6 / 9
本 編
第6話 新たな生活3
しおりを挟むそうして、家の中に入ろうとした時のことだ。
「坊ちゃま!」
聞き慣れた声が響き渡った。
地面に下ろされた僕が振り返ると、なんとそこには息を切らしたデイジーが立っていた。僕の顔を見るなり、その目はうるうると潤んでいき、やがて涙を流す。
「ご無事でよかった…っ……」
口元を手で押さえ、安堵した様子を見せるデイジーに、ローワン様は目を瞬かせた。
「ジュード。こちらの方は?」
「あ、えっと……母親代わりのような人です。デイジーって言います」
スマイス公爵家のことを持ち出していいものか、なおも分からず、そう言葉を濁す。
ローワン様には、心から僕の身を案じていただろうデイジーの様子が伝わったのかな。少なくとも、僕を家から追い出した人物たちだとは思っていないみたいだ。懐からハンカチを取り出して、デイジーに差し出した。
「デイジーさん。こちら、お使い下さい」
「す、すみません。どうも、ご親切に」
素直にハンカチを受け取ったデイジーもまた、ローワン様が僕を連れ去ったわけではないと分かっているようだった。多分、僕が王宮舞踏会で求婚した老騎士であり、僕を保護してくれた人なのだと理解しているんだろう。
ハンカチで涙を拭ったデイジーは、地面に膝をついたかと思うと、僕を抱き締めた。
「わっ」
「本当にご無事で何よりです、ジュード様。坊ちゃんが家から追い出されたことなど知りもせず、お助けできなかったことをお許し下さい」
デイジー……それで、僕を必死に探し回ってくれていたのか。この広い王都中を、ずっと。
僕は、本当にデイジーから愛されているんだな。
「気にしないで。ローワン様のおかげで、僕は元気にやっているから」
って、まだ二日目だけど。
デイジーは、しばし僕を力強く抱き締めた後、ローワン様を見上げた。深々と頭を下げる。
「ローワン殿。ジュード様を保護して下さって、ありがとうございます。なんとお礼を申し上げたらよいか……」
「お気になさらず。私は婚約者として、当然のことをしたまでです」
デイジーの目が、点になった。戸惑った顔で僕を見る。そりゃあそうだ。いくら僕が求婚したといっても、本気で相手にするわけがないだろうと思っていただろうから。
僕は、肩を竦めるしかなかった。
「優しいけど、面白い人なんだ」
「そ、そうなんですか。ま、まぁ、ひとまず婚約に関しては置いておきまして」
デイジーは腰を屈め、僕と目線を合わせた。その目は、真剣な色だ。
「坊ちゃん。わたくしと帰りましょう」
「え? ボクは父上からもう勘当されて……」
「そちらの家ではありません。わたくしの家に、です」
デイジーの家? デイジーのお子さんたちはもう独立しているはずだけど、旦那さんはいるんじゃなかったっけ。
僕がそれを口にするより先に、デイジーが先に言った。
「夫の了承は得ています。これからは、わたくしどもと暮らしましょう。これまでのような暮らしはさせてあげられませんが、ジュード様一人を養うことはできます」
「デイジー……」
デイジーたちと三人で暮らす、か。
ははっ、それいいな。きっと、これまで憧れていた『温かくて優しい両親』の下で暮らせるんだろうから。想像するだけで幸せだ。
――でも。
「ごめん、デイジー。気持ちだけありがたく受け取っておくよ」
今は子供の姿だけど、でも僕はもう精神年齢は二十歳なんだ。いつまでも『母親』に甘えていちゃいけない。
「ボクは、これからローワン様と一緒に生きていく。今までありがとう」
デイジーは感極まった表情になりながらも、同時に不安そうな顔をした。出会って数日の相手と同居して上手くやっていけるか、きっと心配なんだろう。
「で、ですが、ジュード様……」
「ボクなら、大丈夫だよ。心配しないで」
はにかむ僕の決意が固いことを察したんだろう。デイジーはそれ以上食い下がらなかった。
「……分かりました。どうぞ、お健やかに暮らして下さいませ。ですが」
デイジーの柔らかい両手が、僕の両頬を包み込む。そして優しく笑んだ。
「何かあったら、いつでもわたくしどもの家に帰ってきていいのですからね」
本当に僕の『母親』みたいだ。ううん、きっと『母親』なんだろう。
デイジー。ありがとう。
「では、ローワン殿。どうか、ジュード様のことをよろしくお願いします」
再び頭を下げるデイジーに、ローワン様は「もちろんですとも」と穏やかに笑った。その優しい笑みにデイジーはほっとした顔をして、その場を立ち去っていく。
その背中を見送る僕の隣に、ローワン様が立った。
「……本当によかったのか?」
「ボクがいないと、ローワン様が寂しいでしょう」
茶目っぽく笑うと、ローワン様も可笑しそうに笑う。「確かにな」と、僕の頭を優しく撫でた。
「随分と明るくなったものだ」
ん? 昨日の今日で、急激にキャラ変したとは思えないけど。
はて。昨日の夜、途方に暮れていた時の僕の顔がよっぽど暗かったのかな……?
それから家の中に入ってほどなく、僕たちは三時のティータイムを楽しんだ。
ローワン様は紅茶の良し悪しには疎いと言いつつ、紅茶自体は嫌いではなく、何よりも甘いお菓子に目がないんだそうな。買いだめしていたクッキーとともに、また紅茶をいただいた。
「そういえば、ジュード。私が仕事の間は、学童保育所に行ってもらえるか」
チョコチップクッキーを食べながら、僕は目を瞬かせた。
学童保育所。日中に保護者が仕事などで家を不在にしている間、十二歳以下の子供を預けられる施設のことだ。
保育士さんが代わりに面倒を見てくれて、文字の読み書きや簡単な計算なんかも教えてもらえるという。この国では、裕福な家を除けば、貴族平民問わず共働きが主流だから、学童保育所はあちこちにある。
そっか。僕は一応まだ十歳だから、ローワン様が働きに出ている間は、学童保育所に通わないといけないんだ。他に面倒を見てくれる人もいないし。
「分かりました」
僕はあっさりと了承した。生まれて初めて行くところだからドキドキするけど、同時にワクワク感もある。どんなところなんだろう、学童保育所って。
学級のみんなと仲良くできるかな。精神年齢が二十歳だからこそ、学級の中で浮いてしまわないかが心配だ。いや、問題なく馴染めたら、それはそれでどうなんだって感じもするけど。
「たくさん、友達を作るといい」
「はい!」
目尻を和ませるローワン様と僕は笑い合い、そのあとはまったりと二人で過ごした。
166
お気に入りに追加
563
あなたにおすすめの小説

【完結】婚約破棄された僕はギルドのドSリーダー様に溺愛されています
八神紫音
BL
魔道士はひ弱そうだからいらない。
そういう理由で国の姫から婚約破棄されて追放された僕は、隣国のギルドの町へとたどり着く。
そこでドSなギルドリーダー様に拾われて、
ギルドのみんなに可愛いとちやほやされることに……。

名前のない脇役で異世界召喚~頼む、脇役の僕を巻き込まないでくれ~
沖田さくら
BL
仕事帰り、ラノベでよく見る異世界召喚に遭遇。
巻き込まれない様、召喚される予定?らしき青年とそんな青年の救出を試みる高校生を傍観していた八乙女昌斗だが。
予想だにしない事態が起きてしまう
巻き込まれ召喚に巻き込まれ、ラノベでも登場しないポジションで異世界転移。
”召喚された美青年リーマン”
”人助けをしようとして召喚に巻き込まれた高校生”
じゃあ、何もせず巻き込まれた僕は”なに”?
名前のない脇役にも居場所はあるのか。
捻くれ主人公が異世界転移をきっかけに様々な”経験”と”感情”を知っていく物語。
「頼むから脇役の僕を巻き込まないでくれ!」
ーーーーーー・ーーーーーー
小説家になろう!でも更新中!
早めにお話を読みたい方は、是非其方に見に来て下さい!

