偽装結婚の行く先は

深凪雪花

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番外編

陽だまりの笑顔と凍土の茨4

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 それからは週に一度、職場へパンの移動販売にくるアスタロトと顔を合わせ、中庭で昼食を一緒に食べるようになった。
 不思議と再会した当初の拒否感はわかない。一人で抱え込んでいた思いを受け止めてもらえたからなのか、あくまで今のタミエルと仲良くなりたいという言葉に安心感を抱いたからなのか、自分でもよく分からないが。
 といっても、話すのはもっぱらアスタロトだ。タミエルは相槌を打つだけ。もしくは、遊びに誘うアスタロトを冷たくあしらうのがお決まりだった。
 その日も、性懲りもなく、

「ねぇ、今度俺のアパートへ遊びにきてよ。近々、一人暮らしする予定だからさ」

 と、遊びに誘うものだから、鬱陶しくて、

「なんだ。そんなに俺を抱きたいのか」

 そう返せば、冗談を真に受けたアスタロトは顔を真っ赤にした。「違うよっ」と慌てふためくアスタロトを見るのは面白い。

(こいつ、恋愛経験ないんだろうな)

 まぁそれは、ずっと一匹狼で生きてきたタミエルにも言えることなのだけれども。
 ともかく、そうして穏やかに日々が過ぎていく。心が安らぐというのはこういうことかもしれない、と思う。
 ……けれど、心の底では分かっていた。アスタロトだって、そういつまでもタミエルの傍にはいない。いつかは伴侶ができて、伴侶の傍にいるのが当たり前になる。
 だから、期待しない。信頼しない。気を許さない。
 離れていってしまっても傷付かないように、予防線を張っておく。
 だってそうだろう。

(どうせ、お前だって俺を置いていくんだ)

 母がタミエルを捨てたように。
 そんな暗い感情を抱いたまま、アスタロトと過ごしていたある休日のこと。

「ありがとうございました」

 店員に頭を下げられて、タミエルは本屋を後にする。外に出ると、空は今にも泣き出しそうな曇天だった。
 傘を持ってきていないので雨が降っては困る。そんなわけで早足にアパートへ戻るタミエルだったが、ポケットから魔導携帯電話の音が鳴って足を止めた。
 タミエルの魔導携帯電話が鳴るのは珍しい。アスタロトにだって電話番号を教えていないので、おおかた地方に住む祖父母だろう、と思って電話に出た……のだけれども。

『こちら王立病院ですが、タミエルさんのご携帯番号でよろしいでしょうか』
「はい、そうですけど……」
『落ち着いて聞いて下さい。実は――』

 告げられた言葉に、タミエルは鈍器で頭を殴られたような衝撃に襲われた。すぐには現実を受け止められず、しばしその場に立ち尽くした。
 ぽつり、と大粒の雨が頬を打つ。ぽつ、ぽつ、と空から落ちる雨粒の勢いは次第に強くなっていき、あっという間に土砂降りになった。

「わわっ、濡れちゃうよ! 早く建物の中に入ろう!」

 街の喧騒の中でそんな少女の声がしたかと思うと、

「そうだな。急ごう」

 と、答えた青年の声に、タミエルはのろのろと顔を上げる。すると、人混みの中に見えたのは――青髪の少女と手を繋いで走り去っていくアスタロトの背中だった。
 タミエルは最初こそ呆気に取られたが、やがて笑ってしまった。
 ――なんだ。お前、恋人がいるんじゃないか。

「ははっ……何が『特別な存在』、だよ」

 完全に言う相手を間違えている。『特別な存在』といったら、普通は恋人の方だろうに。
 それにしても、十三年ぶりの笑みが自嘲とは。実に今のタミエルらしい。それを引き出したのが初恋の男の子だというのは、なんとも歪なことであるけれども。
 滝のような雨に打たれつつ、タミエルはアスタロトの背中を最後まで見送ることはなく。そっと踵を返して、王立病院へと足を向けた。
 ……そしてそれから十日後。
 今日も中庭で昼食を食べていたタミエルの下へ、空になったケースを抱えたアスタロトが息を切らしてやってきた。そういえば、今日がパンの移動販売の日だったな、とタミエルはぼんやりと思う。

