9 / 25
第9話 大聖女の生い立ち
しおりを挟む「あー、のんびりできるっていい……」
寝台に寝転がりながら、クラリスはデーツ――ナツメヤシの実を自然乾燥させたドライフルーツ――をつまんでいた。この国にきて初めて食べた物だが、コク深い甘みのある味わいでおいしい。
現在、クラリスは三食昼寝付きの生活を満喫中である。国土開拓して疲れただろう、ゆっくり休め、というサイードのありがたいお言葉により、サイードが地方領主として着任してからというもの、のんびりと暮らしている。
一方のサイードは毎日忙しそうだ。仕事熱心なのはいいが、体調を崩さないかだけが心配だったりする。適度に休憩はとっている、とのことらしいが。
(のんびりできるのはいいけど、なんとなく居心地の悪さも感じるんだよねえ)
シムディアでは怠け者の自覚があっても特に何も思わなかったが、いずれ夫となるサイードが忙しく仕事をしている姿を見ていると、手伝うべきではないのかという理性に駆られる。一応、真っ当な感性を持っていたんだな、と自分でも意外な思いだ。
それでも結局重い腰は上げられないまま、ゴロゴロと過ごしている時だった。
「クラリス」
まだ昼過ぎだというのに、サイードがクラリスの下へ顔を出した。さすがに寝転がったままでいるわけにはいかず起き上がろうとしたが、サイードは「そのままでいい」と寛大に言った。
「ゆっくりと過ごせているようだな」
「おかげさまで。サイード殿下はお仕事中なのでは?」
クラリスの傍までやってきたサイードは、寝台の端に腰かけた。
「エラムにたまには君と過ごせ、と言われたんだ。確かに最近ろくに話せていなかったなと思って、仕事を切り上げてきた」
「まあ……たまにはお休みされるのもいいかとは思いますが。私のことはお気にせず。この通り、満喫していますから」
クラリスのことを気にかけなくていい、という意味で言ったのだが、サイードは口をへの字に曲げた。
「俺と過ごす時間がなくても気にならないと言うのか」
「サイード殿下は気になるんですか?」
「いずれ夫婦となるのだから、互いについてもっと知るべきだろう。それに俺は君と過ごす時間が嫌いではない」
「いやまあ、私も嫌いじゃありませんけど……」
なんだこの会話、と思う。いや、会話の内容自体はおかしくないのだろうが、雰囲気に甘さの欠片もない。何を言い合っているのやら。
と、戸口で「ぷっ」と吹き出す声が聞こえた。
「ふふ、なんだかおかしなやりとりをしていますね」
戸口に立ってくすりと笑ったのは、エラムだった。その手にはデーツが小盛にされた器がある。おそらく、サイードの分を用意して運んできてくれたのだろう。
予想通り、エラムはサイードの前までやってきて器を差し出した。
「サイード殿下、よろしければこちらをどうぞ」
サイードは遠慮なく器を受け取り。
「ありがとう。気を遣わせたな」
「いえいえ。クラリス様と楽しいひとときをお過ごし下さい」
では私は失礼します、とエラムはにこやかに立ち去っていく。その顔は若者二人を微笑ましく見守っているような、優しい表情だった。
「……エラムさんとは付き合いが長いんでしたっけ」
「ああ。俺が物心ついた時から傍にいる。年の離れた兄のような存在だ」
サイードはデーツをつまみながら答え、クラリスを見た。
「君は? 兄弟はいるのか」
「分かりません」
サイードは怪訝な顔をした。
「分からない? どうして」
「物心ついた時には『恵みの聖女』として教団に引き取られていたので。親の顔だって知りません。分かっているのは平民出身ということくらいですよ」
「会うことはできなかったのか」
「四聖女は世俗と関わりを持つべきではないということで、会えませんでしたねえ。まあ、四聖女を生んだ家には多額の手切れ金が支給されるので、私の両親もお金さえもらえたら十分だったんじゃないですか?」
どんな親だったのか気にならないわけではない。けれど、物心ついた時からいないのが当たり前だったので、特に寂しいとも会いたいとも思ったことはない。平民の両親なのだ。多額のお金を手にできて喜んだのではないだろうか。
「……ドライな見方をするんだな。我が子を手放して何も思わないわけはないと思うが」
「すべての親が子を愛しているわけではありませんよ」
「どうしてそう思う」
「大聖女は親から愛されていませんでしたから。無関心で、どころか厄介者扱いされて育ちました。大聖女として召喚されて馬車馬のように働いたのも、周りから必要とされることが嬉しかったからです」
