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第7話 セオドアの出生の秘密2
しおりを挟むセオドアが帰ってくるまで、エリスは完全に暇を持て余した。やらねばならないことといったら朝と夕方に菜園の水やりをすることくらいで、あとはセオドアから預けられた衣服の修繕作業があったものの、それは三日で終わってしまった。
自分で食事を用意してみようかとも思ったがそれではバーバラの仕事を奪ってしまうし、ではメイドたちの仕事を手伝おうかと申し出てみたところ、「とんでもございませんっ」と恐縮させてしまい、丁寧に断られた。
というわけで一日の大半を図書室で読書をして時間を潰し――一ヶ月が過ぎた頃。夜遅くにようやく帰ってきたセオドアを、エリスは弾けるような笑顔で出迎えた。
「セオドアさん、おかえりなさい!」
嬉々として笑うエリスにセオドアは少々驚いた顔をしつつも、すぐに表情を和らげた。
「ただいま。俺が留守にしている間、何もなかったか?」
「はい、大丈夫です。セオドアさんもお疲れ様でした。今日はゆっくり休んで下さい」
「ありがとう。だが、ちょっとやることがあってな。執務室へ行く。……ケイシー、軽い夜食を作るようバーバラに伝えてくれ。作り終わったら執務室まで頼む」
名を呼ばれたメイド、ケイシーは「かしこまりました」と了承し、恭しく頭を下げてから早足で地下へと歩いていった。
セオドアは二階の執務室へと向かう。エリスも途中までは隣を歩いたが、踊り場で別れて寝室へ行った。先に寝ていよう、と天蓋付きの寝台に横たわったものの、セオドアが帰ってきた興奮からなかなか寝付けない。
嫁いできてから毎日顔を合わせていたのに、急に一ヶ月間も会えずにいて、正直なところ寂しかったのだ。だから帰ってきてくれて素直に嬉しい。
(……なんだか、セドオアさんと話したいな)
明日、話せばいいじゃないかとは思う。仕事の邪魔をしてはいけない、と理性では分かっている。けれど、少しでも話したくてうずうずしてきたエリスは、迷惑かもしれないと思いつつも寝台を下りて寝室を出た。
すると、執務室へ向かう途中、踊り場のところで食事を運ぶケイシーと鉢合わせした。
「ケイシーさん。それ、セオドアさんの夜食ですか?」
尋ねると、ケイシーは「はい、そうです」とにこやかに答える。木製の器に盛られているのは、肉団子のスープだ。
おや、とエリスは思った。エリスが夕食に食べたものと同じだ。新しくレシピを考えるのが手間で、同じ料理を作ったのだろうか、バーバラは。
疑問に思いつつ、エリスはケイシーに笑いかけた。
「俺が執務室まで運びますよ。ちょうど、行くところなので」
「え、でも……」
「明日も仕事が忙しいでしょう。今日はもう休んで下さい」
「……では、お言葉に甘えて。よろしくお願いします」
ケイシーから夜食を受け取り、執務室の前まで移動して、「セオドアさん、夜食を持ってきました」と扉越しに伝えた。すると、扉が開いてセオドアが顔を出した。
ケイシーが運んでくると思っていただろうセオドアは、夜食を持ったエリスの姿に目を瞬かせる。
「エリス。どうして君が夜食を?」
「ここにくる途中、ケイシーさんと会いまして。俺が運びますよって預かったんです」
「そうなのか。まぁ、中に入ってくれ」
執務室に入るのは、屋敷を案内された時以来だ。右方の壁には本棚がずらりと並び、奥には文机があって、左方には棚と簡易寝台が置かれている。整理整頓された、綺麗な部屋だ。
「夜食、文机の上に置けばいいですか?」
「ああ。届けてくれてありがとう。……それにしても、ここにくる途中と言っていたが、俺に何か用か?」
「セオドアさんと少しお話がしたかったんです」
「……俺と? なにを」
「なにをと聞かれたら困りますけど……他愛のない雑談をしたかったというか。だって、一ヶ月も顔を合わせていなかったんですよ? 寂しかったんです」
