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第4話 婿入りします4
しおりを挟む舐められた指を反対の手で握り締めながら、なんともない風を装ってエリスは鑑賞を再開した。その隣にセオドアも並ぶ。エリスに合わせてその歩調はゆっくりだ。
「薔薇が好きなのか?」
「はい」
今度は棘に刺されないよう、エリスはそっと薔薇の花びらに触れた。
「不器用なところが好きなんです」
「不器用?」
「周りと仲良くしたいのに、周りを警戒して棘を出してしまう不器用さが愛らしいんです」
完全な妄想だ。けれど、昔からそう思っていた。周りを冷たく拒絶しているように見えて本当は寂しがり屋なのではないか、心根は繊細で優しい花なのでは、と。
ほう、とセオドアは一つ頷く。
「なるほど。そういう解釈もあるんだな」
「セオドア様はどういう解釈を?」
「俺は敵意剥き出しの危険な花だと思っていた」
「あはは、そのままですね」
声を立てて笑うと、セオドアは幾分か表情を和らげた。
「教えてくれてありがとう。君の解釈なら、俺も薔薇を愛でられそうだ」
「じゃあ、また一緒にこの薔薇園を鑑賞しましょう」
今年中にできるか、来年になってしまうかは分からないけれど。
ささやかな約束を交わして、薔薇園をぐるりと回って出た。屋敷に戻りながら、そういえばとエリスはセオドアを見上げる。
「あの、種宿のお父様のために薔薇園を残しておいているという話でしたが、種宿のお父様ももう亡くなっているんですか?」
「ああ、五年前に死んだ父を追うように病気で四年前に亡くなった。まぁ、元々病弱な人だったから」
「そう、なんですか……両親のお墓は近くに?」
「馬車で十分ほどの墓地にあるが、それがどうかしたか?」
「あ、いえ……できたらでいいんですけど。ご挨拶させていただけたらな、と」
思わぬ言葉だったらしい。セオドアは虚を突かれた顔をして、やがてその表情に戸惑いの色を浮かべた。
「墓に挨拶するのか? 墓の下にあるのは骨だけだぞ」
「……そう言われたら身も蓋もないですけど。お墓には死者の魂が眠っていると俺は信じていますから。ダメ、ですか?」
「いや、構わないが……そんなことを言われるとは思わなかったな。まぁ、そういうことなら今から行くか。明日からは仕事をするから、連れて行けなくなる」
というわけで、今度は馬車に乗って墓地へ向かうことになった。
墓地は小高い丘の上にあり、ミモザの花が咲き誇る中にいくつもの墓が並んでいた。そのうちの一角に立派な墓があって、それがセオドアの両親の墓だった。
墓地にくる途中に花束を買ってきたので、エリスは墓に花束を供える。墓の前に片膝をついて、語りかけるように挨拶をした。
「初めまして。セオドア様の婿のエリスです」
さわさわと吹く春風が、髪や衣服を揺らす。風に揺れるミモザの花畑の中で、エリスは穏やかに微笑んだ。
「セオドア様を育てて下さってありがとうございます。精一杯支えていきたいと思っていますので、遠くから見守っていただけたら嬉しいです」
短いかもしれないが挨拶を終えて、エリスは満足して立ち上がった。後ろに立っているセオドアを振り返り、「帰りましょうか」と声をかける。
「もういいのか?」
「はい」
顔合わせできただけで十分だ。
二人は来た道を引き返し、道端に待機させてある馬車へ向かって歩いた。例によって軍人歩きで歩調の速いセオドアの服の袖を、エリスは引っ張る。
「ん? どうした」
「昨日から気になっていたんですが、歩くのが速いです。せっかくのお花畑なんですから、もっとゆっくり眺めながら歩きましょうよ」
「……すまない。速かったか。以後、気を付ける」
セオドアは無表情だが素直に詫びて、エリスの歩調に合わせて再び歩き出した。黄色い絨毯のような花畑を並んで進みながら、エリスは口を開く。
「セオドア様のご両親はどういう方々だったんですか?」
踏み込んだ質問かもしれないと思いながらも、セオドアは気を悪くすることなく答えた。
「俺の父上二人とも優しく温かい人たちだったよ。伯爵だった父は、馬車に轢かれそうになった子供を助けて代わりに命を落としたくらいだ。種宿の父も時には厳しいが、愛情に溢れた人だった」
「温かいご家庭だったんですね」
「君の家は違うのか?」
「俺の家は……母が俺を産んだせいで亡くなったので。ずっと父と二人暮らしでした。もちろん、父は優しく育ててくれましたけど」
けれど、記憶にあるのは、寂しげな父の背中だ。父はエリスのことを可愛がってくれていたが、それでも愛する妻を亡くしたことをずっと引きずって、いつも寂しそうだった。
それを敏感に感じ取っていたエリスは、こう思うようになった。――ああ、自分は生まれてこなかった方がよかったのだ、と。
母の命を奪ってこの世に生を受けたエリス。人一人の命を奪っておきながら、のうのうと生きている自分が許せないという思いが心の底にある。自分は幸せになってはいけない。幸せになる資格はない。
そこまで本心を吐露することはできなかったものの、エリスの言葉にセオドアは少し考え込んでから否を告げた。
「君のせいで亡くなったというのは違うんじゃないか」
「え?」
「君のせいではなく、君のために亡くなった。俺はそう思う。君の母君は君を産んだことを後悔していないだろう。君が幸せになるための未来を願い信じて、文字通り命懸けで君を産んだんだ。君が自責の念に駆られることを母君は望んでいないと思うぞ」
それは目から鱗の言葉だった。『せい』と『ため』。同じ二文字の言葉なのに、それはまるで正反対のように意味が違う。
エリスが幸せになるための未来を願い信じていた。そんな都合のいい解釈をしていいのだろうか。エリスに幸せになる資格なんてあるのだろうか。
エリスは目線を地面に落とした。
「そう、でしょうか……」
「死者が望むのは生者の幸福だ。君が母君の分まで生きて、幸せになればいい。……それとも、母君は君を恨んで死んでいったと思うのか?」
「そんな、ことは……」
「なら、長生きして幸せになることだ。それが母君への最大の恩返しになる」
諭すように言う声音は淡々としてこそいるものの、その言葉は真摯で優しくて。エリスは気付いたら、目尻からつっと涙が流れていた。
母が亡くなったのはエリスのせいではない。そして、幸せになってもいいのだ。それは――もしかしたら、エリスが心のどこかで欲しかった言葉かもしれなかった。
「大丈夫か?」
「あっ、す、すみません」
エリスは慌てて指先で涙を拭う。幸い、涙はすぐに止まってくれた。
「ありがとうございます。セオドア様」
ずっと一人で胸に抱えていた重苦しい思いが消えた気がする。単純だと言われたらそれまでだけれど、それでもセオドアの言葉には救われた。
立ち止まって微笑むエリスに、けれどセオドアは「いや」と短く返した。素っ気ないというか、とっつきにくいというか。こんなにも優しい人なのに確実に損しているよなぁ、と思う。
とはいえ、そんなことを口には出せず。
「じゃあ、セオドア様も長生きして幸せになることがご両親への恩返しですね」
エリスの言葉にセオドアは……なんとなく、歯切れ悪く相槌を打った。
「……そう、だな」
一瞬、その表情に陰りが見えた気がした。けれど、すぐにいつもの無表情顔に戻ったので、見間違いだったかもしれない、と思う。
そんなことがありつつ、馬車に戻って再びノークス邸へ向かっていると、セオドアはおもむろに話を切り出した。
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