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第1話 婿入りします1
しおりを挟む「おめでとうございます! あなた様は『種宿』です!」
「……え?」
エリスは呆気に取られるしかなかった。
種宿。それは、男性でありながら子を産むことができる、この広い国ハルシスタで千人に満たない希少な人間のことを指す。ゆえに種宿は主に王侯貴族に嫁がされて、跡取りを産み育てることが宿命といっていい。
何故、王侯貴族たちがわざわざ男性である種宿を娶るのか。それはかつて、王妃がこの国を傾けかけたことから、権力者は正妻として女性を娶るのを忌避するようになった、のだとか。
――ともかく。
(え……俺、男に嫁ぐの……?)
そして、伴侶となった夫の子を産み育てる。
同性愛に偏見があるわけではなかった。けれど、それがいざ自分の身に降りかかると、話が違うというか、拒否感がわく。
そんなエリスの心中を知らず、神父はにこやかに笑った。心からおめでたいことだと思っているような、無邪気な表情だ。
「では、嫁ぎ先は後日国から通知されますので。自宅でお待ち下さい」
「……はい」
神父とは打って変わったどんよりとした表情で、エリスは教会を後にした。
徒歩三十分ほどの帰路の先にあるのは、無駄に広いが古い屋敷だ。元は美しかっただろう白亜の壁は薄汚れ、下部には蔦が絡みついている。屋根にはところどころ穴が空き、木製の板で応急処置している。
コールリッジ伯爵家。元はここコールリッジ地方を治める地方伯だったのだが、農奴の下剋上の嵐で没落してしまった、今では名ばかりの貧乏貴族だ。一年前に父が病死したため、エリスが爵位を継いで、一応エリスがコールリッジ伯爵である。
けれど、この家もエリスの代で終わるようだ。なにせ、エリスは他の王侯貴族の下へ嫁がねばならない。
エリスに兄弟はいないため、この家は取り潰されるしかないだろう。貧乏だったとはいえ、思い出の詰まった家が無くなってしまうというのは少し寂しいが、仕方ない。
(どこの家に嫁がされるんだろうな……)
これまた無駄に広い敷地にある菜園に水やりをしながら、エリスはまだ見ぬ夫となる男性へと思いを馳せた。
春の麗らかな日差しが大地に降り注ぐ中、一台の箱型馬車が街道を走っていた。ガタン、ゴトンと揺れる馬車の中で、エリスは移り行く緑の景色を窓から眺める。
エリスが種宿だと判明してから早一ヶ月。嫁ぐことになった家はノークス地方伯爵家だ。まだ二十五歳という若さのノークス伯爵に、娶られることになった。
没落貴族で女性の腹から生まれた平民同然のエリスが嫁ぐとしたら、せいぜいお金持ちの商家などが関の山だろうと思っていたが、元地方伯で由緒正しい血筋を気に入ってもらえたのだろうか。地方伯爵家に嫁ぐことになるとは、エリスの身分からしたら好待遇だ。何か裏があるのではないかと勘繰ってしまうほどに。
(セオドア様、か……どういう人なんだろうな)
セオドア・ノークス。十三歳からハルシスタ軍に仕官していたそうだが、五年前に父が亡くなって爵位を継いだのだと、国からの通知書には書かれてあった。
エリスが社交界デビューしていれば、顔を合わせていた可能性もあったが、あいにく貧乏すぎて社交などする暇も金もなく、王侯貴族事情には疎い。ゆえに夫となるセオドアがどんな人物なのかさっぱり分からない。
といっても、どんな人物であろうとエリスはセオドアに嫁がねばならないのだ。気にするだけ無駄かもしれない、とエリスは考えるのをやめた。
窓辺に頬杖をついて外の景色を眺めながら、馬車に揺られること半月。日が傾いた頃、ノークス地方伯爵家の前に降り立ったエリスは、その優美な屋敷と広大な敷地に圧倒された。
(す、すごい……ウチとは雲泥の差だ……)
