滅魔騎士の剣

深凪雪花

文字の大きさ
上 下
10 / 29
第1章

第10話 悪魔ブエル4

しおりを挟む


 エノクの謎めいたその表情を見たルツは戸惑った。

「エ、エノクさん?」
「……ルツ君。私はね、ずっと後悔しているんです。あの日、妻を救えなかったことを」
「あの日?」
「妻が交通事故で亡くなった日のことです」

 馬車に轢かれそうになっている子供を、即座に助けに向かったエノクの妻。子供の身代わりになって馬車に轢かれ、大怪我を負い、エノクが駆け寄った時にはかろうじて息があったものの、なすすべもなくそのまま死んだ。
 その時ほど、エノクは己の無力さを痛感したことはない。

「私は医者なのに。何もできなかった。助けてあげられなかった」

 もしあの時、妻を救える力があったのなら。今も、妻は生きていた。エノクの隣で変わらず笑っていてくれたはずだ。
 最愛の妻を亡くして絶望のどん底にいた時、エノクは気付いたらブエルを生み出していた。ブエルの力を知って魔の契約を結び、医師の仕事を続けた。
 すべては、この時のために。

「短い間でしたが、ありがとうございました。……ようやく、妻の下へ逝けます」
「おい、何を言って…っ……」

 様子がおかしいと、咄嗟にエノクの肩を掴んだルツに構わず、エノクはとん、と人差し指で男児の心臓を叩いた。瞬間、魔術が発動した気配がする。
 エノクの体がぐらり、と傾いだ。支えようとしたルツだったが、その肌に冷たさに息を詰めた。すぐに床にエノクの体を横たえ、心臓に耳を当てると……心肺停止していた。
 まだかすかに温もりがあった男児とは違う。死んだのだ、とルツは理解した。

「な、なんで……」
「――僕の力を使うのには対価が必要だからです」

 状況を理解できずにいるルツに答えたのは、ブエルだった。俯くその表情は悲しげだった。

「対価?」
「契約者の生命力です。治癒する症状が重ければ重いほど、生命力は大きく削られます。今回はこの子の死を覆す代わりに、エノクおじさんの命が失われました。そうしなければ、この世界の魂の帳尻が合わなくなってしまうから」

 魂の帳尻。ジェフサも言っていた。
 ルツはぎゅっと唇を噛みしめた。

「……なんなんだよ。魂の帳尻って。生きようとしたらダメなのかよ」
「そういうことではありません。魂は輪廻転生を繰り返します。その摂理を魔術で捻じ曲げることは許されないんです。魔術を使い天寿を超えて長生きすることも、魔術により天寿よりも早死にすることも、摂理に反したことなんですよ」

 だから、とブエルはルツを真っ直ぐ見上げ、悲しそうに笑った。

「僕は決して善い悪魔ではないんです」
「それを分かっていたのに、どうしてエノクに力を貸したの?」

 口を挟んだのは、アイムだ。咎めるというよりは、心底不思議そうな声だった。

「何もせずに教団にきたら、保護してもらえたかもしれないのに」
「エノクおじさんは僕の生みの親ですから。エノクおじさんの願いを叶えてあげたかったんです」

 エノクの願い。それはきっと、医師として少しでも多くの患者を救い、そして最期に妻の下へ逝くことだったんだろう。

「さぁ、ルツさん。僕を祓って下さい」

 ブエルは死を受け入れるように両手を広げた。

「僕はエノクおじさんを死に至らしめた、祓われるべき『悪い悪魔』です」
「そ、れは……でも」
「お願いします。……僕もエノクおじさんたちの下へ逝きたい」
「…っ……!」

 ルツは歯噛みした。――こんな、悲しい結末があるのかよ。
 エノクも、その願いを叶えたブエルも。どちらの思いも間違ったものとは思えない。ルツからしたら至極まっとうな思いだ。
 それでも。

『悪魔を滅する目的以外で魔術を使うことも、使わせることも、許されないことなんだ!』

 輪廻転生の摂理を曲げてしまったブエル。だから、ブエルは祓わなければいけない悪しき悪魔なのだ。ルツは今ようやくそのことを理解した。
 ルツは無言で剣を抜く。
 涙腺が緩みそうになるのを必死に堪え、声を絞り出した。

「……守るって言ったのにごめん」

 ルツは何も分かっていなかった。ルツだけが何も知らずにいた。
 本当に輪廻転生というものがあるのなら。

「来世で幸せになってくれ…っ……!」

 ――炎魔の初剣【焔斬り】。
 剣が燃え上がる。炎を纏った剣をルツは振り上げ、ブエルの体に振り下ろした。真っ二つに斬られたブエルの体は、黒い粒子となって消えていく。

《ありがとうございます、ルツさん――》

 最期にそう言い残して、ブエルは消滅した。




 その後、ルツはアイムとともに滅魔隊支部に戻った。
 事の次第をジェフサに報告すると……てっきり、怒られるかと思ったのだが、予想に反してジェフサは「そうか。よくやった」としか言わなかった。
 クロセルも柔和な笑みを浮かべて。

「二人とも、疲れたでしょう。シャワーでも浴びて、ゆっくりお休みなさい。二階には空き部屋がいくつもありますから、お好きな部屋を使っていただいて構いません」
「……はい。ありがとうございます」

 ルツはクロセルの言葉に甘えることにして、二階に上がった。しかし、その顔にはいつものような覇気はない。エノクの死と、ブエルの消滅が、未だ尾を引きずっているからだ。
 ちなみに、だが。溺死しかけたあの男児は、もちろん助かった。それがせめてもの救い……といってはダメなのだろうが、ルツにとっては唯一の慰めだった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

