滅魔騎士の剣

深凪雪花

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第1章

第7話 悪魔ブエル1

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 風に乗って、潮の香りがする。
 それもそのはずだ。指定された場所は、漁村だったから。
 港にはいくつも漁船が停泊し、新鮮な魚介類を取り扱う市場は活気に溢れている。そこから離れると人通りが少ない、いかにも田舎といった感じだが、ほのぼのとした雰囲気で命を脅かされているような緊迫感は微塵も感じられない。

「こんな平和そうな村に悪魔なんているのかよ」

 村を歩きながら訝しむと、隣を歩くアイムは「いるよ」と即答して、すっと右手で指し示した。人差し指が向けられた先は、小さな診療所だ。

「……診療所に悪魔がいんの?」

 なんだそれ。悪魔が診療所で何をするっていうんだ。
 よく分からないながらも、ルツはアイムとともに診療所へ足を向けた。小さい建物の中に患者は思っていた以上にいて、ぎゅうぎゅうだ。

「本日はどのような症状でいらっしゃったのでしょうか」
「あ、えーっと……腹痛で」
「分かりました。では、番号札をお取り下さい。大変混みあっていますので、お待たせすることになると思います。申し訳ありません」

 受付の若い男性は丁寧に応対してくれた。もちろん、腹痛なんて嘘だ。ひとまず、受診して相手がどういう悪魔なのか見極めようと考えたのだ。
 席に座って待とうにも、空いている席がない。渋々と壁際に立って待つことにすると、隣の初老の男性が声をかけてきた。

「おや、あんたも病気かい?」
「えっと、はい。ちょっと、腹痛で」
「そうかい。村で見ない顔だが、よそ者かね?」
「ええ、まぁ。旅行の途中で立ち寄りまして」
「おお、そうなのか。せっかくの旅行中に災難だったね。だが、大丈夫だ。エノク先生に任せておけばすぐに治る」

 診療所の医師は、エノクという名前らしい。

(エノク先生か……普通に患者を治療するんだな。表向きは普通の医者だけど、裏では悪いことをしてるってこと、か?)

 だとしたら、その悪いことを突き止めるのが、ルツの仕事だ。ただ、一方的に悪魔を滅すればいいわけじゃないだろう。
 思考の海に沈むルツだったが、

「ところで、新婚旅行かね?」

 という言葉に驚いて、つい「は?」と聞き返してしまった。

「し、新婚旅行? 誰と?」
「誰と、って、隣にいる彼とだよ。夫夫なんだろう?」
「はぁ!?」

 アイムと夫夫だと。とんでもない勘違いだ。
 しかし、初老の男性は、にこにことしていて悪気はなさそうだ。

「仲良くしなさい。じゃあ、私はエノク先生に呼ばれたから」

 奥の医務室へ歩いていく初老の男性。その背中を、ルツは半ば呆然として見送った。

(ふ、夫夫に見えんの? 俺たち……)

 衝撃的だった。外見は同年代だから、てっきり友人同士に見られるだろうと思っていたのに。というか、ザカライアスとは友人同士にしか見られないのに、アイムとは夫夫だと勘違いされるってなんでだ。謎すぎる。
 まさか、身体を重ねたことが、雰囲気で分かってしまうんだろうか。思い返すと、ジェフサにも見破られたし。

(お、俺の初体験が、どんどん周知されていくんだけど……)

 なんだか、頭が痛くなってきた。
 つい額を押さえつつ、ちらりとアイムを見下ろすと、ルツを見上げるアイムの目と目が合った。

「僕にだって選ぶ権利あるから」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。だが、夫夫と間違われたことに対しての言葉だと、やや遅れて理解する。
 つまりは、お前が夫なんてごめんだ、ということだった。

(本当に可愛げのない奴……!)

 こっちだってお前が夫なんてごめんだと、ルツはそっぽ向いた。




 診療所に入って数時間。
 混み具合のわりには案外早く、医師に番号を呼ばれた。

「次の方、どうぞ」
「失礼します」

 医務室の扉を開けると、そこに座っていたのは四十路の男性だった。優しそうな顔立ちだ。白衣を着ていることからも、男性が医師のエノクで間違いないだろう。
 そして。

(こ、こいつが悪魔……?)

 ルツが動揺してしまったのも、無理はない。というのも、エノクの傍らに立つその悪魔は、十歳頃の男児の外見をしていたからだ。
 エノクも悪魔も、ルツたちの正体に気付いたはず、なのに。どちらも柔和に笑って、エノクは「どうぞ、おかけ下さい」と椅子に座るように促す。

「腹痛があるとのことですが。どうやら、そのご様子ですと嘘のようですね」
「……ああ」
「ブエルを祓魔しにきましたか。いずれ、いらっしゃると思っていましたよ」
「ブエルっていうのか、その悪魔」
「はい。僕が生み出し、契約を結んだ悪魔です」

 随分とあっさりと認めるものだ。早く悪魔を祓ってほしいからなのかと思ったが、それならそもそも魔の契約を結んだりはしないだろう。悪魔を生み出してしまった時点で、教団に申し出とともに助けを求めるはずだ。
 ということは、やはり――エノクは悪魔の力を悪用しているに違いなかった。

「単刀直入に聞く。あんたはブエルの力を使って何をしてる」

 エノクは苦笑した。

「普通、そう聞かれても答えないと思いますが……いいですよ。教えて差し上げましょう。私はブエルの力で、患者の病や怪我を治しています」
「は?」
「頭痛があるようなので、治しますよ。――はい」

 とん、と額を小突かれる。瞬間、ズキズキとしていた頭痛が本当に収まった。魔術が発動した気配を感じたから、偶然ではない……だろう。
 ルツは困惑するしかなかった。これでは悪用ではなく、善行だ。

(なんで、こんな善い悪魔を祓わなきゃならないんだ?)

 それとも、この力は表向きで裏では凶悪な力がある? エノクはそれを隠しているのか?
 しかし、エノクが嘘をついているようには見えなかった。ブエルもまた、おとなしく話を聞いていて凶悪な悪魔とも思えない。
 ――もしや、指令のミスなのでは。
 そう思ったルツは、椅子から立ち上がった。

「……あんたの話は分かった。ひとまず、戻る」

 エノクは不思議そうな顔をした。

「ブエルを祓わないのですか」
「こんな善い悪魔を祓えるかよ。上官に確認する」
「そう、ですか。お気を付けて」

 ルツは、医務室を出て診療所を後にした。アイムはその隣を歩きながら、眉根を寄せた。

「祓魔せよ、って指示じゃないの?」
「指令のミスかもしれないだろ。だってさ、あんな善い悪魔を祓う理由なんてあるか?」
「………」
「隊長のところへ戻るぞ。報告して、判断を仰ぐ」

 さっさと歩くルツのことを、アイムは物言いたげな目でじっと見上げていた。

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