偽装結婚の行く先は

深凪雪花

文字の大きさ
上 下
15 / 22

突然の別れ

しおりを挟む


「おとうさん! みて、みて!」

 フォカロルがリゼラントへ戻ってから数日後。
 保育園から一緒に家に帰ってきたアスタロトが、鞄からくるくると丸められた画用紙を取り出して、セーレに「じゃーん」と見せてきた。
 そこには。

「アスタロトと私と……フォカロル、ですか?」

 先日の、セーレをフォカロルとアスタロトが挟んで抱き締めている構図の似顔絵だった。まだ幼いアスタロトが描く絵はいかにも幼児が描いた絵といった感じだが、セーレは頬を緩ませた。

「よく描けていますね。上手ですよ」
「えへへ。ほいくえんでかいてきたんだ。おとうさんたちにあげる」
「ありがとうございます」

 将来、画家になれるかも、と頭をよぎったセーレはやはり親バカだろうか。
 アスタロトから画用紙を受け取って、セーレはアスタロトの頭をよしよしと撫でた。

「宝物にします。フォカロルにも後で見せましょうね」
「うん! パパ、つぎははるにかえってくるんだよね? はやく、はるにならないかなぁ」
「そう、ですね」

 春になったらフォカロルは正式帰国だ。それからは毎日、三人で過ごせるようになる。そうしたら……離婚することも可能だ。

(離婚、すべきなんだろうな……)

 アスタロトのためにも、フォカロルのためにも、離婚することがきっと正しい。このまま偽装結婚を続けても、アスタロトには遅かれ早かれ仮面夫夫だとバレていい影響を与えないだろうし、フォカロルだって元の娼館通いの生活に戻りたいはずだろう。
 セーレが女性だったら。そう考えたことはある。そうしたら、フォカロル好みの女性だったら、離婚しなくてもいいのではないか。
 けれど、現実はそうじゃない。セーレは男性だし、女体化してもフォカロルの好みの容姿ではない。もしも、を考えても仕方ない。
 フォカロルが正式帰国して落ち着いたら、離婚を切り出そう。ひそかにそう考えるセーレの心を見透かしたように、アスタロトは唐突に言った。

「ねぇ、おとうさん。おとうさんはパパのことがすき?」

 セーレは咄嗟に答えられなかった。フォカロルのことが好きか。好きか嫌いかでいったら、別に嫌いではない。けれど、アスタロトが聞きたいのはそういう意味ではないだろう。

「私は……」
「パパはおとうさんのことがすきだよ。だって……」

 アスタロトが何か言いかけた時だった。部屋の呼び鈴が鳴り、セーレは「すみません、ちょっと出てきます」とアスタロトに声をかけてから、早足で玄関へと向かった。
 玄関の扉を開けると、そこに立っていたのは見知らぬ男たちで、セーレは首を傾げた。

「……あの、どなたでしょう?」
「お前がセーレか? アモンの息子の」

 アモン。
 その名は久しく聞いていない父の名で、セーレはなんとなく嫌な予感がした。違う、と答えればよかったかもしれない。けれど、そうしたら今度はグレモリーの下へ厄介事がいってしまいそうで、素知らぬふりはできなかった。

「……そうですが、私に何か御用ですか」
「お前の父親が借金を踏み倒して失踪した。俺たちはその取り立てをしなきゃならん。そこで息子のお前を訊ねてきたってわけだ」

 嫌な予感は見事に的中した。借金を踏み倒して逃げただと。いかにも、あのろくでなしがしそうなことだった。

「いくらですか。百万? 一千万?」
「一億だ」
「い、一億!?」

 なんてことだ。一千万程度ならセーレの貯金から支払うことができたが、さすがに一億は持っていない。
 そのことをセーレの表情から察したのだろう。取り立て屋の男は、「支払えないのなら、娼館で稼いでもらうしかないな」と無情に告げた。このままでは娼館送りだ。

「ま、待って下さい。月に二十万ずつ返済しますから、猶予を――」
「借金を踏み倒した男の息子の言葉を信用できると思うか? 逃げないように監視下へ置く」

 確かにセーレの転移魔術を使えば、どこかへ逃亡することは可能だ。けれど、そうしたらやはり次の矛先はグレモリーへいってしまう。それだけは避けねばならなかった。
 セーレは「ふぅ……」と息をついた。諦観のため息だった。

「……分かりました。あなたがたの言葉に従いましょう。その代わり、妹には手を出さないで下さい」
「お前がきちんと完済してくれるんならな。……お前には娼館に住み込みで働いてもらう。支度をしろ。一時間だけ待ってやる」
「はい……」