臆面なく言うエリスに、セオドアは無表情ながらその瞳に戸惑いの色を浮かべた。
「寂しかったって……俺といても別に楽しくないだろう」
「そんなことありません。楽しいです」
確かに会話が弾むことは滅多にないし、大声で笑い合うような会話にもならない。それでも落ち着いて話すセオドアの傍は居心地がよくて。セオドアと過ごす時間がエリスは好きだ。
けれど、セオドアにとってはそうじゃないのかもしれない、とエリスは下を向いた。
「……その、ご迷惑なら出て行きますけど……」
「そんなことはない」
ぽん、とセオドアの大きな手がエリスの頭の上に置かれる。初めてのことに驚いて顔を上げると、セオドアは珍しく優しげに笑っていた。
「少し驚いてしまっただけだ。夜食を食べる間だけでもいいなら、話そう」
エリスはぱぁっと顔を輝かせた。
「は、はい!」
「他に椅子がないから寝台にでも腰かけてくれ」
「いえ、立ったままで大丈夫です。近くでお話したいですから」
文机に座ったセオドアの隣に立つ。さぁ、何を話そう。話したいという思いが先行して、何を話すかは考えていなかった。
とりあえず、セオドアから頼まれていた衣服の修繕を終えていることを伝えようか。そう考えて口を開こうとした、その時だった。
「うっ……!?」
夜食を口にしたセオドアが突然口元を押さえ、呻き声を上げた。かと思うと、即座に席を立って棚から小瓶を取り出し、中の液体を一気に飲み干す。
そのまま崩れ落ちるように簡易寝台に横たわったセオドアの下へ、エリスは慌てて駆け寄った。
「セオドアさん!? どうしたんですか!?」
ぐったりとしているセオドアの呼吸は浅く荒い。額からは汗が流れており、セオドアの身に何か起こったことは一目瞭然だ。
突然のことに気が動転したが、この場を対処できるのはエリスだけだ。しっかりしろと己を叱咤して、
「お、俺、お医者様を呼んできます!」
と、執務室を出ようとした。けれど、セオドアがエリスの服を掴んで引き止める。
「待、て。医者は呼ぶな……」
弱々しい声で言う。エリスは困惑したが、ひとまずセオドアの言い分を聞こうと、セオドアの方を振り向いた。
「どうしてですか。体調が悪いんでしょう?」
「大丈、夫だ。少し休めば、治る」
「でも……」
「頼む。使用人たちにも言わないでくれ」
「……分かりました」
セオドアが懇願するなんて初めてのことだ。無下にもできず、それにセオドアは武官だった人だ。本人の大丈夫だという言葉を信じることにして、「じゃあ俺、手巾を持ってきます」と声をかけてエリスは執務室を出た。
セオドアが倒れた。持病でもあったのだろうか。すぐに手にしたあの小瓶は、持病の発作を抑える薬だったとか。
ぱっと思いつくのはそれくらいだが……けれど、と思う。夜食を食べた直後に起こったことだ。夜食も何か関係しているのではないか。となると、食物アレルギーか。
あれこれ考えつつ、地下の台所へ行ったエリスは、桶を拝借して水を張り、手巾を桶の中に浸した。氷があれば氷水にしたいところだが、ハルシスタでは氷というのは貴重であり、この暑い時期は特に高価なものなので、残念ながら財政難のノークス邸にはない。というわけで、生温い水で我慢してもらうしかないだろう。
再び二階の執務室に戻ると、セオドアは苦しそうながら眠っていた。エリスは桶を床に置いて、水気を絞った手巾でセオドアの汗をそっと拭う。
(本当に大丈夫なのか……?)
やっぱり、医師を呼んだ方がいいのでは。そう思ったが、セオドアとの約束を破るのは気が引ける。セオドアの許可なく勝手な真似はできない。
このまま、体調が悪化して死んでしまわないか。不安を抱きつつも、つきっきりで看病をしていると、やがてセオドアの寝息が穏やかなものになった。汗も止まり、エリスはほっと胸を撫で下ろす。どうやら、大丈夫だという言葉は嘘ではなかったらしい。
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