偽装結婚の行く先は

深凪雪花

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フォカロルの一時帰国(春)2

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 フォカロルが買い物に出かけている間、セーレはアスタロトに離乳食を食べさせた。そしてその後は好きなだけミルクを与え、げっぷをさせてから再びベビーベッドへ寝かせる。

(さて、と)

 セーレはいそいそと自室へ行き、魔導カメラを手に持ってリビングへ戻った。もちろん、アスタロトの写真を撮るためである。おもちゃのぬいぐるみをアスタロトの頭上へ上げ、もう片方の手で魔導カメラを構えていると、ほどなくしてフォカロルが買い物から帰宅した。

「ただいま。……セーちゃん、何してるの?」

 不思議そうな声で訊ねるフォカロルをセーレは振り向き、淡々と答えた。

「何って見たら分かるでしょう。アスタロトの写真を撮ろうとしているんですよ」
「それは分かるけど……なんで、おもちゃをそんなに上に持ち上げてるの?」
「アスタロトが飛空魔術で飛んでいるところを撮影するためです」

 おもちゃを頭上に持ち上げれば、おもちゃが欲しくなって飛空魔術を使うのではないかと考えたのだが、アスタロトが宙に浮こうとする気配は残念ながらない。それでも、セーレはめげずに動作を続けた。

「アスタロト、ほら、ぬいぐるみが宙に浮いていますよ。私にも飛空魔術を使っているところを見せて下さい」

 フォカロルはセーレの隣まできて、後頭部を掻いた。

「別に急いで撮る必要はないんでない? 大きくなったら、いくらでも飛んでるところを見せてくれるよ」
「今日じゃなきゃダメです!」

 ぴしゃりと言うセーレにフォカロルは不思議そうな顔だ。

「え、なんで?」
「今日が飛空魔術を初めて使った記念日になるんですよ!? 写真に残して、アルバムに貼りたいんです!」
「あ、なるほど……」

 納得したように相槌を打ったフォカロルは、「おもちゃ、貸して」と言ってセーレの手からおもちゃを受け取った。そしてそれを自身の飛空魔術で宙に浮かせ、ふわふわとベビーベッドの上を行ったり来たりさせる。
 すると、

「あ!」

 とうとう興味を持ったアスタロトがふわりと宙に浮いて、おもちゃを捕まえた。
 セーレはその瞬間を逃さなかった。パシャリ、と写真を撮る。アスタロトがベビーベッドへ戻るまで、パシャ、パシャと何枚もその姿を魔導カメラに収めた。
 これでアルバムに成長記録を残せる。セーレは珍しく柔らかい笑みをフォカロルに向けた。

「ありがとうございます、フォカロル」
「うん。後で俺にも見せてね」
「いいですよ。あ、これまで撮った写真を見ます?」

 セーレは上機嫌で棚から分厚いアルバムを取り出した。フォカロルに渡すと、ソファーに座って「よく撮れてるね」と言いながら、アルバムを眺め始めた。アスタロトの可愛い写真に表情を和ませていたが、何か気になることがあったらしい。怪訝な顔をした。

「セーちゃん、何枚も同じ写真が並んでるけど。印刷ミスしたの?」
「え?」

 身に覚えのないセーレは背後からアルバムを覗き込み、眉尻を上げた。

「何を言っているんですか。全部、表情が違うでしょう。それに角度だって違います」
「あ、そ、そうなんだ……」
「それにしても、もう魔術が使えるなんてやはり天才ですね。将来、魔王軍に入ったら大将軍にだってなれるかもしれません」
「……『親バカ』って、今のセーちゃんのためにあるような言葉だね」

 フォカロルは苦笑いだ。誰が親バカだとセーレはむっとしたが、猫可愛がりしている自覚はあるので反論しなかった。
 フォカロルは放置することにして、いつの間にかすやすやと眠り始めたアスタロトの寝顔を眺め見る。まるで天使のようだ。魔族だけれども。

(はぁ、可愛い……)

 グレモリーの幼い頃も可愛かったが、我が子ともなると可愛さに拍車がかかる。お腹を痛めて産んだ子供というのもあるかもしれない。
 アスタロトのためだったら、なんだってできる。本当にそんな心意気だ。

「ところでセーちゃんってさ、なんでアスタロトにも敬語なの?」

 アルバムを棚に戻しながら、フォカロルが首を傾げて問う。基本的に誰に対しても敬語であるセーレだが、どうして息子にまで敬語なのか。
 理由はある。けれども、そんなことまで話す必要はない、とセーレはつんと返した。

「アスタロトには礼儀正しい子に育ってほしいからですよ。あなたみたいにいい加減な男に育てるわけにはいきませんからね」
「あっはっは、相変わらず手厳しいなぁ。性格はセーちゃんに似るといいね」

 セーレの塩対応なんてなんのその。フォカロルはへらっと笑ってから、ふと思い出したように口を開いた。

「あ、そうだ。ケーキを買ってきたから食べようよ。セーちゃん、甘いもの好きでしょ?」
「……まぁ、買ってきてもらったのならいただきますが」
「じゃあ、食べよう。今、準備してくるからちょっと待っててね」

 フォカロルはいそいそとキッチンへ行く。セーレはソファーに腰を下ろし、ケーキが運ばれてくるのを待った。
 ほどなくして、イチゴが乗った生クリームのケーキと、紅茶が二人分運ばれてくる。

「お待たせ。さっ、食べようか」
「はい」

 ケーキも紅茶も確かにおいしい。けれど、と思う。何が悲しくて、フォカロルとの結婚記念日を祝わねばならないのだ。ケーキと紅茶には罪はないので、最後までいただくけれども。

(アスタロトの初めて魔術を使った記念日と思うことにしよう……)

 そんな冷たいことを考えているとは露知らず、フォカロルは嬉々としている。

「もう結婚して二年目かぁ。本当に早いものだね。アスタロトが大きくなったら、結婚式とか挙げようか」

 セーレは飲んでいた紅茶を吹き出しそうになった。結婚式だと。どうしてそうなる。

(俺たち、離婚前提の偽装結婚だろ!)