かくして王子様は彼の手を取った

亜桜黄身
BL
麗しい顔が近づく。それが挨拶の距離感ではないと気づいたのは唇同士が触れたあとだった。 「男を簡単に捨ててしまえるだなどと、ゆめゆめ思わないように」 ── 目が覚めたら異世界転生してた外見美少女中身男前の受けが、計算高い腹黒婚約者の攻めに婚約破棄を申し出てすったもんだする話。 腹黒で策士で計算高い攻めなのに受けが鈍感越えて予想外の方面に突っ走るから受けの行動だけが読み切れず頭掻きむしるやつです。 受けが同性に性的な意味で襲われる描写があります。

願いの守護獣 チートなもふもふに転生したからには全力でペットになりたい

戌葉
ファンタジー
気付くと、もふもふに生まれ変わって、誰もいない森の雪の上に寝ていた。 人恋しさに森を出て、途中で魔物に間違われたりもしたけど、馬に助けられ騎士に保護してもらえた。正体はオレ自身でも分からないし、チートな魔法もまだ上手く使いこなせないけど、全力で可愛く頑張るのでペットとして飼ってください! チートな魔法のせいで狙われたり、自分でも分かっていなかった正体のおかげでとんでもないことに巻き込まれちゃったりするけど、オレが目指すのはぐーたらペット生活だ!! ※「1-7」で正体が判明します。「精霊の愛し子編」や番外編、「美食の守護獣」ではすでに正体が分かっていますので、お気を付けください。 番外編「美食の守護獣 ~チートなもふもふに転生したからには全力で食い倒れたい」 「冒険者編」と「精霊の愛し子編」の間の食い倒れツアーのお話です。 https://www.alphapolis.co.jp/novel/2227451/394680824

「かわいい」よりも

すずかけあおい
BL
休日出勤の帰りに電車が止まっていた。ホームで電車を待つ誉に、隣に立っていた羽海が声を掛ける。 〔攻め〕相原 羽海(あいはら うみ)大学生 〔受け〕小長谷 誉(こながや ほまれ)会社員

【完結】相談する相手を、間違えました

ryon*
BL
長い間片想いしていた幼なじみの結婚を知らされ、30歳の誕生日前日に失恋した大晴。 自棄になり訪れた結婚相談所で、高校時代の同級生にして学内のカースト最上位に君臨していた男、早乙女 遼河と再会して・・・ *** 執着系美形攻めに、あっさりカラダから堕とされる自称平凡地味陰キャ受けを書きたかった。 ただ、それだけです。 *** 他サイトにも、掲載しています。 てんぱる1様の、フリー素材を表紙にお借りしています。 *** エブリスタで2022/5/6~5/11、BLトレンドランキング1位を獲得しました。 ありがとうございました。 *** 閲覧への感謝の気持ちをこめて、5/8 遼河視点のSSを追加しました。 ちょっと闇深い感じですが、楽しんで頂けたら幸いです(*´ω`*) *** 2022/5/14 エブリスタで保存したデータが飛ぶという不具合が出ているみたいで、ちょっとこわいのであちらに置いていたSSを念のためこちらにも転載しておきます。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

君のことなんてもう知らない

ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。 告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。 だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。 今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが… 「お前なんて知らないから」

【完結】僕の大事な魔王様

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
BL
母竜と眠っていた幼いドラゴンは、なぜか人間が住む都市へ召喚された。意味が分からず本能のままに隠れたが発見され、引きずり出されて兵士に殺されそうになる。 「お母さん、お父さん、助けて! 魔王様!!」 魔族の守護者であった魔王様がいない世界で、神様に縋る人間のように叫ぶ。必死の嘆願は幼ドラゴンの魔力を得て、遠くまで響いた。そう、隣接する別の世界から魔王を召喚するほどに……。 俺様魔王×いたいけな幼ドラゴン――成長するまで見守ると決めた魔王は、徐々に真剣な想いを抱くようになる。彼の想いは幼過ぎる竜に届くのか。ハッピーエンド確定 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/11……完結 2023/09/28……カクヨム、週間恋愛 57位 2023/09/23……エブリスタ、トレンドBL 5位 2023/09/23……小説家になろう、日間ファンタジー 39位 2023/09/21……連載開始

男装の麗人と呼ばれる俺は正真正銘の男なのだが~双子の姉のせいでややこしい事態になっている~

さいはて旅行社
BL
双子の姉が失踪した。 そのせいで、弟である俺が騎士学校を休学して、姉の通っている貴族学校に姉として通うことになってしまった。 姉は男子の制服を着ていたため、服装に違和感はない。 だが、姉は男装の麗人として女子生徒に恐ろしいほど大人気だった。 その女子生徒たちは今、何も知らずに俺を囲んでいる。 女性に囲まれて嬉しい、わけもなく、彼女たちの理想の王子様像を演技しなければならない上に、男性が女子寮の部屋に一歩入っただけでも騒ぎになる貴族学校。 もしこの事実がバレたら退学ぐらいで済むわけがない。。。 周辺国家の情勢がキナ臭くなっていくなかで、俺は双子の姉が戻って来るまで、協力してくれる仲間たちに笑われながらでも、無事にバレずに女子生徒たちの理想の王子様像を演じ切れるのか? 侯爵家の命令でそんなことまでやらないといけない自分を救ってくれるヒロインでもヒーローでも現れるのか?

処理中です...