 一旦、玄関の扉を閉めて、セーレはリビングにいるアスタロトの下へ戻った。ソファーに座ってお菓子を食べている我が子を、セーレは隣に座って無言で抱き締める。

「おとうさん……?」
「……アスタロト。私は仕事でしばらく家を離れることになりました。だから、私が迎えに行くまで、グレモリー……叔母さんのところで暮らしなさい」
「え!?」
「いい子にして待っているんですよ」
「や、やだよ! おとうさんとまではなれたくない!」

 大粒の涙をこぼしてわんわんと泣くアスタロトの泣き声に、セーレの心も痛む。けれど、こればかりは仕方のないことだった。

「愛しています、アスタロト。必ず、迎えに行きますから」

 そう宥めて。アスタロトの荷物をまとめたら、グレモリーの家へ転移魔術で移動した。
 たまたま休日で家にいたグレモリーに詳しい事情は話さず、ただ仕事で長期間家を空けるからアスタロトを預かってほしいとだけ言い、別れを嫌がるアスタロトを置いてセーレは再び王都のアパートに戻った。
 そしてセーレもまた、支度を整えた後。自室の文机の引き出しから、一枚の用紙を取り出した。それはセーレの欄は記入されている、離婚届だった。
 離婚届をリビングのテーブルの上に置いて、フォカロル宛にメモを残す。もちろん、詳しい事情は教えない。ただ、子育ての価値観が合わないから離婚しましょう、とだけ書いた。
 これでフォカロルに迷惑がかかることはないだろう。

(さて、行くか……)

 短いながらも思い出が詰まったリビングを見渡してから、セーレはアパートの部屋を出た。




 ひとは失って初めてその大切さに気付く、とよくいう。
 その言葉はまさにセーレの心を的確に表していた。まだ娼館で働き始めて数日だが、フォカロルとアスタロトと過ごした日々がやけに遠い昔のことのように感じていた。
 娼館であてがわれた自室で、セーレはアスタロトのアルバムを眺める。ほとんどがアスタロトだけの写真だ。たまにセーレとアスタロト、フォカロルとアスタロト、という組み合わせがあるくらいで。
 けれど、その中でたった一枚だけ。一枚だけ、三人で写っている写真がある。それはアスタロトが初めて飛空魔術を使った日、ラウムが気を利かせて撮影してくれた写真だ。

(こんなことになるなら、もっと三人で写しておけばよかったな……)

 冬の日の写真で終わっているアルバムを閉じて、次いでアスタロトが描いてくれた似顔絵を見下ろした。家族三人で戯れている、微笑ましい似顔絵だ。それを眺めていたら、胸が締め付けられるように痛んで、気付いたらぽたっと涙が画用紙に落ちていた。

「…っ……」

 どうして、こんなことになった。
 どうして、二人と離れ離れにならなければいけなかった。
 アスタロトと会えないのがつらいのは分かる。けれど、フォカロルとは離婚するつもりだったのだから、つらいと感じるのはおかしな話ではある。
 ……いや、違う。本当は気付いていた。心の底では、ずっと三人でいられたらいい、離婚したくない、と思っていたことを。

(戻りたい……)

 あのアパートへ。
 二人と過ごしていた日々へ。
 ……どんなに願っても、それはもう叶わないことであるけれども。

『俺たち三人は家族だよ』

 いつか、フォカロルが言った言葉が蘇る。
 すすり泣くセーレの声が、小さな部屋に響いた……。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

嫌われ者の僕はひっそりと暮らしたい

りまり
BL
 僕のいる世界は男性でも妊娠することのできる世界で、僕の婚約者は公爵家の嫡男です。  この世界は魔法の使えるファンタジーのようなところでもちろん魔物もいれば妖精や精霊もいるんだ。  僕の婚約者はそれはそれは見目麗しい青年、それだけじゃなくすごく頭も良いし剣術に魔法になんでもそつなくこなせる凄い人でだからと言って平民を見下すことなくわからないところは教えてあげられる優しさを持っている。  本当に僕にはもったいない人なんだ。  どんなに努力しても成果が伴わない僕に呆れてしまったのか、最近は平民の中でも特に優秀な人と一緒にいる所を見るようになって、周りからもお似合いの夫婦だと言われるようになっていった。その一方で僕の評価はかなり厳しく彼が可哀そうだと言う声が聞こえてくるようにもなった。  彼から言われたわけでもないが、あの二人を見ていれば恋愛関係にあるのぐらいわかる。彼に迷惑をかけたくないので、卒業したら結婚する予定だったけど両親に今の状況を話て婚約を白紙にしてもらえるように頼んだ。  答えは聞かなくてもわかる婚約が解消され、僕は学校を卒業したら辺境伯にいる叔父の元に旅立つことになっている。  後少しだけあなたを……あなたの姿を目に焼き付けて辺境伯領に行きたい。

