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第1章
第9話 悪魔ブエル3
しおりを挟むルツが診療所の手伝いをするようになって、早一週間。
手伝いといっても医学の心得のないルツが任されているのは、雑務だけだ。今日も倉庫内でカルテの整理をしているところだった。
「……お前、本っっ当に何もしないんだな」
ルツは窓辺に座っているアイムを苦々しい顔で見やる。
アイムはどこ吹く風だ。椅子に座って、窓から広大な海をぼんやりと眺めている。たまに読書をする時もあるが、基本的に自然の景色を眺めるのが好きなのか、置物のように動かない。
せかせかと動くのが嫌いといったって、ここまで何もしないとは思わなかった。
「暇じゃねえの?」
「全然」
「飽きないか?」
「別に」
「……従魔でよかったな。平民だったら、働くのが当たり前だぞ」
嫌味のつもりではなかったが、アイムはむっとしてルツを見上げた。先程からほとんど作業が進んでいないルツを、鼻で笑う。
「そういう君はこの言葉を知ってる? やる気のない有能よりも、やる気のある無能の方がたちが悪い、ってさ」
「んな…っ……! そこまで言うか!」
確かに雑務をこなす要領がいいとは自分でも思っていないが、無能呼ばわりは心外だ。さすがにむかっ腹が立ち、ルツはつかつかとアイムに近付いて、大量のカルテを突き出した。
「自分が有能だっていうんなら、やってみろよ! 難しいんだぞ!」
「……手伝う気はないんだけど。まぁ、一度ならやってあげてもいいよ」
アイムは奪うようにカルテを引き取り、椅子から下りた。
その後のアイムといったら――動くのは最小限に抑えた上で、ルツが苦戦していたカルテの整理をあっという間に終わらせてしまった。
「はい、終わり。簡単じゃん」
ぱん、ぱん、と手の汚れを振り落としながら、再び椅子に座るアイム。
――マジか。マジかよ。
(俺って無能だったのか……?)
ルツはガクッとその場に膝と手をついた。
「……俺、今なら絶望感で従魔を生み出せそうだ」
「いや、単に頭脳労働に向いてないってことだから。だいたい、絶望なんて軽々しく使う言葉じゃないよ。本当の絶望っていうのは、もっと闇深いものだ」
悟ったようなことを言うアイムを、ルツは思わず見つめた。負の思念を糧とするアイムだ。絶望という負の感情についても理解しているんだろう。
そういえば、と思う。
「なぁ、エノクさんって、どうやってブエルを生み出したんだろ」
遥か昔は戦国時代ゆえに負の思念が多く渦巻き、悪魔が生まれやすかったという。しかし、平和な現代では負の思念が激減していて、従魔を生み出すのも苦労すると聞く。
そんな環境で、一般人のエノクがブエルを生み出すのには、相当な負の感情が必要だったのでは。
「エノクさんに何があったんだろ。悪魔を生み出すのにも理由があるはずだよな」
読書を始めていたアイムは顔を上げた。
「いまさら? 最初に考えることじゃないの、それ」
「う……な、なんか、悪い悪魔か善い悪魔かの判別しかしてなくて」
「呆れた。脳筋にもほどがあるよ」
「悪かったな。……で、お前には分かるのか?」
アイムは目線を本に落としたまま、答えた。
「察しがつかないわけじゃないけど、僕にも正確には分からないよ。気になるんなら、本人に聞いてみたら?」
「でも……聞いてもいいことなのかな」
「答えるのが嫌なら話さないよ」
それはそうかもしれないが、他人の心に土足で踏み込むような真似はしたくない。
ルツは逡巡したのち。
「……まぁ、別に聞く必要はないのか。エノクさんが生み出したブエルは善い悪魔、それが結果だ」
善い悪魔なら祓わない。ルツにとってはそれだけで十分だ。
「君ってさ」
「ん? なんだよ」
「物事を白か黒かでしか考えないんだね。現実には灰色もあるのに。世の中は勧善懲悪ばかりじゃないよ」
「……どういう意味だ」
「さて。君みたいな人は、現実を突きつけられなきゃ、分からないだろうから。好きなだけここでお手伝いをしていたらいいよ」
なんだか、含みのある言い方だ。
『何があっても、俺は知らん』
思い出されるのは、ジェフサの言葉。このまま、ブエルを放置していたら何かよくないことが起こるのだろうか。
(俺、間違ってるのか? いやでも、治癒能力で人を救うことの何が悪いんだ)
悪いことなんて起こりようがないはず。そうだ、起こるわけがない。
ともかく、エノクから新しい仕事をもらおうと、ルツはアイムを連れて倉庫を出た。エノクがいる医務室へ向かう途中、で。
「お願いします! 息子を助けて下さい!」
そんな切羽詰まった声が、診療所内に響き渡った。
診療所の出入り口を見やれば、若い女性が小さな子供を抱えて、駆け込んできたところだった。男児はまだ五歳くらいだろうか。ぐったりとしていて、ぴくりとも動かない。
ルツは急いで、二人の下へ駆け寄った。
「どうしました!」
「息子が海に落ちて…っ……なんとか引き上げたんですけど、反応がないんです…っ……」
涙声の若い女性に抱えられている男児の胸に、ルツは耳を当てる。本来なら心音が聞こえるはずなのに、男児の心臓は脈打っていない。心肺停止状態だ。
もう死亡しているのか、あるいは仮死状態なのか。ルツには判断がつかない。ゆえに、ルツは男児の体を預かり受けて、医務室へと走った。仮死状態なら、エノクの治療かブエルの力で治せると思ったからだ。
「エノクさん! 心肺停止した子供がきた! お願いできるか!?」
医務室へ駆け込むと、ちょうど次の患者を呼ぼうとしていたエノクが顔色を変えた。
「ここの寝台に横たえて下さい! 早く!」
言われた通り、寝台に男児の体を横たわらせる。エノクはすぐさま、男児に心臓マッサージを始めた。ぐっ、ぐっ、と何度も心臓に刺激を与える。
医務室に緊迫した空気が流れた。ルツは嫌な汗を額に掻きながら、男児が蘇生することを祈った。まだこんな小さな子供が死ぬところなんて見たくない。
しかし、男児の意識が戻ることはなかった。心臓マッサージでは心肺蘇生できないと理解したエノクは手を止め、――ふっと笑った。
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