偽装結婚の行く先は

深凪雪花

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フォカロルの一時帰国(秋)2

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 ――それから五日後。

「フォカロル、ここが空いていますよ」
「本当だ。ここに座ろうか」

 学芸会、当日。多くの保護者に混じって、セーレとフォカロルもアスタロトが通う保育園に足を運び、観覧席についていた。子供を持つのは当然男女なので、周囲は夫婦ばかりだ。男同士が並んで座っているのは目を引くようで、視線が少々痛い。

(まぁ、これも女体化の薬が発売されるまでの辛抱か……)

 女体化の薬の存在が周知されれば、夫夫でも子を持てるのが当たり前になる。そうなったら、男同士で子供の行事に参加しても好奇の目は向けられなくなるだろう。
 そう考えたところで、はたと思う。

(……って、俺たち、このまま偽装結婚生活を続けるのか?)

 いつまでだ。いつまで続ける。アスタロトが成人するまで? セーレが定年退職するまで?
 新しい家族の縁を大切にしなければいけないのではないか、と思ったけれども。偽装結婚生活を続けることが、果たしてアスタロトにとっていいのか、悪いのか分からない。
 だいたい、と思う。フォカロルの方は、心の奥では以前のような娼館通いの独身生活に戻りたいと思っているのでは。そんな疑問がもたげる。
 けれど、そう聞いたところで本心は決して明かさないだろう。フォカロルはふざけた男ではあるが、無神経ではない。

(俺、は……)

 セーレはどうなんだろう。本当は『歩く下肢』の夫の座とはさっさとおさらばしたい……はずだ。はずなのに、家族三人で過ごす時間が居心地いいと感じる自分もいる。
 離婚したいのか、したくないのか。自分でもよく分からなかった。
 思考の海に沈んでいるセーレを現実に引き戻したのは、保育士の声だ。

「セーレさん! セーレさん、いますか!?」

 はっとしたセーレは、すぐに席を立ちあがって片手を上げた。

「先生、ここです。どうかしましたか」

 外面用の柔らかな笑みを浮かべて問うと、保育士は勢いよく頭を下げた。

「すみません!」
「え?」
「その、アスタロト君が目を離した隙にいなくなってしまって……!」
「いなくなった!?」

 あれだけピーターパン役を楽しみにしていたのに、どうして。
 気になりつつも、平謝りの保育士に「大丈夫です、迎えに行けます」と優しく声をかけてから、セーレは意識を集中してアスタロトの魔力を探った。探知魔術だ。

(この移動速度は飛空魔術で移動しているな。だが、まだそう遠くに行っていない)

 アスタロトの魔力を探知したセーレは、後ろにいるフォカロルを振り向いた。転移魔術というのは使い手の行ったことのない場所には移動できないので、フォカロルの飛空魔術の力を借りる必要があった。

「フォカロル、アスタロトを追いましょう」
「うん。行こう」

 二人はすぐさま保育園を出た。空飛ぶ絨毯……は手元にないとのことで、フォカロルの腕に抱きかかえられる体勢で、セーレはフォカロルとともに空を飛んでアスタロトを追った。以前は嫌がっていた体勢だが、というか正直今も嫌だが、アスタロトが失踪したのだ。そんなことを気にしていられない。

「あっちです、フォカロル」

 大人のフォカロルと、まだ幼児のアスタロトでは、飛空魔術の速度が異なる。当然、前者の方が早い。というわけで、二人はやがてあっさりとアスタロトに追いついた。

「アスタロト! 何をしているんです!」

 無事だったことに安堵しつつも、厳しい口調で問うと、アスタロトはきゅっと口を引き結んだ。その表情はどことなく泣きそうに見えて、フォカロルは優しく声をかける。

「アスタロト、無事でよかったよ。とりあえず地上に下りようか」
「……うん」

 三人はゆっくりと地上に下りた。ちょうどそこは河川敷で、傾斜した芝生にアスタロトを真ん中にして横並びに座る。目の前を流れる川は陽光が反射して、きらきらと輝き、美しい。
 いや、それはどうでもよくて。

