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第七話 目指せ、婚約ルート7
しおりを挟む別荘には、一週間ほど滞在する予定だった。
が、三日ばかり過ぎた頃のことだ。小川で水遊びをしていた俺たちの下へ、タクトスの護衛騎士が慌てた様子で駆け寄ってきた。
「殿下っ、大変です! 一刻も早く、王都へお戻りを!」
俺たちはきょとんとして顔を合わせる。
んん? なんだ? そんなに急いで王都へ戻らなきゃならないなんて、何があったんだ。
思案するより先に、護衛騎士が声を張り上げて事情を説明した。
「リニジア国内にて、蝗害が発生したとのことです! 殿下はどうか、安全な後宮へ戻られるよう、王都から早馬が……!」
俺は仰天した。――こ、蝗害!?
前世で読んだ歴史書でも知っているし、今世の知識でも知っている。要約すると、普段は群れない飛蝗だけど、なぜか突然変異して集合体を作り、作物どころか草木を食い荒らしてしまう災害の一つだ。奴らが通った土地は、荒れ果てた土しか残らないという。
暴走した飛蝗たちを止める確実な手段は、今世ではない。なんらかの奇跡が起こって、飛蝗たちが自滅するのを待つしかないのが現状。
そういうわけだから――その年は、深刻な作物不足に陥るのが目に見えている。被害によっては、大飢饉になるかもしれない。
タクトスも知識として蝗害を理解しているのか、強張った表情で「分かった」と頷いた。俺たちは小川から出て、別荘の中へと戻り、急いで荷物をまとめる。準備を終えたら、乗ってきた馬車に乗り込んで、避暑地を発った。
ガドー侯爵領へ立ち寄ってもらう道中、俺たちの間に会話はほとんどなかった。雑談に興じられるような雰囲気じゃない。それだけ蝗害というのは恐ろしい自然災害だ。
「では、セラフィル。また」
「はい。送っていただいてありがとうございました」
ガドー侯爵邸の前で降ろしてもらい、俺は小走りで屋敷の中に戻る。いち早く出迎えてくれたのは、お留守番組のミラーシュとナドルだ。
「兄上、おかえりなさい」
「お、おかえりなさいませ」
俺が帰ってきて嬉しそうな色はあったものの、二人の表情は暗い。どうやら、二人もリニジア国内で蝗害が発生したことを知っているみたいだ。多分、対策に追われているんだろう両親から話を聞いたに違いない。
「ただいま。その顔ぶり、蝗害のことを父上たちから聞いたのか」
「うん……父上たちは外に出かけてる。やっぱり忙しそう」
不安そうなミラーシュだ。これから想定される食糧危機を憂いているんだろう。そんなミラーシュの様子に引きずられるようにしてナドルも不安そう。
俺としても不安がないわけじゃないけど、お兄ちゃんとして堂々としていなきゃな。
「大丈夫だ。備蓄庫に数年分の蓄えはあるはずだから。国の備蓄庫にだって、たくさんの食糧が保管されているだろうし、飢え死ぬことはないよ」
二人の頭をぽんと軽く叩き、安心させるように俺は微笑む。二人の表情がちょっぴり明るくなって、「うん」「そうですね」と励まし合うように相槌を打つ。
確かに俺たちが飢え死にする確率は低い。だけど――平民たちはどうか。各地の貴族たちが平等に食糧を分配するかどうか分からないし、それによって平民の間で食糧の買い占めや暴動が起こる可能性が否定できない。
正直、しばらく国が荒れそうだと思う。
――蝗害。
一刻も早く終息してほしい。
という俺の願いは天に通じたのか。
一ヶ月ほどで蝗害は終息した。何十日も豪雨が続き、その影響で飛蝗が壊滅したんだ。それはもう奇跡としか言えない幸運だった。
だけど。蝗害による被害は比較的小さく済んだとはいえ、大雨による災害がリニジア国各地で発生した。土砂崩れ、浸水、冠水。作物も長雨でダメになってしまい、結局は食糧不足に陥ることになってしまう。
ガドー侯爵領内では、父上たちが備蓄庫を解放し、領民たちに少しずつ食糧を平等に分配した。俺たちも領民たちと受ける恩恵は大差ない。領民と苦楽をともにするという理念も持つガドー侯爵家だから、俺たちだけが贅沢をすることは許さない。
一日二食、それもほとんど具のないスープをすする日々が続いた。僅かばかりのパンも硬いやつだ。それでも、俺たち兄弟は愚痴をこぼすことなく、ありがたく食事をいただいた。
しばらくこんな食事メニューの日々が続くんだろうな、と思っていたある日のこと。屋敷の前に大量の食糧を積んだ荷馬車がやってきた。
国からの支援だろうかと思ったら――なんと、運んできたのはタクトスだった。
「セラフィル、無事か」
「タクトス殿下! なんでここに……」
慌てて屋敷の前でタクトスを出迎えると、タクトスは「友のことを案ずるのは当然のことだろう」と柔らかく笑んだ。
「僅かだが、食糧を持ってきた。受け取ってくれ」
「あ、ありがたいですが……国王陛下からの支援、なのでしょうか」
一応、確認を取る。でもまぁ、十中八九そうだろう。この量だと領民たちみんなに行き渡らせるには、確かにちょっと足りないけど……でも、大変ありがたいことだ。
てっきり俺はそう思ったんだけど、
「いや。俺個人が店で買い占めたものだ」
「え……」
か、買い占めた? タクトスが?
嫌な予感がする。もしかして、王族の権力を振りかざして買い占めたんじゃないのか。それも――俺だけに贈るために。
そんな予感は見事に的中した。タクトスは悪気なさそうに言う。
「王太子の身分を提示したら、すんなり手に入れられたよ。これでしばらく食糧には困らないだろう。家族と分け合って食べるといい」
「バ…ッ……」
――バカ野郎! お前はなんてことをしているんだ!
そう怒鳴りつけたくなるのを、どうにか押さえる。それでも、俺は険しい表情でタクトスを見た。
「申し訳ありませんが、――受け取れません」
きっぱりと返すと、タクトスの表情が困惑したものになった。さらに俺から無言の怒りも感じ取ったのか、ますます混乱している様子。
「な、なぜだ。俺はセラフィルのために……」
「国民の見本となるべき我々王侯貴族が、私欲のために権力を振りかざし、買い占めるなど言語道断です。あなたはご自分の立場を本当の意味で分かっていらっしゃらない」
たとえば、平等に分配するために買い占めるというのならまだ話は分かる。でも、こいつがやったことは違う。ただ、自分の利益のためだけに権力を行使した。
これがバカ王太子じゃなくてなんだっていうんだ。
「我々王侯貴族は税収を得ている代わりに、国民を守る義務があります。あなたがとった行動が次期国王となる王太子としてふさわしいものなのか、いま一度よく考えてみて下さい」
「セ、セラフィ……」
「後宮へお戻りを。俺の身を案じてくれたことには感謝いたしますが、その食糧を受け取ることはできません」
毅然と伝え、無礼かもしれないけど俺は身を翻した。そそくさと屋敷の中に戻る。
タクトス。親の言いなりだったお前が、友達である俺のために自分で行動してくれたこと自体は悪くないし、嬉しく思う。でも。
王太子として、ひととして、お前の行動は間違っていると思う。
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