レイナは片親家庭で育ったものの、母親にとってレイナは邪魔な存在で、レイナがいるから再婚できないとよく罵声を浴びせていた。そんなわけで自分に価値がないと感じていたレイナには、大聖女として必要とされることで空虚な心が満たされていたのだ。
淡々と語るクラリスの話にサイードはどう声をかけたらいいのか分からない、そんな表情をしている。きっと、両親から愛されて育っただろうサイードには、レイナの生い立ちや心情は理解できないだろう。
それでも、サイードは沈黙した後、口を開いた。
「……それで生まれ変わりの君は、先程のようなドライな見方をするんだな」
サイードの手が、そっとクラリスの頭に触れた。
「それなら俺が、君を愛そう。守ろう。俺が君の心の拠り所になる」
「……同情は結構ですよ。だいたい、愛そうと思って愛せるものではないのでは」
冷静に突っ込みを入れるクラリスに、サイードは手を離して困り顔だ。
「君との心の距離の縮め方が分からないな」
「縮める必要なんてないと思いますが」
「俺は上辺だけの夫婦になるつもりはない。アイオライトを贈っただろう。君のことを理解したいし、愛したいと思っている」
「………」
どう返答したらいいのか分からず、クラリスは押し黙った。そんな風に言われたのは初めてのことだった。誰かに理解されたいとも、愛されたいとも思っていなかったけれど、なんだか心がくすぐったい。
とはいえ戸惑うしかないクラリスに、サイードは「まあ、気長にいくとしよう」とふっと笑った。表情豊かとは言えないサイードだが、時折見せる笑みは驚くほど優しい。いやまあ、クラリスとて表情豊かとは言えないわけだが。
互いにデーツをつまみながら、他愛のないことを話している時だった。
「サイード殿下! お休み中のところすみません!」
エラムが今度は何やら慌てた様子で部屋に駆け込んできた。ただならぬ様子にサイードは表情を引き締め、地方領主としての顔になる。
「どうした」
「それが、ヒデナイト地方に難民が押し寄せてきているようでして。その連絡が」
「難民? 隣国のリグからか?」
「はい」
隣国リグ。タナルよりは緑豊かな国だ。野菜や果実をこの国から多く輸入しているのだと、以前サイードから聞いたことがある。
「リグで何があった。他国から侵攻でもされたか」
「いえ……リグには大きな火山があることはご存知ですよね? その火山が噴火したようでして。一部の国民が我が国に避難してきているようです」
サイードの前に片膝をついたエラムは困り顔で、サイードを見上げた。
「いかがされますか。ヒデナイト地方はまだ村づくりが完了しているとは言えませんが」
確かにその通りだ。クラリスたちが住まうこの村は安定しているが、ほんの半年前に国土開拓した土地などの村づくりは終わっていないだろう。ヒデナイト地方はまだ、難民を受け入れられるほどの土台が完成しているとは言い難い。
サイードは考え込むそぶりを見せたが、すぐに決断した。
「困った時はお互い様だ。ひとまず、この村を中心にして難民を受け入れる。我が領民には頑張ってもらおう」
39
お気に入りに追加
1,129
あなたにおすすめの小説
【完結】「神様、辞めました〜竜神の愛し子に冤罪を着せ投獄するような人間なんてもう知らない」
まほりろ
恋愛
王太子アビー・シュトースと聖女カーラ・ノルデン公爵令嬢の結婚式当日。二人が教会での誓いの儀式を終え、教会の扉を開け外に一歩踏み出したとき、国中の壁や窓に不吉な文字が浮かび上がった。
【本日付けで神を辞めることにした】
フラワーシャワーを巻き王太子と王太子妃の結婚を祝おうとしていた参列者は、突然現れた文字に驚きを隠せず固まっている。
国境に壁を築きモンスターの侵入を防ぎ、結界を張り国内にいるモンスターは弱体化させ、雨を降らせ大地を潤し、土地を豊かにし豊作をもたらし、人間の体を強化し、生活が便利になるように魔法の力を授けた、竜神ウィルペアトが消えた。
人々は三カ月前に冤罪を着せ、|罵詈雑言《ばりぞうごん》を浴びせ、石を投げつけ投獄した少女が、本物の【竜の愛し子】だと分かり|戦慄《せんりつ》した。
「Copyright(C)2021-九頭竜坂まほろん」
アルファポリスに先行投稿しています。
表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。
2021/12/13、HOTランキング3位、12/14総合ランキング4位、恋愛3位に入りました! ありがとうございます!