「タミエル! その、大丈夫?」
「何がだ」
「何がって……お祖父さんとお祖母さんが亡くなったんでしょ? それで何日か休んでたってみんなから聞いたよ」
「………」

 無言でいるタミエルの隣に、アスタロトは腰を下ろす。どっちが祖父母を亡くしたのか分からないくらい、アスタロトは沈痛な面持ちをしていた。

「つらい時に傍にいてあげられなくてごめん。今度、お祖父さんとお祖母さんのお墓参りに行くよ。だから、お墓の場所……」
「――アスタロト」

 話を遮られたアスタロトは、不思議そうな顔をしてタミエルを見た。

「え、何?」
「お前、恋人がいるんだろ?」

 唐突な言葉ながらも、アスタロトは戸惑った顔をした。

「こ、恋人? いないよ。どうしてそう思うの?」
「この前、お前が青い髪の女の子と手を繋いで歩いているのを見た」
「見間違えじゃ……って、青い髪?」

 思い当たる節があったようだ。アスタロトははっとした顔をして。

「それ、リリスだよ! 俺の妹! アパートの物件の下見についてきたことがあったから、その日のことだと思う。だから違うよ、恋人じゃない、誤解だよ」

 そういえば、と思う。四歳の時に妹ができたとアスタロトは大喜びしていた記憶がある。それに四天王セーレと四天王フォカロルの間には二人の子供がいるという話。一緒にいた少女が妹だというのは無理のある嘘ではなかった。そもそも、アスタロトの純真無垢な性格を思えば、不誠実な嘘をつくわけもない。
 だから、タミエルはあっさりと納得した。納得した……けれども。心の内が変わることはなかった。

「……そうか。だけどな、それはどっちでもいいんだ」
「どっちでもいいって……そんな」
「頼むからもう俺に関わるな、アスタロト」
「え?」

 目を見開くアスタロトから視線を逸らし、タミエルは心の内を吐露した。

「どうせ、お前もいつか俺から離れていくんだろ。離れていくくらいなら最初から近付いてくるな、友達面するな」

 みんな、みんな、タミエルから離れていく。
 事情は違えど、タミエルを一人残して置いていく。
 ――どうせ一人になるのなら、最初から孤独でいた方がいい。

「お前とは縁を切る。もう二度と俺に話しかけるな」

 凍てついた目で言い放ち、タミエルは弁当を片手にさっさとその場を立ち去った。




『お祖父様とお祖母様がお亡くなりになりました――』

 聞けば、馬車で王都へ移動中に賊に襲われて深手を負ったことが原因だという。とはいえ、どうして地方にいるはずの祖父母が王都の病院で亡くなったのか。
 死人に口なし、ではあるが、タミエルには容易に想像がついた。おそらく、王都にいるタミエルのことが心配で様子を見にこようとしたのだ。その道中の悲劇に他ならなかった。
 つまりは祖父母が亡くなったのはタミエルのせいということ。その自責の念がないわけではないが、それ以上に強いのはまた置いていかれたという絶望感。
 母には捨てられ、祖父母には一人残されて。もう耐えられなかった。誰かに置いていかれるということが、怖くて怖くて仕方なかった。
 だから――アスタロトのことも突き放したのだ。あれだけ冷たく拒絶すれば、いくら能天気なアスタロトだってもう構ってこなくなるだろう。
 そしてその予想は的中した。職場へパンの移動販売にくるアスタロトに話しかけられても無視するつもりでいたが、それ以前にアスタロトから声をかけてくることはなかった。きっと、タミエルのことを面倒な奴だと愛想を尽かしたに違いない。

(それでいい。それでいいんだ)

 もう誰かに置いていかれるのは嫌だ。今まで通り誰も寄せ付けず、孤独でいればいい。
 己に言い聞かせるようにして、自室の寝台に横たわったタミエルはそっと目を閉じた。

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