「何があったの、アスタロト」

 優しい声で訊ねたのはフォカロルだ。

「言わなきゃ、いくらパパたちでも分からないよ?」
「………」

 アスタロトは膝を抱え、だんまりである。
 セーレはどう接するべきか逡巡した。心配をかけたことをきつく叱るべきなのか、それともフォカロルのように優しく諭すように訴えかけるべきなのか。
 そもそも、保育園を抜け出した理由に見当がつかない。よって、何も言えずにいると、フォカロルが再び口を開いた。

「教えてくれないなら当ててあげようか。――父親が二人いるなんておかしいって言われたんでしょ」

 セーレは思わず「え……」と声を上げた。

「そう……なんですか、アスタロト」
「………」

 父親が二人いるのはおかしい。確かに現時点の世間体ではそうだ。

(そういえば、フォカロルが保育園に顔を出すのは今日が初めてだ……)

 今日はお父さんとパパがくる。そんな風に言って、周りからどうして父親が二人いるんだと指摘されたというのは、確かにありえなくはない。
 図星だったのだろう。アスタロトは目にいっぱいの涙を浮かべ、すすり泣き始めた。

「みんな、おとこどうしで、こどもができるわけがないって……だからボク、おとうさんとパパのこどもじゃないんでしょ?」

 ぽろぽろと涙をこぼすアスタロト。
 そうか。そういうことだったのか。両親だと信じて疑っていなかったセーレとフォカロルのことを実の両親ではない、と勘違いして傷付いていたのだ。
 咄嗟に何も言えずにいるセーレに対し、フォカロルは優しく否定した。

「アスタロトはパパたちの子供だよ」
「う、そだ…っ……」
「嘘じゃないよ。あのね、セーちゃんは薬を飲むと女の人に変身できるんだよ。それでパパたちが愛し合って、アスタロトが生まれたんだ」
「おんなのひとにへんしん……?」
「そう。今はまだ秘密だけどね。もうすぐみんな分かってくれるようになるよ」

 アスタロトは涙に濡れた瞳で、セーレを見上げた。

「おとうさん、ほんとう?」
「ええ。アスタロトは紛れもなく私たちの子供ですよ」
「……ほんとうに?」

 アスタロトの目はまだ疑わしげだ。それもそうだろう。変身という言葉を使ったって、男から女に変わるなんて信じ難いに違いない。
 聡いアスタロトのことだから、自分を安心させるためにセーレたちが嘘をついているのではないか、と考えていてもおかしくなかった。
 となると、実際に見せるしかない。そう判断して、セーレは懐からグレモリーからもらっていた女体化の薬を取り出した。

「アスタロト、いいですか。今から変身しますよ」

 錠剤を見せてから、セーレは女体化の薬を服用した。すると、ぽん、と小気味のいい音を立てて姿形が変わる。金色の髪と空色の瞳はそのままに、女性の姿になった。
 アスタロトは驚きに目を見開く。

「え……お、おとうさん?」
「そうですよ。ほら、女の人になったでしょう」
「……ほんとうなんだ」

 驚いた拍子に涙も引っ込んだアスタロトは、ようやく笑みを見せてくれた。ぱっと弾けるような笑顔で言う。

「ボク、おとうさんたちのこどもなんだね!」
「そうだよ」
「ええ」

 セーレはそっとアスタロトを抱き締めた。見慣れない胸の感触にアスタロトは戸惑っていたようだったが、すぐに嬉しそうに抱きつく。そこへ、さらにフォカロルが二人を抱き締めた。

「俺たち三人は家族だよ」




 その後、セーレたちと保育園に戻ったアスタロトはピーターパン役を演じ、無事に演劇は終わった。学芸会もつつがなく進み、日が暮れる頃には解散する運びとなった。

「今日は頑張ったな、アスタロト」
「そうですね。カッコよかったですよ」

 夜。三人はフォカロルの広い寝台に川の字になって、横たわっていた。アスタロトが珍しくセーレたちと一緒に寝たいとおねだりしてきたからだ。
 両親に褒められてアスタロトはご満悦だ。将来、役者になろうかなぁ、なんて無邪気に笑って言う。なろうと思えばなれるだろう、と考えるセーレは親バカだろうか。

「おとうさんはいつまでおんなのひとのままなの?」
「明日には元に戻りますよ」
「ふーん。おとうとができたらいいなぁ」
「こ、子供というのはそんなに簡単に授かれるものではありません」

 さすがに、どうしたら子供ができるかまではまだ分からないようだ。男女が一緒に寝たら子供ができる、という程度の認識なのだろう。
 そんな会話を交わす夫子を、フォカロルは楽しげに笑って見つめていた。

「さっ、もう寝よう。いい子にしてたら、弟ができるかもしれないぞ」
「え、ほんとう?」
「フォ、フォカロル!」

 期待を持たせるようなことを言うな。
 それともなんだ。まさか、セーレに手を出すつもりか。身構えたが、もちろんそんなことはなく。先に眠ったアスタロトを、二人は優しい眼差しで見つめた。
 可愛い我が子の寝顔を眺めていたら、ふとあることを思い出してセーレはフォカロルを見やる。

「……そういえば、どうして言い当てられたんですか」
「ん? 何が?」
「今日、アスタロトが私たちの子供ではないのか、と思い悩んでいたことです」

 セーレには全く予想がつかなかった。何をヒントに言い当てられたのか、気になっていたのだ。

「あー、あれね。勘だよ」
「か、勘ですか?」
「うん。だって、保育園に通い始めたら、遅かれ早かれ周りから言われるだろうなぁって思ってたから。子供って時に残酷だからねぇ」
「そう、だったんですか……」

 セーレはそっと視線を落とした。きゅっと口を引き結ぶ。
 あの時、セーレはどうしたらいいのかさっぱり分からなかった。フォカロルはいい父親をできているのに、自分の体たらくが情けない。
 気落ちしている表情を察したのだろう。フォカロルは不思議そうに「どうしたの、セーちゃん」と声をかけてきた。

「いえ……私は父親失格だな、と」
「急にどうしたの。セーちゃんはしっかりアスタロトを育ててるじゃん」
「ですが……私には父親というものがよく分からないんです」

 ぽつりとセーレは本心を吐露した。
 そう、ほぼ母子家庭で育ったセーレには父親というものがよく分からない。どう接したらいいのか、どう振る舞うべきなのか、毎日手探りで。
 と、フォカロルの手が、ぽんとセーレの頭を撫でた。

「セーちゃんはいい親だよ。アスタロトが将来結婚したいって思うくらいに」
「……そうでしょうか」
「もっと自信持って。それにセーちゃんには父親がいなくても、お義母さんっていう立派な親御さんに育てられたんでしょ?」
「あ……」

 そうだ。そうだった。セーレには厳しくも優しかった母がいた。父親というものが分からなくても、手本とすべき親はいる。
 ふいとフォカロルを見ると、フォカロルの微笑みはどきりとするほど優しかった。

「お互いに足りないものは補い合えばいいよ。子育ては一緒にやるものなんだから」

 俺は不在にしがちで申し訳ないけど、とフォカロルは苦笑いで付け加えたけれども。その言葉はすとん、と胸に落ちた。

「……ありがとうございます、フォカロル」

 フォカロルの言う通りだ。セーレは一人でアスタロトを育てているわけではない。フォカロルという伴侶がいる。
 このまま。このまま、ずっと三人でいられたら。
 芽生え始めた想いを抱きながら、セーレは静かに眠りについた。

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