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。

溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~
夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」
弟のその言葉は、晴天の霹靂。
アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。
しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。
醤油が欲しい、うにが食べたい。
レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。
既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・?
小説家になろうにも掲載しています。
転生先がヒロインに恋する悪役令息のモブ婚約者だったので、推しの為に身を引こうと思います
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【だって、私はただのモブですから】
10歳になったある日のこと。「婚約者」として現れた少年を見て思い出した。彼はヒロインに恋するも報われない悪役令息で、私の推しだった。そして私は名も無いモブ婚約者。ゲームのストーリー通りに進めば、彼と共に私も破滅まっしぐら。それを防ぐにはヒロインと彼が結ばれるしか無い。そこで私はゲームの知識を利用して、彼とヒロインとの仲を取り持つことにした――
※他サイトでも投稿中

絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

偽りの家族を辞めます!私は本当に愛する人と生きて行く!
ユウ
恋愛
伯爵令嬢のオリヴィアは平凡な令嬢だった。
社交界の華及ばれる姉と、国内でも随一の魔力を持つ妹を持つ。
対するオリヴィアは魔力は低く、容姿も平々凡々だった。
それでも家族を心から愛する優しい少女だったが、家族は常に姉を最優先にして、蔑ろにされ続けていた。
けれど、長女であり、第一王子殿下の婚約者である姉が特別視されるのは当然だと思っていた。
…ある大事件が起きるまで。
姉がある日突然婚約者に婚約破棄を告げられてしまったことにより、姉のマリアナを守るようになり、婚約者までもマリアナを優先するようになる。
両親や婚約者は傷心の姉の為ならば当然だと言う様に、蔑ろにするも耐え続けるが最中。
姉の婚約者を奪った噂の悪女と出会ってしまう。
しかしその少女は噂のような悪女ではなく…
***
タイトルを変更しました。
指摘を下さった皆さん、ありがとうございます。

働かなくていいなんて最高!貴族夫人の自由気ままな生活
ゆる
恋愛
前世では、仕事に追われる日々を送り、恋愛とは無縁のまま亡くなった私。
「今度こそ、のんびり優雅に暮らしたい!」
そう願って転生した先は、なんと貴族令嬢!
そして迎えた結婚式――そこで前世の記憶が蘇る。
「ちょっと待って、前世で恋人もできなかった私が結婚!?!??」
しかも相手は名門貴族の旦那様。
「君は何もしなくていい。すべて自由に過ごせばいい」と言われ、夢の“働かなくていい貴族夫人ライフ”を満喫するつもりだったのに――。
◆メイドの待遇改善を提案したら、旦那様が即採用!
◆夫の仕事を手伝ったら、持ち前の簿記と珠算スキルで屋敷の経理が超効率化!
◆商人たちに簿記を教えていたら、商業界で話題になりギルドの顧問に!?
「あれ? なんで私、働いてるの!?!??」
そんな中、旦那様から突然の告白――
「実は、君を妻にしたのは政略結婚のためではない。ずっと、君を想い続けていた」
えっ、旦那様、まさかの溺愛系でした!?
「自由を与えることでそばにいてもらう」つもりだった旦那様と、
「働かない貴族夫人」になりたかったはずの私。
お互いの本当の気持ちに気づいたとき、
気づけば 最強夫婦 になっていました――!
のんびり暮らすつもりが、商業界のキーパーソンになってしまった貴族夫人の、成長と溺愛の物語!
婚約破棄されて辺境へ追放されました。でもステータスがほぼMAXだったので平気です!スローライフを楽しむぞっ♪
naturalsoft
恋愛
シオン・スカーレット公爵令嬢は転生者であった。夢だった剣と魔法の世界に転生し、剣の鍛錬と魔法の鍛錬と勉強をずっとしており、攻略者の好感度を上げなかったため、婚約破棄されました。
「あれ?ここって乙女ゲーの世界だったの?」
まっ、いいかっ!
持ち前の能天気さとポジティブ思考で、辺境へ追放されても元気に頑張って生きてます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる