上 下
5 / 9
本 編

第5話 新たな生活2

しおりを挟む


 服飾店を出た足で向かったのは、庶民に人気だというパンケーキ屋さんだ。もう正午を告げる鐘が鳴ったから、昼食にしようということでそのお店に入ったんだ。
 お店の中は混んではいたけど、幸い並ばずに入れた。案内されたテーブル席に座って、パンケーキと紅茶を注文し、料理が届くのを待つ。
 それにしても……周りを見ると、若い女性客ばかりだ。僕たちみたいな男同士の組み合わせのお客なんて見当たらないよ。席に案内してくれた人も、注文を聞いてくれた人も、表情には出していなかったけどさ。
 お店のチョイスを間違えたんじゃないの、ローワン様。

「ここのパンケーキは、絶品らしい。オリヴァーから聞いたんだ。奥方や嫁さんが通っていると」

 へぇ。僕とのデートだから、気を遣って情報を仕入れてくれたのかな。
 おいしいパンケーキを食べられるのは嬉しいけど……でも、やっぱり男同士でくるところじゃない気が。

「そうなんですか。それは楽しみですね」

 とはいえ、そうと言うほかない。もう席に着いて、注文もしちゃったんだし。
 注文した品は、先に紅茶が届いた。砂糖たっぷりの甘いフルーツティーだ。ちょうど、時季のマスカットの香りがする。
 スマイス公爵邸の茶葉に比べたら安いものなのかもしれないけど、十分おいしい。僕の味覚が、特に高級品を求めていないのもあるだろう。そういえば、ローワン様が作ってくれたシチューもすごくおいしく感じたし。

「おいしいですね。このフルーツティー」
「そうか。口に合ったのならよかった。私は、紅茶の良し悪しについては、いまいち分からないものだから」

 言われてみると、ローワン様はもう紅茶を飲み干していた。香りを楽しむこともなく、ガバガバと飲んでしまったみたいだ。あーあ、もったいない。

「ローワン様は、細かいことにはあまりこだわらなさそうですね」
「そうだな。男たるもの、海のように広い大らかさを持たなくては」

 懐を広くする、ってことかな。確かにローワン様の器は大きそうだ。
 僕は、悪戯っぽく笑った。

「あ。じゃあ、浮気しても許してくれるんですね?」
「バカ者。それとこれとは話が別だ。浮気なんて断固として許さん」

 ありゃりゃ、すっかり気分が僕の婚約者になっちゃってるよ。いやまぁ、求婚したのは僕なんだけどさ。ちょっと、面白い。

「お待たせしました」

 おっ。とうとう、噂のパンケーキが運ばれてきた。
 わぁ、生地がふわふわだ。想像以上。ブドウジャムが添えられていて、二段のパンケーキの上には生クリームも乗ってあるし、おいしそう。
 目をキラキラとさせる僕を見て、店員さんは微笑ましく思ったんだろう。優しげな目をしてくすりと笑った。

「可愛いお孫さんですね」
「いえ、婚約者です」

 はっと我に返る、僕。ローワン様……いちいち、訂正を入れなくても。孫ということにしておけばいいのに。ほら、また店員さんが驚いているよ。っていうか、反応に困っていそう。
 考えた末、僕は「もう、おじいちゃん!」と声を大きくした。

「おじいちゃんのお婿さんになるって言ったのは、もう昔の話だよ! 店員さんを困らせないの!」

 僕の演技に、その場に固まっていた店員さんははっとした顔をした。あ、そういうことか、と『婚約者』という言葉の意味を勝手に解釈してくれたようだ。

「ふふ、お仲がよろしいのですね」

 ローワン様のことまで微笑ましそうに見つめる店員さん。「では、ごゆるりとどうぞ」と一礼してから、立ち去っていった。
 ふぅ。なんとか、助け舟を出せたよ。よかった。

「私はお前の『おじいちゃん』ではないが?」

 顔を上げると、目の前のローワン様は不満げな顔をしている。ちょっと、むくれている感じ。まったく、子供じゃないんだから。

「噓も方便というものですよ」
「嘘をつく理由なんてないだろう。それとも、嫌なのか」

 僕は、眉をハの字にした。

「嫌っていうか……店員さんが困っていたから、フォローしただけですよ。でもまぁ、ちょっと恥ずかしいですね」
「堂々としていれば、誰もがいずれは認めてくれる。何事も十年は忍耐だ」

 そういうものなのか。
 僕は、十年後に思いを馳せた。本来であれば、十年後に処刑されるはずだったけど、今はもうそのルートから外れた。実家からも勘当されたし、自由の身になったといっていい。
 十年後の僕は、どこで何をしているんだろう。ローワン様は……六十歳だよね。さすがにもうお亡くなりになっているかな。
 まだ出会ったばかりだけど、そう考えると、寂しいものがある。
 ……って、辛気臭いことを考えるのはやめよう。今はそれよりも、パンケーキだよ。

