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第十八話 きたる、悪役令息6
しおりを挟む涙が滲み出てきそう。
必死に堪えながら歩いていると、背後から声が響いた。
「セラフィル!」
俺はびくりと肩を震わせた。タクトスの声だ。追いかけてきたんだろう。
はは、これもベタな展開だ。どうせ、勘違いだよとでも白々しい嘘をつくんだろ。それで俺が信じられない、浮気者だって罵ったら逆切れしてこう言うんだ。――お前がつまらない男なのが悪いんだろうって。
足を止め、深く呼吸した。気持ちを落ち着かせてから、タクトスを振り向く。何も気にしていませんよって雰囲気を全開で出す。
「なんでしょう」
いつも通りの俺に、タクトスは面食らったのかもしれない。僅かにたじろいだ。
「あ、いや……何か勘違いしたのではないかと思って」
「勘違い? 俺は何も勘違いなんてしていません」
「そ、そうか……? なら、いいんだが」
ほっと安堵したような表情のタクトスにくるりと背を向け、俺は再び歩き出した。ぼそりと吐き捨てる。
「シェスナ君とどうぞよろしくやって下さい」
「え……」
もう俺からタクトスの顏は見えない。だけど、すたすたと立ち去る俺に向かって、慌てふためいた声でタクトスは叫んだ。
「待ってくれ、セラフィル! 誤解だ!」
はんっ、何が誤解なんだよ。シェスナの服を脱がして、俺がくる前に済ませてしまおうって話していた声をばっちり聞いているんだよ。
「衣服の件は、彼が水をこぼしてしまったから、着替えを手伝っていただけだ!」
へえ、苦しい言い訳。
「俺が抱きたいのはセラフィルだよ!」
――ん!?
俺が思わず足を止めてしまったのは、心打たれたというわけじゃなくて、周囲を確認するためだ。もうここは……生徒たちの部屋が立ち並ぶ宿泊棟。
つまり、タクトスの声は、部屋にいる生徒たちに丸聞こえなんだ。
「初めてはセラフィルがいいんだ! セラフィルに、俺の初めてを捧げるから!」
「ちょっ、まっ――」
――なんてアホなことを叫んでいるんだ、このバカ王太子!
俺たちが騒がしくしているから、なんだなんだと部屋から生徒たちがひょっこりと顔を出し始めた。「へえ、あの二人ってまだヤってなかったんだ」だの、「王太子殿下も童貞だったんだな」だの、ひそひそと話している。その表情はどことなく、ちょっと面白い見世物でも見ているかのようだ。
な、な、なんだこの状況!?
呆然と立ち尽くす俺の前まで早足でやってきたタクトスは、ぎゅっと俺を抱き締めた。
「信じてほしい。俺にはセラフィルだけだから」
「うっ、あの……」
「この前のキスだって、ファーストキスだ」
――いらんことまで、大勢の生徒の前で暴露するな!
返答に窮する俺に、助け舟を出したのはちゃっかり野次馬をしていたオルヴァだ。
「ひとまず、ラウンジにでも行って、話し合われたらどうですか。その、何があったかは知りませんが……」
冷静な提案だ。俺も頭が冷えてきて、それもそうだと提案を受け入れた。
このまま、生徒たちの見世物になるのはごめんだし。
――そんなわけで、ラウンジまでやってきた俺たち。野次馬をしようとする生徒たちをオルヴァが押しとどめ、俺とタクトスの二人だけ。
「さっき話した通り、本当に誤解なんだ。それに十七時にくると言っていたのに、まさかその前にくるとは思わなかったし」
「え?」
俺は怪訝に眉根を寄せた。十七時前に俺がきた? 待てよ。俺は十七時過ぎに顔を出したんだぞ。現に、今はもう十七時十五分を過ぎている。何を言っているんだ、こいつ。
「タクトス殿下。俺が医務室へ顔を出したのは十七時過ぎですよ」
今度はタクトスが怪訝な顔をする。だけど、俺が掛け時計を指差すと、俺の言う通りだと気付いたみたいだ。よく分からないけど、医務室の時計がズレていたんだろうな。
「……時間のことは置いておいて。本当に他意はないんだ。不安な思いをさせてしまってすまなかった。もう一度、言うが、俺が抱きたいのはセラフィ……」
「そ、それはもういいです…っ……」
言っていて恥ずかしくないのかよ。それに処女を捧げるというのはよく聞くけど、童貞を捧げるってあんまり聞いたことがないぞ。
頬が熱い。俺の顏は、茹でタコのようにきっと真っ赤になっていると思う。
「なら、信じてくれるか」
「……はい」
あんな大勢の前で童貞を捧げます宣言をされてしまったら……信じるほかない。それに頭が冷えてくると、俺がくると分かっている時間帯に致そうとするバカはいないよなって。バレてもいいからだとしたら、こんな風に追いかけてきてアホな宣言はしないはずだし。
「ありがとう、セラフィル」
「わっ」
隣り合って座っていたんだけど、肩を抱き寄せられた。衣服の布越しに伝わってくる温もりが……心地いい。なんだかほっとする。
思わず寄りかかりそうになって、だけど俺ははっと我に返る。いやいや、待て。なんだ、この恋人っぽい雰囲気は。
今回は誤解だったけど、いずれは真実になるはずなんだから。気を許したらダメだ。うっかり気を抜いて好きになんてなってしまったら――傷付くのは自分だろ。
誰かを好きになって傷付くのは……もう嫌だ。
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