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第6話 セオドアの出生の秘密1
しおりを挟む「よし。収穫できるな」
うきうきとするエリスの前には菜園があり、トマト、きゅうり、レタス、ナス、トウモロコシ、などが瑞々しく実っている。そのうち、トマトときゅうり、そしてレタスを収穫した。
エリスがセオドアの下に嫁いで二ヶ月経ち、季節は夏。朝早いので比較的まだ涼しいが、数時間もすればあっという間に気温は高くなるだろう。
『家庭菜園をやりたい?』
『はい。実家では俺が子供の頃から家庭菜園をしていまして。ここではあまりやることがないですし、やらせてもらえないでしょうか』
『ふむ……退屈させてしまっていたか。そういうことなら、好きにすればいい』
と、セオドアの了承を得て再び始めた家庭菜園。てっきり、貧乏くさいからダメだと言われるかと思ったが、エリスのやりたいことなら、とセオドアは快く許可してくれた。財政難のノークス邸の負担を少しでも減らせたら、という思いもあるのは秘密だ。
ともかく、春に土を耕して種を蒔き、今日が初収穫だった。
(おいしく育ってるといいなぁ)
収穫した野菜を乗せた、木で編んだ籠を両手に抱えて、エリスが向かった先は地下にある台所だ。そこにはすでに料理人――バーバラがいて朝食の準備に取りかかっていたが、エリスの姿を見ると手を止めて慌てて頭を下げた。
「これはエリス様! おはようございます」
料理人といっても男性ではなく、恰幅のいい四十路の女性だ。王侯貴族の屋敷の使用人というのは、基本的に女性が務めるのだ。
というのも、もし使用人の男性と種宿の夫人がただならぬ関係になって肉体関係を持ってしまった場合、主人以外の血を引く子が跡継ぎになってしまう恐れがあるから、らしい。
「おはようございます。ちょっと、俺もここで調理をしてもいいですか?」
伯爵夫人が料理をする、ということに戸惑ったに違いない。バーバラは困惑した顔をした。
「構いませんけど……何か食べたい物がおありでしたら、私がお作りしますが」
「いえ、自分で作りたいんです」
「そうですか……分かりました。貯蔵庫にある食材は自由に使っていただいて構いませんから」
「ありがとうございます」
木で編んだ籠を棚の上に置いて、エリスは早速調理に取りかかった。
レタスは一口大にちぎり、トマトときゅうりは薄くスライスして、それらに塩を振ってから食パンに挟んだら、サンドイッチの完成だ。
「あら。おいしそうですねぇ。ご自分で食べられるのですか?」
朗らかに笑うバーバラにエリスも笑い返した。
「いえ。セオドアさんに食べてもらおうと思いまして。ほら、今日から領地の視察に行かれるじゃないですか。お弁当にどうかなぁと」
「ふふ、愛夫弁当ということですか。旦那様もさぞお喜びに……あ、でも」
何か思い出した様子のバーバラは、非常に言いにくそうな顔で思いがけないことを言った。
「その、エリス様。旦那様は出来立ての料理しかお食べにならないのですよ」
「え? で、出来立ての料理だけ?」
「はい。三年くらい前からでしょうか。それまでは作り置きのものでもなんでも食べてらっしゃったのに、突然、自分には作り立ての料理を出すように、と」
三年前から。地方伯爵として威厳を保つため……ならば、爵位を継いだ五年前からでないとおかしいし、というかそもそもそんなことを要求するような人とは思えない。
「三年前に何かあったんですか?」
「いえ、特には」
「そうですか……」
三年前に何か心境の変化があったのだろうか。けれど、父が亡くなったのは五年前で、種宿の父が亡くなったのも四年前と、三年前に繋がる要素が思い当たらない。
気になりつつも、今はそれよりもせっかく作ったサンドイッチのことだ。受け取ってもらえないのならエリスが自分の昼食にするしかないが――。
「……俺、ダメもとでセオドアさんに渡してみます。余った野菜は使っていただいて構わないので。台所を貸して下さってありがとうございました」
三角形に切り分けた色鮮やかなサンドイッチ八つを、木で編んだバスケットに入れて、エリスは地上へ上がった。さらに中央階段を上って二階の寝室に向かう。
エリスが起床した時はまだ寝ていたセオドアだったが、起きて身支度を整えていた。エリスはぱっと顔を明るくする。
「おはようございます、セオドアさん」
「おはよう。エリスは相変わらず早いな。菜園の水やりか?」
「はい。今日は少し収穫できたんですよ。それで……あの、お弁当を作ったんですけど」
エリスはおずおずと木で編んだバスケットをセオドアに差し出した。セオドアは「弁当?」と不思議そうな声を上げつつ、バスケットを受け取って中を見る。
「サンドイッチか。具材は菜園で収穫したものか?」
「そうです。今日から領地の視察へ行かれるでしょう? 道中で食べてもらえたらなって」
「………」
セオドアは沈黙した後、何を思ったのかサンドイッチに手を伸ばした。まさか、食べるつもりなのか、とエリスは慌てふためく。
「あの、それは昼食用に……」
「今日は暑くなりそうだ。腐って食べられなくなったらもったいないだろう。今のうちに朝食代わりに食べておく。……ん、うまい」
サンドイッチを次々と胃袋へ収め、セオドアはあっという間に完食してしまった。予想外の対応に驚きつつも、食べてもらえたことが嬉しくてエリスは思わず頬を緩める。
一年前に父が他界してからというもの、ずっと自分で作った食事を自分一人だけで食べる生活だった。作った料理を誰かにおいしいと言って食べてもらえる喜びを改めて感じ、それはありがたいことだったんだな、と気付く。
「……ありがとうございます」
「ん? お礼を言いたいのは俺の方だが」
「いえ、気にしないで下さい。それよりも、お口に合ったようでなによりです」
微笑みながら空になったバスケットを受け取って、エリスは踵を返す。バーバラの下へバスケットを返しに行かなければ。そのついでにセオドアの朝食は不要だとも伝えよう。
寝室を出たエリスは再び地下へ向かいながら、ふむと考えた。
(出来立ての料理しか食べないっていうのは、本当だったんだな)
腐って食べられなくなってしまったらもったいない、というのは方便だろう。昼食にするのが嫌だから、おそらくあの場で食べたのだ。食べてもらえたこと自体は嬉しいが、どうして出来立てでなければ食べないのだろう、とやはり疑問に思う。
(機会があったら、聞いてみるか……)
そう結論付け、地下の台所へ行ったエリスはバスケットを返却して、セオドアの朝食はいらない旨もバーバラに伝えた。料理人としてがっかりするかと思ったが、バーバラの返答は「そうですか、分かりました」とあっさりとしたものだった。
「サンドイッチ、旦那様に食べていただけたんですね。さぞお喜びだったでしょう」
「うーん……どうでしょう。おいしいとは言ってもらえましたけど」
「ふふ、照れ臭くて表に出せないだけですよ。あの方は子供の頃からシャイでしたから」
エリスは目を瞬かせた。そういえば、バーバラはセオドアがまだ赤ん坊の頃からこの屋敷で働いているという。そうか。だから、子供の頃のセオドアのことも知っているのか。
「セオドアさんはどんな子供だったんですか?」
「今とあまりお変わりありませんよ。あんまり表情豊かではなくて、不器用で。明朗快活な弟のレオ様とは真逆でしたね。でも、仲のいいご兄弟ですよ」
「そうなんですか。レオさんは、ええと……ハルシスタ軍に仕官しているんでしたっけ」
「ええ。先に仕官した旦那様を追うように入隊したんです。旦那様は爵位を継いでおやめになりましたが、レオ様は今も仕官していますよ。年始には帰省しますから、その時にお会いできるでしょう」
セオドアの弟レオは、確かセオドアより二つ年下だという話だ。明朗快活というと、爽やかな好青年といったところだろうか。セオドアの唯一の肉親だ。仲良くできたらいいなぁと思いつつ、エリスは話を聞かせてくれたバーバラにお礼を言って地下を後にした。
それから食堂で朝食を食べた後。
「じゃあ、お気を付けて」
領地の視察に行くセオドアをエリスは門の前まで見送りに出た。ノークス地方の土地は広い。半月かけて視察するということで、一ヶ月近く屋敷を空けることになる。その間、留守を預かるのは伯爵夫人であるエリスの役目だ。
セオドアは一つ頷いた。
「ああ。屋敷のことを頼んだ」
「はい」
ではな、とセオドアは相変わらずの無表情で言い、馬車に乗り込む。馬のいななきが響いたかと思うと、馬車はゆっくりと動き出して屋敷からどんどん遠ざかっていく。
馬車が見えなくなるまで見送ったエリスは、心細く思いつつも屋敷の中に戻った。
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