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第二話 目指せ、婚約ルート2

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「お、おかえりなさいませ」

 ガドー侯爵領の本邸に戻ると、出迎えたのは二つ年下の弟ナドルだ。内気で控えめな子だから、棚に隠れて顔だけひょっこり出している。
 弟といっても、実弟であるミラーシュとは違い、血の繋がりのない義弟だ。もちろん、それでも俺たちは可愛がっているぞ。父上たちだって、実子の俺たちと分け隔てなく育てている。

「ただいま、ナドル。いい子にしていたか?」

 笑って顔をかけると、ナドルはおずおずと頷く。我が家の一員になって数年だけど、ナドルの方はまだまだ気を遣っているみたいなんだよな。
 ミラーシュも、とことこやってきた。

「ただいま。聞いてよ、ナドル。兄上ったらひどいんだ」
「あ、こら。そのことは謝っただろ」

 話すのはやめろと制そうとしたけど、ミラーシュはどこ吹く風でナドルにまでくだんの件を喋ってしまった。俺がミラーシュを用具室に閉じ込めたという部分だけを聞いたナドルは、驚きに目を見開いている。

「どうしてそのようなことをされたのですか。セラフィル様」
「あ、えっと……タ、タクトス殿下と婚約したくてさ。それでミラーシュの方が見初められるんじゃないかって不安になって、つい……反省しているよ」

 ううっ、身の毛もよだつ虚言だ。あいつと婚約したいだなんてさ。いや、嘘ではないんだけども。

「タクトス殿下と婚約を……?」

 ナドルの表情が、なんだか複雑そうな色になった。ん? なんだ?
 おにいちゃんをとられるようで寂しいんだろうか。
 心配するなよ、ナドル。婚約したとしても、いずれ婚約破棄される予定だから。それに、おにいちゃんは、いつまでもナドルのおにいちゃんであることに変わりないんだよ。
 という言葉は心の中だけで呟き、ナドルの頭をよしよしと撫でる。兄として慕われているんだと思うと、可愛さもひとしおだなぁ。ここにも天使だ。
 そんなやりとりをしているところへ、

「みんなおかえり。舞踏会はどうだった?」

 執務室から父さんが出てきた。
 父上が留守にしている間、父さんが当主代行をしていたんだ。っていうか、正直なところ父上よりも父さんの方が有能だったりする。だから、普段から父上の補佐をしていて、侯爵夫人といっても忙しいひとだ。

「ただいま。舞踏会は……ちょっと緊張して疲れたかも」
「そっか。それでも、よく頑張ったね」

 穏やかに笑む父さんの下へミラーシュが近付いて、泣きつくように言う。

「聞いてよ、お父さん。兄上のせいで僕は参加できなかったんだよ」
「え?」
「あっ、おい!」

 ね、根に持っているなぁ……。って、無理もないか。ミラーシュは社交したり、着飾ったりするのが好きな方だから、あの舞踏会を楽しみにしていたもんな。
 事情を聞いた父さんからも、もちろん俺はお叱りを受けた。とはいえ、タクトスと婚約を結びたいという俺の言葉を否定することはなく、本邸に招くことにも前向きそうだ。

「来春にお招きしようと思う。足を運んで下さるかは分からないが、いらっしゃった時は失礼のないようにもてなしてくれ」
「分かりました」

 頭上でやりとりをする両親を見上げつつ、俺はひそっとミラーシュに耳打ちした。

「父さんよりも父上の方が心配だよな」
「ふっ、あはは。確かに」

 別に父上が無能というわけじゃないけど、父さんが粗相をするところが思い浮かばない。
 兄弟のひそひそ話は両親ともに聞こえてしまったらしい。父上は「やかましい!」と眦をつり上げて一喝した。一方の父さんは、可笑しそうにくすくすと笑っている。

「もうお前たち、早く自室に戻って荷解きをしなさい!」
「「はーい!」」

 俺たちも声を立てて笑いながら、屋敷の階段を上がっていく。二階にある自室へと引っ込んで、父上からの申し付け通り荷解きを始めた。
 なんというか、平和だ。




 でも平穏な我が家とは裏腹に、空は曇天で天候が怪しい。夕食を食べ、湯浴みを終えた頃には、ぽつぽつと雨が降っていた。
 といっても、ここは雨風しのげる屋根の下だ。俺は気にすることなく、自室の寝台で眠りについた。……と思ったんだけど。
 夜中、叩きつけるような雨音があまりにもうるさくて、目が覚めてしまった。
 強風で窓ガラスがガタガタと震えている。カーテンから顔を覗かせてみると、ピカッと雷が光った。次いで、雷鳴が轟く。
 嵐の夜っていうのは、まさにこのことだな。
 うー……肌寒いから、ホットミルクでも飲もう。
 と、自室を出て廊下を進み、地下にある厨房に顔を出すと。ランタンの灯かりが、テーブルの下にいる人影を照らし出した。
 びくっと体を震わせたのは、なんとナドルだ。こわごわと振り向くナドルと顔を合わせ、俺は小首を傾げた。

「ナドル? 何をしているんだ、こんなところで」
「あ……えっと」

 んん? 温かい飲み物を飲んで……いるわけじゃないな。本当にただテーブルの下に丸くなっている。それだけだ。まるで何かから隠れるように。
 その時、また激しい雷の音が響いた。
 ナドルを見ると、両耳を手を塞いで、小柄な体を小刻みに震わせている。その光景から、俺はやっと事情を察した。
 そうか。雷が怖くてここに隠れていたんだ。
 思い返してみれば数年前、ナドルが屋敷の前に捨てられていたのも嵐の夜だった。たまたまナドルの姿に気付いた俺が慌てて屋敷に招き、家族で色々と話し合った末、そのまま養子として迎え入れることになったんだ。
 ナドルにとっては、二重の意味でトラウマなのかもしれない。

「大丈夫だよ、ナドル」

 俺はナドルの前に片膝をつく。そしてそっと手を差し出した。

「俺が傍についてる。今夜は一緒に寝よう」
「セラ、フィル様……」

 ナドルは目にうっすらと涙を浮かべ、逡巡したのち――こくりと頷いた。俺の手をとって、テーブルの下から這い出てくる。
 手を繋いだまま、きた道を引き返して俺の自室へ向かう。そういえば、ホットミルク……と思ったけど、まぁいいや。
 寝台の中にナドルも招き入れ、俺たち二人は横たわった。楽しいお話でもしよう、と他愛のない雑談をしていたら、俺の方はあっさりとうとうとしてきた。

「セラフィル様。ありがとうございます――」

 そんなナドルの小さな呟きを最後に、俺の意識は夢の中へまっしぐら。

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