朝起きたらベットで男に抱きしめられて裸で寝てたけど全く記憶がない俺の話。

蒼乃 奏
BL
朝、目が覚めたら誰かに抱きしめられてた。 優しく後ろから抱きしめられる感触も 二日酔いの頭の痛さも だるい身体も節々の痛みも 状況が全く把握出来なくて俺は掠れた声をあげる。 「………賢太?」 嗅ぎ慣れた幼なじみの匂いにその男が誰かわかってしまった。 「………ん?目が冷めちゃったか…?まだ5時じゃん。もう少し寝とけ」 気遣うようにかけられた言葉は甘くて優しかった。 「…もうちょっと寝ないと回復しないだろ?ごめんな、無理させた。やっぱりスウェット持ってくる?冷やすとまた腹壊すからな…湊」 優しくまた抱きしめられて、首元に顔を埋めて唇を寄せられて身体が反応してしまう。 夢かと思ったけどこれが現実らしい。 一体どうやってこんな風になった? ……もしかして俺達…昨日セックスした? 嘘だ…!嘘だろ……? 全く記憶にないんですけど!? 短編なので数回で終わります。

お荷物な俺、独り立ちしようとしたら押し倒されていた

やまくる実
BL
異世界ファンタジー、ゲーム内の様な世界観。 俺は幼なじみのロイの事が好きだった。だけど俺は能力が低く、アイツのお荷物にしかなっていない。 独り立ちしようとして執着激しい攻めにガッツリ押し倒されてしまう話。 好きな相手に冷たくしてしまう拗らせ執着攻め✖️自己肯定感の低い鈍感受け ムーンライトノベルズにも掲載しています。

【完結】王子の婚約者をやめて厄介者同士で婚約するんで、そっちはそっちでやってくれ

天冨七緒
BL
頭に強い衝撃を受けた瞬間、前世の記憶が甦ったのか転生したのか今現在異世界にいる。 俺が王子の婚約者? 隣に他の男の肩を抱きながら宣言されても、俺お前の事覚えてねぇし。 てか、俺よりデカイ男抱く気はねぇし抱かれるなんて考えたことねぇから。 婚約は解消の方向で。 あっ、好みの奴みぃっけた。 えっ?俺とは犬猿の仲? そんなもんは過去の話だろ? 俺と王子の仲の悪さに付け入って、王子の婚約者の座を狙ってた? あんな浮気野郎はほっといて俺にしろよ。 BL大賞に応募したく急いでしまった為に荒い部分がありますが、ちょこちょこ直しながら公開していきます。 そういうシーンも早い段階でありますのでご注意ください。 同時に「王子を追いかけていた人に転生?ごめんなさい僕は違う人が気になってます」も公開してます、そちらもよろしくお願いします。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

大好きなBLゲームの世界に転生したので、最推しの隣に居座り続けます。 〜名も無き君への献身〜

7ズ
BL
 異世界BLゲーム『救済のマリアージュ』。通称:Qマリには、普通のBLゲームには無い闇堕ちルートと言うものが存在していた。  攻略対象の為に手を汚す事さえ厭わない主人公闇堕ちルートは、闇の腐女子の心を掴み、大ヒットした。  そして、そのゲームにハートを打ち抜かれた光の腐女子の中にも闇堕ちルートに最推しを持つ者が居た。  しかし、大規模なファンコミュニティであっても彼女の推しについて好意的に話す者は居ない。  彼女の推しは、攻略対象の養父。ろくでなしで飲んだくれ。表ルートでは事故で命を落とし、闇堕ちルートで主人公によって殺されてしまう。  どのルートでも死の運命が確約されている名も無きキャラクターへ異常な執着と愛情をたった一人で注いでいる孤独な彼女。  ある日、眠りから目覚めたら、彼女はQマリの世界へ幼い少年の姿で転生してしまった。  異常な執着と愛情を現実へと持ち出した彼女は、最推しである養父の設定に秘められた真実を知る事となった。  果たして彼女は、死の運命から彼を救い出す事が出来るのか──? ーーーーーーーーーーーー 狂気的なまでに一途な男(in腐女子)×名無しの訳あり飲兵衛  

美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました

SEKISUI
BL
 ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた  見た目は勝ち組  中身は社畜  斜めな思考の持ち主  なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う  そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される    

獣のような男が入浴しているところに落っこちた結果

ひづき
BL
異界に落ちたら、獣のような男が入浴しているところだった。 そのまま美味しく頂かれて、流されるまま愛でられる。 2023/04/06 後日談追加

処理中です...