同じ白亜の外壁はピカピカに磨き上げられ、敷地の中央には大きな噴水があって、きちんと庭師が手入れしているのだろう、美しく整えられた薔薇園も広がっている。門から屋敷まで徒歩十分ほどの距離はありそうだ。
「エリス様、中へどうぞ。ご案内します」
コールリッジ邸からここまで馬車で連れてきてくれた初老の御者が、にこやかにエリスをノークス邸に入るよう促す。とうとう、夫なるセオドアと対面するのだ。エリスは「よ、よろしくお願いします」とやや緊張した面持ちで頭を下げた。
御者の後に続いて屋敷までの長い道を歩き、屋敷の中に入ると、
「ようこそ、いらっしゃいました」
玄関ホールにずらりと並んだメイドたちが、エリスを出迎えた。みな、身なりが整っていることが一目で分かる。綺麗な立ち姿から、きっと教育も行き届いているのだろうと思う。
使用人とは無縁だった貧乏貴族のエリスは恐縮する思いだ。つい頭を下げながらメイドたちの間を通ってすぐのことだった。
「遠路はるばる、よくきてくれた」
抑揚に欠けた声が玄関ホールに響いた。はっとして顔を上げると、深紅の絨毯が敷かれた中央階段を靴の音を響かせながら、二十代半ばの若い男性が下りてきていた。
銀色の髪が印象的な青年だ。鮮やかな青色の瞳には理知的な光が宿り、怜悧な容貌をしている。これまで会ったどの男性よりも美形かもしれない。ただ、無表情のため、氷のような冷たい印象も受けるけれども。
歓迎していない……わけではないだろう。こうして出迎えてくれたのだから。おそらくこれが青年の標準顔なのだ、とこれまで接客業をしていたエリスは察した。
「俺はセオドア・ノークス。君はエリス・コールリッジで間違いないか?」
エリスの前までやってきて淡々と名乗った青年――セオドアに、エリスは「はい」と頷き、「よろしくお願いします」と頭を下げようとしたところで、セオドアが制止した。
「頭を下げる必要はない。俺と君は今日から対等な夫夫なんだから」
「あ……はい」
「長旅で疲れただろう。君の部屋に案内するから、夕食までゆっくりしているといい」
セオドアはエリスが持っていた荷物をさりげなく受け持ち、きびきびと来た道を引き返し始めた。エリスは慌てて後を追う。
走っているわけでもないのにセオドアの歩く速度は速く、エリスは小走りしてやっと追いつくくらいだ。五年前まで武官として仕官していたということだから、軍人歩きが体に染みついているのかもしれない。
幅広の中央階段を上り、左右に分かれた踊り場を左に曲がる。奥まで進む途中は画廊……だったのだろうが、額縁だけ残して絵画は飾られていない。
おや、とエリスは思った。こんなにも立派な屋敷なのに、絵画の一枚も飾っていないのはなんだかアンバランスだ。セオドアが絵画に興味ないのか、それとも他に理由があるのか。
そんなことを思いつつ、廊下を進むと左端から二番目の部屋に案内された。
「ここが君の部屋だ」
「わぁ……素敵なお部屋ですね」
目を引くのは、淡い緑色のカーテン。他には文机やクローゼット、姿見、猫脚のテーブルと椅子、と最低限の調度品が揃っており、どれも木製でナチュラルな家具だ。寝台がないことが気になるが……おそらく、夫夫の寝室があってそこで寝ろということだろう。
エリスはちらりと隣に立つセオドアを見上げた。
(……この人に抱かれるんだな、俺)
美形だからといって喜ぶ気には到底なれないが、それでも脂ぎった小太りのおっさんに抱かれるよりはマシだろうか。
「荷物はここに置いておくぞ」
「あ、はい。ありがとうございます」
部屋に入ったセオドアはエリスの荷物を文机の上に置いて、
「じゃあ、夕食の時間にまた」
と、声をかけてすぐに退室していった。ぱたん、と扉が閉まってからエリスはそっと息をつく。知らず知らずのうちに緊張していたらしい。一人になったら途端に肩の力が抜けた。
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