない。どうしたらいいか一緒に考えようだとか、一緒に悩もうだとか、寄り添うような言葉をかけてあげられない。
だから、エリスは自分の役目はきっと別にあるだろうと思った。
「俺は……セオドアさんの心の拠り所になりたいです。つらいならつらいと、泣きたいなら泣きたいと、俺にだけは甘えてほしい。俺はなにがってもセオドアさんの味方ですから」
仕事の支えになれないのなら、せめて心の支えに。
それがエリスの見つけた答えだった。
真摯なエリスの言葉は、セオドアの重く沈んだ心にも届いたようだ。セオドアはようやく顔を上げ、ふっと笑った。
「……エリスは日向のようだな」
「日向、ですか?」
「そうだ。暖かく、優しい。凍えるものすべてを包み込むような……俺の居場所だ」
そう言うと、セドオアはコーンポタージュに手を付けた。スプーンで掬い、口に運ぶ。一口飲んで、「……うまい」と呟いた。口に合ったようだ。
何口かコーンポタージュを飲んでから、セオドアは唐突に言った。
「エリスは子供がほしいか?」
「え? こ、子供ですか?」
この流れでどうして子供の話。エリスは面食らいつつ、「うーん」と考え込んだ。どうなんだろう。セオドアの子を産み育てるのが自分の役目だとは思っているが、エリス自身がほしいのかどうかは……自分で自分の気持ちが分からない。
返答に窮するエリスに、セオドアは続けた。
「俺の出生について話した時、言いそびれたんだが……俺は子供を作る気はない」
「そう、なんですか?」
「俺と同じように現国王に目をつけられては困るからな。ノークス家の跡継ぎはレオ……弟の子供に任せたいと思っている。だからもし、エリスが自分の子供がほしいのなら、俺とは離縁を……」
「しません」
きっぱりと、エリスは言い切った。
「俺はどうなってもセオドアさんのお傍にいる、と前に言ったじゃないですか。ずっとお傍にいさせて下さい。それとも、セオドアさんは俺と離婚したいんですか?」
伯爵夫人でなくなったら自由にしていいとか、子供がほしいのなら離縁しようとか、どうしてそんな突き放すようなことを言うのだろう。
悲しげな表情で言うと、セオドアの無表情な顔が僅かにだが慌てた。
「い、いや、俺はただエリスのためを思って……」
「俺のことを思うのなら、傍にいようと言って下さいよ。その方が嬉しいです」
「……エリスはどうしてそんなに俺と一緒にいたいと思ってくれるんだ?」
どうして、セオドアと一緒にいたいのか。
縁があって夫夫となったから。領民のために身を切るような立派な領主だったから。初めの頃はそう理屈をつけていたけれど、今は……芽生え始めた想いがあるから、だ。
エリスは頬を赤らめつつ、視線を下に向けた。
「そんなこと……察して下さいよ」
「分からないから聞いているんだが……」
鈍いにもほどがある。言わずに察してほしいというのはわがままかもしれないが、それでもこの想いを口にするのは恥ずかしい。
「知りません。ご自分で考えて下さい。……だいたい、そういうセオドアさんはどうなんですか。俺と一緒にいたいって思ってくれているんですか」
これまで自分の想いばかりを語っていたが、セオドアの心中はどうなんだろう。エリスの想いは一方通行なのだろうか。
そんな不安を打ち消すように、セオドアは即座に言った。
「もちろん、一緒にいたいと思っている」
エリスが顔を上げると、セオドアは目線をコーンポタージュに向けていた。その精緻に整った横顔は気恥ずかしそうというか、照れ臭そうというか。
ともかく、その言葉は思っていた以上に嬉しかった。
「セオドアさんは、どうして伴侶に俺を選んでくれたんですか?」
ふと、前々から気になっていたことをエリスは口にした。なんとなく聞くタイミングを掴めずにいたのだが、今なら聞けるような気がした。
「セオドアさんなら、他にもっといい人を選べたんじゃ……」
「俺にとってエリス以上の人はいない」
真顔で言うものだから、エリスは赤面した。さっきの言葉を言うのは気恥ずかしそうだったのに、それよりもド直球な愛の言葉は臆面なく言えるのか。
やっぱり天然なところがあるのかも、とエリスはたじろいだ。
「そ、そうですか。ありがとうございます。それでどうして俺を伴侶に……」
「ん? ああ、それは女性の腹から生まれたという同じ立場だったからだ。その時は生みの親だけが本当の家族だと思っていたから……女性の腹から生まれた者同士、釣り合いが取れるだろう、なんて卑屈な考えでエリスを選んだ」
「そうだったんですか……」
てっきり、貧乏貴族だから金のない質素な生活でも文句を言わなそうだったから、なんて答えが返ってくるかと思っていた。なるほど、セオドアと同じように女性の腹から生まれた立場だったからだったのか。
納得するエリスへ、セオドアは表情を和らげて続けた。
「でも、エリスを選んでよかった。心からそう思うよ」
「セオドアさん……」
エリスだって、セオドアの下へ嫁いでこられてよかった。心からそう思う。
エリスはふわりと微笑んだ。
「俺もセオドアさんと出逢えてよかったです」
願わくは、ずっと傍にいられることを。
セオドアと穏やかに笑い合いながら、エリスは切に願った。
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