 意味が分からない。こいつ、マジで離婚する気があるのか。セーレは今すぐにでも離婚したいくらいなのに。

「……その頃には離婚していますよ」

 やんわりと言うと、フォカロルはきょとんとして。

「え、まだ離婚する気でいたの?」
「はぁ?」

 当たり前じゃないか。誰が好き好んで『歩く下肢』と結婚したままでいたいと思うのか。

「私たちは離婚前提のはずですが?」
「えー、だってアスタロトが生まれたし。それにさ、俺ってば、顔よし、性格よし、給料取りよし、の優良物件だと思わない?」

 自分で言うことか、とセーレは内心突っ込みを入れつつ、素っ気なく返した。

「給料取りの部分しか合っていないじゃないですか」
「それじゃ、俺が不細工の上に性格悪いみたいじゃん!」
「そこまでは言いませんが……別にあなたの顔は好みではありませんし、そのふざけた性格も好感は持てませんね」

 フォカロルのことを否定しているわけではない。あくまで個人的に相性が悪いと感じているだけだ。だってそうだろう。自分たちは水と油のように正反対で相容れない。
 辛辣な言葉にフォカロルはなんとも形容し難い顔をした。

「俺は……」

 フォカロルが何か言いかけた時だった。部屋の呼び鈴が鳴って、セーレは席を立つ。玄関の扉を開けると、そこにいたのは。

「おや、ラウム。どうしました」
「フォカロルが帰ってきたみたいだから、ちょっと顔を出しに」

 さすが、情報が早い。にこやかに笑って言うラウムにセーレは感心した。

(俺が女体化して子供を産んだことも突き止めたもんなぁ)

 グレモリーが開発した少子化対策の薬がまだ公表されていないということで、セーレは職場の誰にも事情を告げずに休職した。単に、女体化した上にフォカロルの子供を授かった、なんて公言したくなかったというのもあるが、ともかくそれでもラウムにはバレてしまったのだ。
 といっても、別にそれで何か要求されたわけではない。どころか、妊娠中のセーレの様子をこまめに見にきてくれ、陣痛が起こった時にはフォカロルに知らせてもくれた。心強い仲間がいてよかったものだと思う。

「そうですか。どうぞ、上がって下さい」
「ありがとう。じゃあ、お邪魔しまーす」

 部屋に上がってリビングに顔を出したラウムに、フォカロルは目を瞬かせる。

「お、ラウムじゃん。久しぶり」
「久しぶり。……あれ、ケーキなんて食べてどうしたの。おやつ?」
「二年目の結婚記念日だからそのお祝いだよ」
「へぇ、おめでとう。なんだかんだ仲良くやってるね」

 セーレはキッチンで紅茶を淹れながら、即座に訂正した。

「この人が一人で祝っているだけですよ」

 セーレに結婚記念日など祝うつもりはない。
 フォカロルは口を尖らせた。

「セーちゃん、つれないんだからもう」
「祝おうとするあなたがおかしいんです」
「そうかなぁ?」

 そんなやりとりを交わすセーレたちを横目に、ラウムはベビーベッドで眠っているアスタロトを優しげに眺めていた。「可愛いねぇ」とこぼすラウムに、セーレは「そうでしょう」と上機嫌で答えた。

「今日は初めて飛空魔術を使ったんですよ。まだ生後八ヶ月なのに」
「え、そうなの? すごいね」
「でしょう? 天才だと思いません? 将来はきっと大物になりますよ」
「……セーレがこんなに親バカになるとは思わなかったよ」

 興奮気味のセーレに対して、ラウムは苦笑いだ。だから誰が親バカだ。
 そんな会話をしていたら、アスタロトがぱちっと目を開けた。ラウムとは何度も顔を合わせているので驚くことはなく、きゃっきゃっと楽しそうにラウムへ手を伸ばす。
 まるで抱っこして、と言っているかのような様子のアスタロトの要望にラウムは応え、そっと抱き上げた。あやすように体を揺らしつつ、傍に置いてあった魔導カメラに気付く。
 気の利くラウムは、

「あ。三人の写真を撮ってあげようか?」

 と、申し出てくれた。そういえば、と思う。まだ三人で写真を撮っていない。出産時に看護師が気を利かせてくれて撮りましょうか、と言ってくれたが、セーレは女体化している姿を残すのが嫌で丁重に断ったのだ。
 フォカロルは「お、いいね」と乗り気だったが、セーレは咄嗟にどうするべきか判断に迷った。どうせ、離婚するのに三人で写真を撮っておく意味があるんだろうか。
 そんなセーレの迷いを、ラウムは表情から察したらしい。「一枚くらい、両親との写真があった方がアスタロト君は喜ぶと思うよ」と言うので、それもそうかもしれないとセーレは渋々ながら「では、お願いします」と頼んだ。
 ラウムからアスタロトを受け取って抱っこし、ベビーベッドを背景にフォカロルと並ぶ。魔導カメラを手にしたラウムは、「じゃあ、撮るよー」と魔導カメラを構えた。
 パシャ、と音が鳴る。
 その日、結婚記念日であり、アスタロトが初めて飛空魔術を使った日であり、そして三人で初めて写真を撮った、特別な日になった。

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