「あ、おいしい!」

 パンケーキをナイフで切り分け、口に運ぶと、雪のように美味が溶けた。ジャムや生クリームの甘さと、パンケーキの少し塩気のある生地の掛け合わせが絶妙だ。
 あまりのおいしさにぱくぱくと食べる僕のことを、ローワン様は優しい目で見つめていた。




 昼食を食べ終えると、僕たちは帰路についた。
 再び街路樹の並木道を通って、ソラーズ男爵邸に帰宅する。と、僕は家の前にある花壇に改めて気付いた。ネメシアの花々が、綺麗に咲いている。

「綺麗な花壇ですね。ローワン様が手入れしているんですか?」

 つい聞いてしまったけど、一人暮らしだったんだから、そりゃあローワン様しかお世話をする人はいないか。

「ああ。この年になると、華やぎがほしくてな。数年前から花を植えているんだ」
「華やぎ、ですか」

 そういえば、スマイス公爵邸にも広大な庭があって、庭師が手入れしてくれていたっけ。当たり前のようにあったものだけど、当たり前の景色じゃなかったんだよね。
 ローワン様は、花壇の前にしゃがみ込んで、ネメシアの花にそっと触れた。

「そう。花というのはな、大切に扱うと美しく咲くものなんだ。愛情という名の水が、花を育てる。ひとと一緒さ」

 僕は目をぱちくりとさせた。……ひとと一緒、か。じゃあ、両親から愛されなかった僕は、花に例えたらもう枯れちゃっているのかな。
 浮かない顔をしていたんだろう。ローワン様は「ジュード?」と気遣わしげに名を呼んだ。

「どうした」
「あ、いえ……ボクは、こんなに綺麗に花を咲かせていないんだろうなって」

 デイジーが惜しみなく愛してくれていたから、もしかしたらかろうじて枯れてはいないかもしれないけど。でも、雑草みたいな存在なんだろうな。
 寂しげに笑う僕を見て、僕の家庭事情をうっすら察したのかもしれない。ローワン様は諭すように言った。

「……ジュード。お前はまだ蕾だ。お前という花が咲くのは、もっと先のことだ」

 ローワン様の骨張った手が、ぽんと僕の頭の上に置かれる。

「お前はきっと、世界一美しく成長するよ。――これから私が愛していくのだから」

 僕の顔を覗き込むようにして、茶目っぽく笑うローワン様。
 ……愛してくれる? 本当に?
 世界一美しく、なんて大袈裟な言葉だとは思うけど。でも、優しい笑顔を見たら胸にこみ上げてくるものがあって、僕の涙腺は緩んだ。

「あ、りがとう……ございます、ローワン様」

 嗚咽混じりの声でお礼を言う。涙がこぼれ落ちそうになるのを必死に堪える。
 泣くな。こんなことで。
 ローワン様も、意味が分からなくて困るだろう。

「お礼を言われることではない。私は、お前の婚約者なんだ」

 言いながらローワン様は、今度は僕をその逞しい腕に抱え上げる。シワだらけの優しい顔がすぐ間近にあって、僕はどきりとした。

「大丈夫だ。花を咲かせるまで、ずっと傍にいるから」
「……はい」

 ――花を咲かせるまで。
 それは、一体いつになるんだろうか。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

名前のない脇役で異世界召喚~頼む、脇役の僕を巻き込まないでくれ~

沖田さくら
BL
仕事帰り、ラノベでよく見る異世界召喚に遭遇。 巻き込まれない様、召喚される予定?らしき青年とそんな青年の救出を試みる高校生を傍観していた八乙女昌斗だが。 予想だにしない事態が起きてしまう 巻き込まれ召喚に巻き込まれ、ラノベでも登場しないポジションで異世界転移。 ”召喚された美青年リーマン”  ”人助けをしようとして召喚に巻き込まれた高校生”  じゃあ、何もせず巻き込まれた僕は”なに”? 名前のない脇役にも居場所はあるのか。 捻くれ主人公が異世界転移をきっかけに様々な”経験”と”感情”を知っていく物語。 「頼むから脇役の僕を巻き込まないでくれ!」 ーーーーーー・ーーーーーー 小説家になろう!でも更新中! 早めにお話を読みたい方は、是非其方に見に来て下さい!

【完結】婚約破棄された僕はギルドのドSリーダー様に溺愛されています

八神紫音
BL
 魔道士はひ弱そうだからいらない。  そういう理由で国の姫から婚約破棄されて追放された僕は、隣国のギルドの町へとたどり着く。  そこでドSなギルドリーダー様に拾われて、  ギルドのみんなに可愛いとちやほやされることに……。

異世界に召喚され生活してるのだが、仕事のたびに元カレと会うのツラい

だいず
BL
平凡な生活を送っていた主人公、宇久田冬晴は、ある日異世界に召喚される。「転移者」となった冬晴の仕事は、魔女の予言を授かることだった。慣れない生活に戸惑う冬晴だったが、そんな冬晴を支える人物が現れる。グレンノルト・シルヴェスター、国の騎士団で団長を務める彼は、何も知らない冬晴に、世界のこと、国のこと、様々なことを教えてくれた。そんなグレンノルトに冬晴は次第に惹かれていき___ 1度は愛し合った2人が過去のしがらみを断ち切り、再び結ばれるまでの話。 ※設定上2人が仲良くなるまで時間がかかります…でもちゃんとハッピーエンドです!

運命を変えるために良い子を目指したら、ハイスペ従者に溺愛されました

十夜 篁
BL
 初めて会った家族や使用人に『バケモノ』として扱われ、傷ついたユーリ(5歳)は、階段から落ちたことがきっかけで神様に出会った。 そして、神様から教えてもらった未来はとんでもないものだった…。 「えぇ!僕、16歳で死んじゃうの!? しかも、死ぬまでずっと1人ぼっちだなんて…」 ユーリは神様からもらったチートスキルを活かして未来を変えることを決意! 「いい子になってみんなに愛してもらえるように頑張ります!」  まずユーリは、1番近くにいてくれる従者のアルバートと仲良くなろうとするが…? 「ユーリ様を害する者は、すべて私が排除しましょう」 「うぇ!?は、排除はしなくていいよ!!」 健気に頑張るご主人様に、ハイスペ従者の溺愛が急成長中!? そんなユーリの周りにはいつの間にか人が集まり…。 《これは、1人ぼっちになった少年が、温かい居場所を見つけ、運命を変えるまでの物語》

異世界に召喚されて失明したけど幸せです。

るて
BL
僕はシノ。 なんでか異世界に召喚されたみたいです! でも、声は聴こえるのに目の前が真っ暗なんだろう あ、失明したらしいっす うん。まー、別にいーや。 なんかチヤホヤしてもらえて嬉しい! あと、めっちゃ耳が良くなってたよ( ˘꒳˘) 目が見えなくても僕は戦えます(`✧ω✧´)

非力な守護騎士は幻想料理で聖獣様をお支えします

muku
BL
聖なる山に住む聖獣のもとへ守護騎士として送られた、伯爵令息イリス。 非力で成人しているのに子供にしか見えないイリスは、前世の記憶と山の幻想的な食材を使い、食事を拒む聖獣セフィドリーフに料理を作ることに。 両親に疎まれて居場所がないながらも、健気に生きるイリスにセフィドリーフは心動かされ始めていた。 そして人間嫌いのセフィドリーフには隠された過去があることに、イリスは気づいていく。 非力な青年×人間嫌いの人外の、料理と癒しの物語。 ※全年齢向け作品です。

【第1部完結】悪役令息ですが、家族のため精一杯生きているので邪魔しないでください~僕の執事は僕にだけイケすぎたオジイです~

ちくわぱん
BL
【11/28第1部完結・12/8幕間完結】(第2部開始は年明け後の予定です)ハルトライアは前世を思い出した。自分が物語の当て馬兼悪役で、王子と婚約するがのちに魔王になって結局王子と物語の主役に殺される未来を。死にたくないから婚約を回避しようと王子から逃げようとするが、なぜか好かれてしまう。とにかく悪役にならぬように魔法も武術も頑張って、自分のそばにいてくれる執事とメイドを守るんだ!と奮闘する日々。そんな毎日の中、困難は色々振ってくる。やはり当て馬として死ぬしかないのかと苦しみながらも少しずつ味方を増やし成長していくハルトライア。そして執事のカシルもまた、ハルトライアを守ろうと陰ながら行動する。そんな二人の努力と愛の記録。両片思い。じれじれ展開ですが、ハピエン。

転生したらいつの間にかフェンリルになってた〜しかも美醜逆転だったみたいだけど俺には全く関係ない〜

春色悠
BL
 俺、人間だった筈だけなんだけどなぁ………。ルイスは自分の腹に顔を埋めて眠る主を見ながら考える。ルイスの種族は今、フェンリルであった。  人間として転生したはずが、いつの間にかフェンリルになってしまったルイス。  その後なんやかんやで、ラインハルトと呼ばれる人間に拾われ、暮らしていくうちにフェンリルも悪くないなと思い始めた。  そんな時、この世界の価値観と自分の価値観がズレている事に気づく。  最終的に人間に戻ります。同性婚や男性妊娠も出来る世界ですが、基本的にR展開は無い予定です。  美醜逆転+髪の毛と瞳の色で美醜が決まる世界です。

処理中です...