突然異世界転移させられたと思ったら騎士に拾われて執事にされて愛されています
ブラフ
BL
学校からの帰宅中、突然マンホールが光って知らない場所にいた神田伊織は森の中を彷徨っていた
魔獣に襲われ通りかかった騎士に助けてもらったところ、なぜだか騎士にいたく気に入られて屋敷に連れて帰られて執事となった。
そこまではよかったがなぜだか騎士に別の意味で気に入られていたのだった。
だがその騎士にも秘密があった―――。
その秘密を知り、伊織はどう決断していくのか。

婚約破棄された僕は過保護な王太子殿下とドS級冒険者に溺愛されながら召喚士としての新しい人生を歩みます
八神紫音
BL
「嫌ですわ、こんななよなよした男が夫になるなんて。お父様、わたくしこの男とは婚約破棄致しますわ」
ハプソン男爵家の養子である僕、ルカは、エトワール伯爵家のアンネリーゼお嬢様から婚約破棄を言い渡される。更に自分の屋敷に戻った僕に待っていたのは、ハプソン家からの追放だった。
でも、何もかもから捨てられてしまったと言う事は、自由になったと言うこと。僕、解放されたんだ!
一旦かつて育った孤児院に戻ってゆっくり考える事にするのだけれど、その孤児院で王太子殿下から僕の本当の出生を聞かされて、ドSなS級冒険者を護衛に付けて、僕は城下町を旅立った。

悪役令息に転生したので、断罪後の生活のために研究を頑張ったら、旦那様に溺愛されました
犬派だんぜん
BL
【完結】
私は、7歳の時に前世の理系女子として生きた記憶を取り戻した。その時気付いたのだ。ここが姉が好きだったBLゲーム『きみこい』の舞台で、自分が主人公をいじめたと断罪される悪役令息だということに。
話の内容を知らないので、断罪を回避する方法が分からない。ならば、断罪後に平穏な生活が送れるように、追放された時に誰か領地にこっそり住まわせてくれるように、得意分野で領に貢献しよう。
そしてストーリーの通り、卒業パーティーで王子から「婚約を破棄する!」と宣言された。さあ、ここからが勝負だ。
元理系が理屈っぽく頑張ります。ハッピーエンドです。(※全26話。視点が入れ代わります)
他サイトにも掲載。

イケメンチート王子に転生した俺に待ち受けていたのは予想もしない試練でした
和泉臨音
BL
文武両道、容姿端麗な大国の第二皇子に転生したヴェルダードには黒髪黒目の婚約者エルレがいる。黒髪黒目は魔王になりやすいためこの世界では要注意人物として国家で保護する存在だが、元日本人のヴェルダードからすれば黒色など気にならない。努力家で真面目なエルレを幼い頃から純粋に愛しているのだが、最近ではなぜか二人の関係に壁を感じるようになった。
そんなある日、エルレの弟レイリーからエルレの不貞を告げられる。不安を感じたヴェルダードがエルレの屋敷に赴くと、屋敷から火の手があがっており……。
* 金髪青目イケメンチート転生者皇子 × 黒髪黒目平凡の魔力チート伯爵
* 一部流血シーンがあるので苦手な方はご注意ください

モブらしいので目立たないよう逃げ続けます
餅粉
BL
ある日目覚めると見慣れた天井に違和感を覚えた。そしてどうやら僕ばモブという存存在らしい。多分僕には前世の記憶らしきものがあると思う。
まぁ、モブはモブらしく目立たないようにしよう。
モブというものはあまりわからないがでも目立っていい存在ではないということだけはわかる。そう、目立たぬよう……目立たぬよう………。
「アルウィン、君が好きだ」
「え、お断りします」
「……王子命令だ、私と付き合えアルウィン」
目立たぬように過ごすつもりが何故か第二王子に執着されています。
ざまぁ要素あるかも………しれませんね

転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!
音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる